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幕別町の牧草地と丘と雲

幕別町の歴史

幕別町の歴史 川の名からはじまった町の130年

幕別町は、十勝川と札内川と猿別川が合わさるところにある町です。町は1897年(明治30年)に戸長役場が置かれた年を開基の第1年と数え、2026年に開町130年を迎えました。ここでは、町の年表、町史の要約、国の公表資料で確かめられた出来事だけを、年代順に並べます。

2026年10月3日に撮影
1947年に米軍が撮影した幕別の市街と川の空中写真
1947年11月9日に米軍が撮影した空中写真 USA-M637-3。幕別の市街と、合わさる川。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の画像を切り出し

幕別町の歴史を一言でいうと アイヌの人びとの土地に、川づたいに人が入った町です

幕別町の歴史は、川の名から始まります。「幕別」はアイヌ語の川の名からきていて、帯広開発建設部の冊子は「マクンペツ(後ろにある川)」と書きます。止若(やむわっか)、白人(ちろっと)、咾別(いかんべつ)、別奴(べっちゃろ)も、みなアイヌ語の地名です。

幕別の土地には、和人が来るずっと前からアイヌの人びとが暮らしていました。1858年(安政5年)に松浦武四郎が十勝を調べて歩き、1882年(明治15年)に細谷十太夫直英が、記録に残る最初の和人として幕別に住みました。

1897年(明治30年)9月1日、幕別など7つの村の戸長役場が猿別市街に置かれました。町はこの年を開基の第1年としています。1906年(明治39年)に5つの村が合わさって幕別村になり、1946年(昭和21年)に町になりました。2006年(平成18年)に忠類村と一つになり、いまの幕別町になりました。

いまの幕別町は、2020年の国勢調査で人口25,766人(幕別地区24,339人・忠類地区1,427人)です。

出典: 幕別町「町勢要覧資料編 2026 の年表」、十勝総合振興局「幕別町史 概要」(2016年の保存版)、帯広開発建設部「時をこえて十勝の川を旅しよう」、幕別町「町勢要覧資料編 2025 の人口」

松浦武四郎『十勝日誌』の挿絵。家の中に道具がならぶ図
松浦武四郎『十勝日誌』(1860年刊)の挿絵。家の中の道具の図。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)

松浦武四郎が見た十勝 1858年の調査と『十勝日誌』の挿絵

幕別の土地を文字で記した最も古い記録の一つが、松浦武四郎の『十勝日誌』です。武四郎は1858年(安政5年)に十勝を調べて歩き、1860年(万延元年)に『十勝日誌』を刊行しました。

この本には、十勝のアイヌの人びとの家、道具、儀礼、山や川の姿が、挿絵つきで描かれています。上の図は家の中に道具がならぶ場面で、炉、鍋、器、刀、弓などに名前が添えられています。

『十勝日誌』は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されていて、誰でも全ページを読めます。幕別の近くのコタン(集落)の記述がどのページにあるかは、まだ本文を読み切れていません。

出典: 国立国会図書館デジタルコレクション「十勝日誌」(松浦武四郎、万延元年序・跋、保護期間満了)、幕別町「町勢要覧資料編 2026 の年表」(1858年の松浦武四郎の調査)

幕別町の年表 1 松浦武四郎から町制まで(1858年〜1946年)

  1. 1858年松浦武四郎が十勝を調べて歩く。『十勝日誌』に、この土地のコタン(集落)の様子が書かれる
  2. 1882年細谷十太夫直英が、記録に残る最初の和人として幕別に住む
  3. 1885年4月止若・白人・咾別・別奴・幕別の5つの村が定められる
  4. 1889年永井三治が利別から止若村(いまの明野)に移り、開拓を始める。開拓に従事した記録ではもっとも古い
  5. 1896年十勝で殖民地の区画の貸し付けが始まり、白人・咾別・止若の原野に移民が急に増える
  6. 1897年9月1日幕別など7つの村の戸長役場が、大津から分かれて猿別市街に置かれる。町はこの年を開基の第1年とする
  7. 1900年依田勉三が石狩から種もみを手に入れ、途別農場で稲を試作する
  8. 1903年まで糠内に、富山県西礪波郡西五位村からの「五位団体」(団体長 吉田平一郎)が20戸ほど入植している
  9. 1905年10月鉄道の利別・帯広間が開通し、止若停車場が開業する
  10. 1906年4月二級町村制で5つの村が合わさり、幕別村になる。初代の村長は松宮直次郎
  11. 1906年8月幕別村の役場が、猿別市街から駅のある止若市街へ移る
  12. 1919年4月幕別村が一級町村になる
  13. 1944年全村の字名が改められ、白人が「千住」になる
  14. 1946年9月15日開基50年の年に町制が施行され、幕別村が幕別町になる

出典: 幕別町「町勢要覧資料編 2026 の年表」、十勝総合振興局「幕別町史 概要」「幕別町史 農業」(2016年の保存版。五位団体は明治36年に糠内へ来た人の聞き書き)、北海道庁「北海道殖民状況報文 十勝国」(1901年・国立国会図書館デジタルコレクション)。年表の全体は十勝と幕別のアイヌの歴史の年表にあります

1896年製版の5万分1地形図「止若」。川の両側に殖民区画の格子が引かれている
5万分1地形図「止若」(明治29年製版・北海道仮製五万分一図)。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の画像を切り出し。図歴の資料を加工

1896年の地形図「止若」 殖民区画の線が引かれた土地

幕別の土地が初めて地形図になったのは1896年(明治29年)です。陸地測量部の「北海道仮製五万分一図」で、図の名前は当時の中心だった「止若」です。川の両側に、格子の線が引かれています。これが殖民区画で、同じ年に貸し付けが始まり、移民が急に増えました。

この図幅は1909年の部分修正版で「池田」、1920年の測図版から「十勝池田」と名前を変え、いまに続きます。幕別町の全域は、この図幅のほかに「糠内」「帯広」「大正」「忠類」「上札内」の5つの図幅に入ります。

図歴(いつ測り、いつ直したかの記録)は6図幅で76件あります。国土地理院の閲覧サービスで、どの版も無料で見られます。

出典: 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の図歴(図郭 35-11 ほか。2026年10月11日に確認)、北海道庁「北海道殖民状況報文 十勝国」(1901年)

止若駅から幕別駅へ 町の中心は駅の前に移りました

幕別町の中心は、鉄道が通ったあとに駅の前へ移りました。1905年(明治38年)10月に利別・帯広間の鉄道が開通し、止若停車場ができました。翌1906年8月、村役場が猿別市街から止若市街へ移り、猿別の施設や商店も止若へ移っていきました。

駅は開業から58年のあいだ止若駅と呼ばれ、1963年(昭和38年)11月に幕別駅に名を改めました。下の3枚は、1948年、1977年ごろ、2026年の駅の周りです。市街地が駅を中心に広がり、いまに続いていることが分かります。

いまの幕別駅は根室本線の駅です。チロットへは、帯広駅からのバスのほか、幕別駅からも行けます。行き方はアクセスの案内にまとめています。

出典: 幕別町「町勢要覧資料編 2026 の年表」、十勝総合振興局「幕別町史 概要」、写真は Wikimedia Commons「Makubetsu eki.jpg」(国土交通省 国土画像情報を基に作成・表示が条件のライセンス)

幕別駅の周りの変化 1948年・1977年・2026年

幕別町の歴代町長 1947年の初めての選挙から現在まで

代氏名在任期数
1中島国男1947年4月〜1975年4月7期
2大石忠夫1975年4月〜1983年4月2期
3林照男1983年4月〜1999年4月4期
4岡田和夫1999年4月〜2015年4月4期
5飯田晴義2015年5月〜現職3期目(2023年は無投票)

出典: 十勝毎日新聞「幕別町長選 過去の選挙データ」(1947年から2015年の全選挙)、幕別町「過去の選挙結果」。

1906年から1946年の幕別村長は、初代の松宮直次郎(1906年4月〜1911年12月)のあと、岩城氏義、太田喜三郎、武智和平(1914年4月〜1917年3月)、石原重方(1917年3月〜1919年4月)までが町史の要約で分かります。1919年から1946年までの村長の名は、『幕別町史』(1967年)の本文で確かめる必要があります。

幕別町の年表 2 戦後から開町130年まで(1947年〜2026年)

  1. 1947年4月初めての公選の町長選挙で、中島国男が当選する
  2. 1949年8月20日大樹村から忠類村が分かれて村になる
  3. 1959年11月白人コタンの指導者だった吉田菊太郎が、千住に蝦夷文化考古館を建てる
  4. 1963年11月止若駅が幕別駅に名を改める。蝦夷文化考古館のとなりに千住生活館ができる
  5. 1966年1月蝦夷文化考古館が、吉田菊太郎の遺族から町に寄贈される
  6. 1966年9月21日幕別町民憲章が定められる
  7. 1969年7月忠類でナウマン象の化石が見つかる
  8. 1979年10月幕別町ふるさと館ができる
  9. 1983年幕別町でパークゴルフが生まれる。考案したのは前原懿
  10. 1996年10月『幕別町百年史』(1446ページ)が刊行される
  11. 2002年2月26日蝦夷文化考古館の収蔵品と糠内獅子舞が、町の指定文化財になる
  12. 2006年2月6日幕別町と忠類村が合併し、いまの幕別町になる
  13. 2016年2月6日町の花しばざくら、町の木かしわ、町の鳥おおはくちょうが定められる
  14. 2026年10月1日幕別町アイヌ文化交流センター「チロット」が千住に開館する。同じ日に開町130年の記念式が開かれる

出典: 幕別町「町勢要覧資料編 2026 の年表」、内閣府公表「幕別町アイヌ施策推進地域計画」(蝦夷文化考古館の完成と寄贈、ふるさと館)、幕別町「令和6年度 文化財審議委員会 議案」、日本郵便「平成18年 市町村変更情報」、北海道新聞「パークゴルフ考案の前原さん死去」、国立国会図書館サーチ「幕別町百年史」、十勝毎日新聞「開町記念式」(2026年10月1日)

忠類の歩み 1949年の分村から2006年の合併まで

幕別町の南に広がる忠類は、2006年(平成18年)2月6日まで広尾郡忠類村でした。1949年(昭和24年)8月20日に大樹村から分かれて村になり、57年のあいだ独立した村として歩みました。

1969年(昭和44年)7月に忠類でナウマン象の化石が見つかり、いまは道の駅忠類の中の忠類ナウマン象記念館で見られます。旧広尾線の忠類駅の駅舎も、線路が無くなったあとも残っています。

忠類の歴史は、町が2023年に出した『忠類地域読本』にまとめられています。下の3枚は、1948年の忠類市街の空中写真と、いまの忠類です。

出典: 幕別町「町勢要覧資料編 2026 の年表」、幕別町「忠類地域読本」(2023年)、日本郵便「平成18年 市町村変更情報」

忠類の写真 1948年の市街と、いまの忠類

幕別町の5つのチャシ跡 道の遺跡台帳に登録されている場所

幕別神社チャシ跡(L-14-020)
幕別町字本町148。猿別川の右岸の台地の先端、標高25メートル
金比羅チャシ跡(L-14-003)
幕別町字豊岡3-1。猿別川と旧途別川の合流点に突き出た豊岡台地の北東端、標高70メートル。刀が出土した記録がある
軍岡チャシ跡(L-14-034)
幕別町字軍岡88〜90・92。猿別川の右岸の台地の西の縁、標高30メートル
稲志別チャシ跡(L-14-079)
幕別町字豊岡3-27・31。河岸段丘、標高80〜90メートル
依田チャシ跡(L-14-067)
幕別町字依田547。河岸段丘、標高80メートル

出典: 北海道教育委員会の埋蔵文化財包蔵地の台帳(北海道オープンデータ・2026年3月30日更新)、「北の遺跡案内」。チャシはアイヌの人びとが造った、堀や土手で囲んだ場所です。5か所とも国と町の指定文化財ではありません。幕別町には、このほかに127か所の遺跡が登録されています(2026年4月1日現在、合わせて132か所)

幕別町の指定文化財 5件と指定された日

幕別町蝦夷文化考古館収蔵品(民俗文化財)
2002年2月26日に指定。所在は字千住114-1。吉田菊太郎が集めたアイヌの生活の道具
糠内獅子舞(民俗文化財)
2002年2月26日に指定。糠内獅子舞保存会が伝える
札内N遺跡出土品(有形文化財)
2008年3月27日に指定。所在は字依田384-3(ふるさと館)
忠類明和のヒカリゴケ(記念物)
2009年6月26日に指定。忠類明和1-1の町有林の中
どさんこ甚句・どさんこ舟唄(民俗文化財)
2012年7月26日に指定

出典: 幕別町「令和6年度 第1回幕別町文化財審議委員会 議案」(令和6年4月1日現在の一覧)。蝦夷文化考古館の収蔵品の一部は、チロットの展示館で見られます

表紙に「明治三十七年三月起」「白人組合」と書かれた文書
2026年10月3日に撮影

白人コタンの記録 1904年の「白人組合」の文書

幕別の歴史には、アイヌの人びとが自分たちで書き残した記録があります。チロットの展示にある「白人組合」の文書は、表紙に「明治三十七年三月起」とあり、1904年に白人コタンの人びとが組合を作って記したものです。

1905年には「白人土人開墾組合」ができ、組合員の負債の解消にあたったと、町の「郷土文化ものがたり」は書いています。1896年に生まれた吉田菊太郎は、この白人コタンで育ち、のちに北海道アイヌ協会の副理事長を務め、1959年に蝦夷文化考古館を建てました。

吉田菊太郎の生涯は吉田菊太郎の画面に、アイヌ語の地名は十勝のアイヌ語地名の地図にまとめています。

出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)、幕別町「郷土文化ものがたり Part1」、内閣府公表「幕別町アイヌ施策推進地域計画」

この画面の作り方 955件の資料から、本文で確かめた事実だけを使いました

この画面は、幕別町と十勝の歴史の資料955件を集めたカタログをもとに作りました。町の公表資料、町史の要約、国立国会図書館の書誌、北海道の遺跡台帳、新聞記事の本文を一つずつ開いて、年と名前と数が本文に書かれていることを確かめた事実だけを載せています。

『幕別町史』(1967年・927ページ)と『幕別町百年史』(1996年・1446ページ)は国立国会図書館でデジタル化されています。『幕別町史』は登録利用者の個人送信で、『幕別町百年史』は館内限定で読めます。1919年から1946年の村長の名など、本文を読まないと埋まらない事柄は、この画面にはまだ書いていません。

資料のあいだで食い違っていた9つの事柄(蝦夷文化考古館の建設年、忠類村の編入日、五位団体の出身地、パークゴルフの考案者、『幕別町史』の刊行年、幕別アイヌ協会の設立年、幕別に最初に住んだ和人、『十勝大百科事典』の出版社、2020年の人口)は、一次資料で判定したうえで書いています。

写真と図は、国立国会図書館(保護期間満了)、国土地理院(出典を記して利用できる)、Wikimedia Commons(撮影者の表示が条件)のものだけを使い、どれも札に出典と作者を書きました。原寸の画像は置かず、配信用に幅を落として軽くしています。

幕別の歴史をさらに読む

この画面の出典

  1. 幕別町 町勢要覧資料編 2026(年表) 開基、町村制、町制、合併の年月日
  2. 十勝総合振興局 旧「市町村史ダイジェスト」幕別町史 概要・農業 1967年刊『幕別町史』の要約。Wayback Machine の2016年の保存版
  3. 内閣府 幕別町アイヌ施策推進地域計画(2026年3月23日変更認定) 蝦夷文化考古館の完成(1959年11月)と寄贈(1966年1月)、ふるさと館、幕別アイヌ協会の設立
  4. 幕別町 令和6年度 第1回文化財審議委員会 議案 町指定文化財5件の名称・種別・指定年月日
  5. 北海道教育委員会 埋蔵文化財包蔵地の台帳(北海道オープンデータ) 5つのチャシ跡の登載番号・所在地・立地
  6. 十勝毎日新聞 幕別町長選 過去の選挙データ 1947年から2015年の町長選の結果
  7. 国立国会図書館サーチ 幕別町史(1967) 927ページ。デジタルコレクション pid 13197541(個人送信)
  8. 国立国会図書館サーチ 幕別町百年史(1996) 1446ページ。デジタルコレクションは館内限定
  9. 日本郵便 平成18年 市町村変更情報 忠類村の幕別町への編入 2006年2月6日
  10. Wikimedia Commons Makubetsu eki.jpg 1977年ごろの空中写真。国土交通省 国土画像情報を基に Nisanyongo 氏が作成。表示が条件
  11. 国立国会図書館デジタルコレクション 十勝日誌(松浦武四郎・1860年刊) 挿絵と本文。インターネット公開(保護期間満了)
  12. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1896年の5万分1地形図「止若」の図歴、米軍撮影の空中写真 USA-M637-3(1947年)・USA-R253-20・USA-R257-81(1948年)。画像は出典を記して切り出した
  13. Wikimedia Commons 幕別駅・忠類駅・忠類ナウマン象記念館の写真 撮影者と条件は各写真の札に記した(CC BY 4.0、CC BY-SA 4.0、CC BY-SA 3.0)