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展示ケースに並ぶマタンプシ、指輪、ムックㇽ、タマサイ

アイヌの暮らしと道具

アイヌの暮らしと道具 家・食べ物・衣服を十勝の資料で知る

アイヌの人々は、川のそばのコタン(集落)で、チセ(家)に住み、サケやシカや山菜を食べ、木の皮や木綿の衣を着て暮らしました。材料も言葉も、土地ごとに違います。この画面は、国と財団の資料をもとに、十勝のことを分けて書いています。

2026年10月3日に撮影
秋の十勝の川と黄葉したヤナギ
写真はイメージです

アイヌの暮らしは、川のそばのコタンとチセが土台でした

アイヌの人々は、川や海の近くにコタン(集落)を作り、チセ(家)に住んで暮らしました。コタンは、数軒から十数軒の家の集まりです。食べ物と水が手に入りやすく、洪水に遭いにくい場所が選ばれました。

暮らしの土台は、狩りと漁と採集でした。それを補う形で、アワやヒエやキビを畑で作りました。衣服は、木の内皮の糸で織った布や、交易で手に入れた木綿で作りました。

十勝では、内陸のコタンの多くが、大きな川から少し入った支流沿いの、少し小高いところにありました。場所を言うときも、東西南北ではなく、川上と川下、川側と山側で表しました。

いまのアイヌの人々は、時代に合わせてさまざまな暮らしをしています。昔のままの家や食事で暮らしている人はいません。家を建てる技術、料理、刺しゅう、木彫り、歌と踊りは、いまも各地で伝えられています。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.10〜12、中学生用 p.20・p.35、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』p.126、ウポポイ「アイヌ文化について」

アイヌの道具と暮らしの言葉 早見表(チセ・マキリ・アットゥㇱ・マタンプシ ほか)

名前何か説明している節
コタン集落。数軒から十数軒の家の集まりコタンとチセ
チセ家。中央に炉がある一間の建物家(チセ)
カムイプヤㇻ(ロルンプヤㇻ)神の窓。カムイが出入りする上座の窓家(チセ)
オハウ汁物食べ物
カムイチェㇷ゚サケ。「カムイの魚」という意味食べ物
チタタㇷ゚サケの頭やヒレを細かく刻んだ料理食べ物
ルイペ凍らせた魚の料理。「とけた食べもの」という意味食べ物
アットゥㇱ(アットゥシ)木の内皮の糸で織った布と、その衣衣服
チヂリ刺しゅうだけで模様を作る木綿の衣衣服
マタンプシ鉢巻マタンプシ
タマサイガラス玉の首飾りタマサイ
マキリ小刀マキリとタシロ
タシロ山刀マキリとタシロ
イクパスイ祈りのときに酒を捧げるへらイクパスイとトゥキ
トゥキ酒を入れる漆塗りの杯イクパスイとトゥキ
シントコ行器(ほかい)。酒や宝物を入れる漆塗りの器イクパスイとトゥキ
マレㇰサケやマスをとる、鉤のついた銛漁と舟と袋
キテ海でアザラシなどをとる銛漁と舟と袋
チㇷ゚丸木舟漁と舟と袋
サラニㇷ゚木の内皮の糸で編んだ袋漁と舟と袋
ムックㇽ(ムックリ)竹などで作る口琴ムックㇽ

アイヌ語の書き方は、資料によって違います。この画面は、幕別町、アイヌ民族文化財団、帯広開発建設部の資料の書き方に合わせました。「アットゥシ」「ムックリ」「マレック」「サラニップ」と書く資料もあります。

この表には、公的な資料で確かめられた言葉だけを載せています。

チロットの伝承室。板の間の中央に炉があり、上に炉棚がつるされている
2026年10月3日に撮影

チセ(アイヌの家)のつくりと、十勝のチセの材料

チセは、アイヌ語で家のことです。柱を地面に直に立て、くぎを使わず、ブドウづるやシナノキの内皮のひもで結んで組み立てました。大きさは20㎡から100㎡くらいで、コタンの人たちが力を合わせて建てました。

チセの材料は、その土地で手に入りやすいものです。ヨシなどの茅のチセは、胆振と日高をはじめ道内でいちばん多く見られます。笹のチセは主に上川、シラカバなどの樹皮のチセは道東と根室を中心に見られます。

十勝では、柱にカシワやハシドイの丸太を使い、骨組みにヤチダモなどを使いました。屋根と壁には、ヨシやススキなどの草の茎を厚く張りました。

十勝のチセは、コタンの近くの川の流れと平行に建てました。川上の側の窓がロルンプヤㇻ(上座の窓)です。カムイ(神)が出入りするカムイプヤㇻ(神の窓)として大切にされました。人の出入り口は川下の側です。

チセの中は一間で、中央に炉があります。炉の上には炉棚をつるし、肉や魚を下げて煙でいぶし、保存食にしました。十勝の資料は、火を身近なカムイ(アペフチカムイ)と説明しています。床には乾かしたヨシやススキを敷きつめ、その上にすだれとござを敷きました。

いまは、暮らしの場としてのチセは残っていません。建てる技術は伝えられていて、各地で復元されたチセを見られます。帯広開発建設部の冊子は、上士幌町の東泉園に十勝のチセが復元されていると紹介しています。

写真は、チロットの生活館の伝承室です。部屋の中央に炉があり、上に炉棚がつるされています。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.12〜13、中学生用 p.20〜21、同財団 アイヌ生活文化再現マニュアル「建てる」、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』「チセの建て方と川」p.130〜131。幕別のチセだけを説明した公的な資料は、2026年10月の時点で見つかっていません。

チロットの施設を見る

鮭と野菜の汁物
写真はイメージです

アイヌの食べ物は、汁物(オハウ)とかゆ、サケ、シカ、山菜でした

アイヌのふだんの食事は、朝と夕方の2回でした。塩や動物の油で味を付けた汁物と、かゆが中心です。汁物はオハウと言い、サケの汁はチェㇷ゚オハウと呼びます。儀式や祝いのときは、ごはん、だんご、酒が加わりました。

魚は、川をのぼるサケ、マス、シシャモ、ウグイ、イトウなどをとりました。とりわけサケの漁が重んじられました。サケは、身だけでなく内臓、頭、ヒレまで工夫して調理しました。

肉は、シカ、クマ、ウサギ、エゾライチョウなどです。山菜は、春のギョウジャニンニクやフキ、夏のオオウバユリ、秋のヤマブドウやクルミなどを採りました。山菜は根こそぎにせず、次のためにいくらか残すのがふつうでした。

冬や飢饉に備えて、食料は干したり燻製にしたりして蓄えました。オオウバユリの根からは、でんぷんをとりました。

十勝では、サケをカムイチェㇷ゚(カムイの魚)と呼びました。とったサケのほとんどは、冬のためにとっておきました。内臓をとって背から開き、日に干したあと、チセの炉棚につるして煙で燻製にしました。

十勝の資料は、ギョウジャニンニクを「プクサ」と呼ぶ大切な食べものとして紹介しています。チタタㇷ゚は、新しいサケのヒレや頭の軟骨や白子を細かく刻む、秋の料理です。ルイペは「とけた食べもの」という意味で、凍らせた魚の料理です。同じ名でも、地方や人によって指す食べものが違うことがあります。

帯広開発建設部の冊子に載っているサケ料理は、幕別町の安東ウメ子さんが生前に紹介していた料理です。

いまの食事は、和食や洋食が中心です。儀礼や祭りのときには、いまも伝統の料理が作られています。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.10〜11・p.46、中学生用 p.20・p.35、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』「サケを使った料理」p.122〜124、「魚以外の食べものをとる」p.121、農林水産省 北海道農政事務所「アイヌの伝統料理」

安東ウメ子さんについて読む

アイヌの衣装 アットゥㇱ(樹皮の衣)と、十勝に伝わる木綿衣チヂリ

アイヌの衣服の材料は、動物の毛皮、魚の皮、鳥の皮、木の内皮、イラクサの繊維でした。交易で、絹や木綿も手に入れました。

アットゥㇱ(アットゥシとも書きます)は、オヒョウ、シナ、ハルニレなどの木の内皮の糸で織った布と、その衣です。いちばん身近な衣服でした。内皮は、木灰を入れた湯で煮て薄くはがし、糸にして織ります。

幕別町の資料によると、アットゥㇱは幕末の十勝の産物でした。作る技術は途絶えていましたが、幕別の保存会が復興に取り組んでいます。

木綿の衣は、4つの種類に分けられています。布を置いた模様の上に刺しゅうをするチカㇻカㇻペ、布と刺しゅうをふんだんに使うルウンペ、白い布を切り抜いた模様を付けるカパラミㇷ゚、刺しゅうだけで模様を作るチヂリです。

十勝に伝わるのはチヂリです。アイヌ民族文化財団の再現マニュアルは、十勝地方に伝えられているチヂリを、帯広に住む伝承者の作として紹介しています。

アイヌの衣服に、男女の別はありません。いま残る木綿の衣の多くは、儀礼のときに着た晴れ着です。いま民族の衣装を着るのは、儀礼のときや、歌や踊りを披露するときなどです。

サケの皮で作る靴もありました。十勝の資料によると、1足にサケ4尾分の皮を使い、中に乾いた草を敷いてはきました。

文様は、渦巻きの形(モレウ)や括弧の形(アイウシ)などを基本に、作り手が思い思いに組み合わせます。刺しゅうは、母から娘へ、手元を見て覚える形で受け継がれてきました。一つひとつの形が何を表すかは、公的な資料に書かれていないため、この画面では説明しません。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.8〜9、中学生用 p.35、同財団 再現マニュアル「織る 樹皮衣」「縫う 木綿衣」「彫る 小刀・山刀・盆」、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』p.125、幕別町「郷土文化ものがたり Part2」、幕別町アイヌ施策推進地域計画

金色と水色の糸で刺しゅうをした黒いマタンプシ(鉢巻)
2026年10月3日に撮影

マタンプシは、頭に巻く鉢巻です

マタンプシは、頭に巻く鉢巻です。マタンプㇱとも書きます。もともとは、男性が髪をまとめるために頭に巻きました。いまは女性も巻きます。

写真は、チロットの企画展に展示されているマタンプシです。安東ウメ子さんが、民族衣装を着るときに頭に巻いていました。黒い布に、金色と水色の糸で刺しゅうがしてあります。安東ウメ子さんの遺族の所蔵です。

出典: アイヌ民族文化財団 再現マニュアル「装身具」、チロットの展示の札(2026年10月3日)

黒や青のガラス玉と金属の玉をつないだタマサイ(首飾り)
2026年10月3日に撮影

タマサイは、ガラス玉をつないだ首飾りです

タマサイは、ガラス玉をつないだ首飾りです。女性が、晴れ着に合わせて身に着けます。ガラス玉は、大陸や本州との交易で手に入れました。

文化庁の文化遺産オンラインは、中央に金属の飾り板(シトキ)が付いた首飾りを、母から娘へ受け継がれる宝物でもあったと説明しています。

写真は、チロットの企画展に展示されているタマサイです。黒、青、白のガラス玉と、大きな金属の玉をつないでいます。

出典: アイヌ民族文化財団 再現マニュアル「装身具」、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』p.136、文化遺産オンライン「シトキ(首飾)」、ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」

マキリ(小刀)とタシロ(山刀)は、腰に下げる刃物です

マキリは、アイヌの小刀です。動物の解体、魚をさばくこと、裁縫、木彫りなど、何にでも使いました。男性も女性も、いつも腰から下げていました。

マキリの刃は、交易で手に入れました。鞘と柄は主に木で作り、文様を彫りました。男性が結婚を申し込むとき、文様を彫った小刀を相手の女性に贈ったと言われています。

タシロは、アイヌの山刀です。木を伐る、薪を割る、家や舟の材料を採る、といった仕事に使いました。腰の帯に差して持ち歩き、山では仮小屋を建てるのにも使いました。

木彫りの技術は、いまも各地の講習会などで伝えられています。チロットの生活館の研修室でも、刺しゅうや木彫りなどの工芸品を作れます。

マキリとタシロの実物の写真は、このサイトにはまだありません。そのため、ここでは文章だけで説明しています。

出典: アイヌ民族文化財団 再現マニュアル「彫る 小刀・山刀・盆」、文化遺産オンライン「タシロ(山刀)」、ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」

漆塗りの杯と台の上に置かれた、彫りのある木のへら
2026年10月3日に撮影

イクパスイ(酒を捧げるへら)とトゥキ(杯)、シントコ(行器)

イクパスイは、カムイや先祖への祈りのときに、酒を捧げるために使う祭具です。トゥキパスイとも言います。長さはふつう30cmほどです。杯の上に載せるため、裏は平らになっています。

財団の再現マニュアルは、イクパスイには酒を届け、祈りの言葉の足りないところを補う力があるとされる、と説明しています。文献に初めて出てくるのは、1565年の宣教師の書簡です。

トゥキは、酒を入れる杯です。本州で作られた漆器で、交易で手に入れました。

シントコは、行器(ほかい)と呼ばれる漆塗りの器です。儀式に使う酒や宝物を入れておきます。ウポポ(座り歌)では、シントコのふたを囲んで座り、ふたをたたいて拍子をとります。

写真は、チロットに展示されている漆塗りの杯と台です。その上に、文様を彫った木のへらが4本置かれています。

出典: アイヌ民族文化財団 再現マニュアル「捧酒箸 イクパスイ」、『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.15〜16、中学生用 p.15・p.33、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』p.136

マレㇰ(銛)、チㇷ゚(丸木舟)、サラニㇷ゚(編み袋)

マレㇰは、川や湖でサケやマスをとる道具です。鉤と銛を合わせた形で、2mから3mの柄の先に付けます。十勝のマレㇰには、鉤に「かえし」のあるものも見られます。帯広開発建設部の冊子には、その例として幕別町蝦夷文化考古館の鉤の写真が載っています。

キテは、海でアザラシやクジラなどをとる銛です。刺さると先が外れて、抜けなくなります。

チㇷ゚は、丸木舟です。カツラやヤチダモなどの木をくりぬいて作り、川や湖での行き来や漁に使いました。十勝のチㇷ゚は、長さ6mから7mくらいです。舟を作るときは、木を切る前からカムイに祈りました。

サラニㇷ゚は、シナの木の内皮の糸で編んだ袋です。山や川や畑へ出かけるとき、弁当や道具、採ったものを入れました。

アイヌ民族文化財団の小学生用の副読本は、マレㇰ、キテ、丸木舟の写真を載せています。この3点の写真は、幕別町蝦夷文化考古館の提供です。全道の小学生が読む本に、幕別の資料が使われています。

蝦夷文化考古館の資料は、いまチロットの展示館ウチャㇱクマで保管し、展示しています。町の説明には、丸木舟、マレㇰ、サラニㇷ゚の名があります。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.10 と冒頭の写真提供者の一覧、同財団 再現マニュアル「編む サラニプ」、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』p.118〜120・p.128、幕別町「蝦夷文化考古館」

吉田菊太郎さんと考古館について読む

竹で作ったムックㇽ(口琴)と、展示の札
2026年10月3日に撮影

ムックㇽは、竹などで作る口琴です

ムックㇽ(ムックリとも書きます)は、竹などで作る口琴です。長さは10cmから15cm、幅は1cm前後です。ひもを引いて弁をふるわせ、口の中の空気に音をひびかせます。

写真は、チロットに展示されている竹のムックㇽです。安東ウメ子さんが寄贈したもので、幕別町の所蔵です。安東ウメ子さんは、ムックㇽとウポポ(歌)の名手でした。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.18、チロットの展示の札(2026年10月3日)、幕別町「企画展の開催について」

チロットで見られる実物(マタンプシ・タマサイ・イクパスイ・ムックㇽ)

2026年10月3日に、チロットで撮った写真です。説明は、展示の札に書かれていた内容と、公的な資料の範囲で書いています。

展示は入れ替わることがあります。写真を撮ってよいかどうかは、受付で確かめてください。

展示と催しを見るチロットへの行き方

アイヌの生活について、よく聞かれる問い

アイヌの家は何と言いますか
チセと言います。地面に柱を立て、ヨシやササ、木の皮など、土地で手に入る材料で屋根と壁を作りました。十勝ではヨシやススキを使いました。
アイヌの人は何を食べていましたか
サケやシカなどの魚と肉、ギョウジャニンニクやオオウバユリなどの山菜、アワやヒエなどの穀物です。汁物とかゆが中心でした。
アイヌの服は何でできていますか
動物の毛皮、魚や鳥の皮、オヒョウなどの木の内皮やイラクサの繊維で作りました。交易で得た木綿の布は、晴れ着になりました。
いまもアイヌ文化は続いていますか
続いています。1970年代から、歌や踊り、刺しゅう、木彫り、儀礼、アイヌ語を学び伝える活動が各地に広がり、新しい作品も生まれています。

出典: アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用 p.8〜12、中学生用 p.20・p.32〜34、帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』p.121・p.130、ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」

十勝のアイヌ語と、アイヌの歴史をもっと知る

出典

  1. アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』小学生用(2026年6月・第十六版) 衣服、食べ物、家、道具の説明。マレㇰ、キテ、丸木舟の写真は幕別町蝦夷文化考古館の提供。
  2. アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』中学生用(2026年6月・第十七版) チセの中のつくり、いまの暮らし。
  3. 帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう!』第3章 十勝のチセ、漁、サケ料理、丸木舟、コタン。
  4. アイヌ民族文化財団 アイヌ生活文化再現マニュアル(一覧) 建てる、織る 樹皮衣、縫う 木綿衣、彫る 小刀・山刀・盆、編む サラニプ、装身具、捧酒箸 イクパスイ。
  5. ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」 交易で得た漆器、鉄、木綿、ガラス玉の説明。いまのアイヌ文化。
  6. ウポポイ「アイヌ文化について」 一年の仕事と、いまの暮らし。
  7. 文化庁 文化遺産オンライン「シトキ(首飾)」 東京国立博物館の所蔵品の解説。
  8. 文化庁 文化遺産オンライン「タシロ(山刀)」 東京国立博物館の所蔵品の解説。
  9. 農林水産省 北海道農政事務所「アイヌの伝統料理」 オハウ(汁物)の説明。
  10. 幕別町「蝦夷文化考古館」 考古館の資料の内容。
  11. 幕別町アイヌ施策推進地域計画 アットゥㇱづくりの復興。
  12. チロットの展示の札 2026年10月3日に、展示館ウチャㇱクマで読んだ内容。