年表
十勝と幕別のアイヌの歴史 年表
3万年前から2026年まで。チロットの展示の年表をもとに、公的な資料で確かめたことを足しました。1行ごとに、出どころと、関連の画面へのリンクが付いています。
この年表の使い方
- しぼる
- 上の「幕別」「十勝」「北海道・全国」を押すと、その範囲の行だけになります。
- さがす
- 「言葉でさがす」に、止若、サケ、吉田菊太郎などと入れると、その言葉のある行だけになります。
- 確かめる
- 各行の「出どころ」から、もとの資料を開けます。「チロットの展示」とある行は、館内の展示で確かめた行です。
- 食い違い
- 資料によって年や数が違う行には、「資料による違い」と書いて、両方を並べています。

約3万年前〜12世紀
先史
十勝には約3万年前から人が暮らし、幕別にも札内N遺跡や日新F遺跡が残る。約9千年前に竪穴住居の暮らしが定まり、擦文時代には海岸と十勝川・利別川の流域に集落が集まった。竪穴住居と土器づくりは12〜13世紀に終わるが、交易の品を必要とする暮らしは次の時代に引き継がれた。
14行
- 約3万年前
北海道・全国北海道で、旧石器時代の人びとが暮らし始める
展示とウポポイは約3万年前。アイヌ民族文化財団の副読本は約2万5千年前と書く
出どころチロットの展示ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
- 約3万年前
- 約1万4千年前
十勝北海道で土器づくりが始まり、帯広の大正3遺跡に最古の土器が残る
展示は、帯広市大正3遺跡から出た土器を「北海道最古の土器」として写真で示す。帯広百年記念館の所蔵。
出どころチロットの展示
- 約1万1千年前
北海道・全国氷河期が終わって温暖化が始まり、北海道が島になる
北海道でも縄文文化の時代になり、狩り・漁・木の実の採集を土台にした暮らしが続いた。丸木舟も使われた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 約9千年前
北海道・全国竪穴住居が広まり、人びとが同じ土地に住み続ける暮らしになる
広葉樹が森の中心になるころとされる。
出どころチロットの展示
- 約9千年前
- 約2400年前
北海道・全国本州が弥生時代に入るころ、北海道は続縄文時代になる
鉄器は入ったが米作りは伝わらず、縄文からの暮らしが続いた。展示の年表は、北海道の時代区分を本州以南と別の帯で示す。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 5世紀
北海道・全国続縄文時代の北海道で、鉄の道具が広く使われるようになる
出どころチロットの展示
- 5世紀
北海道・全国オホーツク文化の人びとが、樺太から道北と道東の沿岸へ南下する
海の漁と狩りの人びととされる。クマへの信仰は、のちのアイヌ文化との関わりが考えられている。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 7世紀
北海道・全国かまどの付いた四角い竪穴住居が広まり、雑穀の栽培が始まる
擦文時代にあたる。擦文文化の人びとは、アイヌ民族の祖先と考えられている。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 7世紀〜12世紀
十勝十勝の擦文時代の集落が、海岸と十勝川・利別川の流域に集まる
舟の行き来に向いた場所や交通のかなめに遺跡が多い。展示は大樹町の十勝ホロカヤントー竪穴群の写真を載せる。
出どころチロットの展示
- 10世紀
北海道・全国オホーツク文化が変わり、擦文文化に組み込まれる
出どころチロットの展示
- 12〜13世紀
- 12〜13世紀
北海道・全国擦文時代まで続いた土器づくりと、竪穴住居での暮らしが終わる
交易で得る品を必要とする暮らしは、中世・近世のアイヌ社会に引き継がれたと展示は書く。
出どころチロットの展示

13世紀〜1868年
中世・近世
13世紀ごろから、いまアイヌ民族の伝統とされる暮らしの形が見られるようになり、幕別にも5つのチャシがつくられた。17世紀に松前藩がトカチ場所を置き、産物は砂金と鷹の羽から、サケやコンブ、アットゥㇱへ変わった。19世紀の絵図と松浦武四郎の日誌には、幕別のコタンの名と家の数が書きとめられている。
36行
- 13世紀
北海道・全国アイヌ民族の伝統とされる暮らしの形の多くが、このころに見られるようになる
考古学の成果による。前の時代の文化を受け継ぎながら、まわりの社会との関わりの中で独自の文化がつくられたと展示は書く。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 13世紀
北海道・全国安東(安藤)氏が、津軽の十三湊を拠点に北方との交易を行う
北からの交易品は、ラッコの毛皮、ワシやタカの羽、コンブ、干したサケとされる。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 13〜18世紀
北海道・全国濠で区切った施設チャシが、見晴らしのよい尾根や台地の端につくられる
古くは聖地・居館・儀礼の場で、のちに戦いに使われたと考古学では考えられている。
出どころチロットの展示関連アイヌの博物館とゆかりの地
- 13〜18世紀
十勝十勝の川ぞいの高台に、約70か所のチャシがつくられる
十勝川と利別川に多い。展示は浦幌町のオタフンベチャシの写真と、陸別町のユクエピラチャシを載せた分布図を示す。
展示は約70か所。帯広開発建設部の冊子は72か所と書く
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連アイヌの博物館とゆかりの地
- 13〜18世紀
幕別幕別に、幕別神社・金毘羅・軍岡・稲志別・依田の5つのチャシがつくられる
5つとも北海道教育委員会の埋蔵文化財の台帳に載る。台帳の名前は「金比羅チャシ跡」と書く。
出どころチロットの展示北海道教育委員会「北の遺跡案内」関連幕別町アイヌの博物館とゆかりの地
- 14世紀
北海道・全国和人が、渡島半島に「道南十二館」と呼ばれる拠点を築く
出どころチロットの展示
- 1457年
北海道・全国渡島半島東部の首長コシャマインが、道南十二館を攻める
12の館のうち10が落ちた。和人の鍛冶屋がアイヌの少年を殺したことがきっかけとされる。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 1457年〜1550年ころ
- 17世紀
北海道・全国松前藩が、藩主と藩士にアイヌとの交易の権利を割り当てる
商場知行制と呼ばれる。アイヌの人たちは、津軽や南部へ出向く自由な交易ができなくなった。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 17世紀
- 1604年
北海道・全国松前氏が徳川家康から黒印状を受け、アイヌ民族との交易を独占する
蠣崎氏が松前氏と姓を改めた時期にあたる。交易の利益が藩のおもな収入になった。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 1635年
十勝和人が、歴舟川の下流(いまの大樹町)などで砂金をとっている
- 1642年
十勝オランダ船カストリクム号が停泊し、十勝アイヌのことを書き残す
十勝のアイヌ民族についての、最も古い文字の記録とされる。
展示は1642年。帯広開発建設部の冊子は1643年の記録と書く
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
- 1669年
北海道・全国首長シャクシャインの呼びかけで、各地のアイヌ民族が蜂起する
サケと交換できる米の量が、およそ3分の1に下げられていた。戦いは松前藩が鎮め、和人による支配が進んだ。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 1669年
- 18世紀
北海道・全国松前藩が、各地の交易と漁業を商人に請け負わせる
場所請負制と呼ばれ、18世紀の初めごろに始まった。商人はやがてアイヌの人たちを漁場で働かせるようになった。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 18世紀
十勝トカチ場所で、商人の浜屋久七による経営が始まる
拠点ははじめ十勝太(いまの浦幌町)にあり、のちに広尾へ移った。産物はサケやコンブなどの海産物、アットゥㇱ、クマやシカの皮に変わった。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
- 1789年
北海道・全国国後島と対岸のアイヌ民族が、クナシリ・メナシの戦いを起こす
請負商人の飛騨屋の漁場での過酷な扱いが原因とされる。松前藩が鎮め、37人を処刑した。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 1789年
十勝十勝川が不漁になり、飢えて亡くなる人が出る
- 1798年〜1807年
十勝近藤重蔵が北海道の各地を調べ、このころ『十勝川流域絵図』をつくる
十勝川と支流のコタンの名、家の数、畑の広さを書いた1枚の絵図で、東京大学史料編纂所が所蔵する。「畑によい」という書き込みがある。
展示は調査を1798年〜1807年とする。帯広百年記念館の紀要は絵図を1800年〜1804年のものと書く
出どころチロットの展示帯広百年記念館紀要 第26号関連白人と書いて、チロット
- 1799年〜1821年
北海道・全国幕府が、松前藩の治めていた蝦夷地を段階的に直轄にする
1799年に東蝦夷地、1807年に松前と西蝦夷地を直轄にし、1821年に松前藩へ戻した。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 1800年
北海道・全国幕府が、八王子千人同心を勇払と白糠へ送る
出どころチロットの展示
- 1800年
十勝伊能忠敬が、函館から十勝・釧路までの海岸を測量する
- 1800年
十勝皆川周太夫が、大津から十勝川をさかのぼって調べる
勇払にいた原新介の配下とされる。日高山脈を越えて沙流川筋へ出た。『十勝川本流図』には地名が91、人家のあるコタンが28、家が92戸書かれている。
出どころチロットの展示帯広百年記念館紀要 第26号帯広百年記念館の年表
- 19世紀の初め
- 19世紀の初め
幕別近藤重蔵の絵図に、いまの幕別の4つの地名と11軒の家が描かれる
サツナイブトウ2軒、マカンベツ1軒、ホロナイブトウ3軒、ヤムワツカヒラ5軒で、どの家にも畑があった。マカンベツの字は絵図では読みにくいと展示は断っている。
出どころチロットの展示関連白人と書いて、チロット
- 1845年
十勝探検家の松浦武四郎が、初めて十勝の沿岸を通る
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
- 1855年〜1868年
- 1855年
幕別調査で、チロットコタンに7戸の家が数えられる
町の資料は、千住の一帯に広がる大きくて豊かなコタンと書く。展示の「1858年に7か所のコタン」とは別の数字。
- 1856年
十勝松浦武四郎が、11年ぶりにふたたび十勝の沿岸を通る
出どころチロットの展示
- 1858年
十勝松浦武四郎が十勝の内陸を調べ、アイヌの案内で十勝川を舟で下る
この調査では十勝に78のコタン、284戸、1,336人が数えられた(一部は1856年の数)。武四郎はこの年、十勝川筋を2度調べている。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』帯広百年記念館の年表
- 1858年
- 1858年(旧暦3月17日)
幕別ヤムワツカヒラの乙名イキリカシが、武四郎の一行に粟の団子をふるまう
粟とオオウバユリの粉をつき、鮭の卵を包んでゆでた団子と『十勝日誌』に書かれている。ヤムワツカヒラは、いまの幕別町役場のあたり。
出どころチロットの展示十勝日誌十勝日誌(活字の版)関連白人と書いて、チロットアイヌの暮らしと道具
- 1858年(旧暦3月17日)
幕別『十勝日誌』が、十勝川ぞいのジロトウに人家5軒と書く
同じ日の条に、イイカンヘツに10軒、カモキナイに4軒とある。札内川の先からヤムワツカヒラまで、川を下る順に書かれている。
出どころ十勝日誌(活字の版)関連白人と書いて、チロット
- 1860年
十勝松浦武四郎の『十勝日誌』に、万延元年の序と跋が付く
展示は、この本に描かれたチセの中と家財の絵を載せる。国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
出どころチロットの展示十勝日誌関連アイヌの暮らしと道具
- 幕末
十勝元札内(いまの中札内村)のあたりに、キハダの樹皮のチセがあると記録される
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具

1869年〜1912年
明治
土地は国のものとされ、仕掛け弓と毒矢、十勝川のサケ漁が禁じられ、十勝の内陸に飢えが起きた。県は人びとを集めて農業を教え、道庁は測量をして保護地を決め、白人に人が集まって白人コタンができた。同じころ移民が急に増え、十勝のアイヌの人の割合は約56%から約3%になった。
61行
- 1869年
北海道・全国明治政府が開拓使を置き、蝦夷地を北海道と名付ける
政府は北海道を持ち主のいない土地として国のものにし、区画を整えてから本州からの移住者に分け与えた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 1869年
幕別ヤムワッカ・チロト・イカンベツ・ヘチャロ・マクウンベツの5村が定められる
町の年表は、ヤムワッカ村をいまの幕別市街、チロト村を千住、イカンベツ村を相川地区、ヘチャロ村を札内地区と説明する。
出どころ幕別町の年表関連幕別町白人と書いて、チロット
- 1869年
- 1869年ころ
幕別白人コタンの指導者になる長谷川由太郎が生まれる
アイヌ名はチヨロコウクまたはチヨロカウク。和人との交渉と「旧土人給与地」の申請に力を尽くした。展示は生まれた年に疑問符を付けている。
出どころチロットの展示
- 1871年
北海道・全国開拓使が、家を焼く弔いの習わし、女性の入れ墨、男性の耳輪を禁じる
農耕と日本語を学ぶことも命じた。この年の戸籍法で、アイヌの人たちは日本の国民に組み込まれた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
- 1872年
- 明治の初め
- 1875年
北海道・全国場所請負商人を受け継いだ「漁場持」が廃止される
展示は1875年。財団の副読本は、漁場持ちが1876年まで経営を続けたと書く
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 1875年
- 1876年
北海道・全国シカ猟の規則で、狩りに使う仕掛け弓と毒矢が禁じられる
仕掛け弓はアマッポと呼ばれ、糸に獲物が触れるとトリカブトの毒の矢が飛ぶ仕組み。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連アイヌの暮らしと道具
- 1876年
北海道・全国アイヌ風の名前を和人風に改めるよう、うながされる
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
- 1877年
北海道・全国「北海道地券発行条例」で、アイヌの人が住む土地も官有地に入れられる
- 1878年
- 1879年・1882年
- 1880年2月
幕別大津村に十勝外四郡戸長役場ができ、幕別の5村がその下に入る
- 1882年
十勝のちにアイヌの子どもの教育にあたる吉田巌が、福島県に生まれる
教員になって北海道へ渡り、各地のアイヌ文化と郷土史を調べた。展示は「文化を繋いだ先人たち」のひとりに挙げる。
出どころチロットの展示
- 1883年
十勝札幌県が、河口を除く十勝川の流域でサケ漁を禁じる
先に現地を調べた役人は、人びとが飢えると考えて食べる分の漁を認めるよう意見を出したが、県は採らなかった。
展示は1883年。帯広百年記念館の年表は、1880年に十勝・大津川の上流が禁漁区になったと書く
出どころチロットの展示山田伸一 研究成果報告書(2012年)帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連白人と書いて、チロット梟の神が歌った謡「コンクワ」
- 1883年
十勝サケ漁を禁じられた十勝の内陸のアイヌ民族に、飢えが起こる
県は監守を送って取り締まった。秋のサケを1年分の食べものにしていた人びとが追い込まれた。禁漁は1884年から1885年に一時ゆるめられた。
出どころチロットの展示山田伸一 研究成果報告書(2012年)帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連白人と書いて、チロット
- 1883年
十勝晩成社が帯広に入り、鈴木銃太郎と渡辺勝がアイヌの人との行き来を日記に残す
魚をもらった、一緒に漁に行ったという記述がある。展示は日記から、イトウは春、チョウザメは初夏、マスは夏、サケは秋から年の暮れという漁の暦を起こしている。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具
- 1883年
十勝根室県が、中足寄(いまの足寄町)でアイヌの人への農業の指導を始める
- 1885年
十勝札幌県が、十勝川と利別川ぞいの12か所に人びとを集め、農業を教える
伏古村伏古別に、当時の名で「土人開墾事務所」が開かれた。帯広百年記念館には、世話係をした渡辺勝の日記が残る。
出どころチロットの展示帯広百年記念館の年表山田伸一 研究成果報告書(2012年)関連白人と書いて、チロット
- 1885年
幕別止若村に「救済事務所」が置かれ、白人や咾別の人びとに農業を教える
官が農具と種を渡し、1戸あたり2町歩ほどの畑を持つまでになった。作物は粟・黍・じゃがいも。
- 1886年
北海道・全国北海道庁が置かれ、「北海道土地払下規則」ができる
- 1888年
十勝十勝で、移住者を受け入れるための測量が始まる
出どころチロットの展示
- 1888年
十勝12か所の農業の指導が、264戸で200町歩あまりを開いたところで終わる
事業が止まったあと農業から離れる人が多かったが、これを機に農業へ移った人もいた。
- 1889年
幕別止若村で農業を教えていた「救済事務所」が廃止される
- 1889年
- 1889年
- 1890年
十勝英国人A・S・ランドーが、帯広で丸木舟2そうの網漁を見て書き残す
晩成社の渡辺勝のもとに数日とどまり、いまの国見山から漁を見た。2そうは約2.1mの間をあけて下り、網を入れるたびに大きなサケがかかったと書く。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具
- 1892年
- 1892年
十勝十勝国の人口が2,960人で、アイヌの人が約56%を占める
展示の表はアイヌの人を1,649人とする。全人口は『北海道殖民状況報文 十勝国』の明治25年末の数と合う。
アイヌの人の数1,649人の出どころは、公的な資料で確かめられていない
出どころチロットの展示北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連白人と書いて、チロット
- 1893年
幕別大津と帯広を結ぶ道路ができ、武山市街に止若郵便局が開く
- 1894年
幕別長谷川由太郎が、アイヌの共有財産を管理する組合の代表を務める
出どころチロットの展示
- 1894年7月
- 1896年
- 1896年
十勝「アイヌ保護地」が決められ、集まって住むことと農業がうながされる
十勝では、のちの法律で渡された土地の多くが、殖民地の区画のときに設けた保護地を引き継いだものとされる。
出どころチロットの展示山田伸一 研究成果報告書(保護地と土地)
- 1896年
幕別幕別では、白人・札内・咾別に「アイヌ保護地」が決められる
展示の別の囲みは止若を加えた4か所と書く。白人に人が多く住み、白人コタンができた。
展示は1896年。町の年表は1885年4月に保護地を設けたと書き、場所を止若・白人・咾別・別奴・幕別村の5か村とする
出どころチロットの展示幕別町の年表関連白人と書いて、チロット
- 1896年
幕別白人に、アイヌの子どもの教育を目的とした学校が置かれる
道庁の調査は、聖公会が開いた私立の慈善小学校と書く。先生1人、アイヌの児童16人、和人の児童2人で、授業料を取らなかった。
展示は1896年から。『北海道殖民状況報文 十勝国』の印字は明治19年(1886年)
出どころチロットの展示北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連白人と書いて、チロット
- 1896年
幕別5万分の1の地形図に、白人村が「チロト」のふりがな付きで書かれる
幕別村には「マクンペッ」、止若村には「ヤムワカ」とふりがながある。地図の幕別村は、いまの役場よりかなり西にある。
出どころチロットの展示関連チロットとは白人と書いて、チロット
- 1896年7月20日
- 1897年9月1日
幕別幕別など7村の戸長役場が、大津から分かれて猿別市街に置かれる
町はこの年を開基の第1年とする。
町の年表は9月1日。『北海道殖民状況報文 十勝国』は6月と書く
- 1897年11月
- 1898年
幕別道庁の調査で、白人原野の保護地に30戸あまりが住み畑を開いていると書かれる
保護地はイカンベツ川の西、途別川の北に31万5,500坪あまり。平均で1戸1町歩あまりを開いていた。
- 1898年
幕別白人村の戸口が146戸・535人になり、アイヌの人は23戸・85人と数えられる
明治31年末の数。咾別村は94戸のうち14戸、止若村は249戸のうち21戸がアイヌの人の家と書かれている。
- 1898年
- 1899年
北海道・全国土地の「下付」と学校の設置を定めた「北海道旧土人保護法」ができる
農業をする人に1戸1万5千坪以内の土地を渡すことと、小学校を置くことを定めた。渡された土地は農地に向かないものが多く、学校ではアイヌの言葉と文化が否定された。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
- 1899年5月
幕別凋寒村と蝶多村が分かれ、役場が「幕別4ヶ村戸長役場」になる
出どころ幕別町の年表
- 1899年7月
幕別白人の私立の学校が、猿別尋常小学校の白人分校として開校する
出どころ幕別町の年表
- 1901年
- 1901年
- 1903年
幕別のちに白人コタンの組合を支える内海勇太郎が、幕別へ移り始める
1865年生まれ。アイヌと行政との間に入り、共有財産の管理や組合の事務にあたった。菊太郎の父の代から、吉田家とコタンに大きな影響を与えたと町は書く。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」
- 1903年4月
- 1903年6月8日
北海道・全国のちに『アイヌ神謡集』を書く知里幸恵が、登別に生まれる
- 1904年
幕別内海勇太郎の指導で、白人コタンに古民共済組合ができる
チロットには、表紙に「明治三十七年三月起」「白人組合」と書かれた文書が展示されている。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連展示品の写真
- 1905年
- 1905年10月
- 1906年4月
- 1906年8月
幕別幕別村の役場が、猿別市街から駅のある止若市街へ移る
鉄道が通ったあと、猿別市街の施設と商店が止若へ移り、村の中心が止若駅の前に移った。
- 1908年
十勝十勝の人口が約6万人になり、アイヌの人の割合が約3%になる
展示の表は全人口59,763人、アイヌの人1,744人とする。16年のあいだに約56%から約3%になった。
展示は全人口59,763人。『十勝国勢一斑』の明治41年末は和人59,813人、合計61,557人。アイヌの人の数は一致する
出どころチロットの展示十勝国勢一斑(1910年)関連白人と書いて、チロット
- 1911年3月
幕別吉田菊太郎が幕別高等小学校を卒業し、家業の農業に就く
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
- 1911年

1912年〜1945年
大正・昭和(戦前)
十勝の各地のアイヌの中から指導者が現れ、生活改善と保護法の改正を求めて声を上げた。白人では吉田菊太郎が1929年に白人古潭矯風会をつくり、村会議員として地域を代表した。1944年、幕別村の字名の改正で、白人は千住になった。
31行
- 1918年
十勝教員の武隈徳三郎が、『アイヌ物語』を出す
アイヌ自身が自分たちの民族のことを書いた最初のものとされる。武隈は1896年に生まれ、1951年に亡くなった。本は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
展示は伏古の出身、財団の副読本は音更村の生まれと書く
- 1919年
幕別白人コタンの指導者、長谷川由太郎が亡くなる
出どころチロットの展示
- 1919年4月
- 1920年
十勝展示が先人のひとりに挙げる高橋真が生まれる
1976年に亡くなった。展示の説明は一部しか読み取れていない。
出どころチロットの展示
- 1920年代ころ
十勝帯広の伏古に建つチセが、畑ごしに写真に撮られる
展示は「大正末から昭和初期」のチセと書く。家の横に祖先供養の祭壇と、カムイをまつる祭壇が見える。帯広市図書館の所蔵。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具
- 1922年
- 1922年9月18日
- 1923年8月
北海道・全国知里幸恵が13篇の神謡を書き記した『アイヌ神謡集』が出る
梟の神が歌った謡「コンクワ」は、その1篇。
- 1924年6月
幕別幕別互助組合ができ、吉田菊太郎が評議員になる
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
- 1927年5月
十勝帯広で十勝アイヌ旭明社ができ、吉田菊太郎も加わる
社長は喜多章明。十勝アイヌの生活向上を目指した。菊太郎はここで生活改善の大切さを感じたと展示は書く。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」帯広百年記念館の年表関連吉田菊太郎さん
- 1929年
十勝十勝アイヌ旭明社が講演会を開き、30人あまりが集合写真に収まる
建物の入口に「十勝アイヌ旭明社」の看板が写る。帯広百年記念館の所蔵。
出どころチロットの展示
- 1929年
幕別幕別へ移って行政との間に立った内海勇太郎が亡くなる
出どころチロットの展示
- 1929年7月8日
幕別吉田菊太郎が白人古潭矯風会をつくり、会長になる
禁酒、住宅の改善、納税などの指導と助け合いを進めた。以後、和風の住宅への建て替えに努めた。
展示の印刷は「古譚」、展示の写真の札と町の資料は「古潭」と書く
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん白人と書いて、チロット
- 1929年〜1933年
幕別洪水を防ぐため、途別川が新しい水路に切り替えられる
白人と咾別(いまの相川)の地区を守る大工事で、自由のない労働者と囚人が使われたと町は書く。千住に記念碑がある。
出どころ幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
- 1930年代
十勝十勝のアイヌが、共有財産の使い方について話し合う
昭和の初め、十勝の各地の人びとが集まり、行政と交渉した。展示は帯広・本別・池田・音更・芽室の9人の名前を挙げる。
出どころチロットの展示
- 1930年1月
幕別吉田菊太郎が、当時の名で「旧土人保導委員」という役に就く
出どころチロットの展示
- 1930年
- 1930年11月
- 1931年1月
幕別白人古潭矯風会が総会を開き、100人ほどが建物の前で写真に収まる
建物の看板は「幕別矯風會」と書かれている。
出どころチロットの展示
- 1931年
十勝札幌で全道アイヌ青年大会が開かれ、十勝からの参加者も登壇する
この年に「北海道アイヌ協会」ができた。吉田菊太郎も大会に参加した。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』幕別町「郷土文化ものがたり Part1」
- 1932年
十勝安東ウメ子が、帯広の伏古コタンに生まれる
出どころチロットの展示幕別町「企画展の開催について」関連安東ウメ子さん
- 1932年4月
幕別吉田菊太郎が、幕別村会議員に初めて当選する
3月には方面委員になった。1936年に再選。10月に結城いさのと結婚した。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
- 1933年ころ
- 1935年11月10日
幕別サルベツのチャシが、「金比羅山」の名で幕別村の「史蹟名勝」に登録される
出どころ十勝総合振興局「幕別町史」の要約関連幕別町
- 1936年9月
幕別昭和天皇の来道にあわせ、白人コタンに岡部侍従が遣わされる
矯風会の活動が認められたためと展示は書く。菊太郎と妻いさのの記念写真は、これを記念して撮られた。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
- 1937年
北海道・全国「北海道旧土人保護法」が改正され、「アイヌ学校」がすべてなくなる
土地の売買の制限もゆるめられた。別学がなくなっても、教育の場でのいじめや迫害は続いたと展示は書く。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
- 1937年
幕別吉田菊太郎ら十勝の人びとが、第70回帝国議会を傍聴する
保護法の改正を審議した議会。議事堂の前で、北海道庁の関係者らと8人で写真に収まった。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
- 1940年4月
幕別吉田菊太郎も通った白人尋常小学校に、高等科が置かれる
出どころ幕別町の年表
- 1940年9月
幕別侍従が遣わされた白人コタンに、「御使御差遣記念碑」が建つ
1936年に侍従が遣わされたことの記念。町の地図は、蝦夷文化考古館の敷地内と書く。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」幕別町「歴史の散歩道」関連施設案内
- 1944年
幕別幕別村が全村の字名を改め、白人が「千住」になる
先住民族であるアイヌの人びとが暮らしてきた場所であることを踏まえたと展示は書く。町は、アイヌが大勢住んでいることにちなむと説明する。
出どころチロットの展示幕別町の年表幕別町「アイヌ語に由来する幕別町の地名」関連チロットとは白人と書いて、チロット
- 1945年
北海道・全国アジア・太平洋戦争が終わり、戦後の時代が始まる
出どころチロットの展示

1945年〜1988年
昭和(戦後)
吉田菊太郎は北海道アイヌ協会の副理事長になり、1948年に幕別支部をつくり、1959年に蝦夷文化考古館を建てた。亡くなったあと、館は願いのとおり幕別町に受け継がれた。帯広と幕別では歌と踊りの保存会ができ、2つの慰霊碑が建った。
35行
- 1946年2月
幕別社団法人北海道アイヌ協会ができ、吉田菊太郎が副理事長になる
2月24日に静内町で設立総会が開かれ、3月13日に社団法人として認可された。
展示と町の施設紹介は副理事長。町の略年譜は副会長と書く
出どころチロットの展示北海道アイヌ協会幕別町「蝦夷文化考古館」関連吉田菊太郎さん
- 1946年9月15日
- 1946年10月
- 1947年4月
幕別吉田菊太郎が、町になったばかりの幕別で農業会長になる
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」
- 1948年
- 1948年
- 1951年4月
- 1955年ころ
- 1955年ころ
十勝安東ウメ子が、「十勝アイヌウポポ愛好会」に加わる
出どころチロットの展示関連安東ウメ子さん
- 1958年5月
幕別吉田菊太郎が、考古館の資金をつくるために『アイヌ文化史』を出す
発行は北海道アイヌ文化保存協会、86ページ。道の内外を回って売り、偏見をなくすよう訴える講演もした。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」幕別町「蝦夷文化考古館」北海道立文書館関連吉田菊太郎さん
- 1959年3月
幕別吉田菊太郎らが、蝦夷文化考古館の建設の趣意書をまとめる
古い品々を一堂に収めて長く保存し、先祖の祈りを続けることを書いた。はじめの計画は約30坪、総予算200万円ほど。
- 1959年
幕別蝦夷文化考古館が、かつて白人コタンのあった土地にできる
11月に完成し、12月6日に落成の式をした。広さは124.44㎡、総工費は200万円で、町の助成20万円のほかは寄付でまかなった。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」幕別町の年表関連吉田菊太郎さん施設案内
- 1961年
北海道・全国北海道アイヌ協会が、北海道ウタリ協会に名を改める
- 1961年5月5日
- 1963年
十勝アイヌの子どもの教育と十勝の郷土史の調査にあたった吉田巌が亡くなる
出どころチロットの展示
- 1963年11月
- 1963年11月
幕別蝦夷文化考古館のとなりに、町の千住生活館ができる
伝承の行事や民族衣装づくりの拠点になった。コンクリートブロック造の平屋で195.76㎡。
町の基本計画は11月の落成。町の略年譜は12月に落成式と書く
- 1964年
十勝愛好会が、「帯広カムイトウウポポ保存会」になる
出どころチロットの展示帯広百年記念館の年表帯広市アイヌ施策推進地域計画
- 1964年
北海道・全国展示の年表が挙げる「ペウレウタリの会」が、この年にできる
出どころチロットの展示
- 1964年11月
- 1965年1月8日
幕別蝦夷文化考古館を建てた吉田菊太郎が、68歳で亡くなる
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
- 1966年1月
幕別遺族の申し出を受け、幕別町議会が考古館の受け入れを決める
建物と収蔵品のすべてが町のものになった。初代の管理人は妻のいさの。
出どころチロットの展示幕別町「アイヌ文化交流センター」幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん施設案内
- 1966年5月
- 1967年
- 1969年
幕別幕別町の稲志別墓地に、白人コタン慰霊碑が建つ
町の地図は「千住14号橋そば」と書く。荒れてしまったアイヌの墓地の遺骨を一か所に集めて葬っている。
出どころチロットの展示幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
- 1973年
- 1975年
幕別白人の名を持つ白人中学校が、札内中学校に統合される
出どころ幕別町「歴史の散歩道」
- 1976年6月
- 1977年
幕別明野の幕別墓地に、ヤムワッカウタリ慰霊碑が建つ
碑のそばに、アイヌ式の墓標が2本立つ。先がふたまたのものが男、1本のものが女の墓標。
展示は1977年。碑の裏の文は1976年とする資料もある
出どころチロットの展示幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
- 1979年10月
幕別依田に、町の歴史と民具を伝える幕別町ふるさと館ができる
出どころ幕別町アイヌ施策推進地域計画関連幕別町
- 1984年
幕別幕別で、「マクウンベツアイヌ文化保存会」ができる
当時のウタリ協会幕別支部が中心になった。初代の会長は安東軍次郎。1989年まで活動し、一度休んだ。
出どころチロットの展示帯広百年記念館「リウカ」関連アイヌ文化を知る
- 1984年
- 1984年1月21日
- 1984年5月27日
北海道・全国北海道ウタリ協会の総会が、「アイヌ民族に関する法律(案)」を決議する
- 1987年9月8日
十勝陸別町のユクエピラチャシ跡が、国の史跡に指定される

1989年〜2026年
平成・令和
1997年に「北海道旧土人保護法」が廃止され、2019年の法律でアイヌ民族が先住民族と明記された。幕別では2004年にイチャルパが復活し、2005年に保存会が活動を再開した。2026年10月1日、考古館の資料を受け継ぐチロットが千住に開館した。
36行
- 1990年
十勝アイヌの子どもの教育を支える「とかちエテケカンパの会」ができる
出どころチロットの展示
- 1990年7月
- 1992年
北海道・全国国連総会で、アイヌの代表が民族の問題について演説する
出どころチロットの展示
- 1992年3月
- 1993年2月16日
- 1994年
北海道・全国萱野茂が参議院議員になり、アイヌ民族で初めての国会議員になる
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
- 1995年
幕別幕別支部長と保存会の初代会長を務めた安東軍次郎が亡くなる
出どころチロットの展示
- 1997年
北海道・全国「アイヌ文化振興法」が施行され、「北海道旧土人保護法」が廃止される
5月14日に公布、7月1日に施行。同じ年、二風谷ダム裁判の判決がアイヌ民族を先住民族と認めた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
- 2000年
- 2001年
- 2002年2月
- 2003年
- 2004年
幕別ムックㇽとウポポの名手、安東ウメ子が亡くなる
帯広の伏古コタンに生まれ育ち、結婚を機に白人コタンへ移った。展示は、伝えた料理としてチェㇷ゚オハウ、ムニニモシト、チポㇿシト、チタタㇷ゚を紹介する。
出どころチロットの展示幕別町「企画展の開催について」関連安東ウメ子さん
- 2004年8月1日
幕別幕別で20年以上とだえていたイチャルパが復活する
北海道ウタリ協会幕別支部の、当時の支部長が中心になった。以来、稲志別墓地と明野の幕別墓地の2か所で毎年先祖供養を行う。
出どころチロットの展示関連アイヌ文化を知る
- 2005年5月
幕別保存会が、マクンベツアイヌ文化伝承保存会の名で活動を再開する
刺しゅう、植物の採集、体験講座、まくべつ産業まつりへの出店を続けている。
出どころチロットの展示幕別町アイヌ施策推進地域計画関連アイヌ文化を知る
- 2006年
- 2006年
北海道・全国伝統的な生活空間(イオル)の再生事業が始まり、十勝も対象になる
- 2006年1月
十勝帯広百年記念館に、アイヌ民族文化情報センター「リウカ」が開く
- 2006年2月6日
- 2007年5月
- 2007年9月13日
- 2008年3月
- 2008年6月6日
北海道・全国衆参両院が、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を可決する
全会一致で採択された。
出どころチロットの展示内閣官房アイヌ総合政策室アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
- 2009年
北海道・全国ユネスコが、アイヌ語を消滅の危機にある言語とする
同じ年、アイヌ古式舞踊がユネスコの無形文化遺産の一覧に載った。北海道ウタリ協会は北海道アイヌ協会に名を戻した。
出どころウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」文化庁 文化遺産オンラインアイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌ語の単語
- 2014年5月
- 2015年9月13日
幕別明野の幕別墓地で、幕別の2か所の共同墓地の慰霊祭が行われる
展示は、2025年8月24日の慰霊祭の写真も載せる。
出どころチロットの展示
- 2019年5月
北海道・全国「アイヌ施策推進法」が施行され、アイヌ民族が先住民族と明記される
4月に成立した。差別の禁止を書き、市町村の計画に国が交付金を出す仕組みをつくった。
出どころチロットの展示内閣官房アイヌ総合政策室ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
- 2020年7月12日
北海道・全国ウポポイ(民族共生象徴空間)が、白老町に開業する
- 2022年2月4日
幕別マクンベツアイヌ文化伝承保存会が、アイヌ文化奨励賞を受ける
アイヌ民族文化財団の賞。千住生活館を拠点に、とだえていたアットゥㇱづくりの復興に取り組んでいた。
出どころチロットの展示広報まくべつ 2022年3月号関連アイヌ文化を知る
- 2022年3月10日
- 2022年8月
- 2023年3月31日
- 2026年7月
- 2026年9月30日
- 2026年10月1日
幕別幕別町アイヌ文化交流センター「チロット」が、千住に開館する
展示の年表の最後の行は「幕別町アイヌ文化拠点空間が完成する」。考古館の建物は耐震補強をして残され、収蔵品は展示館ウチャㇱクマに移された。
出どころチロットの展示幕別町のお知らせ幕別町「アイヌ文化交流センター」関連チロットとは行き方
- 2026年10月1日
年表の行は、館内の展示と公的な資料に書かれていることを、このサイトの運営者が短くまとめたものです。展示の文は写していません。
当時の制度や団体の名前は、資料の言葉として、かぎ括弧を付けて使っています。
年表から読む
- 白人と書いて、チロット沼の名前から2026年の館までを、8枚の絵で
- 吉田菊太郎さん年譜と、蝦夷文化考古館を建てるまで
- アイヌの歴史アイヌ民族とは。時代ごとの説明
- 読み物の棚お話、土地、道具、歴史、人、言葉
おもな出典
- 幕別町アイヌ文化交流センター(チロット)の館内の展示 歴史年表、人物の年譜、地名と地図の解説。2026年10月3日に確認
- 幕別町勢要覧 資料編(年表)
- 北海道庁殖民部『北海道殖民状況報文 十勝国』(1901年) 国立国会図書館デジタルコレクション
- 松浦武四郎『十勝日誌』 国立国会図書館デジタルコレクション
- 帯広百年記念館「十勝のアイヌ民族の歴史」
- 幕別町「幕別町 歴史の散歩道」