十勝のアイヌ
十勝のアイヌ
十勝のアイヌの人びとは、十勝川とその支流にそってコタンをつくり、川の漁と狩りと採集で暮らしてきました。十勝には、ほかの土地には無い道具や、着物の作り方があります。幕別町アイヌ文化交流センターの展示と、公的な資料で確かめたことをまとめました。
十勝のアイヌについて、先に4つ
- 暮らしの中心
- 十勝川と利別川などの大きな川です。サケ、マス、イトウ、そしていまは見られないチョウザメもとっていました。コタンは川にそってつくられました。
- 十勝ならではのもの
- 返しの付いたマレㇰ(突き鉤)、2そうの丸木舟で網を引く漁ヤㇲ、刺しゅうだけで文様をつくる木綿の着物チヂリ、十勝川とポロシリ岳への祈り。
- 歴史の分かれ目
- 1883年、札幌県が十勝川の流域でサケ漁を禁じ、内陸で飢えが起きました。人びとは集められて農業をすすめられ、1896年には幕別の白人などに保護地が決められました。
- いま触れられる場所
- 幕別町アイヌ文化交流センター(チロット)、帯広百年記念館とアイヌ民族文化情報センター「リウカ」、幕別町ふるさと館など。十勝には、アイヌ文化を展示する館が7か所あります。
出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)、帯広百年記念館「十勝のアイヌ民族の歴史」

十勝川の漁 2そうの丸木舟で網を引くヤㇲ
十勝のアイヌの人びとは、十勝川や利別川などの大きな川で、ヤㇲと呼ばれる漁をしていました。2そうの丸木舟(チㇷ゚)に、こぎ手と網の持ち手が乗ります。袋の形の網の両端に長い棒を付け、舟と舟の間に張って、魚を追いこみました。
夜は、たいまつの明かりで魚を寄せました。十勝の川では、おもにサケ、マス、イトウをとりました。
1890年に帯広を訪れた英国人のA・S・ランドーは、いまの国見山(シカルベツ・オチルシ)から、この漁を見て書き残しています。2そうの舟が約2mの間をあけて並んで下り、網を入れるたびに大きなサケがかかった、という記録です。
出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)(ランドーの記録は『エゾ地一周ひとり旅 思い出のアイヌ・カントリー』による)。絵は、この画面のために作った切り紙ふうのさし絵です。

返しの付いた十勝のマレㇰ(突き鉤)
マレㇰは、J字の形の金属の鉤を木の台に結び、2mくらいの柄を付けた漁の道具です。魚を突くと鉤が外れて向きが変わり、魚がぶら下がってとれます。
この仕組みなので、多くの地域のマレㇰには「返し」がありません。ところが十勝のマレㇰには、返しが付いています。チロットの展示は、十勝川にいたチョウザメやイトウのような大きな魚をとるためではないか、と説明しています。
展示では、返しの付いた十勝のマレㇰ(本別町歴史民俗資料館の所蔵)と、一般的なマレㇰ(国立アイヌ民族博物館の所蔵)の写真を並べて比べています。
出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)。写真は2026年10月3日にチロットの館内で撮りました。
明治の帯広の漁の暦(晩成社の日記から)
| 魚 | 日記に出てくる時期 |
|---|---|
| イトウ | 4月7日〜8月18日 |
| チョウザメ | 6月1日〜8月28日 |
| マス | 6月3日〜9月23日 |
| サケ | 7月24日〜12月31日、年明け〜1月10日 |
| アメマス | 3月14日〜11月4日 |
| 小魚 | 4月27日〜8月11日 |
1883年に帯広に入った晩成社の鈴木銃太郎と渡辺勝は、アイヌの人びとから魚をもらったこと、いっしょに漁に行ったことを日記に書き残しました。チロットの展示は、その日記から漁の時期を表にしています。上の表は、展示の表の2種類の帯を合わせた範囲です(帯の違いの説明は展示にありません)。出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)

十勝のチセと、着物チヂリ
十勝のチセ(家)は、骨組みにハシドイやヤチダモ、壁と屋根におもにヨシを使いました。大きさは、大きなものでも幅6m、奥行9mぐらいだったとされています。
十勝のアイヌの人びとがおもに着たのは、木の皮の糸で織ったアットゥㇱと、木綿の着物です。木綿の着物には文様の作り方で4つの種類があり、十勝に多いのは、刺しゅうだけで文様をつくる「チヂリ」です。
冬は、シカやアザラシの毛皮の靴や、サケの皮の靴(チェㇷ゚ケㇾ)をはきました。大人の1足に、サケが4本から6本いります。背びれが靴の底にくるようにして、雪や氷の上で滑らないようにしました。
出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)。写真はチロットの展示の着物で、どの種類にあたるかは展示の札に書かれていません。

十勝川とポロシリ岳へ祈る
アイヌの人びとは、動物や植物、火や水、山や川など、身のまわりのものにカムイ(神)がいると考えてきました。火は人をいつも近くで見守るカムイ、シマフクロウはコタンを見守るカムイです。
帯広のあたりでは、十勝川と、日高山脈のポロシリ岳も大事なカムイとして、儀式のときに祈りがささげられました。
写真は、チロットの生活館ネウサㇽの伝承室です。炉と祭具があり、儀式を伝える場として使われます。
出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)
十勝のアイヌの歴史の要点
- 約3万年前十勝で人が暮らし始める。幕別には札内N遺跡、札内K遺跡、日新F遺跡がある
- 13〜18世紀チャシ(溝で囲んだ施設)がつくられる。十勝で約70か所、幕別に5か所
- 17世紀松前藩がトカチ場所を置く。産物は砂金と鷹の羽から、サケやコンブ、アットゥㇱへ変わる
- 1669年十勝のアイヌもシャクシャインの戦いに加わる
- 1858年松浦武四郎が十勝の内陸を調べる。幕別には7か所のコタン、27軒に100人以上
- 1883年札幌県が、河口を除く十勝川の流域でサケ漁を禁じる。内陸で飢えが起きる
- 1885年十勝の12か所に人びとを集め、農業の指導が始まる
- 1896年幕別の白人などに保護地が決められる。移り住む人が急に増える
- 1927年帯広で十勝アイヌ旭明社ができる。昭和の初め、十勝の各地のアイヌの指導者が集まり、行政と交渉する
- 1959年幕別の吉田菊太郎が、蝦夷文化考古館を建てる
- 1964年帯広カムイトウウポポ保存会ができる。1984年、その古式舞踊が国の重要無形民俗文化財に
- 2026年幕別町アイヌ文化交流センター(チロット)が開館する
出典: チロットの展示(2026年10月3日に確認)、帯広百年記念館「十勝のアイヌ民族の歴史」、山田伸一 研究成果報告書(2012年)
年表で、十勝のことだけを見る
- 十勝と幕別のアイヌの歴史 年表(213行)「十勝」「幕別」のボタンでしぼれます。本州と琉球の歴史を重ねて見比べることもできます
- 年表で「サケ」をさがすサケ漁の禁止、漁の暦、昆布の道など
- 年表で「旭明社」をさがす十勝アイヌ旭明社と、昭和の初めの十勝の指導者たち
十勝で、アイヌ文化に触れられる場所
つづけて読む
- 白人と書いて、チロット幕別の土地の物語。8枚の絵の紙芝居
- 吉田菊太郎さん十勝アイヌ旭明社から蝦夷文化考古館まで
- 安東ウメ子さんムックㇽとウポポを伝えた幕別の伝承者
- 北海道のアイヌ文化を十勝・幕別で知る暮らし、道具、言葉
出典
- 幕別町アイヌ文化交流センター(チロット)の館内の展示 暮らし、漁と狩り、衣服、カムイ、歴史年表。2026年10月3日に確認
- 帯広百年記念館「十勝のアイヌ民族の歴史」
- 山田伸一「勧農を中心とする三県一局期のアイヌ政策に関する研究」研究成果報告書(2012年)
- 北海道庁殖民部『北海道殖民状況報文 十勝国』(1901年)


