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北海道の地域の歴史 宗谷

宗谷の歴史

宗谷は、北海道の北の端で、宗谷海峡をはさんで樺太(サハリン)と向かい合い、利尻島と礼文島を抱える土地です。この画面は、年表696行、10市町村の歩み、空中写真と古写真、当時の暮らしのイメージの絵を、時代の順にまとめたものです。

対象 宗谷出典 20 件この画面の更新 2026年10月29日

昔と今をくらべるこの画面の空中写真 25 点は、写真の下の切り替えで、同じ範囲を写した現在の写真に替えられます。「なぞって比べる」を選ぶと、写真の上を左右になぞるたびに、昔と今の境目が動きます。

宗谷湾に面して南北に長く延びる稚内の市街と港を斜め上から一望できる写真です
1947年の稚内の市街と港。国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(米軍撮影 USA-M513-72、1947年9月13日)

宗谷の歴史を一言でいうと 樺太と向かい合う、海の道の入口

礼文島の船泊遺跡や枝幸の目梨泊遺跡が物語るように、宗谷は古くから海の道で北とつながってきました。1685年に宗谷場所が開かれたとされ、1807年からは津軽藩士と会津藩士が北方の警備に送られ、多くの死者を出しています。1808年には間宮林蔵が宗谷から樺太へ船出しました。

1875年の樺太・千島交換条約ののち、樺太のアイヌの人びと108戸841名が宗谷に移され、翌1876年6月に対雁へ移されました。1898年には枝幸と頓別で砂金が見つかり、全国から人が集まります。1923年5月に稚泊航路が開かれ、稚内は樺太への渡り口になりました。

1939年12月12日には猿払村の沖でインディギルカ号が遭難し、720名が亡くなりました。1945年8月には樺太からの引き揚げの人びとが稚内に上陸しています。1974年9月20日に利尻礼文サロベツ国立公園が指定され、1989年にクッチャロ湖、2005年にサロベツ原野がラムサール条約の湿地に登録されました。

旧石器〜13世紀

海の道の遺跡 船泊遺跡と、オホーツク文化の目梨泊・香深井

海辺の草の砂丘に、浅い丸いくぼみがいくつも残り、沖に小さな岩の島が見える墨の絵
竪穴の跡のくぼみが残る海辺の砂丘のイメージ(絵)

宗谷では、旧石器の時代から人が暮らしてきました。利尻富士町の栄町キャンプ場遺跡では1976年の発掘で旧石器時代の石器が見つかり、浜頓別町のポン仁達内遺跡の旧石器時代の石刃核は、1994年に町の文化財になっています。稚内市のオンコロマナイ2遺跡では、1959年の発掘で続縄文時代の層から人骨5体が出ました。

礼文島の船泊遺跡は縄文時代後期の遺跡で、1998年の発掘で竪穴住居跡8軒などが調べられました。出土品は2013年6月19日に「北海道船泊遺跡出土品」として国の重要文化財になっています。

宗谷の海辺には、オホーツク文化の遺跡も多く残ります。礼文島の香深井1遺跡は1968年から1972年に北海道大学が発掘し、礼文島から出た歯牙製の女性像と動物像は1972年2月17日に北海道の文化財になっています。枝幸町の目梨泊遺跡の出土品は2000年6月27日に国の重要文化財に、利尻町の亦稚貝塚の遺物は1979年3月29日、枝幸町のホロナイポ遺跡の遺物は1981年10月29日に北海道の文化財になりました。浜頓別町のクッチャロ湖畔の竪穴群は、1966年7月7日に北海道の史跡になっています。

13世紀〜1868年

宗谷場所と北の守り 会津藩士と間宮林蔵、マクドナルドの上陸

笹の茂る風の強い岬から、灰色の海峡の向こうに、かすかに長い陸地の線が見える墨の絵
海峡の向こうに陸地が見える岬のイメージ(絵)
利尻山(利尻富士)の岩の峰を、森の向こうに見上げた写真です
森の向こうに見上げる利尻山(1936年)。国立国会図書館デジタルコレクション『日本案内記 北海道篇』(鉄道省、1936年)(pid 1877025、コマ 194)

1644年の蝦夷地図に「リイシリ」の名が見え、1670年の『津軽一統志』には、利尻のアイヌ約300人と和人との海産物の交易が記されています。同じ書物には、頓別の名も「つんへつ村」として出てきます。1685年、松前藩が宗谷場所を開いたとされ、礼文は利尻とともにその付属の場所になりました(稚内市の資料には1687年とするものもあります)。1765年には近江商人の岡田弥三右衛門がリイシリ場所を請け負い、本泊に運上屋が置かれます。

1803年と1805年に流行した天然痘で、利尻と礼文の死者は220人にのぼりました。1807年の幕府の役人の記録には、サルブツ(猿払)のアイヌの家11軒・54人、トンベツ(頓別)の家12軒・67人が記されています。

1807年、ロシアの武装船が利尻の本泊に停泊中の船の積荷を奪い、船と運上屋を焼きました。同じ年、幕府の命で宗谷に送られた津軽藩士は、冬に多くの死者を出しています。1808年には会津藩士587名が宗谷へ、252名が利尻へ送られて北方の警備にあたり、利尻では50余名が水腫病で亡くなりました。樺太の警備から帰る会津藩士を乗せた観勢丸は、利尻島の沓形の近くに漂着して沈んでいます。同じ1808年、松田伝十郎と間宮林蔵が樺太を調べるために宗谷から船出しました。

1846年には松浦武四郎が樺太からの帰りに利尻・礼文を歩いて調べ、頓別の川を舟で渡っています。1848年、アメリカの青年ラナルド・マクドナルドが利尻島の野塚に一人で上陸しました。1855年からは秋田藩が宗谷の警備にあたり、1856年には松浦武四郎が再び樺太を調べるため宗谷から船出しています。

この時代の年表 52行を見る

1869年〜1912年

明治の宗谷 樺太からの移住と、砂金とニシン

森の谷を曲がって流れる浅い川の岸に、木の樋とくわが置かれた墨の絵
砂金を採った谷川のイメージ(絵)
小石の浜に大きな板屋根の番屋が建ち、小舟が並び、海の向こうに雪の残る火山の島が見える墨の絵
ニシン漁の番屋と利尻山のイメージ(絵)

1869年、利尻島は北見国利尻郡になり、1872年に宗谷支庁が置かれました。1875年の樺太・千島交換条約ののち、樺太のアイヌの人びと108戸841名が宗谷に移されます。翌1876年6月、開拓使長官の黒田清隆の指示で、人びとは宗谷から対雁(今の江別市)へ移されました。江別市の年表は、この移住を108戸854人としています。

1878年に宗谷・利尻・礼文・枝幸・天塩の各郡に村が置かれ、1879年に宗谷に郡役所と戸長役場ができて、稚内市はこの年を開基としています。1888年には官公庁が宗谷から稚内に移りました。1896年8月9日には、アメリカのアマースト大学の観測隊が枝幸で皆既日食を観測しています。

1898年6月、旧歌登町のパンケナイで砂金地が見つかり、全国から2万人が枝幸村に集まりました。同じ年に頓別川の支流のウソタンナイの上流でも砂金が多く採れ、1900年には205匁(768.75グラム)の金塊が掘り出されています。中頓別町の資料は、頓別川の流域に砂金を採りに入った者を16,000人と伝えています。

砂金の熱が冷めたあとは、農業の入植が始まります。1899年に福井団体15戸が下サロベツに入って幌延町の開基となり、1903年には岐阜団体12戸が兜沼に入りました。島では1903年11月、鬼脇でタラバガニの缶詰が初めて試作されています。1901年に稚内は町になり、1906年には小樽・稚内・樺太を結ぶ定期航路が開かれました。1911年の山火事では、稚内町の724戸と宗谷村の71戸が焼けています。

この時代の年表 135行を見る

1912年〜1926年

大正の宗谷 鉄道が北の端に届き、稚泊航路が開く

草の湿原の中をまっすぐ延びる線路を、煙を上げる蒸気機関車が客車を引いて走る墨の絵
湿原を走る鉄道のイメージ(絵)
流氷の浮かぶ冬の港から、黒い煙突の連絡船が防波堤の先へ出ていく墨の絵
冬の港を出る連絡船のイメージ(絵)

1912年、中頓別に岩手県と秋田県から集団の移民が入り、今の岩手・秋田の地名のもとになりました。鉄道は1914年11月に小頓別、1916年に中頓別、1918年に浜頓別へと北へ延び、1919年の山火事では浜頓別の市街の312戸が焼けています。

1920年に国費630万円余りで稚内の築港工事が始まり、1922年11月には宗谷本線(のちの天北線)が稚内(今の南稚内)まで開通しました。1923年5月、稚内と樺太の大泊を結ぶ稚泊航路が開かれます。1924年1月1日には猿払村が宗谷村から分かれました。

利尻島では1921年にニシンの不漁の時期に入っています。同じ1921年には、浜頓別の斜内の沖でホタテ漁の漁船12隻が遭難し、12人が亡くなりました。

この時代の年表 54行を見る

1926年〜1945年8月

昭和の戦前と戦中 北防波堤ドームと、インディギルカ号の遭難

丘の上から見下ろした稚内の市街で、手前に鳥居、奥に家並みと港に停泊する船が写っています
丘の上から見た稚内の市街と港(1936年)。国立国会図書館デジタルコレクション『日本案内記 北海道篇』(鉄道省、1936年)(pid 1877025、コマ 193)
稚内港の平面図で、北へ延びる防波堤(四千四百尺)と防砂堤、埋立地、海岸の市街の街路が描かれています
稚内港の平面図(1937年)。国立国会図書館デジタルコレクション『躍進の北海道』(光陽堂出版部、1937年)(pid 1112785、コマ 36)
1936年6月19日の皆既日食の観測を始める前の、鴛泊村役場の構内の様子です
皆既日食の観測を前にした鴛泊村役場の構内(1936年)。国立国会図書館デジタルコレクション『海洋気象台彙報 第94号』(海洋気象台)第二図版(pid 1139017、コマ 8)
稚内と樺太の大泊を結んだ稚泊連絡船の宗谷丸が、煙を上げて航行する写真です
稚泊連絡船の宗谷丸(1939年)。国立国会図書館デジタルコレクション『樺太一周』(一柳貞吉 著、1939年)(pid 1052488、コマ 4)

1926年、幌延と兜沼の間の線路が完成して、今の宗谷本線が全通しました。同じ年、豊富では石油の試掘の途中で温泉が噴き出しています。1928年に稚内港駅(今の稚内駅)が開業し、1931年から1936年にかけて、樺太への連絡船の発着場に波のしぶきがかかるのを防ぐ北防波堤ドームが建てられました。1938年12月11日には、ドームの前に稚内桟橋駅ができ、列車から連絡船へ直接乗り継げるようになります。

1935年、宗谷護国寺の跡が文部省の史蹟になりました。1936年に興浜北線が浜頓別から北見枝幸まで通じ、同じ年の6月19日には利尻島の鴛泊で皆既日食が観測され、中頓別にも観測の学者が集まりました。1938年12月、中頓別鍾乳洞が天然記念物に指定されました。

1939年12月12日、ソ連の船インディギルカ号が猿払村の浜鬼志別の沖で座礁して転覆し、720名が亡くなりました。村の人びとは地元の漁民を中心に、約400人を救い出しています。1940年5月11日には、山林の火事が飛び火して枝幸の市街が焼け、16人が亡くなり457戸が焼けました。

1945年8月20日、樺太の真岡郵便局からの最後の通信を、猿払の電話中継所が受けました。8月23日には、本土へ向かう最後の連絡船の宗谷丸が大泊港に着き、4,700人が引き揚げています。樺太からの引き揚げ船は稚内に入り、人びとが上陸しました。

この時代の年表 61行を見る

1945年8月〜1988年

戦後の昭和 国境の港と、国立公園と、鉄路の廃止

海から立ち上がる雪の筋の残る円すい形の火山の島と、手前の尾根の高山の花と低い松の墨の絵
海に浮かぶ利尻山のイメージ(絵)

戦後、樺太からの引き揚げの人びとが幌延や豊富の稚咲内などに入植しました。1949年に稚内は北海道で14番目の市になり、1955年に宗谷村と合わさります。1956年9月20日に香深村と船泊村が合わさって礼文村、9月30日に鴛泊村と鬼脇村が合わさって東利尻村が生まれました。

1959年に稚内空港、1962年8月に利尻空港が開港しました。1963年8月20日、樺太で亡くなった人びとを慰める「氷雪の門」が稚内公園に建てられ、九人の乙女の像もともに建てられています。1965年7月10日に利尻礼文が国定公園になり、1974年9月20日に利尻礼文サロベツ国立公園に指定されました。

1971年に猿払村でホタテの稚貝の放流が始まり、1972年7月には豊富町の日曹炭鉱が閉山しています。稚内市の人口は1975年の国勢調査の55,464人がもっとも多く、1977年の200海里の水域の設定で北洋の漁業が縮みました。1983年には大韓航空機の事件が起き、稚内市・猿払村・豊富町に対策や連絡の本部が置かれています。

1984年に幌延町の議会が原子力関連施設の誘致を議決しました。鉄道は1971年5月29日に歌登の町営軌道、1985年7月1日に興浜北線、同じ年の9月17日に美幸線、1987年3月に羽幌線が廃止されています。

この時代の年表 232行を見る

1989年〜

平成と令和の宗谷 天北線の廃止と、湿原と、深地層の研究

黄色い花の咲く平らな湿原に小さな沼が点在し、遠くの海の向こうに雪をいただく火山の島が見える墨の絵
初夏のサロベツの湿原と利尻山のイメージ(絵)

1989年4月30日、1922年から続いた天北線が廃止されました。同じ年の7月6日にクッチャロ湖が、2005年11月8日には豊富町と幌延町にまたがるサロベツ原野が、ラムサール条約の湿地に登録されています。1990年9月30日に東利尻町は利尻富士町と名を改め、1994年6月3日には礼文島のレブンアツモリソウの群生地が北海道の天然記念物になりました。

1995年に稚内とサハリンのコルサコフ(旧大泊)を結ぶ定期航路が始まり、1996年10月には利尻島の野塚にマクドナルドの記念碑が建てられています。2001年に幌延深地層研究センターが開所しました。礼文空港は2003年4月1日に定期便が運休し、2009年4月9日に休止されています。

2006年3月20日に枝幸町と歌登町が合わさり、同じ年の8月には猿払村で、浅茅野の飛行場の工事の犠牲者の遺骨を掘る作業が行われました。2010年2月22日に枝幸町と浜頓別町にまたがる神威岬が国の名勝になり、4月1日には幌延町が留萌から宗谷の管内に移っています。

2009年4月1日に豊富アイヌ協会が設立され、2021年7月2日には豊富町のアイヌ施策推進地域計画が国に認定されました。協会の活動の拠点の稚咲内生活館は、2024年3月に建て替えられています。2018年には稚内市樺太記念館が開館し、2022年3月15日には礼文島の桃岩一帯の高山植物の群落が国の天然記念物になりました。

この時代の年表 162行を見る

宗谷の10市町村 名の由来と、始まりと、歩み

宗谷には1市6町3村があります。名の由来は北海道『アイヌ語地名リスト』(2007年)の該当ページと各市町村の資料から、始まりと歩みは各市町村の公開資料から書いています。「年表で…を見る」を押すと、下の通しの年表がその市町村だけになります。

  • 稚内市

    名の由来
    アイヌ語のヤムワッカナイ「冷たい・水(飲み水)の・川。この付近は水のよくなかった所で、よい水の川があったので付けられた名であろう。元のヤムワッカナイは、だいたい今の港1丁目の辺りだったらしい(リスト p.144)」(山田秀三の説)。稚内市も、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ(冷たい水の出る沢)が語源とする。宗谷はソヤ「岩・岸」(p.72)で、もとは珊内の海中のソウヤ岩の名が、会所とともに移ったらしいとされる。声問はコイトゥイェ「波が・崩す」(p.49)、抜海はパッカイペ「子を背負う・もの」(p.102)、ノシャップはノッサム「岬・の側」などの説がある(p.99)
    始まり
    1685年に松前藩が宗谷場所を開いたとされる(稚内市の資料には1687年とするものもある)。1879年に宗谷に郡役所と戸長役場が置かれ、この年を市の開基とする
    市町村の歩み
    1900年に稚内が宗谷村から分かれ、1901年に町制を施行して稚内町。1949年に北海道で14番目の市として稚内市になり、1955年に宗谷村と合わさる
    市町村史
    『稚内市史』(1968年)、『稚内市100年史』(1978年)、『稚内市史 第2巻』(1999年)

    年表で稚内市の110行を見る稚内市 稚内のあゆみ

  • 猿払村

    名の由来
    アイヌ語のサラプッ「ヨシ原の・川口。ヨシ原の川の川口の所(今の浜猿払)の名が、付近一帯の地名となったもの(リスト p.54)」(山田秀三の説)。猿払村は、アイヌ語の「サロプト」「サラブツ」から転じたもので「葦原の河口」を意味するとし、1878年10月にサラ・プツに猿払の字が当てられたとする。鬼志別はオニウシペッ「川尻に・樹が・群生している・川」とオヌウシペッ「川口・豊漁・ある・川」の説がある(p.31)
    始まり
    1807年の田草川伝次郎の「西蝦夷日記」に、サルブツのアイヌの家11軒・54人が記される。1878年10月、宗谷郡に6村が置かれ、サラ・プツに猿払の字が当てられる
    市町村の歩み
    1924年1月1日に宗谷村から分かれて猿払村となり、2級町村制を施行する
    市町村史
    『猿払村史』(1976年)

    年表で猿払村の49行を見る猿払村 年表

  • 浜頓別町

    名の由来
    アイヌ語のトウンペッ「湖・の(に入る)・川。頓別川の川口の所に、北側の大きな湖(クッチャロ湖)の水が流れ込んでいる(リスト p.92「頓別」)」(山田秀三の説)。または和名。広い頓別地域の中の、浜側の土地という意味(p.103)(山田秀三の説)。頓別の名は、1670年の『津軽一統志』に「つんへつ村」として記録されている。クッチャロ湖はトクッチャラ「湖・喉」で、沼の水が川になって流れ出る所の名とされる(p.44)
    始まり
    1898年に頓別川の支流ウソタンナイの上流で砂金が多く採れ、人が集まる。1900年に頓別原野に植民地区画が設定され、農業の入植が始まる。町は1992年に、明治11年(1878年)を開基と決めた
    市町村の歩み
    1916年に枝幸村から頓別村が分かれ、1921年に中頓別村が分かれる。1951年に浜頓別町と名を改めて町制を施行する
    市町村史
    『浜頓別町史』(1995年)

    年表で浜頓別町の73行を見る浜頓別町 浜頓別町の歴史

  • 中頓別町

    名の由来
    アイヌ語のトウンペッ「湖・の(に入る)・川(リスト p.92「頓別」)」(山田秀三の説)。または和名。町内に上頓別や小頓別もあるが、中頓別の市街が中心なのでこの名を採ったのであろう(p.93)(山田秀三の説)
    始まり
    1897年ごろ頓別川で砂金が見つかり、人が集まり始める。1901年に頓別原野の植民区画が設定されて開拓が始まり、1909年に枝幸村第10部として部長が置かれた日が、のちに町の始まりの日とされる
    市町村の歩み
    1921年4月1日に頓別村から分かれて中頓別村、1949年11月1日に町制を施行して中頓別町になる
    市町村史
    『中頓別町史』(1997年)

    年表で中頓別町の51行を見る中頓別町 町の歴史

  • 枝幸町

    名の由来
    アイヌ語のエサウシイ「頭が・浜・についている・所=岬。檜山の江差と同じように、突き出した岬の所の名である(リスト p.19)」(山田秀三の説)。またはアイヌ語のエサシ「コンブ。沖の岩礁に昆布があった。知里真志保は、北部では昆布をサシとは言うがエサシとは言わないと注する(p.19)」(永田方正の説)。リストは、ほかの土地の例から「岬」の説が自然な形と思われるとする。旧歌登町の歌登はオタヌプリ「砂・山」で、もとは幌別川の河口の地域の名だった(p.15)
    始まり
    1680年代に松前藩が枝幸に直領の漁場を開く。1878年に開拓使の布達で枝幸・歌登・頓別・礼文の4村が置かれる。1898年6月に旧歌登町のパンケナイで砂金地が見つかり、全国から2万人が集まる
    市町村の歩み
    1909年に4村が枝幸村にまとまる。1939年に歌登村が分かれ、1962年に歌登町。2006年3月20日に枝幸町と歌登町が合わさって今の枝幸町になる
    市町村史
    『枝幸町史』上巻(1967年)・下巻(1971年)・第3・4巻(2010年)、『歌登町史』第一巻(1980年)・第二巻(1996年)・第三巻(2009年)

    年表で枝幸町の44行を見る枝幸町 過疎地域持続的発展市町村計画

  • 豊富町

    名の由来
    アイヌ語のイペコロペッ「食物(魚)・を持つ・川。パンケとペンケの二つのエベコロベツ川が流れる。町名はエベコロベツの意訳だという(リスト p.91)」(山田秀三の説)。豊富町も、「魚(食べ物)が豊富な川」という意味のエベコロベツに由来するとする。サロベツはサラオペッ「ヨシ原・にある・川」(p.55)、兜沼は沼の形が兜の鍬形に似ているための和名で、明治の地図にはペライサルトー「釣りをする・葭原の・沼」と書かれている(p.36)
    始まり
    1878年に天塩郡に沙流村(のちの豊富村)の名が生まれる。1903年、梅村庄次郎が12戸の岐阜団体を率いて兜沼に入植する
    市町村の歩み
    1919年に沙流村が幌延村と合わさる。1940年に旧沙流村の区域が分かれて豊富村になり、1959年に町制を施行して豊富町になる
    市町村史
    『豊富町史』(1986年)

    年表で豊富町の62行を見る豊富町 町勢要覧資料

  • 礼文町

    名の由来
    アイヌ語のレプンシリ「沖の・島。利尻島の先の海にあるからであろう(リスト p.142)」(山田秀三の説)。礼文町も、レプンシリ(沖の島)に由来するとする。香深はカプカイ「波・背負う」とされるが、リストは意味をはっきりさせていない(p.36)。船泊はリストに見出しが無い
    始まり
    1685年に宗谷場所が開かれ、礼文は利尻とともにその付属の場所となる。1880年に香深村に礼文各村の戸長役場が置かれる
    市町村の歩み
    1892年に船泊村が香深村から分かれる。1956年9月20日に香深村と船泊村が合わさって礼文村、1959年9月1日に町制を施行して礼文町になる
    市町村史
    『礼文町史』(1972年)

    年表で礼文町の64行を見る礼文町 礼文町の概要

  • 利尻町

    名の由来
    アイヌ語のリシリ「高い・島。古くはリシイリのようにも書かれた。富士山が海中に浮かんでいるような姿の円い島である(リスト p.140)」(山田秀三の説)。沓形はクッカアンナイ「崖・の上に・ある・川」とされるが、リストは意味が分からないとし、クッチカンナイ「こくわの実・を採る・川」の説も挙げる(p.43)。
    始まり
    1878年に利尻島に鴛泊・石崎・鬼脇・仙法志・沓形・本泊の6村が置かれる。1899年に沓形村、1900年に仙法志村に、それぞれ独自の戸長役場が置かれる
    市町村の歩み
    1949年に沓形村が町制を施行して沓形町。1956年に沓形町と仙法志村が合わさって利尻町になる

    年表で利尻町の66行を見る利尻町 利尻町年表(Internet Archive の保存版)

  • 利尻富士町

    名の由来
    アイヌ語のリシリ「高い・島(リスト p.140「利尻」)」(山田秀三の説)。または和名。島の東側にあるため東利尻町と呼んでいたが、1990年に名峰「利尻富士」にちなんで改めた(p.140)(利尻富士町の説)。利尻富士町と利尻島郷土資料館は、利尻島の名を高い島を意味する「リイシリ」に由来するとし、資料館は地名の解釈にはさまざまな見解があると断っている。鴛泊はウシトマリ「入江の・泊地」(p.27)
    始まり
    1765年に本泊に交易の拠点となる運上屋が置かれる。1880年2月、鴛泊に利尻郡各村の戸長役場が置かれる
    市町村の歩み
    1902年に鬼脇村と鴛泊村がそれぞれ一つの村になる。1956年9月30日に鬼脇村と鴛泊村が合わさって東利尻村、1959年に東利尻町、1990年9月30日に利尻富士町と名を改める

    年表で利尻富士町の106行を見る利尻富士町 町勢要覧資料編

  • 幌延町

    名の由来
    アイヌ語のポロヌプ「大きい・野原。従来このように解釈されてきたが、元はどこの地名だったかはっきりしない(リスト p.122)」(山田秀三の説)。またはアイヌ語のポロヌタプ「大きい・野の出っ張り(川の湾曲)。『丁巳日誌』にホロノタフとある(p.122)」(松浦武四郎の説)。幌延町は、「ポロ」「ヌプ」の転訛で大平原を意味し、町の西北部に広がるウブシ原野を望んでこう呼んだものと思われるとする
    始まり
    1878年に天塩国に幌延村が生まれる。1899年に福井団体15戸が下サロベツに入り、この年を町の開基とする
    市町村の歩み
    1919年に沙流村と合わさって幌延村となり、1940年に旧沙流村が豊富村として分かれる。1960年に町制を施行して幌延町。2010年4月1日に留萌から宗谷の管内に移る
    市町村史
    『幌延町史』(1974年)、『新幌延町史』(2000年)

    年表で幌延町の69行を見る幌延町 統計資料 町のあゆみ

空から見た宗谷の町 1947年から1952年の空中写真 26点

戦後すぐ、アメリカ軍が宗谷を空から撮った写真です。稚内の港と宗谷岬、猿払・浜頓別・中頓別・枝幸・豊富・幌延の市街、クッチャロ湖と天塩川が写っています。利尻島と礼文島は1947年と1948年の写真が無いため、1952年の写真を、稚内の中心の市街は1949年の写真を載せています。写真の下に切り替えのある写真は、同じ範囲の現在の写真と見比べられます。写真を押すと大きな画像で見られます。

宗谷の古写真 3点

宗谷の通しの年表 696行

1644年から2025年まで、宗谷の出来事を時代ごとに並べています。行ごとに出典のリンクがあります。市町村を選ぶか、言葉を入れると絞りこめます。

近世 場所の時代52行

  1. 1644年利尻富士町蝦夷地図に「リイシリ」と記され、文献に初めて現れる利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  2. 1667年豊富町松前蝦夷図に「テシホエソ」と記され、のちの豊富町を含むテシホ場所が開かれる豊富町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
  3. 1670年浜頓別町津軽一統志に「つんへつ村」として頓別の地名が初めて記録される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  4. 1670年利尻富士町津軽一統志に、和人と利尻のアイヌ約300人との海産物の交易が記される利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  5. 1680年枝幸町貞享年間(1680年代)に松前藩が枝幸に直領の漁場を開く枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  6. 1685年稚内市宗谷場所が開かれたとされる(松前藩家老の幕府への報告書から推定)稚内市統計書 年表
  7. 1685年礼文町松前藩の直轄地として宗谷場所が開かれ、礼文は利尻とともに付属場所となる礼文町 礼文町の概要(町の歴史)礼文町「礼文町の概要」
  8. 1685年猿払村藩営の宗谷場所が開かれる猿払村「年表」
  9. 1700年浜頓別町元禄御国絵図に「つうへち」として描かれる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  10. 1706年稚内市村山伝兵衛が宗谷場所の請負人になる稚内市統計書 年表
  11. 1706年猿払村松前の商人が宗谷場所の請負人となる猿払村「年表」
  12. 1765年利尻富士町近江商人の岡田弥三右衛門がリイシリ場所を請け負い、本泊に運上屋が置かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016)利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  13. 1781年稚内市宗谷に厳島神社が建てられる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  14. 1785年稚内市樺太探検隊長の庵原弥六の一行が宗谷で冬を越し、翌春に病死する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  15. 1798年7月6日猿払村幕吏三橋藤右衛門が宗谷に来て役付のアイヌを集め、サルフツのアイヌも招かれる猿払村「地名の由来と歴史」
  16. 1801年稚内市奉行の松平忠明が宗谷を巡視し、宗谷に台場が築かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  17. 1803年利尻富士町麻疹が流行し、利尻・礼文両島のアイヌの人々が亡くなる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  18. 1803年利尻富士町1803年と05年に流行した天然痘で、利尻・礼文の死者が220人にのぼる利尻島郷土資料館解説シート「リイシリ場所とアイヌ」
  19. 1805年利尻富士町疱瘡の流行で、利尻島のアイヌの人々が37人に減る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  20. 1806年稚内市遠山金四郎と村垣左太夫が西蝦夷地を巡視し、宗谷に滞在する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  21. 1806年礼文町西蝦夷地日記に礼文のアイヌ71人と記される利尻島郷土資料館解説シート「リイシリ場所とアイヌ」
  22. 1806年利尻富士町近藤重蔵と田草川伝次郎が利尻島を訪れ、西蝦夷地日記に記録する利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  23. 1807年稚内市幕府の蝦夷地直轄で津軽藩士が宗谷に派遣され、冬に多くの死者が出る稚内市「会津若松市との交流」
  24. 1807年浜頓別町トンベツにアイヌの家12軒・男女67人が暮らすと記録される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  25. 1807年利尻富士町ロシアの武装船が本泊に停泊中の船の積荷を奪い、船と運上屋などを焼く利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  26. 1807年稚内市幕吏の田草川伝次郎・近藤重蔵らが宗谷を巡視する稚内市 統計書 年表
  27. 1807年猿払村田草川伝次郎の西蝦夷日記に、サルブツの家十一件・男女五十四人と記される猿払村「地名の由来と歴史」
  28. 1808年稚内市交代のため会津藩士587名が宗谷へ派遣される稚内市「会津若松市との交流」
  29. 1808年稚内市松田伝十郎と間宮林蔵が樺太探検のため宗谷から船出する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  30. 1808年利尻富士町幕府が会津藩に出兵を命じ、宗谷・利尻・樺太を警備させる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  31. 1808年利尻富士町警備の会津藩士のうち50余名が水腫病で亡くなる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  32. 1808年利尻町樺太警備帰りの会津藩士を乗せた観勢丸が、リヤコタン(沓形〜種富町)に漂着し沈む利尻島郷土資料館解説シート「会津藩の北方警護」
  33. 1808年利尻富士町幕府の命で会津藩士ら252名が利尻に派遣され北方警備にあたる利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  34. 1810年稚内市のちに宗谷護国寺の什物となる釣鐘がつくられる(市指定)稚内市「釣鐘」(市指定文化財)
  35. 1821年利尻富士町利尻・礼文のアイヌは合わせて116人(28戸)と記される利尻島郷土資料館解説シート「リイシリ場所とアイヌ」
  36. 1825年利尻富士町場所請負人の藤野喜兵衛が鬼脇に社(のちの北見神社)を建てる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  37. 1831年稚内市北門神社が宗谷から稚内に移される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  38. 1833年枝幸町厳島神社に近江産と伝わる石の明神鳥居が建てられる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 厳島神社鳥居」
  39. 1834年利尻富士町松前藩士の今井八九郎が利尻・礼文両島の測量と図取りをする利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  40. 1846年浜頓別町松浦武四郎がトンベツ川を舟で渡り、斜内に泊まる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  41. 1846年利尻富士町松浦武四郎が樺太からの帰りに初めて利尻・礼文を歩いて調べる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  42. 1847年枝幸町藤野家の船の「正直丸船絵馬」が厳島神社に奉納される稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 厳島神社船絵馬」
  43. 1848年利尻富士町アメリカ人ラナルド・マクドナルドが野塚に単身で上陸する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 総説利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  44. 1855年利尻富士町幕府が利尻・礼文・宗谷の警備を秋田藩に命じる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  45. 1855年稚内市秋田藩による宗谷の警備が始まる稚内市「文化寛政の頃の宗谷絵図」
  46. 1856年稚内市松浦武四郎が樺太調査のため宗谷から船出する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  47. 1856年稚内市宗谷場所の協力で幕府直轄の浄土宗の寺、宗谷護国寺が建てられる稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「宗谷護國寺跡」
  48. 1856年浜頓別町松浦武四郎が再び通り、トンベツと斜内を絵図つきで記録する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  49. 1856年稚内市宗谷護国寺が創建されたとされる(市の什物の解説による)稚内市「古文書」(市指定文化財)
  50. 1857年幌延町松浦武四郎の一行が天塩川を上り、幌延・雄信内を通る幌延町「幌延町史跡標柱等について」
  51. 1859年稚内市宗谷が秋田藩の管轄になる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  52. 1859年稚内市宗谷護国寺が建てられる(絵図の解説では安政6年の建立とする)稚内市「文化寛政の頃の宗谷絵図」

明治 開拓の始まり135行

  1. 1869年豊富町開拓使が置かれ、この地は水戸藩の支配に入る豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  2. 1869年利尻町蝦夷地が北海道と改められ、利尻島は北見国利尻郡となる利尻町 利尻町年表(保存版)
  3. 1869年稚内市宗谷が開拓使に属する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  4. 1869年8月利尻富士町利尻郡が水戸藩の分領支配となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  5. 1869年10月21日浜頓別町ブラキストンが枝幸を出発し、斜内に2泊する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  6. 1870年豊富町ワッカサクナイに官設の宿泊所が置かれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  7. 1870年稚内市宗谷が金沢藩に属する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  8. 1871年浜頓別町判官松本十郎の巡視の記録に、トンベツのアイヌの家2戸が川守をしていたとある浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  9. 1872年稚内市宗谷支庁が置かれ、開拓判官の大山重が主任になる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  10. 1872年豊富町宗谷支庁が置かれ、その管轄に入る豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  11. 1875年稚内市樺太・千島交換条約の締結で、樺太の先住の人々841名が稚内に移される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
  12. 1876年稚内市宗谷に郵便局、ノシャップに灯台が置かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  13. 1876年利尻富士町鴛泊に利尻扱所が置かれ、利尻島の自治行政が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 総説
  14. 1876年利尻町北海道の大小区画が定められ、利尻郡は28大区4小区となる利尻町 利尻町年表(保存版)
  15. 1876年宗谷全体樺太からの移民アイヌ108戸854人が宗谷を経て対雁に移される(江別市の年表)江別市史 年表
  16. 1876年6月宗谷全体開拓使長官の黒田清隆の指示で、宗谷に移っていた樺太のアイヌの人びとが対雁(今の江別市)へ移される北海道立文書館 松本十郎文書
  17. 1876年8月利尻富士町暴風雨による洪水と山崩れで鴛泊の家屋が倒れ、児女2人が亡くなる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  18. 1877年利尻富士町利尻郡総代の河村市蔵が児童に読み書き算数を教え、利尻の寺子屋教育が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  19. 1878年豊富町天塩郡が村に分けられ、沙流村(のちの豊富村)の名が生まれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  20. 1878年幌延町天塩国に幌延村・天塩村・遠別村・沙流村が生まれる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  21. 1878年浜頓別町枝幸郡に枝幸・頓別・歌登・礼文の4村が置かれる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  22. 1878年枝幸町開拓使の布達で枝幸・歌登・頓別・礼文の4村が置かれる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画枝幸町 公共施設等総合管理計画(町の歴史)
  23. 1878年利尻町利尻郡に鴛泊・石崎・鬼脇・仙法志・沓形・本泊の6村が置かれる利尻町 利尻町年表(保存版)利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  24. 1878年10月猿払村宗谷郡に6村が設けられ、アイヌ語地名サラ・プツに猿払の字が当てられる猿払村「年表」
  25. 1879年稚内市宗谷に郡役所と戸長役場が置かれ、この年を市の開基とする稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  26. 1879年猿払村宗谷外3郡役所と6村戸長役場の管轄に入る猿払村「年表」
  27. 1879年7月枝幸町宗谷戸長役場の吏員が枝幸に駐在し、枝幸地方の4村をまとめて治める中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  28. 1880年利尻町利尻郡各村の戸長役場が鴛泊村に置かれる利尻町 利尻町年表(保存版)
  29. 1880年礼文町香深村に戸長役場が置かれる礼文町 礼文町の概要(町の歴史)礼文町 過疎地域持続的発展市町村計画
  30. 1880年2月利尻富士町鴛泊に利尻郡各村の戸長役場が置かれる(88戸・368人)利尻富士町「利尻富士町の歴史」利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  31. 1882年豊富町開拓使が廃止されて札幌県が置かれ、天塩戸長役場の管轄に入る豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  32. 1882年4月利尻富士町官立札幌病院の利尻出張所に代わり、公立病院が鴛泊に設けられる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  33. 1884年6月利尻富士町戸長役場が鴛泊から鬼脇に移る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  34. 1885年稚内市日本郵船が小樽と稚内を結ぶ定期航路を開く稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  35. 1885年利尻町小樽・増毛間の汽船航路が宗谷・利尻・礼文まで延びる利尻町 利尻町年表(保存版)
  36. 1885年稚内市旧宗谷村の尻臼に灯台が置かれ、測候所が併置される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  37. 1885年6月利尻富士町共同運輸会社への補助で、小樽・増毛間の航路が宗谷・利尻・礼文まで延びる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  38. 1886年1月利尻富士町鬼脇に利尻学校が開校し、宗谷管内で最初の学校となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  39. 1886年7月利尻富士町利尻郡漁業組合が設けられ、鴛泊に支部が置かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  40. 1887年礼文町札幌農学校の堀正太郎が礼文島で植物を採集し、島の植物調査が始まる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  41. 1888年稚内市郡役所・戸長役場・警察署・郵便局などの官公庁が宗谷から稚内に移る稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  42. 1888年浜頓別町斜内で初めて鰊網が試みられる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  43. 1889年稚内市私立北見学舎ができ、公立稚内簡易小学校が開かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  44. 1889年利尻富士町山形県の人が鬼脇村ヲタトマリで鱈釣りを始め、島の鱈釣り漁業が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  45. 1890年稚内市稚内と札幌の間に電話回線が引かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  46. 1891年9月枝幸町枝幸・頓別・歌登・礼文の戸長役場が開かれ、枝幸に庁舎が置かれる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  47. 1892年利尻町戸長役場が分かれ、仙法志村は鬼脇村、沓形村は鴛泊村の戸長役場の管轄となる利尻町 利尻町年表(保存版)
  48. 1892年礼文町船泊村が香深村から分かれる礼文町 礼文町の概要(町の歴史)礼文町 過疎地域持続的発展市町村計画
  49. 1892年11月利尻富士町利尻郡の戸長役場が鬼脇外2村と鴛泊外2村の二つに分かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  50. 1892年12月利尻富士町鴛泊村のペシ岬に初めて灯台が設けられる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  51. 1893年浜頓別町頓別駅逓所がつくられる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  52. 1893年利尻町沓形尋常小学校が開校する利尻町 利尻町年表(保存版)
  53. 1894年7月利尻富士町鬼脇で出火し、35戸・76棟が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  54. 1895年幌延町幌延に3戸13人が住む幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  55. 1896年浜頓別町頓別村は17戸・89人となる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  56. 1896年8月5日枝幸町日食観測のためメイベル・トッドが枝幸に着き、観測隊に加わるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』4「ペンバートンによる枝幸日食記」
  57. 1896年8月9日枝幸町アメリカのアマースト大学の観測隊が枝幸で皆既日食を観測するオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』4「ペンバートンによる枝幸日食記」
  58. 1896年8月11日枝幸町栄町の新校舎の落成式が日食観測の関係者を招いて行われるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』2「メイベル・トッドの見た百年前の枝幸」
  59. 1897年浜頓別町斜内山道が切り開かれる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  60. 1897年中頓別町中頓別の頓別川で砂金が見つかり、人が集まり始める(明治30年ごろ)中頓別町「町の歴史」
  61. 1897年中頓別町頓別川の流域に砂金採取で入った者は16,000人と伝えられる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  62. 1897年利尻町旧沓形村で大火があり、121戸が焼ける利尻町 利尻町年表(保存版)
  63. 1898年幌延町北門新報社主の中野天民がウブシ炭鉱に着手する(翌年に閉山)幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  64. 1898年浜頓別町頓別川の支流ウソタンナイ上流で豊富な砂金が出る浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  65. 1898年浜頓別町砂金の採取人はペイチャン川と合わせて約1万6千人とする説がある浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  66. 1898年枝幸町砂金の発見をきっかけに、全国から2万人が枝幸村に集まる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 枝幸砂金」
  67. 1898年礼文町赤岩で大きな山火事が起きる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  68. 1898年1月利尻富士町利尻と礼文の間に海底電信が通じる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  69. 1898年6月枝幸町堀川泰宗の探検隊が旧歌登町のパンケナイで砂金地を見つけるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』2「歌登パンケナイ砂金地における熊野山石碑調査」
  70. 1898年6月利尻富士町山火事が10日間燃え広がり、石崎・鬼脇から仙法志村の境まで及ぶ利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  71. 1899年幌延町福井団体15戸が下サロベツに入り、本願寺・天塩・法華宗の農場ができる(町の開基)幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  72. 1899年中頓別町ペーチャン砂金地が見つかり、大勢の採取人が山に入る稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 水神宮碑」
  73. 1899年利尻町沓形村に独自の戸長役場が置かれ、開庁する利尻町 利尻町年表(保存版)
  74. 1899年5月利尻富士町本泊・富士岬などの山火事で人家230戸と本泊小学校が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  75. 1900年稚内市稚内が宗谷村から分かれ、一級町村制を施行する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  76. 1900年幌延町法華宗農場が上幌延に私学校をつくる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  77. 1900年浜頓別町頓別原野39線まで植民地区画が設定され、農業の入植が始まる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  78. 1900年浜頓別町ウソタンナイ砂金区から205匁(768.75g)の金塊が掘り出される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  79. 1900年中頓別町ペイチャン川の密採を取り締まるため、警部1名・巡査5名が置かれる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  80. 1900年利尻富士町稚内と鴛泊の間に電信が通じる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  81. 1900年利尻町仙法志村に独自の戸長役場が置かれ、開庁する利尻町 利尻町年表(保存版)
  82. 1900年5月利尻富士町野塚で山火事が起き、人家のほとんどと雄忠志内分校が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  83. 1901年稚内市町制を施行して稚内町になる稚内市過疎地域持続的発展市町村計画(令和8〜12年度)
  84. 1901年中頓別町砂金採取の関係者が水神宮碑を建てる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 水神宮碑」
  85. 1901年中頓別町頓別原野に植民区画が設定され、開拓が始まる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  86. 1901年利尻富士町島を一周する道路が開かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  87. 1902年中頓別町砂金掘りに来た楢原民之助がこの地に残り、農耕を始める中頓別町「町長からのご挨拶」
  88. 1902年利尻町沓形村と仙法志村に二級町村制が施行され、初めての村会議員選挙が行われる利尻町 利尻町年表(保存版)
  89. 1902年礼文町香深村と船泊村に二級町村制が施行される礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  90. 1902年礼文町ウエンナイで大きな山火事が起きる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  91. 1902年4月利尻富士町二級町村制の施行で鬼脇村と石崎村、鴛泊村と本泊村がそれぞれ一つの村になる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  92. 1902年7月利尻富士町目忍路の集落で大火があり、48戸46棟が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  93. 1903年豊富町天塩村外2か村戸長役場が置かれ、その管轄に入る豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  94. 1903年豊富町梅村庄次郎が12戸の岐阜団体を率いて兜沼に入植する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  95. 1903年幌延町天塩村外2か村戸長役場が置かれ、トイカンベツ原野に有井農場ができる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  96. 1903年幌延町木村藤太郎らが伊勢神宮に参り、分霊を受けて幌延神社の祠を設ける稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「幌延神社」
  97. 1903年11月利尻富士町鬼脇の一戸要吉が初めてタラバガニの缶詰を試作し、横浜に送る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  98. 1904年幌延町上幌延に幌延郵便局が開かれる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  99. 1905年浜頓別町村の定住者が53戸・263人となる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  100. 1906年稚内市小樽・稚内・樺太を結ぶ定期航路が開かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  101. 1906年中頓別町砂金の産出が衰え、採取人の大半が山を下りる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  102. 1906年利尻町旧沓形村で大火があり、村役場など173戸が焼ける利尻町 利尻町年表(保存版)
  103. 1907年豊富町兜沼に特別教授所が開かれ、天塩とペンケ沼の間を川ボートが初めて通う豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  104. 1907年豊富町八幡神社の神霊が札幌から豊富に移され、豊富八幡神社となる稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「豊富八幡神社」
  105. 1907年幌延町愛知団体がトイカンベツ原野に入植する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  106. 1907年利尻富士町鬼脇のカニ缶詰工場が17工場に増える利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  107. 1907年2月利尻富士町鬼脇の市街で大火があり、魁橋両岸の人家が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  108. 1907年4月12日幌延町幌延村字下サロベツに下サロベツ駅逓所が置かれる幌延町教育委員会「幌延町史跡標柱等について」
  109. 1908年稚内市宗谷線建設の建議案が帝国議会の両院を通る稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  110. 1908年豊富町上サロベツ(兜沼)に郵便取扱所ができる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  111. 1908年中頓別町道徳安二が500町歩の払い下げを受けて入植し、道徳農場を開く中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  112. 1908年枝幸町上音標に岐阜県の人々が入植するオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』3「上音標神社天井絵調査報告」
  113. 1909年豊富町幌延外1か村戸長役場の管轄となり、沙流村(今の豊富)は207戸614人になる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  114. 1909年幌延町幌延村外1か村戸長役場が大曲(今の元町)に置かれる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  115. 1909年幌延町幌延村の戸口が292戸、1,297人になる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  116. 1909年浜頓別町戸数232戸・1,091人となり、鉄道の敷設を陳情する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  117. 1909年浜頓別町2級町村制で頓別・歌登・礼文・枝幸が枝幸村に併合される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  118. 1909年中頓別町枝幸村第10部として部長の設置が許され、のちにこの日が町の始まりの日とされる中頓別町「町長からのご挨拶」
  119. 1909年中頓別町36線に特別教授場が置かれ、児童17名で教育が始まる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  120. 1909年枝幸町2級町村制で4村が枝幸村に統合される枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画枝幸町 公共施設等総合管理計画(町の歴史)
  121. 1910年幌延町長応寺が東京から上幌延に移る幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  122. 1910年浜頓別町戸数410戸・1,577人となる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  123. 1910年中頓別町36線(今の中頓別市街)の戸数は32戸・人口88人となる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  124. 1910年6月中頓別町36線に東本願寺大谷派の説教所が開かれる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  125. 1910年8月15日枝幸町旧歌登町パンケナイの熊野山に砂金採取に関わる人々が石碑を建てるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』2「歌登パンケナイ砂金地における熊野山石碑調査」
  126. 1911年稚内市山火事が燃え広がり、稚内町724戸と宗谷村71戸などが焼ける稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  127. 1911年豊富町北見山地一帯の山火事で、村内も大きな被害を受ける豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  128. 1911年浜頓別町頓別郵便局が開かれる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  129. 1911年中頓別町大洪水で収穫前の作物が全滅する中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  130. 1911年礼文町船泊、内路から香深井にかけて大きな山火事が起きる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  131. 1911年5月利尻富士町鬼脇村清川で大火があり、人家の9割が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  132. 1912年稚内市旧宗谷村の宗谷護国寺が焼失する稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「宗谷護國寺跡」
  133. 1912年幌延町北大天塩地方演習林の前身、トイカンベツ演習林が置かれる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  134. 1912年浜頓別町ウソタンナイ支流のヌルイ川にさけ・ますのふ化場がつくられる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  135. 1912年1月中頓別町岩手県から集団移民が入植し、岩手の地名のもとになる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編

大正54行

  1. 1912年9月中頓別町秋田県由利郡から55戸が集団で入植し、秋田の地名のもとになる中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  2. 1913年稚内市秋田木材会社が声問発電所を設け、管内で初めて電灯がともる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  3. 1913年利尻富士町鬼脇村役場の庁舎が新築される(現在の利尻島郷土資料館)利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  4. 1913年9月中頓別町道道が中頓別まで開通する中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  5. 1913年12月13日幌延町幌延村字トイカンベツ8線にトイカンベツ駅逓所が置かれる幌延町教育委員会「幌延町史跡標柱等について」
  6. 1914年11月中頓別町小頓別に鉄道が開通し、町で2番目の市街ができていく中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  7. 1915年幌延町幌延市街(今の元町)に水道が設けられる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  8. 1915年浜頓別町漁獲高がにしん1,340石・さけ210石などとなる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  9. 1916年浜頓別町頓別沿岸を高潮が襲い、市街の大半が被害を受ける浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  10. 1916年浜頓別町枝幸村から頓別村が分村し、2級町村制となって頓別に役場を置く浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  11. 1916年中頓別町国鉄宗谷線(のちの天北線)が中頓別まで開通する中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  12. 1917年中頓別町のちの中頓別鍾乳洞となる洞窟が見つかる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 中頓別鍾乳洞」
  13. 1918年浜頓別町音威子府から浜頓別までの鉄道が開通し、浜頓別駅が営業を始める浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  14. 1918年利尻町旧仙法志村で競馬大会が開かれ、大正9年まで続く利尻町 利尻町年表(保存版)
  15. 1919年猿払村鉄道が浜頓別から浅茅野まで開通する猿払村「天北線鉄道沿革史」
  16. 1919年豊富町幌延村と沙流村が合併して幌延村となり、2級町村制を施行する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  17. 1919年幌延町2級町村制を施行し、幌延村と沙流村を合わせて幌延村になる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  18. 1919年浜頓別町山火事が飛び火し、浜頓別市街の312戸と木材7万石が焼ける浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  19. 1919年浜頓別町市街の発展の中で浜頓別神社(当時の頓別神社)が今の場所に建てられる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 浜頓別神社」
  20. 1920年稚内市国費630万円余りで稚内築港工事が始まる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  21. 1920年幌延町幌延・沙流を合わせた戸口が988戸、5,349人になる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  22. 1920年浜頓別町頓別水電が宇曽丹川に水力発電所を建てる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  23. 1920年枝幸町下幌別神社が創立されるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』2「歌登パンケナイ砂金地における熊野山石碑調査」
  24. 1920年利尻富士町鬼脇地区に電灯がともる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  25. 1920年4月利尻富士町鴛泊港の工事が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  26. 1920年11月猿払村鉄道(のちの天北線)が村の中心の鬼志別まで敷かれる猿払村「年表」
  27. 1921年稚内市声問に石油の鉱場ができる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  28. 1921年浜頓別町頓別村から中頓別村が分かれる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  29. 1921年浜頓別町斜内沖でホタテ貝漁の漁船12隻が遭難し、12人が死亡する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  30. 1921年浜頓別町役場が旧市街(今の頓別)から新市街(今の浜頓別)へ移る浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  31. 1921年利尻富士町鰊の不漁の時期に入る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  32. 1921年利尻町沓形漁港の修築の起工式が行われる利尻町 利尻町年表(保存版)
  33. 1921年4月1日中頓別町2級町村制が施行され、頓別村から分村する中頓別町 過疎地域持続的発展市町村計画中頓別町勢要覧(令和5年度)本編
  34. 1922年猿払村鬼志別と稚内(今の南稚内)の間が開通し、宗谷線がつながる猿払村「天北線鉄道沿革史」
  35. 1922年浜頓別町宗谷線(のちの天北線)が稚内まで開通する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  36. 1922年稚内市天北線が開通し、沼川・曲渕の地名が生まれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  37. 1922年11月稚内市宗谷本線(のちの天北線)が稚内(今の南稚内)まで開通する国立国会図書館 レファレンス協同データベース「稚泊航路の歴史」
  38. 1923年稚内市庁立稚内中学校(今の稚内高校)ができる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  39. 1923年幌延町宗谷線が問寒別まで開通し、問寒別駅が開業する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  40. 1923年礼文町香深村に一級町村制が施行される礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  41. 1923年4月利尻富士町鴛泊村と鬼脇村に一級町村制が施行される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  42. 1923年5月稚内市稚内と樺太の大泊を結ぶ連絡航路(稚泊航路)が開かれる国立国会図書館 レファレンス協同データベース「稚泊航路の歴史」
  43. 1923年9月利尻富士町雄忠志内で大空沢が氾濫し、20戸が海へ流される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  44. 1923年10月利尻富士町北海道三景の読者投票で利尻富士が1位となり、北見神社の境内に碑が建つ利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  45. 1924年稚内市稚内と樺太の本斗を結ぶ稚斗連絡船の運航が始まる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  46. 1924年浜頓別町道庁の補助事業で乳牛が導入される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  47. 1924年利尻町沓形村に一級町村制が施行される利尻町 利尻町年表(保存版)
  48. 1924年1月1日猿払村宗谷村から分かれて猿払村となり、2級町村制を施行する猿払村「年表」
  49. 1925年幌延町幌延と問寒別の間が開通し、幌延・上幌延・安牛・雄信内の各駅が開業する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  50. 1926年稚内市今の宗谷線が全通し、稚泊連絡船の対馬丸がノシャップ沖で座礁する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  51. 1926年豊富町幌延と兜沼の間の線路が完成し、宗谷本線が全通する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  52. 1926年豊富町石油の試掘の途中で温泉が噴き出す豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  53. 1926年幌延町国鉄宗谷線が全通する幌延町議会「議会の概要」
  54. 1926年7月猿払村猿払川が大洪水であふれ、河口の形が変わる猿払村「年表」

昭和の戦前と戦中61行

  1. 1927年稚内市砕氷船の亜庭丸が稚泊航路に就航する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  2. 1927年5月利尻富士町乗合自動車が初めて島内を走る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  3. 1928年稚内市稚内町で大火が起き、稚内港駅(今の稚内駅)が開業する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  4. 1928年豊富町目梨別で石油の掘削が始まり、拓殖軌道下エベコロベツ線ができる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  5. 1928年礼文町第2期拓殖計画で船泊の船入澗の工事が始まる北海道開発局 各みなとの紹介 香深港(船泊分港)
  6. 1928年11月2日猿払村村内の大雨で各河川があふれ、通学の子どもが学校近くに泊まる猿払村「年表」
  7. 1929年幌延町問寒別で日本白金クローム鉱業会社が砂白金を採る幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  8. 1929年幌延町拓殖軌道下エベコロベツ線ができる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  9. 1929年枝幸町旧歌登町を通る殖民軌道(のちの歌登町営軌道)が開通するオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  10. 1930年稚内市普通選挙で初の町会議員選挙が行われ、稚内町で再び大火が起きる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  11. 1930年猿払村村を通る宗谷線が北見線と改称される猿払村「天北線鉄道沿革史」
  12. 1930年幌延町拓殖軌道問寒別線と雄信内大橋ができる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  13. 1930年浜頓別町宗谷線が北見線と改称される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  14. 1931年豊富町冷害と水害で大凶作となり、政府米の貸し付けを受ける豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  15. 1931年中頓別町木材の減少と不況で転出が続き、戸数950戸・人口5,200人まで減る中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  16. 1931年利尻町沓形村漁業組合の大沓丸の就航式が行われる利尻町 利尻町年表(保存版)
  17. 1931年5月1日猿払村沿岸にニシンが群来し、漁の忙しさで各学校が臨時休校になる猿払村「年表」
  18. 1932年豊富町水害で農作物が大きな被害を受ける豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  19. 1932年豊富町沙流村(豊富)の分村を求める建議書が村議会に出される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  20. 1932年利尻町旧仙法志村で字名が改められる利尻町 利尻町年表(保存版)
  21. 1932年礼文町第2期拓殖計画で香深の船入澗の修築が始まり、港の整備が始まる北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  22. 1932年7月10日枝幸町歌登の軌道の本線の動力がガソリンカーになるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  23. 1933年豊富町豊富温泉株式会社がつくられる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  24. 1933年幌延町幌延と問寒別に産業組合がつくられる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  25. 1933年浜頓別町興浜北線の工事が始まる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  26. 1933年浜頓別町頓別漁業協同組合ができ、カニ缶詰工場が操業を始める浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  27. 1933年中頓別町村の7人が洞窟の内部を探検し、のちに鍾乳洞と確かめられる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 中頓別鍾乳洞」
  28. 1934年稚内市稚内利礼運輸が稚内と利尻・礼文島を結ぶ航路を開く稚内開発建設部「重要港湾 稚内港」沿革
  29. 1934年中頓別町藤井地区に千葉県と秋田県から22戸の移民が入植する中頓別町勢要覧(令和5年度)資料編
  30. 1934年礼文町舘脇操が礼文島の植物相を初めて報告し、維管束植物の目録をまとめる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  31. 1934年11月1日猿払村浜猿払に北海道と樺太を結ぶ海底電話の中継所が置かれる猿払村「年表」
  32. 1935年稚内市旧宗谷村の宗谷護国寺跡が文部省の史蹟に指定される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  33. 1935年幌延町幌延と天塩の間に鉄道が開通する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  34. 1935年幌延町沙流村を含む村の人口が1,993世帯、11,142人になる幌延町『統計資料』平成22年度版「人口、世帯数の推移」
  35. 1935年利尻町旧沓形村で字名が改められる利尻町 利尻町年表(保存版)
  36. 1935年礼文町稚内・利尻(鴛泊)・礼文(香深)を結ぶ三角航路が開かれる北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  37. 1935年11月27日稚内市クサンルの竪穴群が道庁の仮指定を受ける(戦後は未指定)北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
  38. 1936年稚内市稚内築港工事の第1期設備が完成し、北防波堤ができあがる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  39. 1936年幌延町幌延線と沼川線がつながり、簡易軌道の名が幌沼線になる幌延町教育委員会「幌延町史跡標柱等について」
  40. 1936年浜頓別町興浜北線が開通する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  41. 1936年利尻町丸一水産が稚内・利尻・礼文を結ぶ稚内利礼航路を始める利尻町 利尻町年表(保存版)
  42. 1936年利尻町旧仙法志村で政泊の船入澗の起工式が行われる利尻町 利尻町年表(保存版)
  43. 1936年4月利尻富士町稚内・鴛泊・香深を結ぶ三角航路が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  44. 1936年6月中頓別町中頓別が皆既日食の観測に最も適した地となり、学者が集まる中頓別町「町の歴史」
  45. 1937年稚内市稚内測候所が置かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  46. 1937年豊富町日曹鉱業所が開かれ、日曹炭鉱の専用鉄道が山元まで通じる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  47. 1937年6月利尻富士町鬼脇港と鴛泊港が完成し、第3種港に指定される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  48. 1938年幌延町酪連幌延工場(のちの雪印乳業幌延工場)が操業を始める幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  49. 1938年12月中頓別町中頓別鍾乳洞が文部大臣により天然記念物に指定される文化遺産オンライン「中頓別鍾乳洞」
  50. 1938年12月11日稚内市北防波堤ドームの前に稚内桟橋駅が開業し、列車から連絡船へ直接乗り継げるようになる稚内市「稚内港北防波堤ドームについて」
  51. 1939年稚内市豪州から緬羊50頭が輸入され、曲淵の稚内炭鉱が開かれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  52. 1939年枝幸町枝幸村から歌登村が分村する広報えさし 2006年No.1枝幸町 公共施設等総合管理計画(町の歴史)
  53. 1939年12月12日猿払村ソ連船インディギルカ号が浜鬼志別の沖で座礁する猿払村「年表」
  54. 1939年12月12日猿払村インディギルカ号が沖合800メートルで転覆し、720名が亡くなる猿払村「交流の生立ち」
  55. 1940年豊富町幌延村から分かれて豊富村となる。世帯数1,291戸、人口7,521人豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  56. 1940年幌延町旧沙流村が分かれて豊富村ができ、幌延村は826戸、4,852人になる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  57. 1940年5月11日枝幸町山林火災の飛び火で枝幸市街に大火が起き、16人が死亡、457戸が焼ける広報えさし 2023年No.206
  58. 1944年11月1日枝幸町戦時中のレールの転用のため、興浜北線が営業を休止するオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  59. 1945年稚内市樺太からの引き揚げ船が稚内に入港し、人々が上陸する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  60. 1945年豊富町冷害のため凶作になる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  61. 1945年幌延町樺太からの引揚者などが村に入植する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)

戦後の昭和232行

  1. 1945年8月20日猿払村真岡郵便局からの最後の通信を猿払電話中継所が受ける猿払村「電気通信ゆかりの地」
  2. 1945年8月23日稚内市本土へ向かう最後の連絡船の宗谷丸が大泊港に着き、4,700人が引き揚げる稚内市「稚内港北防波堤ドームについて」
  3. 1945年12月5日枝幸町興浜北線が営業を再開するオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  4. 1946年幌延町幌延炭鉱が操業を始める幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  5. 1946年中頓別町中頓別村が1級町村になる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  6. 1946年8月1日利尻富士町国鉄と連帯する定期航路として利礼航路が開かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  7. 1947年稚内市NHK稚内放送局が放送を始める稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  8. 1947年豊富町村役場の支所が日曹・兜沼・目梨別に置かれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  9. 1947年利尻町沓形中学校と仙法志中学校が開校する利尻町 利尻町年表(保存版)
  10. 1948年稚内市稚内港が国際開港場に指定される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  11. 1948年豊富町行政区域の変更で宗谷支庁の管内に移る豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  12. 1948年幌延町熊越峠の難所が崩れ、幌沼線の幌延側が使えなくなる幌延町教育委員会「幌延町史跡標柱等について」
  13. 1948年利尻町沓形出身の作詞家時雨音羽の『島ものがたり』が刊行される利尻町 利尻町年表(保存版)
  14. 1948年豊富町稚咲内地区への入植が始まり、入植者の多くが樺太からの引揚者だった豊富町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
  15. 1948年11月10日利尻富士町ソ連の軍用輸送機が境を越え、鴛泊村字富士野に不時着する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  16. 1949年稚内市北海道で14番目の市として市制を施行し、稚内市になる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  17. 1949年浜頓別町北海道金山がウソタンナイで砂金の機械掘りを始める浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  18. 1949年中頓別町町になった時の戸数は1351戸、人口は7492人中頓別町「町の歴史」
  19. 1949年利尻町沓形村が町制を施行し、沓形町となる利尻町 利尻町年表(保存版)
  20. 1949年礼文町香深港が地方港湾に指定される北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  21. 1949年11月1日中頓別町中頓別村が町制を施行し、中頓別町となる中頓別町「町の歴史」
  22. 1950年稚内市豊富村の天興地区の一部が稚内市に編入される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  23. 1950年豊富町稚内高校の豊富分校が定時制高校として始まる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  24. 1950年中頓別町国勢調査の人口が7,592人となり、これが最も多い中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  25. 1950年利尻富士町利尻・礼文が利礼道立自然公園に指定される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  26. 1950年利尻町利尻礼文道立公園が指定される利尻町 利尻町年表(保存版)
  27. 1950年利尻町沓形に内燃力発電所が建てられる利尻町 利尻町年表(保存版)
  28. 1950年利尻町沓形港が地方港湾に指定される北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  29. 1950年礼文町船泊港が地方港湾に指定される北海道開発局 各みなとの紹介 香深港(船泊分港)
  30. 1951年浜頓別町頓別村が浜頓別町と名を改め、町制を施行する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  31. 1951年浜頓別町町制施行の年の規模は1,373世帯・7,787人浜頓別町「浜頓別の上水道のあゆみ」
  32. 1952年稚内市北洋漁業が再開され、稚内から18隻が参加する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  33. 1952年幌延町簡易軌道問寒別線が村営になる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  34. 1952年浜頓別町斜内の前浜に春ニシンが群来する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  35. 1952年利尻富士町鴛泊港が地方港湾に指定される北海道開発局 各みなとの紹介 鴛泊港
  36. 1953年豊富町稚咲内で農漁村の電化事業が始まる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  37. 1953年幌延町幌延村立国民健康保険病院が開院する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  38. 1953年利尻町沓形町が沓形港の港湾管理者となる北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  39. 1954年利尻町利尻島が離島振興法の指定を受ける利尻町 利尻町年表(保存版)
  40. 1954年3月利尻富士町鴛泊の市街で大火が起きる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  41. 1954年4月礼文町旧船泊村に国民健康保険船泊病院が新設される礼文町国民健康保険船泊診療所 沿革
  42. 1955年稚内市旧宗谷村が稚内市に合併する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  43. 1955年利尻富士町この年から鰊漁が不振となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  44. 1955年利尻富士町国勢調査で旧鴛泊・鬼脇両村の人口が11,234人となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 人口の推移(国勢調査)
  45. 1955年礼文町国勢調査で人口が9,874人となり、国勢調査での最多となる第6次礼文町まちづくり総合計画
  46. 1955年礼文町このころまで鰊漁業が栄え、第1次産業に就く人が増える礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  47. 1956年中頓別町畑作から牛を中心とした酪農への転換が進み始める中頓別町「町の歴史」
  48. 1956年利尻町沓形町と仙法志村が合併し、利尻町となる利尻町 利尻町年表(保存版)利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  49. 1956年礼文町香深・船泊の合併時の人口10,099人が町の人口の最高となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  50. 1956年9月30日利尻富士町鬼脇村と鴛泊村が合併し東利尻村となる利尻富士町「利尻富士町の歴史」利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  51. 1956年9月20日礼文町町村合併促進法により香深村と船泊村が合併し、礼文村が生まれる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  52. 1956年12月12日猿払村インディギルカ号の遭難者の慰霊祭が行われる猿払村「年表」
  53. 1957年稚内市稚内測候所が気象台に昇格し、稚内港が重要港湾に指定される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  54. 1957年豊富町北海道電力が豊富にガスタービン発電所を新設する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  55. 1957年幌延町国道40号の天塩大橋ができる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  56. 1957年1月29日中頓別町制度の改正で中頓別鍾乳洞が北海道の天然記念物となる文化遺産オンライン「中頓別鍾乳洞」北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  57. 1957年利尻町利尻町立利尻高等学校が開校する利尻町 利尻町年表(保存版)
  58. 1957年1月29日稚内市旧宗谷村の宗谷護國寺跡が北海道指定の史跡になる稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「宗谷護國寺跡」北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  59. 1957年11月中頓別町町の水道が創設の認可を受け、翌年12月に給水を始める中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  60. 1958年豊富町町営温泉の元湯館が新築され、営業を始める豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  61. 1958年幌延町幌延炭鉱が経営不振で閉山する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  62. 1958年幌延町羽幌線が全通し、幌延が宗谷本線と羽幌線の分かれ目になる幌延町議会「議会の概要」
  63. 1958年浜頓別町浜頓別市街で大火があり、35戸が全焼または半焼する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  64. 1958年浜頓別町北海道大学がクッチャロ湖畔の竪穴遺跡を発掘調査する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  65. 1958年利尻町町の広報紙「広報りしり」の創刊号が出る利尻町 利尻町年表(保存版)
  66. 1959年稚内市稚内空港が開港する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  67. 1959年豊富町町制を施行して豊富町になる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  68. 1959年稚内市オンコロマナイ2遺跡の発掘で、続縄文時代の層から人骨5体が出る稚内市「オンコロマナイ2遺跡」(市指定)
  69. 1959年9月1日利尻富士町東利尻町となり、鴛泊に役場の新庁舎が建つ利尻富士町「利尻富士町の歴史」利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  70. 1959年8月15日猿払村映画「人間の条件」の撮影が村内で行われる猿払村「年表」
  71. 1959年9月1日礼文町礼文村が町制を施行し、礼文町となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  72. 1959年9月11日礼文町礼文島桃岩付近一帯の野生植物が北海道指定天然記念物になる北海道教育委員会『平成23年度 北海道文化財年報』
  73. 1960年猿払村国勢調査で村の人口が8,319人になる猿払村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  74. 1960年豊富町乳牛が2千頭を超え、記念の式典が開かれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  75. 1960年幌延町町制を施行して幌延町になる。人口は7,438人幌延町議会「議会の概要」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  76. 1960年中頓別町国勢調査の人口が7,375人となる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  77. 1960年枝幸町旧枝幸・歌登両町の人口が合わせて18,541人となり、これが最も多い枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画枝幸町 人口ビジョン(令和2年改訂版)
  78. 1960年枝幸町旧歌登町の人口が6,628人となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  79. 1960年枝幸町第一次産業の就業者の割合が59.3%となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  80. 1960年利尻町詩碑「出船の港」が建てられる利尻町 利尻町年表(保存版)
  81. 1960年利尻町『日本百名山』の著者深田久弥が利尻山に登る利尻町 利尻町年表(保存版)
  82. 1960年礼文町国勢調査で人口が8,795人となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  83. 1960年礼文町国勢調査で第1次産業に就く人の割合が71.4%を占める礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  84. 1960年6月利尻富士町稚内と鴛泊を結ぶエアータクシーが就航する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  85. 1961年稚内市宗谷岬に日本最北端の地の碑が建てられる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  86. 1961年猿払村北見線が天北線と改称され、札幌と稚内を結ぶ急行「天北」が走り始める猿払村「天北線鉄道沿革史」
  87. 1961年幌延町問寒別と雄信内の間の下平陸橋が雪崩で倒れる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  88. 1961年浜頓別町北見線が天北線と改称される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  89. 1961年浜頓別町台風9号・10号で農作物が被害を受ける浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  90. 1961年稚内市オホーツク文化期の富磯貝塚が調査され、土器・石器・人骨が出る稚内市「富磯貝塚」(市指定)
  91. 1962年豊富町サロベツ原野2千町歩の総合的な土地改良事業が始まる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  92. 1962年枝幸町歌登村が町制を施行し、歌登町となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画枝幸町 公共施設等総合管理計画(町の歴史)
  93. 1962年8月利尻富士町利尻空港が開港する利尻富士町「利尻富士町の歴史」利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  94. 1963年稚内市氷雪の門とともに九人の乙女の像が建てられる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  95. 1963年利尻町利尻町名誉町民条例が定められる利尻町 利尻町年表(保存版)
  96. 1963年8月20日稚内市樺太島民慰霊碑「氷雪の門」が稚内公園に建てられる稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「氷雪の門」
  97. 1964年猿払村浜猿払の猿払中継所が閉鎖される猿払村「電気通信ゆかりの地」
  98. 1964年幌延町雪印乳業の幌延新工場ができる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  99. 1964年幌延町幌沼線(沼川線)の有明と沼川の間が廃止され、全線が廃止になる幌延町教育委員会「幌延町史跡標柱等について」
  100. 1964年利尻町沓形で大火があり、236戸が焼ける利尻町 利尻町年表(保存版)
  101. 1965年稚内市樺太への墓参団が稚内港から出港する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  102. 1965年7月10日豊富町豊富・稚内・礼文・利尻の一部が国定公園に指定される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革環境省「利尻礼文サロベツ国立公園 概要・計画書」
  103. 1965年浜頓別町湖の凍結中のハクチョウを守るため、ボランティアによる給餌が始まる(1965年ごろ)環境省「ラムサール条約湿地 クッチャロ湖」
  104. 1965年利尻町利尻礼文国定公園が指定される利尻町 利尻町年表(保存版)
  105. 1965年利尻町利尻高等学校が道立に移される利尻町 利尻町年表(保存版)
  106. 1965年5月利尻富士町鴛泊の市街で大火があり、29世帯が焼ける利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  107. 1965年7月利尻富士町利尻・礼文が国定公園に指定される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  108. 1966年豊富町豊富と浜頓別を結ぶ道道ができあがる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  109. 1966年7月7日浜頓別町クッチャロ湖畔竪穴群が北海道の史跡になる浜頓別町「浜頓別町の歴史」北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  110. 1966年稚内市声問のシュプントウ遺跡で竪穴住居跡が発掘される稚内市「シュプントウ遺跡」(市指定)
  111. 1967年豊富町ホクレン天北食肉センターが新設され、事業を始める豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  112. 1967年稚内市下声問の恵北1遺跡で擦文時代の竪穴住居跡3基が調査される稚内市「恵北1遺跡」(市指定)
  113. 1967年豊富町豊富アイヌ協会の活動拠点となる稚咲内生活館が建てられる豊富町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
  114. 1968年稚内市ノシャップ寒流水族館が開館する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  115. 1968年利尻町利尻町の町章が定められる利尻町 利尻町年表(保存版)
  116. 1968年12月18日利尻町「利尻島のチシマザクラ自生地」が北海道の天然記念物に指定される利尻町 利尻町年表(保存版)北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  117. 1968年枝幸町神威岬が北オホーツク道立自然公園の一部に指定される枝幸町「観光スポット」
  118. 1968年礼文町北大の北方文化研究施設が香深井1遺跡の発掘を行う(1972年まで)北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
  119. 1968年5月15日浜頓別町クッチャロ湖・ベニヤ原生花園・斜内山道が北オホーツク道立自然公園になる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  120. 1969年稚内市『稚内市史』が出版される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  121. 1969年豊富町三井東圧化学工業所の豊富工場ができる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  122. 1970年稚内市国勢調査で市の人口が54,493人になる稚内市過疎地域持続的発展市町村計画(令和8〜12年度)
  123. 1970年猿払村旧過疎法の指定を受け、酪農と漁業を中心に対策を進める猿払村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  124. 1970年枝幸町旧歌登町が過疎地域の指定を受ける(旧枝幸町は平成9年)枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  125. 1970年利尻町稚内利礼航路で初めてのカーフェリー第一宗谷丸が就航する利尻町 利尻町年表(保存版)
  126. 1970年礼文町水産業に携わる漁協の組合員が1,214人となる第6次礼文町まちづくり総合計画
  127. 1970年礼文町稚内・鴛泊・船泊を結ぶ500トン級フェリーが就航する北海道開発局 各みなとの紹介 香深港(船泊分港)
  128. 1970年2月利尻富士町流氷群が接岸し、根付漁業に大きな被害が出る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  129. 1970年4月利尻富士町稚内・鴛泊間にフェリーボート第一宗谷丸が就航する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  130. 1970年6月11日稚内市旧宗谷村の宗谷厳島神社が稚内市の有形文化財に指定される稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「宗谷厳島神社」
  131. 1970年11月稚内市稚内の防波堤に稚泊航路記念碑が建てられる国立国会図書館 レファレンス協同データベース「稚泊航路の歴史」
  132. 1971年幌延町町営簡易軌道問寒別線が廃止され、代わりにバスが走る幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  133. 1971年浜頓別町過疎地域に指定され、国営農地開発事業頓別地区が始まる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  134. 1971年礼文町過疎地域対策緊急措置法による過疎地域の指定を受ける礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  135. 1971年礼文町初めての礼文町総合振興計画がつくられる第6次礼文町まちづくり総合計画
  136. 1971年4月21日豊富町稚咲内海岸砂丘林が北海道指定天然記念物になる北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  137. 1971年5月11日猿払村漁協の10年計画で、第1回のほたて稚貝の放流が行われる猿払村「年表」
  138. 1971年5月29日枝幸町旧歌登町の町営軌道が廃止されるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  139. 1971年10月利尻富士町本泊の運上屋の跡地に記念碑が建てられる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  140. 1971年10月12日猿払村インディギルカ号遭難者慰霊碑が完成し、除幕式が行われる猿払村「年表」
  141. 1972年浜頓別町ホタテ稚貝の放流が始まる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  142. 1972年2月17日礼文町オホーツク文化の礼文島出土の歯牙製女性像及び動物像が北海道指定有形文化財になる北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  143. 1972年7月豊富町日曹炭鉱が閉山する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  144. 1973年浜頓別町町自然保護協会が白鳥の保護を始める浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  145. 1973年利尻富士町鬼脇に郷土資料館ができる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  146. 1973年利尻町国民宿舎「りしり」が開業する利尻町 利尻町年表(保存版)
  147. 1973年4月1日中頓別町南宗谷消防組合ができ、中頓別支署が置かれる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  148. 1974年9月20日稚内市利尻礼文サロベツ国立公園が指定される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」稚内市 統計書 年表環境省「利尻礼文サロベツ国立公園 概要・計画書」
  149. 1974年幌延町『幌延町史』が刊行される幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  150. 1974年幌延町利尻・礼文・サロベツ国立公園に指定される幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  151. 1974年利尻町利尻礼文サロベツ国立公園が指定される利尻町 利尻町年表(保存版)
  152. 1974年礼文町全国27番目の「利尻・礼文・サロベツ国立公園」に指定される礼文町 町の概要(町勢要覧)
  153. 1974年7月3日猿払村浜猿払に「電気通信ゆかりの地」の碑が建てられる猿払村「年表」
  154. 1974年8月利尻富士町札幌・稚内・利尻間に定期航空便が就航する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  155. 1974年9月豊富町利尻礼文サロベツ国立公園が指定される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  156. 1974年9月利尻富士町利尻・礼文・サロベツが全国27番目の国立公園に指定される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  157. 1975年稚内市国勢調査で市の人口が55,464人となり、これが最も多い値になる稚内市過疎地域持続的発展市町村計画(令和8〜12年度)
  158. 1975年猿払村国勢調査で村の人口が3,552人になる猿払村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  159. 1975年幌延町国勢調査で町の人口が4,565人になる幌延町『統計資料』平成22年度版「人口、世帯数の推移」
  160. 1975年浜頓別町興浜北線から蒸気機関車が姿を消す浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  161. 1975年中頓別町国勢調査の人口が4,537人となる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  162. 1975年枝幸町旧両町の人口が14,099人となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  163. 1975年利尻富士町国勢調査で人口が6,883人となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 人口の推移(国勢調査)
  164. 1975年礼文町国勢調査で人口が6,525人となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  165. 1975年礼文町香深港で1,000トン級フェリー用の岸壁の供用が始まる北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  166. 1975年浜頓別町栄和地区から続縄文時代の注口土器が出土する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  167. 1975年11月7日猿払村浜鬼志別の海岸に灯台が置かれる猿払村「年表」
  168. 1976年豊富町日本てん菜製糖の事業所が新設される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  169. 1976年利尻富士町栄町キャンプ場遺跡の発掘で旧石器時代の石器が見つかる利尻島郷土資料館解説シート「利尻島の遺跡」
  170. 1977年稚内市200海里の漁業専管水域が設けられ、北洋の沖合底引き漁業が縮む稚内市過疎地域持続的発展市町村計画(令和8〜12年度)
  171. 1977年幌延町雪印乳業幌延工場が増設され、粉乳とバターの製造能力が上がる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  172. 1977年枝幸町旧歌登町上徳志別の川底でデスモスチルスの全身骨格が見つかる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ デスモスチルス全身骨格」
  173. 1977年利尻町作詞家の時雨音羽に利尻町名誉町民の称号が贈られる利尻町 利尻町年表(保存版)
  174. 1977年6月利尻富士町利尻島自然休養林が開かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  175. 1978年稚内市開基百年記念塔・北方記念館・北方植物園ができる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  176. 1978年中頓別町ペーチャン川流域で水神宮碑が見つかる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 水神宮碑」
  177. 1978年礼文町本土との航空路が開かれる礼文町 過疎地域持続的発展市町村計画
  178. 1978年6月1日礼文町礼文空港の800m滑走路の供用が始まる北海道 礼文空港の概要
  179. 1979年利尻町チシマザクラ・エゾカンゾウ・ハイマツ・リシリコマドリを町のシンボルに定める利尻町 利尻町年表(保存版)
  180. 1979年3月29日利尻町オホーツク文化期の亦稚貝塚出土の遺物が北海道指定有形文化財になる北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  181. 1979年5月豊富町有明地区の国有林で火災が起きる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  182. 1979年10月26日利尻富士町南浜獅子神楽やリイシリ運上屋跡などが町の文化財に指定される利尻富士町「利尻富士町の指定文化財・埋蔵文化財」
  183. 1980年稚内市生誕200年を記念して、宗谷岬に間宮林蔵の立像が建てられる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」稚内市 統計書 年表
  184. 1980年稚内市稚内港北防波堤ドームの全面改築工事が終わる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  185. 1980年5月19日浜頓別町安別で林野火災が起き、123haが焼ける浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  186. 1980年6月19日猿払村「親を大切にする村」を宣言する猿払村「年表」
  187. 1981年幌延町町議会に原子力施設誘致調査特別委員会が置かれる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  188. 1981年利尻町沓形登山道の五合目に見返台園地が設けられる利尻町 利尻町年表(保存版)
  189. 1981年利尻町小樽と沓形の間に1,000トン級フェリーが就航する(平成5年12月に廃止)北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  190. 1981年5月30日浜頓別町異常低温で畜産センターの放牧牛18頭が凍死する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  191. 1981年10月29日枝幸町ポロナイポ遺跡の出土品が北海道の有形文化財になる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ ポロナイポ遺跡出土の遺物」北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  192. 1981年11月22日猿払村ホタテ漁業造成事業10周年の式典と「いさりの碑」の除幕式が行われる猿払村「年表」
  193. 1982年幌延町幌延地区の小学校5校と中学校2校が閉校し、幌延小学校と幌延中学校にまとまる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  194. 1982年中頓別町中頓別町民憲章が定められる中頓別町「町の歴史」
  195. 1983年稚内市大韓航空機の事件が起き、市が遭難対策本部を置く稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  196. 1983年2月利尻富士町鴛泊港のフェリーターミナルが完成する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  197. 1983年3月利尻富士町統合により南浜・石崎・鰊泊の小学校が廃校となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  198. 1983年3月28日浜頓別町クッチャロ湖が国の鳥獣保護区になる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  199. 1983年8月豊富町天然ガスの採掘調査が行われる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  200. 1983年9月豊富町大韓航空機の事故で町に連絡本部が置かれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  201. 1983年9月10日猿払村大韓航空機撃墜事件で役場に対策本部が置かれる猿払村「年表」
  202. 1984年猿払村音威子府と南稚内の間の148.9キロで貨物の営業が廃止される猿払村「天北線鉄道沿革史」
  203. 1984年幌延町町議会が原子力関連施設の誘致を議決する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  204. 1984年稚内市宗谷300年祭が行われる稚内市 統計書 年表
  205. 1984年9月豊富町郷土資料室が開かれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  206. 1985年稚内市大韓航空機事故の祈念碑「祈りの塔」ができる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  207. 1985年幌延町動燃の幌延連絡所が開かれる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  208. 1985年浜頓別町国鉄興浜北線が廃止される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  209. 1985年中頓別町町の木アカエゾマツと町の花チシマザクラが決まる中頓別町「町の歴史」
  210. 1985年利尻町利尻島国保中央病院が完成する利尻町 利尻町年表(保存版)
  211. 1985年1月利尻富士町流氷が町の全域に接岸する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  212. 1985年4月9日猿払村村内の中学校を1校にまとめた拓心中学校が開校する猿払村「年表」
  213. 1985年7月利尻富士町甘露泉水が全国名水百選に選ばれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  214. 1985年7月1日枝幸町興浜北線(浜頓別〜北見枝幸)が廃止されるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  215. 1985年9月17日枝幸町美幸線が廃止され、北見枝幸までの区間は未成のまま終わるオホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』6「消えた鉄道を追え!」
  216. 1986年猿払村第1回の天北線対策協議会が開かれ、存続の運動が始まる猿払村「天北線鉄道沿革史」
  217. 1986年幌延町動燃が開進地区で深層ボーリングを始める幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  218. 1986年礼文町礼文町高山植物培養センターが開設される礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  219. 1986年3月豊富町『豊富町史』が刊行される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  220. 1986年4月利尻富士町利尻島自然休養林が森林浴の森日本百選に選ばれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  221. 1987年稚内市稚内空港がジェット化し、東京・千歳とジェット機で結ばれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  222. 1987年浜頓別町ウソタンナイ砂金採掘公園のゴールドハウスが開く浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  223. 1987年利尻町利尻町役場の新庁舎が完成する利尻町 利尻町年表(保存版)
  224. 1987年3月幌延町羽幌線が廃止される幌延町議会「議会の概要」
  225. 1987年10月中頓別町道道豊富中頓別線の幌延・中頓別間が完成する中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  226. 1988年3月中頓別町森永乳業が町内の生産部門を閉じる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  227. 1989年稚内市67年間走った天北線が廃止される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  228. 1989年稚内市1985年に東浦海岸で見つかったクビナガリュウの化石が日本最古と鑑定される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  229. 1989年幌延町トナカイファームができ、フィンランドから買ったトナカイ10頭の飼育が始まる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  230. 1989年浜頓別町JR天北線が廃止される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  231. 1989年利尻富士町鴛泊港に3,000トン級のフェリーが就航する北海道開発局 各みなとの紹介 鴛泊港
  232. 1989年礼文町香深港のフェリーターミナルの供用が始まり、3,000トン級フェリーが就航する北海道開発局 各みなとの紹介 香深港

平成と令和162行

  1. 1989年4月中頓別町JR天北線が4月末で廃止される中頓別町 過疎地域持続的発展市町村計画
  2. 1989年4月中頓別町敏音知地区に町で初めての温泉施設ができる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  3. 1989年4月30日猿払村大正11年開通の天北線が廃止される猿払村「年表」
  4. 1989年5月1日猿払村天北線の代わりに宗谷バスによる輸送が始まる猿払村「天北線鉄道沿革史」
  5. 1989年7月6日浜頓別町クッチャロ湖がラムサール条約湿地に登録される環境省「ラムサール条約湿地 クッチャロ湖」
  6. 1990年中頓別町国勢調査の人口が3,056人となる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  7. 1990年枝幸町旧両町の人口が11,819人となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  8. 1990年利尻富士町国勢調査で人口が5,110人となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 人口の推移(国勢調査)
  9. 1990年礼文町国勢調査で人口が5,121人となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  10. 1990年9月30日利尻富士町開基110年を機に、町名を東利尻町から利尻富士町に改める利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  11. 1991年浜頓別町ウソタンナイ砂金遺跡が町の文化財になる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  12. 1991年利尻町町の火葬場「利尻聖苑」の火入れ式が行われる利尻町 利尻町年表(保存版)
  13. 1991年7月豊富町自転車健康都市を宣言する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  14. 1991年7月1日浜頓別町ウソタン砂金地の金山神社の石碑が町の史跡になる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 金山神社の石碑」
  15. 1992年稚内市声問川大曲遺跡の発掘調査が始まる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」稚内市 統計書 年表
  16. 1992年浜頓別町町の開基を明治11年(1878年)と決める浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  17. 1992年浜頓別町第1回全日本砂金掘大会が開かれる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  18. 1992年利尻町沓形港に3,000トン級フェリーが就航する北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  19. 1992年礼文町船泊港へのフェリーの就航が休止される北海道開発局 各みなとの紹介 香深港(船泊分港)
  20. 1992年1月豊富町豊富温泉が国民保養温泉地に指定される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  21. 1992年6月26日猿払村乳肉加工施設「牛乳と肉の館」ができ、乳製品の製造が始まる猿払村「年表」
  22. 1993年利尻町小樽と利尻・礼文を結ぶ小樽利礼航路が閉じられる利尻町 利尻町年表(保存版)
  23. 1993年礼文町レブンアツモリソウが国内希少野生動植物種に指定される文化遺産オンライン「レブンアツモリソウ群生地」
  24. 1993年4月利尻富士町利尻空港の滑走路を延ばす拡張工事が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  25. 1993年7月利尻富士町北海道南西沖地震で大津波警報が出され、町が警戒体制をとる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  26. 1994年利尻町町の特別養護老人ホーム「ほのぼの荘」が開設される利尻町 利尻町年表(保存版)
  27. 1994年利尻町大型クルーズ船「飛鳥」が沓形港に寄港する北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  28. 1994年礼文町レブンアツモリソウが種の保存法の特定第一種国内希少野生動植物種に指定される礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  29. 1994年浜頓別町ポン仁達内遺跡出土の旧石器時代の石刃核が町の有形文化財に指定される浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  30. 1994年6月3日礼文町レブンアツモリソウ群生地が北海道指定天然記念物になる北海道教育委員会『令和6年度 北海道文化財年報』
  31. 1994年10月利尻富士町北海道東方沖地震で町に津波対策本部が置かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  32. 1994年10月16日猿払村猿払と浜頓別の間の自転車道路21.3キロが開通する猿払村「年表」
  33. 1995年稚内市稚内港とサハリンのコルサコフ(旧大泊)を結ぶ定期航路が始まる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  34. 1995年幌延町町営トナカイ観光牧場が上山牧場の跡に開業する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  35. 1995年浜頓別町浜頓別町史が完成し、水鳥観察館が開館する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  36. 1995年利尻町町の総合体育館「夢交流館」が開館する利尻町 利尻町年表(保存版)
  37. 1995年4月中頓別町道道豊富中頓別線が豊富まで通じ、日本海側との距離が縮まる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  38. 1996年利尻町会津藩士の顕彰碑の除幕式が行われる利尻町 利尻町年表(保存版)
  39. 1996年5月礼文町船泊病院でドクターカーの運行が始まる礼文町国民健康保険船泊診療所 沿革
  40. 1996年6月礼文町環境庁と農林水産省がレブンアツモリソウ保護増殖事業計画を定める礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  41. 1996年10月利尻富士町ラナルド・マクドナルドの記念碑が建てられ、除幕式が開かれる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  42. 1997年利尻町定住を促す団地「あけぼのニュータウン」の事業が始まる利尻町 利尻町年表(保存版)
  43. 1998年豊富町天然ガスの深い試掘(R-11号井)が行われる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  44. 1998年幌延町核燃料サイクル開発機構が深地層研究所の計画を町と道に申し入れる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  45. 1998年礼文町縄文時代後期の船泊遺跡が発掘され、竪穴住居跡8軒などが調べられる文化遺産オンライン「北海道船泊遺跡出土品」
  46. 1998年5月利尻富士町温泉の掘削に成功し、利尻富士温泉保養施設が完成する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  47. 1998年6月15日猿払村道の駅「さるふつ公園」が開業する猿払村「年表」
  48. 1998年10月1日猿払村さるふつ温泉が開業する猿払村「年表」
  49. 1999年稚内市旧宗谷村の泊岸遺跡からほぼ完全な形の人骨が発掘される稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  50. 1999年6月利尻富士町利尻空港のジェット化で、利尻と千歳を結ぶ便が運航される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  51. 2000年稚内市稚内北星学園大学が4年制大学として始まる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  52. 2000年豊富町国勢調査で町の人口が5,220人になる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)年齢別人口
  53. 2000年幌延町町議会が深地層の研究の推進に関する条例を可決する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  54. 2000年幌延町北海道・幌延町・核燃料サイクル開発機構が深地層の研究に関する協定を結ぶ幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  55. 2000年幌延町宗谷本線で特急「宗谷」の運行が始まる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  56. 2000年2月15日中頓別町小頓別の旧丹波屋旅館和館・洋館が国の登録有形文化財になる文化遺産オンライン「旧丹波屋旅館和館」
  57. 2000年6月27日枝幸町オホーツク文化期の目梨泊遺跡出土品が重要文化財に指定される文化遺産オンライン「北海道目梨泊遺跡出土品」
  58. 2001年幌延町核燃料サイクル開発機構の幌延深地層研究センターが開所する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」幌延町『統計資料』平成31年度版(町のあゆみ)
  59. 2001年浜頓別町市民風力発電所の浜頓別1号基が建てられる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  60. 2001年利尻町北海道の離島で初めての風力発電「利尻カムイ発電所」が運転を始める利尻町 利尻町年表(保存版)
  61. 2001年2月5日猿払村字名の改正で、新しい行政区域の名前が使われ始める猿払村「年表」
  62. 2001年10月22日稚内市稚内港北防波堤ドームが北海道遺産に選ばれる宗谷総合振興局「北海道遺産」
  63. 2002年利尻町公共下水道の沓形浄化センターに通水する利尻町 利尻町年表(保存版)
  64. 2002年礼文町観光客の入り込み数がこの年に最も多くなり、その後は減り続ける礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  65. 2002年4月中頓別町幼稚園と保育所の機能をまとめたこどもセンターが開設される中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  66. 2002年10月礼文町礼文町国民健康保険船泊診療所の新しい建物が完成する礼文町国民健康保険船泊診療所 沿革
  67. 2002年11月利尻富士町鴛泊字雄忠志内でベリーズ船籍のロシア船チョウン号が座礁する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  68. 2003年稚内市北防波堤ドームが土木学会選奨土木遺産に選ばれる稚内開発建設部「重要港湾 稚内港」沿革
  69. 2003年幌延町28基のオトンルイ風力発電所が動き始める幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  70. 2003年利尻町利尻山がCランクの活火山に指定される利尻町 利尻町年表(保存版)
  71. 2003年利尻町利尻と千歳の便が通年運行となり、稚内と利尻・礼文の間の便は休止する利尻町 利尻町年表(保存版)
  72. 2003年4月1日礼文町礼文空港の定期便が運休となる北海道 礼文空港の概要
  73. 2003年10月利尻富士町利尻町と利尻富士町の任意合併協議会がつくられる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  74. 2004年利尻富士町任意合併協議会に礼文町が加わる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  75. 2004年10月22日稚内市宗谷丘陵の周氷河地形が北海道遺産に認定される稚内市 統計書 年表宗谷総合振興局「北海道遺産」
  76. 2004年9月利尻富士町利尻町・利尻富士町の任意合併協議会が解散する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  77. 2004年9月8日利尻町台風18号で避難勧告が出され、仙法志字御崎で漁民1人が高波にさらわれ亡くなる利尻町 利尻町年表(保存版)
  78. 2004年11月豊富町豊富バイパスの供用が始まる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  79. 2005年稚内市57基の風力発電所「宗谷岬ウィンドファーム」が動き始める稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  80. 2005年幌延町サロベツ湿原がラムサール条約湿地に登録される幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  81. 2005年幌延町幌延深地層研究センターの地下施設の掘削工事が始まる幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  82. 2005年中頓別町国勢調査の人口が2,289人となる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  83. 2005年枝幸町旧両町の人口が1万人を下回り9,815人となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  84. 2005年礼文町国勢調査で人口が3,410人となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  85. 2005年礼文町船泊港が香深港と統合され、香深港の船泊分港となる北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  86. 2005年幌延町道立埋蔵文化財センターが幌延町・豊富町の音類竪穴群を調査する(2009年まで)北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
  87. 2005年4月3日利尻町利尻ふれあい温泉が開湯する利尻町 利尻町年表(保存版)
  88. 2005年11月8日豊富町豊富町と幌延町にまたがるサロベツ原野がラムサール条約湿地に登録される環境省「日本の条約湿地」環境省 ラムサール条約湿地「サロベツ原野」
  89. 2006年稚内市千島沖地震で津波警報が出され、799名が避難する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  90. 2006年幌延町幌延深地層研究センターの研究管理棟と試験棟が北進地区にでき、移転する幌延町『統計資料』平成22年度版「町のあゆみ」
  91. 2006年3月20日枝幸町枝幸町と歌登町が合併し、新しい枝幸町となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画枝幸町 公共施設等総合管理計画(町の歴史)
  92. 2006年3月20日枝幸町合併で生まれた枝幸町は人口約9,800人、面積約1,100㎢広報えさし 2006年No.1
  93. 2006年8月19日猿払村浅茅野飛行場の犠牲者の遺骨の発掘が行われる(8月25日まで)猿払村「年表」
  94. 2006年10月15日猿払村オホーツク海沿岸に津波警報が出され、村の海岸地区に避難指示が出る猿払村「年表」
  95. 2007年利尻富士町鬼脇港が鴛泊港と統合され、鴛泊港の鬼脇港区となる北海道開発局 各みなとの紹介 鴛泊港
  96. 2007年1月13日猿払村太平洋・オホーツク海沿岸に津波警報が出され、海岸地区に避難勧告が出る猿払村「年表」
  97. 2008年浜頓別町クッチャロ湖でタンチョウの繁殖が確かめられる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  98. 2008年利尻富士町沼浦の海岸に無国籍船デルベント号が座礁する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  99. 2008年1月利尻富士町島内の4漁協が統合し、利尻漁業協同組合が発足する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  100. 2008年7月稚内市会津藩北方警備200周年を記念し、会津若松市などとゆかりの地交流都市の共同宣言をする稚内市「会津若松市との交流」
  101. 2009年稚内市間宮海峡発見200年の記念事業が行われる稚内市 統計書 年表
  102. 2009年4月1日豊富町豊富アイヌ協会が設立される豊富町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
  103. 2009年4月9日礼文町礼文空港の供用が休止される北海道 礼文空港の概要
  104. 2010年浜頓別町神威岬が国の名勝になる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  105. 2010年2月22日枝幸町神威岬が「名勝ピリカノカ」の一つとして国の名勝になる稚内開発建設部「宗谷遺産アーカイブズ 神威岬」北海道教育委員会『平成23年度 北海道文化財年報』
  106. 2010年2月利尻富士町稚内・鬼脇・天塩を結ぶ航路が試験運航される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  107. 2010年4月1日幌延町留萌振興局から宗谷総合振興局の管内に移る幌延町 過疎地域持続的発展市町村計画
  108. 2011年稚内市稚内港が日本海側拠点港に選ばれる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  109. 2011年利尻町沓形港の耐震強化岸壁の供用が始まる北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  110. 2011年礼文町香深港が「みなとオアシスれぶん」に登録される北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  111. 2011年3月中頓別町中頓別町自治基本条例が制定される中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  112. 2011年4月豊富町サロベツ湿原センターが開館する豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  113. 2011年4月枝幸町枝幸町情報通信センターが開局する枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  114. 2011年4月枝幸町病院の再編で国保歌登病院が診療所になる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  115. 2011年4月利尻富士町町内に光ブロードバンド網が整い、情報通信基盤施設の運用が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  116. 2012年3月利尻富士町本泊小学校が閉校する利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  117. 2012年3月礼文町礼文町生物多様性地域戦略がつくられる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  118. 2013年1月26日浜頓別町暴風雪で国道・道道・町道が通れなくなる(27日まで)浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  119. 2013年6月19日礼文町船泊遺跡の出土品が「北海道船泊遺跡出土品」として国の重要文化財に指定される礼文町教育委員会 重要文化財修理事業文化遺産オンライン「北海道船泊遺跡出土品」
  120. 2013年6月21日稚内市旧瀬戸邸が国の登録有形文化財になる稚内開発建設部 宗谷遺産アーカイブ「旧瀬戸邸」文化遺産オンライン「旧瀬戸家住宅主屋」
  121. 2014年枝幸町町内の火災で5人が亡くなる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  122. 2014年礼文町国の補助事業で、重要文化財の船泊遺跡出土品の修理が始まる礼文町教育委員会 重要文化財修理事業
  123. 2014年礼文町元地と香深を結ぶ旧道の山稜付近で、元地側の斜面に大規模な崖崩れが起きる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  124. 2014年礼文町香深港で礼文島初の耐震強化岸壁の供用が始まる北海道開発局 各みなとの紹介 香深港
  125. 2014年1月利尻富士町鴛泊港が「みなとオアシスりしりとう・おしどまり」に登録される利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  126. 2014年3月利尻富士町鴛泊港の新しいフェリーターミナル「海の駅おしどまり」の供用が始まる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  127. 2014年8月22日利尻富士町8月22日からの大雨で避難勧告が出され、土木・水産・林業に被害が出る利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  128. 2015年稚内市国勢調査で市の人口が36,380人になる稚内市過疎地域持続的発展市町村計画(令和8〜12年度)
  129. 2015年猿払村国勢調査で村の人口が2,684人になる猿払村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  130. 2015年幌延町国勢調査で町の人口が2,447人に減る幌延町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  131. 2015年中頓別町国勢調査の人口が1,757人となる中頓別町過疎地域持続的発展市町村計画
  132. 2015年利尻富士町国勢調査で人口が2,787人となる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 人口の推移(国勢調査)
  133. 2015年礼文町国勢調査で人口が2,773人となる礼文町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  134. 2015年11月豊富町豊富温泉が「日本の名湯百選」に認定される豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  135. 2016年稚内市大雨の災害で市内各所に被害が出て、250名が避難する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  136. 2016年礼文町道道元地香深線の新桃岩トンネルの供用が始まる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  137. 2016年9月14日利尻富士町9月14日からの大雨で避難勧告が出され、住宅被害や土砂災害が起きる利尻富士町 町勢要覧資料編(2016) 町のあゆみ
  138. 2017年浜頓別町ブタウス遺跡の発掘調査が終わる浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  139. 2017年5月枝幸町枝幸港が国から農水産物輸出促進計画の認定を受ける枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  140. 2017年8月利尻町沓形港が「みなとオアシスりしりとう・くつがた」に登録される北海道開発局 各みなとの紹介 沓形港
  141. 2018年稚内市稚内市樺太記念館が開館する稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  142. 2018年利尻富士町「利尻島の漁業遺産群と生活文化」が北海道遺産に選ばれる利尻富士町「利尻富士町の歴史」
  143. 2018年4月豊富町町の国保病院が診療所に移る豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  144. 2018年4月1日礼文町島の保護林が再編され、礼文島生物群集保護林にまとめられる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  145. 2018年4月3日礼文町嚴島神社絵馬(明治〜大正)が礼文町の有形民俗文化財に指定される文化遺産オンライン「嚴島神社絵馬」
  146. 2019年稚内市66年ぶりにニシンの群来が確かめられる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  147. 2019年猿払村ほたて貝の漁場造成で、漁業の水揚げが49,909トン、7,652百万円になる猿払村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
  148. 2019年浜頓別町町交流館「道の駅北オホーツクはまとんべつ」が開業する浜頓別町「浜頓別町の歴史」
  149. 2019年11月1日中頓別町開拓110年・町制施行70年を迎える中頓別町勢要覧(令和5年度)本編
  150. 2020年稚内市国勢調査で市の人口が33,563人になる稚内市過疎地域持続的発展市町村計画(令和8〜12年度)
  151. 2020年豊富町国勢調査で町の人口が3,974人になる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)年齢別人口
  152. 2020年枝幸町国勢調査の人口が7,565人となる枝幸町過疎地域持続的発展市町村計画
  153. 2020年1月28日幌延町日本原子力研究開発機構が令和2年度以降の幌延深地層研究計画を決める日本原子力研究開発機構「令和2年度以降の幌延深地層研究計画」
  154. 2021年稚内市市街地で最高気温32.7℃を記録し、初めて32℃台になる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  155. 2021年7月2日豊富町豊富町アイヌ施策推進地域計画が国の第7回の認定を受ける内閣府「第7回認定 認定アイヌ施策推進地域計画一覧」
  156. 2021年10月29日礼文町国立公園の公園計画の第二次点検で、礼文島の区域の一部が広げられる礼文町生物多様性地域戦略(令和4年改定)
  157. 2022年3月15日礼文町礼文島桃岩一帯の高山植物群落が国の天然記念物に指定される文化遺産オンライン「礼文島桃岩一帯の高山植物群落」
  158. 2023年1月1日猿払村猿払村が開村100周年を迎える猿払村「年表」
  159. 2023年8月豊富町使われていない天然ガスで水素の供給網をつくる計画について記者会見が開かれる豊富町 町勢要覧資料(令和5年版)沿革
  160. 2024年3月豊富町稚咲内生活館がアイヌ政策推進交付金を使って建て替えられる豊富町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
  161. 2025年稚内市稚内市役所の新庁舎ができる稚内市「稚内のあゆみ(歴史)」
  162. 2025年4月1日猿払村村の国民健康保険病院が有床診療所に変わる猿払村「年表」

資料によって異なる記述

資料によって異なる記述
出来事ある資料別の資料
宗谷場所の開設の年1685年(稚内市の統計書の年表・猿払村の年表)1687年(稚内市「稚内のあゆみ」)
樺太から移ったアイヌの人びとの人数108戸841名が宗谷へ(稚内市・アイヌ民族文化財団)108戸854人が宗谷を経て対雁へ(江別市の年表)
宗谷護国寺の建立の年1856年(稚内市の文化財の解説)1859年(同じ市の絵図の解説)
稚内・鴛泊・香深の三角航路の開設1936年4月(利尻富士町の町勢要覧)1935年(北海道開発局の香深港の紹介)
礼文空港の定期便の運休2003年4月1日(北海道の礼文空港の概要)2003年3月(礼文町の資料)

宗谷の歴史とあわせて読む画面

  • 上川の歴史 天塩川と宗谷本線でつながる南の上川。松浦武四郎が天塩川をさかのぼり、音威子府で天北線と分かれた土地
  • 留萌の歴史 天塩川と羽幌線でつながる南西の留萌。2010年まで幌延町が属し、ニシン漁でにぎわった日本海の海辺
  • 石狩の歴史 1876年に樺太のアイヌの人びとが宗谷から移された対雁(今の江別市)のある石狩
  • オホーツクの歴史 枝幸からオホーツク海の岸を南へ続く東南の地域。オホーツク文化の遺跡が並ぶ土地
  • 北海道のアイヌの博物館 道北の資料館
  • 年表 北海道の出来事を、本州と琉球の出来事と重ねて読める
  • 北海道の地域の歴史 ほかの地域を選ぶ

出典

  1. 稚内市 稚内のあゆみ(歴史)
  2. 稚内市 統計書 年表
  3. 猿払村 年表
  4. 浜頓別町 浜頓別町の歴史
  5. 中頓別町 町の歴史
  6. 豊富町 町勢要覧資料
  7. 幌延町 統計資料 町のあゆみ
  8. 利尻富士町 町勢要覧資料編
  9. 利尻町 利尻町年表(Internet Archive の保存版)
  10. 礼文町 礼文町の概要
  11. 北海道開発局 稚内開発建設部 重要港湾 稚内港
  12. 宗谷総合振興局 北海道遺産
  13. 北海道立文書館 松本十郎文書
  14. 各市町村の過疎地域持続的発展計画・総合計画・町勢要覧・広報 枝幸町・浜頓別町・中頓別町・猿払村・礼文町など。年表の行ごとにリンクがあります
  15. オホーツクミュージアムえさし『枝幸研究』
  16. 内閣府 アイヌ施策推進地域計画(豊富町)
  17. 環境省 日本の条約湿地
  18. 文化庁 文化遺産オンライン
  19. 北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年) 10市町村と宗谷・声問・抜海・ノシャップ・頓別・クッチャロ・歌登・鬼志別・鴛泊・沓形・香深・サロベツ・兜沼の名の由来。ページ番号は市町村の欄に書いています
  20. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(米軍撮影の空中写真)
  21. 国土地理院 地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(現在の写真)
  22. 国立国会図書館デジタルコレクション
  23. 年表の行ごとの出典 通しの年表の各行の下に、出典のリンクがあります
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