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個人がまとめた案内です(町の公式サイトではありません)

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秋の十勝の川と黄葉したヤナギ

アイヌ文化を知る

幕別と十勝のアイヌ文化を知る

チロットが建つ千住には、チロットコタンという大きなコタン(集落)がありました。展示を見る前に知っておくと、見えるものが増えます。町と国の機関が公開している資料をもとにまとめました。

写真はイメージです
夜明けの沼
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チロットコタンという大きなコタン

蝦夷文化考古館のある千住の一帯には、チロットコタンがありました。町の資料は、大きくて豊かなコタンだったと書いています。

1855年(安政2年)の調査では、7戸の家がありました。『幕別町百年史』によると、コタンの家系は5つあり、屈足、網走、音更の奥、釧路などから来た男性が、幕別の女性と家を構えたことから始まりました。

アイヌの家には、イトッパという家のしるしがありました。酒を捧げるへら(イクパスイ)などに、小刀で彫りました。考古館に残る文書から、昭和の初めまでのチロットコタンの家系としるしが分かっています。

出典: 幕別町「郷土文化ものがたり Part2」

木を削る手
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吉田菊太郎さんと蝦夷文化考古館

吉田菊太郎さんは、1896年に幕別村の白人(今の千住)で生まれました。アイヌ名はアリトムテです。村会議員と町議会議員を務め、1946年には十勝アイヌ協会を作って会長になりました。

晩年、アイヌの民具や着物が身近なところから消えていくことに心を痛めました。先祖が残した品々を集めて、長く守ろうと決めました。

建物を建てるお金を作るために、1958年に『アイヌ文化史』という本を出しました。各地で講演をして、寄付を集めました。総工費は200万円で、そのうち町の助成は20万円でした。残りは、市町村や団体や個人からの寄付です。

1959年11月に建物ができ、12月6日に落成の式をしました。広さは124.44㎡です。菊太郎さんは、展示室を「宝物堂」と呼びました。

出典: 幕別町「郷土文化ものがたり Part1」「蝦夷文化考古館」

考古館に集められた資料

全体
民具と文書を合わせて1,700点以上
儀式の道具
イナウ(木幣)、漆器、イナウル(礼冠)、パスイ(酒を捧げるへら)
衣服
アットゥㇱ(樹皮の糸で織った衣)、チカㇻカㇻイミ(刺しゅうの衣)
暮らしの道具
丸木舟、マレㇰ(鉤のついた銛)、ルサ(草の皿)、サラニㇷ゚(編み袋)
図書・文書・写真
図書231点、文書605点、写真626枚

多くが地元で集められたものと言われています。資料はいま、展示館ウチャㇱクマで保管し、展示しています。出典: 幕別町「蝦夷文化考古館」、幕別町アイヌ施策推進地域計画

広い川と川原

川は道であり、鮭はカムイの魚でした

1858年の調査では、十勝に78のコタン、284戸、1,336人が暮らしていました。コタンの多くは、川の近くの少し高い場所にありました。

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鮭と野菜の汁物
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川と鮭の暮らし

内陸に住む人たちにとって、川は水を飲み、魚をとる大切な場所でした。舟で行き来する道でもありました。

秋に上ってくる鮭は、カムイチェㇷ゚(カムイの魚)と呼ばれました。鮭やマスは、マレㇰという鉤のついた銛でとりました。鮭はとり尽くさず、上流の人の分や、鮭を食べる動物の分を残したと伝えられています。

1883年(明治16年)、十勝川を上る鮭の漁が禁じられました。秋の鮭を1年の食べものにしていた人々は、飢えに苦しみました。

出典: 国土交通省 帯広開発建設部「時をこえて十勝の川を旅しよう 第3章 十勝のアイヌ文化と川」

炉で燃える火
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カムイと祈り

動物や植物、火や水、暮らしの道具など、人に恵みをくれるものや、人の力が及ばないものを、アイヌの人々はカムイとして敬いました。カムイは「神」と訳されることが多い言葉ですが、まったく同じ意味ではありません。

カムイへの祈りを、カムイノミと言います。祈るときには、木を削って作ったイナウを捧げます。イナウは、カムイに言葉を届けるための祭具です。

新しい鮭を迎える祈りはアシㇼチェㇷ゚ノミ、先祖を供養する儀式はイチャルパと言います。

チロットの完成の式では、新しい家の祈り(アシリチセノミ)と、火のカムイへの祈り(アペフチカムイノミ)が行われました。生活館の伝承室には炉があり、こうした儀式を行えます。

出典: アイヌ民族文化財団「アイヌ民族:歴史と現在」、帯広開発建設部(同上)、十勝毎日新聞(2026年10月1日)

紺色の布に針を通す手
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刺しゅう、木彫り、織物

晴れ着には、刺しゅうや布の貼り付けで文様を入れます。文様は、祖母から母へ、母から娘へと受け継がれてきました。男性が彫る小刀(マキリ)の鞘や盆(イタ)の文様も、男性の間で代々伝えられました。

アットゥㇱは、オヒョウなどの木の皮から作った糸で織る布です。幕末の十勝の産物でした。作る技術は途絶えていましたが、幕別の保存会が復興に取り組んでいます。

生活館の研修室では、刺しゅうや木彫りなどの工芸品を作れます。

出典: 幕別町「郷土文化ものがたり Part2」、幕別町アイヌ施策推進地域計画

夕暮れの川
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ムックㇽとウポポ

ムックㇽ(ムックリ)は、口もとで鳴らす口琴です。口の中で音を響かせ、口の形や息で音色を変えます。竹で作ったものをよく見かけます。

ウポポは歌、リㇺセは踊りです。暮らしの中や儀式のときに演じられ、伝えられてきました。

安東ウメ子さん(1932年〜2004年)は、ムックㇽとウポポの名手でした。帯広で生まれ育ち、結婚をきっかけに幕別に移りました。安東家に伝わる民具68点を、幕別町ふるさと館に寄贈しています。アルバムに『イフンケ』(2001年)と『ウポポ サンケ』(2003年)があります。

出典: 幕別町「企画展の開催について」「郷土文化ものがたり Part2」、OKI 公式プロフィール

企画展 安東ウメ子 を見る

十勝の星空
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口で伝えた物語

アイヌの物語は、すべて口で伝えられました。十勝では、英雄の物語をサコㇿペ、神々の物語をオイナ、昔話をトゥイタㇰと呼びます。サコㇿペとオイナは、節をつけて歌うように語ります。

展示館の名前「ウチャㇱクマ」は、言い伝えという意味です。

出典: 帯広開発建設部「時をこえて十勝の川を旅しよう 第3章」

歴史の流れ

  1. 1858年松浦武四郎の調査。十勝に78のコタン、1,336人
  2. 明治時代同化政策が進む。風習や鮭の漁が禁じられ、学校ではアイヌ語が教えられなかった
  3. 1899年北海道旧土人保護法ができる(1997年に廃止)
  4. 1959年吉田菊太郎さんが蝦夷文化考古館を建てる
  5. 1963年千住生活館ができる。伝承の行事や民族衣装づくりの場になった
  6. 1997年アイヌ文化振興法ができる
  7. 2019年アイヌを先住民族と初めて定めた法律ができる
  8. 2022年3月幕別町アイヌ施策推進地域計画が国に認定される
  9. 2026年10月チロットが開館する

出典: ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」、幕別町アイヌ施策推進地域計画、幕別町の基本計画(案)

アイヌ語から生まれた幕別の地名

今の名前アイヌ語意味
幕別(まくべつ)マクンペッ後ろにある川
途別(とべつ)川トゥペッ(トペッ)沼の川。2つの川という説もある
猿別(さるべつ)川サㇻペッアシの川
札内(さつない)川サッナイ乾く川
止若(やむわっか)ヤㇺワッカピラ冷たい水の崖
稲志別(いなしべつ)イナウウㇱペッイナウがたくさんある川
忠類(ちゅうるい)チウルイトープイ流れが激しい当縁川

出典: 幕別町「アイヌ語に由来する幕別町の地名」。町はこの画面で20の地名を紹介しています。

訪ねるときに心がけること

  • 写真を撮ってよいかどうかは、まず受付で確かめます。儀式や実演は、行う団体ごとに決まりが違います。
  • 祭具や祭壇は、飾りではなく祈りの道具です。手を触れません。
  • 人を撮るときは、本人の了解をもらいます。
  • 「アイヌ」は、アイヌ語で「人間」という意味の言葉です。敬意をもって使います。

チロットの撮影の決まりは、町のサイトには書かれていません。ここには、ウポポイと札幌市アイヌ文化交流センターが案内している内容をもとに書きました。

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