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北海道の地域の歴史 日高

日高の歴史

日高は、日高山脈と太平洋のあいだに、川ごとにアイヌの人びとのコタンがあった土地です。1669年のシャクシャインの戦いの舞台であり、明治には移住の団体と大きな牧場が入り、いまは馬と昆布と、二風谷のアイヌ文化で知られます。この画面は、年表400行、7町の歩み、古写真と当時の暮らしのイメージの絵を、時代の順にまとめたものです。

対象 日高出典 14 件この画面の更新 2026年10月29日

昔と今をくらべるこの画面の空中写真 10 点は、写真の下の切り替えで、同じ範囲を写した現在の写真に替えられます。「なぞって比べる」を選ぶと、写真の上を左右になぞるたびに、昔と今の境目が動きます。

高台から見下ろした1934年ごろの浦河の家並みと、海に延びる防波堤
浦河の家並みと港。『浦河港大観』(浦河漁業組合・1934年)の口絵。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)

日高の歴史を一言でいうと 川ごとのコタンと、馬と、二風谷の土地

日高の歴史は、沙流川・新冠川・静内川・元浦川など、山から海へ下る川ごとの歴史です。川筋にはアイヌの人びとのコタン(集落)があり、1807年の記録では新冠川と厚別川ぞいに339人が暮らしていました。

1669年、シベチャリ(いまの新ひだか町静内)の首長シャクシャインの呼びかけで、アイヌの人びとが松前藩と和人に対して立ち上がりました。シャクシャインは新冠のピポクで、和睦の席で殺されました。

1799年、幕府は東蝦夷地を直轄にして会所と道を置き、明治になると彦根藩と稲田家の移住、新冠の大きな牧場、浦河の赤心社が入ります。牧場の整備のために、新冠のアイヌの人びとは1877年と1916年に奥地へ、さらに平取へと強制的に移住させられました。

戦後の日高は、馬の産地となり、二風谷では萱野茂らがアイヌ文化を伝える活動を続けました。1997年3月27日、札幌地方裁判所は二風谷ダムの裁判の判決で、アイヌの人びとを先住民族と認めました。

縄文時代

日高の先史 海岸の段丘に残る縄文の墓と土器

海を見下ろす段丘に竪穴住居が並び、遠くに山なみが続く墨の絵
海岸の段丘の集落のイメージ(絵)

日高の海岸の段丘には、縄文時代の人びとの暮らしの跡が残ります。1952年、静内(いまの新ひだか町)で縄文時代後期から晩期の静内御殿山墳墓群が見つかり、出土した御殿山式土器などは1968年に北海道の有形文化財になりました。

三石のショップ遺跡は1961年と1987年に本格的に発掘され、縄文時代前期の住まいの跡などが出ています。新冠の大狩部遺跡では、1959年から1960年の調査で15基の墓の穴が見つかりました。

17世紀〜1868年

シャクシャインの戦いと、場所・会所の時代

川の河口と海を見下ろす、草におおわれた平らな頂の高台の墨の絵
川と海を見下ろす高台のイメージ(絵)
沙流川のほとりの崖の上から川と丘を見渡した木版の挿絵
「ハヨ平 義経社の図」(いまの平取町)。松浦武四郎『東蝦夷日誌』三編。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
岩の浜に石を載せた板屋根の倉が並び、昆布が干され、和船が浜に上がる墨の絵
場所の番屋と昆布干しのイメージ(絵)
海を見下ろす森の中の細い山道を、笠の旅人が歩く墨の絵
様似山道と猿留山道のイメージ(絵)

日高の川筋には、アイヌの人びとのコタンがありました。1807年の記録では、新冠川と厚別川ぞいのコタンに339人が暮らしていました。平取町の資料は、二風谷と沙流川流域には明治25年(1892年)ごろまでアイヌの人びとだけが住んでいた、と伝えています。

1648年ごろから、シベチャリ(いまの静内)の人たちとハエ(いまの日高町門別の波恵川流域)の人たちの間で、漁や狩りの場をめぐる争いが続きました。1653年にシベチャリの首長カモクタインが殺され、シャクシャインが首長になります。1668年、シャクシャインはハエの首長オニビシを殺しました。

1669年、ハエのウタフが松前藩に助けを断られた帰り道で亡くなり、アイヌの人びとには毒殺と伝わりました。シャクシャインの呼びかけで、6月から東は白糠、北は増毛のあたりまで、アイヌの人びとが立ち上がります。10月、シャクシャインは新冠のピポク(いまの判官館)で和睦の席に招かれ、松前藩の兵に殺されました。戦いは1671年の春に終わり、アイヌ民族はその後、松前藩の支配を強く受けるようになりました。

1786年ごろ、沙流場所請負人の阿部屋伝吉が富川に運上屋を開きました。1799年、幕府は北方の警備のために東蝦夷地を直轄にし、運上屋を会所に改めて役人を置きます。沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉に会所が置かれ、浦河には南部藩の300人が駐屯しました。冬島と幌満の間6,995メートルの様似山道と、猿留山道が開かれたのもこの年です。

1804年、幕府は様似の等澍院を蝦夷三官寺の一つとし、1806年に建てました。1821年に幕府は蝦夷地を松前藩に返し、1855年に再び直轄にします。1857年には元浦河に幕府の浦河牧場が開かれ、1868年に廃止されるまで馬は500頭あまりいました。

この時代の年表 54行を見る

1869年〜1912年

明治の日高 移住の団体と牧場、新冠のアイヌの人びとの強制移住

河口の浜に小舟で人びとが上陸し、沖に帆船が泊まる墨の絵
移住の団体の上陸のイメージ(絵)
なだらかな牧草地に馬の群れと木造の牧場の建物を描いた墨の絵
新冠の牧場のイメージ(絵)
岬の崖の上に立つ白い灯台と、沖へ延びる岩を描いた墨の絵
襟裳岬の灯台のイメージ(絵)

1869年、政府は彦根藩に佐瑠太(いまの日高町富川)の支配を命じ、1870年には稲田邦植に静内の支配を命じました。1871年、彦根藩の斎藤正寿を隊長とする141人が佐瑠太に、淡路の稲田家の主従546人が元静内に上陸します。

1872年、開拓使長官の黒田清隆が新冠に約7万ヘクタールの牧場を開きました。1873年の新冠には、泊津村・高江村などのコタンに97戸441人が暮らしていました。1877年、エドウィン・ダンが牧場を西洋式に整えるとき、アイヌの人びと約400人が奥地のアネサルへ強制的に移住させられました。牧場は1888年に新冠御料牧場となります。

浦河では1880年に鈴木清が赤心社を作り、1882年に第1次の移民団が西舎に入りました。三石では1876年、三代目小林重吉が日本で最初とされる海員学校を開いています。1882年に英国船メリータサム号が襟裳岬の沖で難破したことがきっかけとなり、1889年に襟裳岬灯台が点灯しました。

1897年に浦河支庁が置かれ、1901年に支庁長となった西忠義のもとで、1907年に日高種馬牧場が発足します。王子製紙の操業に先立って、1909年には沙流川の源流で原木の伐採が始まり、1911年には鵡川から佐瑠太まで12.9キロの軌道が延びました。

この時代の年表 100行を見る

1912年〜1926年

大正の日高 鉄道の始まりと、アネサルから平取への移住

浜に引き上げられた木造の漁船と、草ぶき屋根の番屋
佐瑠太(いまの富川)の漁場。『開道五十年記念北海道拓殖写真帖』(1918年)。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
帽子の男性が手綱を持ち、牝馬を横向きに立たせている
静内村で生まれた牝馬。添え書きは1914年の東京大正博覧会で一等賞としている。同じ写真帖(1918年)
広い土の道の両側に桜が咲き、遠くを馬車が行く墨の絵
二十間道路の桜のイメージ(絵)

1913年、苫小牧軽便鉄道が木材の輸送に加えて一般の運輸を始めました。1924年に日高拓殖鉄道の佐瑠太と厚賀の間が、1926年に厚賀と静内の間が開通し、日高に鉄道が入ってきます。

1916年、アネサルのアイヌの人びと80戸すべてが、平取町のヌキベツへ強制的に移住させられました。1877年に新冠の牧場から移された人びとが、さらに移されたことになります。

同じ1916年、新冠の牧場の二十間道路に山桜1,600本とドイツトウヒ32万本が植えられました。1919年には平取の仁世宇でクロームの大きな鉱脈が見つかり、1922年には様似で新しい国道と塩釜トンネルが開通しています。

1918年の写真帖は、佐瑠太の漁場と回漕店、静内の馬、三石の村役場と駅逓を兼ねた旅館を写しています。下の古写真の欄にあります。

この時代の年表 27行を見る

1926年〜1945年8月

昭和の戦前 日高本線の全通と、港と馬の町

高い所から見た馬市の会場。長い屋根の厩舎と柵の囲いが並ぶ
浦河の馬市。『浦河港大観』(1934年)。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
浜一面に広げた昆布の上で、人びとが昆布を干している
昆布の採取。『浦河港大観』(1934年)
海ぎわの崖の上の線路を、煙を上げて走る小さな汽車の墨の絵
海ぞいを走る汽車のイメージ(絵)
白い円筒形の襟裳岬灯台。上のバルコニーに3人が立つ
襟裳岬灯台。『浦河港大観』(1934年)

1927年、苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道は国に買われて国有鉄道になりました。1931年に富川と静内の間の線路の幅が広げられると、生産物の運びは海から鉄道へ移ります。鉄道は1933年に三石、1935年に浦河、1937年に様似まで延び、日高本線が全通しました。

1928年に浦河港が完成し、1934年には様似漁港と東静内漁港ができました。1934年の『浦河港大観』は、港の漁船、馬市、牧場、昆布の採取、襟裳岬灯台を写しています。1929年には、函館を出た豊国丸が襟裳岬の沖で沈み、78人が亡くなり、または行方不明になりました。

1932年、浦河支庁は日高支庁と名を改めました。同じ年、医師で人類学者のニール・ゴードン・マンローが二風谷に移り住み、自宅と診療所を建てています。1934年には黄金道路が開通し、えりもと十勝の広尾が海ぞいの道で結ばれました。1939年9月7日、アポイ岳の高山植物群落が国の天然記念物になります。

1941年、様似の三井軌道の機関車は国に買い取られ、軌道は軍に徴発されました。1943年、右左府村は日高村に名を改めます。

この時代の年表 37行を見る

1945年8月〜1988年

戦後の昭和 アイヌ協会の支部、えりもの緑化、二風谷の資料館

砂の舞う荒れた岬で、人びとが列になって草を植える墨の絵
えりも岬の緑化のイメージ(絵)
紅葉の森の谷を流れる広い川を描いた墨の絵
沙流川のイメージ(絵)
白い柵の牧草地で、母馬と子馬が草を食べ、奥に雪の山なみが見える墨の絵
日高の牧場のイメージ(絵)

1946年、北海道アイヌ協会の支部が日高の各地にできました。様似は2月、静内と浦河は3月13日、新冠と平取は3月です。1947年、新冠御料牧場は農林省に移り、新冠村の中の土地は開放されて入植が始まりました。

1952年3月29日、アポイ岳の高山植物群落は国の特別天然記念物になりました。1953年、「えりも砂漠」と呼ばれるほど荒れた襟裳岬の海岸で、国有林の治山事業による本格的な緑化が始まります。

萱野茂は1953年ごろから沙流川流域の生活用具を集め、1972年に萱野茂二風谷アイヌ資料館を開きました。同じ年、北海道ウタリ協会が主体となって二風谷アイヌ文化資料館も建てられています。1983年に平取アイヌ文化保存会、1987年に平取町二風谷アイヌ語教室ができました。

1965年に日勝峠が開通し、1970年に幌泉町は「えりも町」に名を改めました。静内真歌には1970年にシャクシャインの像が建ち、1978年にシャクシャイン記念館、1982年にアイヌ民俗資料館が設けられます。1982年3月21日の浦河沖地震では浦河で震度6、167人が負傷し、716棟の住まいが被害を受けました。

同じ1982年、二風谷ダムと平取ダムをつくる沙流川総合開発事業が始まり、1986年9月に二風谷ダムの本体工事が始まりました。新冠では、ハイセイコーが1975年に故郷へ戻って種牡馬になっています。

この時代の年表 103行を見る

1989年〜

平成と令和の日高 二風谷ダム判決、文化的景観、鉄道の廃止、国立公園

茶色の水が谷に広がり、壊れた木の橋と流木を描いた墨の絵
沙流川の洪水のイメージ(絵)
小石の浜に昆布を広げて干す人びとと小舟の墨の絵
昆布干しのイメージ(絵)

1992年、二風谷アイヌ文化資料館を発展させた町立の二風谷アイヌ文化博物館が開館しました。1994年、萱野茂が参議院議員になり、アイヌ民族で初めての国会議員になります。同じ年、ナリタブライアンが新冠で初めての三冠馬になりました。

1997年3月27日、札幌地方裁判所は二風谷ダムの裁判の判決で、アイヌの人びとを少数者にとどまらず先住民族と認めました。同じ年の12月2日、「シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡」が国の史跡になります。二風谷ダムは1998年4月に運用に移りました。

2002年2月12日、二風谷と周辺地域のアイヌの生活用具1,121点が国の重要有形民俗文化財に指定され、2007年7月26日、沙流川流域の文化的景観が国の重要文化的景観に選ばれました。2013年3月8日には、二風谷イタと二風谷アットゥㇱが北海道で初めて国の伝統的工芸品に指定されています。

2003年8月の台風10号で沙流川が大きな洪水になり、9月26日の十勝沖地震では新冠で震度6弱を記録しました。2006年には、日高町と門別町(3月1日)、静内町と三石町(3月31日)が合わさりました。

2015年1月、高波で日高本線の線路が被災して列車が止まり、鉄道は戻らないまま、2021年4月1日に鵡川と様似の間が廃止されました。2015年にはアポイ岳ジオパークがユネスコ世界ジオパークに、2018年2月13日には様似山道と猿留山道が国の史跡になりました。2024年6月25日、日高山脈襟裳十勝国立公園が国内35か所目の国立公園に指定され、2025年5月1日、静内真歌に新ひだか町アイヌ文化交流センターが開館しました。

この時代の年表 79行を見る

日高の7町 名の由来と、始まりと、歩み

日高には7つの町があります。名の由来は北海道『アイヌ語地名リスト』(2007年)の該当ページから、始まりと歩みは各町と日高振興局の公開資料から書いています。「年表で…を見る」を押すと、下の通しの年表がその町だけになります。

  • 日高町

    名の由来
    国名の日高から付けた和名。1943年に右左府村が日高村に改められた。国名の日高は松浦武四郎の建議による(アイヌ語地名リスト p.108)。またはアイヌ語のウサプ「互いに・流れ出る。旧村名の右左府のもとの語か(リスト p.108)」(萱野茂の説)。または門別はアイヌ語のモペッ「流れのゆるやかな川(リスト p.133)」(上原熊次郎の説)
    始まり
    1871年、彦根藩の斎藤正寿を隊長とする141人が佐瑠太(いまの富川)に移住する
    市町村の歩み
    1943年に右左府村が日高村に。2006年3月1日、旧日高町と旧門別町が合わさって今の日高町になる
    市町村史
    『日高町史』(1977年)、『新門別町史』上・中・下(1995〜1996年)、『日高町史 完結版』『新門別町史 補遺』(2023年)

    年表で日高町の57行を見る日高町 町史の発刊について

  • 平取町

    名の由来
    アイヌ語のピラウトゥル「崖・の間。沙流川の対岸の崖を分けて川が注ぐ所の名が、略されてピラトゥルになったとされる(リスト p.111)」(山田秀三の説)。または沙流はアイヌ語のサラ「ヨシ原(リスト p.54)」(上原熊次郎の説)
    始まり
    1899年、門別戸長役場から分かれ、平取外八ヶ村戸長役場が置かれる
    市町村の歩み
    1923年に二級町村制で平取村、1954年に町になる

    年表で平取町の69行を見る平取町 町の概要と歴史

  • 新冠町

    名の由来
    アイヌ語のニカプ「楡の木の皮(リスト p.93)」(松浦武四郎の説)。またはアイヌ語のピポク「岩の陰。もとの名で、1809年(文化6年)にニカプに改め新冠の字を当てた(町の町勢要覧)」(新冠町の説)
    始まり
    1872年、開拓使長官の黒田清隆が約7万ヘクタールに牧場を開く。1881年に高江村外10ヶ村の戸長役場が置かれ、町はこれを開町の年とする
    市町村の歩み
    1961年に町になる

    年表で新冠町の55行を見る新冠町 町の歴史

  • 新ひだか町

    名の由来
    静内はアイヌ語のシフチナイ「大・祖母・川(リスト p.59)」(上原熊次郎の説)。または静内はアイヌ語のスッナイ「麓・川(リスト p.59)」(『北海道駅名の起源』の説)。または三石はアイヌ語のイマニッウシイ「魚を焼く串がある所。伝説の大岩の名からとする(リスト p.127)」(永田方正の説)。新ひだか町は2006年の合併でできた名。静内と三石の由来はいずれも確定レベルC(諸説あり)
    始まり
    1871年、淡路の稲田家の主従546人が元静内に上陸する。三石では1876年、三代目小林重吉が海員学校を開く
    市町村の歩み
    2006年3月31日、静内町と三石町が合わさって新ひだか町になる

    年表で新ひだか町の61行を見る新ひだか町 町についてこのサイトの新ひだか町のアイヌ文化の画面

  • 浦河町

    名の由来
    アイヌ語のウララペッ「霧・川(リスト p.17)」(永田方正の説)。またはアイヌ語のウラカ「雲や靄の立ちのぼる所(リスト p.17)」(松浦武四郎の説)。もとは20キロほど西の元浦川の地名で、会所の移転とともに今の場所の名になった(確定レベルC)
    始まり
    1799年、浦河場所が幕府の直轄となり会所が今の浦河へ移る。1882年、民間の開拓団の赤心社の第1次移民団が西舎に入る

    年表で浦河町の44行を見る日高振興局 日高三街道沿いの歴史文化資源

  • 様似町

    名の由来
    アイヌ語のサマンイ「横になっている・もの(川)。川尻が海に向かって横に流れる姿か(リスト p.54)」(山田秀三の説)。またはアイヌ語のエサマンペッ「カワウソ・川(リスト p.54)」(永田方正の説)。確定レベルC(諸説あり)
    始まり
    1799年、様似に会所が置かれ、様似山道が開かれる。1806年に幕府が等澍院を建てる

    年表で様似町の53行を見る文化庁 様似山道

  • えりも町

    名の由来
    アイヌ語のエンルム「岬。もとは襟裳岬の名(リスト p.20・確定レベルA)」(山田秀三の説)。または幌泉はアイヌ語のポロエンルム「大きい・岬。旧町名の幌泉はこの訛りといわれる(リスト p.20)」(山田秀三の説)
    始まり
    1799年、幌泉場所が分かれて幌泉に会所が置かれる。1872年、幌泉が開拓使の直轄地になる
    市町村の歩み
    1906年に幌泉村、1970年に幌泉町が「えりも町」に名を改める

    年表でえりも町の44行を見るえりも町 年表略記

空から見た日高の町 1947年と1948年の空中写真 10点

戦後すぐ、アメリカ軍が日高を空から撮った写真です。川が海に注ぐ河口に町が集まり、段丘の上に畑と牧場が広がる様子が分かります。写真を押すと大きな画像で見られます。

日高の古写真と挿絵 11点

日高の通しの年表 400行

17世紀から2025年まで、日高の出来事を時代ごとに並べています。行ごとに出典のリンクがあります。町を選ぶか、言葉を入れると絞りこめます。

近世 場所の時代54行

  1. 1648年ごろ新ひだか町シベチャリ(静内)の人たちとハエ(門別)の人たちの間で、狩りや漁をする範囲(イオル)をめぐる争いが始まる帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139このサイトの新ひだか町の画面
  2. 1653年新ひだか町シベチャリのリーダー、カモクタインが殺される帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139
  3. 1668年日高全体ハエのリーダー、オニビシが、シベチャリの新しいリーダーとなったシャクシャインたちに殺される帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139世界大百科事典「シャクシャインの戦」(榎森進 執筆・コトバンク)
  4. 1669年日高全体ハエのウタフが、松前藩に助けを断られた帰り道で亡くなる。アイヌの人びとには毒殺と伝わる帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139
  5. 1669年新冠町新冠町は、シャクシャインが最期を迎えた地をピポク(いまの判官館)とする記録を紹介している新冠町 広報「新冠とアイヌの歴史」
  6. 1669年頃浦河町浦河の総鎮守・浦河神社が創られたとされる日高振興局 日高文化歴史散歩 第3章 浦河編
  7. 1669年6月新ひだか町シャクシャインの呼びかけで、東は白糠、北は増毛のあたりまで、アイヌの人びとが和人に対して戦いを始める(6月〜7月)帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139北海道博物館『北海道120万年物語 3 蝦夷地のころ』
  8. 1669年6月新ひだか町シブチャリを拠点に、松前藩に抵抗するアイヌ民族の蜂起が起こる世界大百科事典「シャクシャインの戦」(榎森進 執筆・コトバンク)
  9. 1669年10月新冠町新冠のピポクで、和睦の宴の席でシャクシャインが松前藩の兵に殺される。翌日、シベチャリのチャシが攻められ焼かれる帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139世界大百科事典「シャクシャインの戦」(榎森進 執筆・コトバンク)
  10. 1671年日高全体シャクシャインの戦いが終わる(春)。アイヌ民族はその後、松前藩の支配を強く受けるようになる帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139北海道博物館『北海道120万年物語 3 蝦夷地のころ』
  11. 1704年頃様似町様似の住吉神社が創られたとされる日高振興局 日高文化歴史散歩 第2章 様似編
  12. 1786年頃日高町沙流場所請負人の阿部屋伝吉が富川に運上屋を開く日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  13. 1798年えりも町近藤重蔵がルベシベツからビタタヌンケに至る山道三里を自費で開削法光寺(えりも)
  14. 1798年様似町幕府が油駒場所を幌泉と様似に分け、運上所をシャマニ会所に改める日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  15. 1799年日高全体江戸幕府が北方警備のため東蝦夷地を直轄にする国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  16. 1799年日高全体直轄にあたり、場所請負人の交易所の運上屋を会所に改め、幕吏が詰めた国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  17. 1799年様似町様似山道が中村小市郎らの指揮で開かれる国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  18. 1799年様似町様似に会所が、コトニとホロマンベツに小休所が置かれる国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  19. 1799年えりも町猿留山道が、幕府が蝦夷地で初めて開いた官製道路の一つとして開かれるえりも町 アイヌ政策推進交付金 事業計画(内閣府 公表)
  20. 1799年日高町沙流場所が幕府の直捌きとなり、運上屋が会所に改められる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  21. 1799年新ひだか町幕府が静内場所を直轄支配し、運上屋を静内会所に改める日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  22. 1799年浦河町浦河場所が幕府の直捌きとなり、元浦川の会所をムコチ(浦河)へ移す。南部藩300人が駐屯する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  23. 1799年様似町冬島~幌満間6,995mの様似山道が官の手で開かれる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  24. 1799年えりも町東蝦夷地が幕府の直轄となり、油駒場所が幌泉場所と様似場所に分かれ、幌泉に会所が置かれる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  25. 1799年様似町高田屋嘉兵衛が様似から潮流を利用してエトロフへ渡る日高振興局 日高文化歴史散歩 第9章 三石編
  26. 1800年様似町伊能忠敬が第一次測量で様似山道を通る国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  27. 1800年えりも町伊能忠敬が東蝦夷地測量のため幌泉に入るえりも町
  28. 1800年様似町鵜苫に塩釜製塩所が開かれ、鮭の塩蔵用の塩を作る日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  29. 1800年様似町様似の仮造船所で巨大な官船11隻を造り始める(総船頭は高田屋嘉兵衛)日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  30. 1801年浦河町南部藩の家臣が井寒台の神威岩に小祠を建て稲荷大神をまつる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  31. 1802年様似町南部藩が様似山道の改修を幕府に願い出る国指定文化財等データベース「様似山道」解説文化庁 文化遺産オンライン
  32. 1804年様似町江戸幕府の決定で、様似の等澍院が蝦夷三官寺の一つとされる北海道立釧路芸術館 展示資料(国泰寺)日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  33. 1805年日高町沙流会所が富川から門別本町へ新築移転する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  34. 1806年様似町江戸幕府が等澍院を建てるシャマニ・アイヌ(様似町)「等澍院」
  35. 1807年新冠町新冠川・厚別川沿いのコタンに、アイヌ民族339人との記録がある新冠町 広報「新冠とアイヌの歴史」
  36. 1809年新冠町ピポクと呼ばれていた地が、文化6年にニカプと改められ、新冠の字が当てられる新冠町 町勢要覧「にいかっぷ」町名の由来
  37. 1809年様似町シャマニ会所の建物を秋田杉で133坪に改築する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  38. 1811年様似町等澍院の護摩堂がオコタヌシ(栄町)に建てられる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  39. 1814年えりも町幌泉場所請負人の嶋屋佐兵衛が住吉山に社殿を建てる(住吉神社)日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  40. 1819年えりも町高田屋嘉兵衛が幌泉場所を請け負うえりも町
  41. 1821年日高全体幕府が蝦夷地を松前藩に返す国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  42. 1821年様似町等澍院が観音山東麓のウトルサンナイ(本町)へ移る日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  43. 1821年様似町太平洋沿岸の警備のため木製の大砲を置くシャマニ台場が設けられる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  44. 1826年新ひだか町二代目小林重吉らが三石の弁天社を再建する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  45. 1836年新ひだか町二代目小林重吉が東蓬莱に稲荷大明神を建てる(鳧舞神社の前身)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  46. 1846年えりも町油駒稲荷神社が創られる日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  47. 1855年日高全体幕府が蝦夷地を再び直轄にする国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  48. 1857年浦河町江戸幕府が元浦河に浦河牧場を開く(様似に適地がなかったため)日高振興局 日高文化歴史散歩 第10章 荻伏・東静内編
  49. 1858年新ひだか町静内会所が元静内から東静内へ移される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  50. 1858年えりも町能入寺が創られる日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  51. 1859年えりも町歌別稲荷神社が創られる日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  52. 1861年えりも町曹洞宗説教所が設けられ、道仙和尚が布教を始める日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  53. 1867年日高町沙流場所請負人の山田文右衛門が門別稲荷神社の社殿を改築する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  54. 1868年浦河町幕府の浦河牧場が廃止される(馬は500余頭で、有珠・虻田に次ぐ大牧場)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧

明治 開拓の始まり100行

  1. 1869年日高町政府の命で彦根藩が佐瑠太を分領支配することになる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  2. 1869年新冠町新冠会所が本陣と改称される(1872年に駅逓となる)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  3. 1869年様似町シャマニ会所が廃止される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  4. 1870年日高町門別駅逓所が仙台藩に引き継がれ、開拓使直轄となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  5. 1870年新ひだか町静内支配を命じられた稲田邦植が駅逓事務を受け持つ日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  6. 1871年新ひだか町淡路の稲田家主従546名が元静内に上陸日高振興局
  7. 1871年日高町彦根藩から斎藤正寿を隊長とする141名が佐瑠太に移住する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  8. 1871年新ひだか町旧稲田家家臣が頓成寺を仮校舎に子弟の教育を始める(学問所・益習館)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  9. 1871年新ひだか町静内開拓の祖・稲田邦植が神武天皇をまつる皇祖神社を設ける日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  10. 1872年新冠町開拓使長官黒田清隆が約7万ヘクタールの用地に牧場を創設家畜改良センター新冠牧場
  11. 1872年えりも町幌泉が開拓使の直轄地となる法光寺(えりも)
  12. 1872年新冠町牧場創設は黒田清隆の決定による(約7万ha)家畜改良センター新冠牧場
  13. 1872年日高町門別駅逓所が豊郷に移される(1874年に門別へ戻る)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  14. 1872年新ひだか町稲田家の静内郡支配が罷免され、本庁の管轄となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  15. 1872年新ひだか町三石の脇本陣が駅逓所となり、小林重吉が取扱人となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  16. 1873年新ひだか町稲田邦植の妹らが青森県三本木で拾った赤松の松かさを移住者に分ける(百年の赤松)日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  17. 1873年新冠町新冠牧場に2,262頭の野馬が集められる日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  18. 1873年新冠町新冠には泊津村・高江村などのコタンがあり、合計97戸441人が暮らす内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画
  19. 1874年様似町兵庫県洲本の旧藩士・原田安太郎幸孝が様似山道の途中で旅籠屋を営む日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  20. 1874年日高町互野留作が日高で初めて水田を開き、稲作を試みる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  21. 1875年えりも町幌泉郵便局が開設され通常郵便事務を扱うえりも町
  22. 1875年日高町仙台藩士三好監物の次男・三好清篤が門別に移り、白老から神社(現在の富川神社)を移す日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  23. 1875年様似町新旧3神を合祀する住吉神社が様似の郷社として認められる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  24. 1876年新ひだか町三石会所が山手へ移される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  25. 1876年新ひだか町三石の開祖とされる三代目小林重吉が、日本で最初とされる海員学校を三石に開く日高振興局 日高文化歴史散歩 第9章 三石編
  26. 1877年新冠町エドウィン・ダンの設計で近代西洋式牧場に再編し「新冠牧馬場」と改称新冠町
  27. 1877年日高町門別の駅逓所を佐瑠太へ移し、佐瑠太駅逓所を設ける日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  28. 1877年新冠町エドウィン・ダンが牧場の面積を10分の1に縮め、洋式の新冠牧馬場とする日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  29. 1877年新冠町牧場の整備に伴い、アイヌ約400人を奥地のアネサルへ強制移住させる日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  30. 1878年平取町英国の女性探検家イザベラ・バードが横浜から平取まで旅行日高振興局
  31. 1878年日高町佐瑠太駅逓所に新冠牧場から11頭、白老から60頭の駅馬を入れる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  32. 1878年えりも町札幌警察署幌泉分署が置かれる日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  33. 1879年浦河町函館にあった正信坊が浦河へ移る(正信寺)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  34. 1880年えりも町幌泉郡9か所に5戸長役場が置かれ行政の基礎ができるえりも町
  35. 1880年浦河町鈴木清が赤心社を創立し、初代社長となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  36. 1880年えりも町長浜恵流が説教所を設ける(法光寺のはじまり)日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  37. 1881年新冠町新冠郡高江村外10ケ村戸町役場が置かれる(開町)新冠町
  38. 1882年新ひだか町東静内の駅逓所を廃し、下下方(現在の静内)に駅を新設する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  39. 1882年浦河町民間の開拓団・赤心社の第1次移民団が西舎に入植する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  40. 1882年浦河町浦河治安裁判所が置かれる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  41. 1882年えりも町英国船メリータサム号が襟裳岬沖で難破し、灯台設置のきっかけとなる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  42. 1882年新ひだか町静内で最も古い店・旧武岡商店が開店する日高振興局 日高文化歴史散歩 第10章 荻伏・東静内編
  43. 1884年様似町植物学者の宮部金吾が様似山道でサマニカラマツを見つける国指定文化財等データベース「様似山道」解説
  44. 1884年新冠町牧場が宮内省の所管に変更される家畜改良センター新冠牧場
  45. 1884年浦河町私立赤心社学校が設立され、校舎兼教会が荻伏駅前に建つ日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  46. 1884年えりも町日高を通り根室まで電信線が架けられ、幌泉に電信取扱所が開かれる日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  47. 1885年えりも町海岸寄りに新しい猿留山道がつくられ、江戸時代の道の一部が使われなくなる国指定文化財等データベース「猿留山道」解説文化庁 文化遺産オンライン
  48. 1885年新冠町日新小学校(現新冠小学校)が設置される新冠町
  49. 1885年えりも町浦河の治安裁判所が幌泉に移り、幌泉治安裁判所となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  50. 1886年えりも町善生寺が創られる日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  51. 1888年新冠町場名を「新冠御料牧場」と改称家畜改良センター新冠牧場
  52. 1888年新冠町御料牧場への改称は明治21年家畜改良センター新冠牧場
  53. 1888年浦河町赤心社の事務所(現在の赤心社記念館)が建てられる日高振興局 日高文化歴史散歩 第10章 荻伏・東静内編
  54. 1888年浦河町浦河警察署が置かれ、静内・沙流・三石・様似・幌泉に分署が設けられる日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  55. 1889年えりも町襟裳岬灯台が点灯(本道唯一の1等灯台)えりも町
  56. 1889年様似町智教寺が説教場として始まる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  57. 1890年様似町衰えていた等澍院を塚田純田が再興する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  58. 1891年えりも町大流氷群が接岸しコンブ礁が被害を受けるえりも町
  59. 1891年様似町日高耶馬渓の冬島~幌満間の第1期工事で11か所のトンネルを掘る日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  60. 1891年えりも町本町の灯台山に幌泉灯台が建てられる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  61. 1891年浦河町浦河灯台が設置される日高振興局 日高文化歴史散歩 第3章 浦河編
  62. 1892年ごろ平取町二風谷と沙流川流域には、明治25年頃までアイヌの人びとだけが住んでいたという文化遺産オンライン「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」
  63. 1893年日高町国道の高江(新冠)への延長に合わせ、門別最初の大橋・佐瑠太橋が架かる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  64. 1894年浦河町元浦河赤川橋の南詰に元浦河教会の新会堂を建てる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  65. 1894年えりも町襟裳岬灯台に霧笛信号の設備が置かれる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  66. 1895年浦河町幌泉の裁判所が浦河に戻り、浦河裁判所と改称する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  67. 1895年様似町大暴風雨で住吉神社が倒壊し、現在地へ移る日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  68. 1895年様似町等澍院中興の祖・塚田純田が観音山に西国三十三番の石像の観音を置く日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  69. 1897年日高全体北海道庁が支庁制度を設け、浦河支庁などの支庁が置かれる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  70. 1897年平取町橋が一本もない平取~富川間の旅行者のため平取渡船場が設けられる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  71. 1898年新冠町ジョン・バチラーがアイヌへの伝道のため高江村に講義所を創設する日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  72. 1899年平取町門別戸長役場から分置され平取外八ヶ村戸長役場となる平取町
  73. 1899年新ひだか町苫小牧から静内に至る国道が開かれる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  74. 1900年新ひだか町三石の稲荷神社(現在の三石神社)が現在地へ移転改築する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  75. 1901年浦河町西忠義が浦河支庁長となり、日高の開発に努める日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  76. 1901年平取町荷負渡船場と長知内渡船場が設けられる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  77. 1901年平取町大水害でハヨピラの義経神社が被災し、高台ホウスマウンナへ遷座する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  78. 1902年様似町長崎県の高雄道徳が幌満川河口左岸に30馬力の蒸気機関の製材所を創設する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  79. 1903年新冠町牧場事務所から目名地区までの新道(現・二十間道路)が開通家畜改良センター新冠牧場
  80. 1903年新ひだか町金子忠蔵が見つけた静内の温泉で温泉旅館が開業する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  81. 1903年様似町様似川に橋が架かり、渡船場が廃止される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  82. 1903年平取町紫雲古津渡船場が設けられる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  83. 1904年様似町鵜苫の水産加工品を様似へ運ぶ塩釜山道が開かれる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  84. 1904年平取町平取駅逓所が置かれ、官馬7頭が配置される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  85. 1905年日高町岩手県の目曲久助が居を構え、旧日高町の開拓の基礎を築く日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  86. 1906年えりも町二級町村制の施行で戸長役場を廃し幌泉村役場を設置えりも町
  87. 1906年新ひだか町静内川に初めて橋が架かる(それまでは丸木舟などの渡し)日高振興局 日高文化歴史散歩 第4章 静内編
  88. 1907年浦河町日高種馬牧場が創設される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  89. 1908年平取町沙流川奥地の開発とともに長知内駅逓所が設けられる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  90. 1908年日高町右左府駅逓所が開設され、岩知志・千呂露・占冠の間の輸送にあたる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  91. 1909年新冠町貴賓客舎(現・龍雲閣)が築造される家畜改良センター新冠牧場
  92. 1909年平取町岩知志駅逓所が設けられる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  93. 1909年日高町王子製紙苫小牧工場の操業に先立ち、沙流川源流で原木の伐採と運材が始まる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  94. 1910年日高町日高寺のもととなる佐留太説教所が開かれる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  95. 1910年日高町旧日高町発祥の地・千栄の守り神として小社がまつられる(現在の千栄神社)日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  96. 1910年日高町千呂露駅逓所が開設される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  97. 1911年日高町鵡川から門別村佐瑠太(現在の富川)まで12.9kmの軌道が延長され、原木を運ぶ日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  98. 1911年様似町広島県生まれの松本比作が平鵜で蒸気機関の製材工場を始める日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  99. 1911年日高町旧日高町で最初の寺院が曹洞宗説教所として認められる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  100. 1912年新ひだか町八木豊吉が地元の小豆で銘菓「三石羊かん」の製造を始める日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧

大正27行

  1. 1913年日高全体苫小牧軽便鉄道株式会社が木材輸送に加えて一般の運輸営業を始める日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  2. 1913年日高町道庁が開いた木材運送の道路が岩知志~右左府間まで開かれる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  3. 1913年日高町管内最初の沙流川の橋・右左府橋が架けられる日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  4. 1916年新冠町二十間道路に山桜1,600本・ドイツトウヒ32万本を植樹家畜改良センター新冠牧場
  5. 1916年平取町アネサルのアイヌ全80戸が平取町ヌキベツへ強制移住させられる日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  6. 1918年浦河町映画館「大黒館」が開館する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  7. 1919年平取町幌去村字岩知志以北を右左府戸長役場として分離平取町
  8. 1919年浦河町浦河町大通に浦河支庁の庁舎が建てられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  9. 1919年平取町義経神社の現在の社殿が造営される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  10. 1919年平取町仁世宇で大鉱脈が見つかり、日東クローム鉱業株式会社が創立される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  11. 1920年えりも町第1回国勢調査を実施(4,699人・戸数863)えりも町
  12. 1921年日高町王子製紙が富川から平取へ沙流軌道を敷き、原料木材を運ぶ(のちに一般営業)日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  13. 1921年日高町千栄神社の本宮を宮大工を迎えて建てる(地域で最も古い建造物)日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  14. 1922年様似町新国道と塩釜トンネルが開通し、塩釜山道が廃道となる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  15. 1922年様似町幌満川に橋が架かり、渡船場が廃止される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  16. 1922年新冠町宮内庁主馬頭の伊藤博邦が貴賓舎を龍雲閣と名づける日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  17. 1923年平取町二級町村制が施行され平取村と改称平取町
  18. 1923年えりも町百人浜の一石一字塔を地元青年団が移設する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  19. 1923年新ひだか町静内警察署が独立する日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  20. 1924年えりも町幌泉・様似間の道路が開通し自動車が初めて来るえりも町
  21. 1924年日高町日高拓殖鉄道の佐瑠太・厚賀間が開通し、門別村を横断する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  22. 1925年浦河町赤心社の旧事務所が荻伏村役場として使われ始める日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  23. 1925年浦河町浜町大火で大黒館が焼失し、再建して大黒座と改称する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  24. 1926年平取町萱野茂が平取町二風谷に生まれる北海道新聞(2026年)萱野茂 生誕100年の記事
  25. 1926年新冠町日高拓殖鉄道の厚賀―静内間が開通し高江・節婦両駅を設置新冠町日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  26. 1926年日高町檀家らが冥加金を集め、日高寺八十八カ所霊場に94体の仏像を安置する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  27. 1926年浦河町浦河測候所の庁舎を新築し、観測を始める日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧

昭和の戦前と戦中37行

  1. 1927年平取町歌人の違星北斗が、バチェラーの創立した平取幼稚園を手伝う北海道観光振興機構 アイヌ文化ガイド「アイヌ民族の人物紹介」
  2. 1927年日高全体苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道が政府に買収され国有鉄道となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  3. 1927年新ひだか町高田屋嘉兵衛翁碑が三石小学校前に建てられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  4. 1928年浦河町浦河港が完成する(陸上交通の発達まで函館と日高を結ぶ航路が主役)日高振興局 日高文化歴史散歩 第3章 浦河編
  5. 1929年えりも町様似・幌泉・庶野間に鉄道省営バスが運行されるえりも町
  6. 1929年えりも町函館を出た豊国丸が襟裳岬沖で座礁沈没し、78名が死亡・行方不明となる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  7. 1930年新ひだか町神武天皇社が静内神社に改称する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  8. 1931年日高全体富川~静内間の軌間拡張が終わり、生産物の輸送が鉄道に移って海上輸送が衰える日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  9. 1931年平取町人類学者マンローの自邸兼診療所(旧マンロー邸)が二風谷に建てられる内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  10. 1932年平取町医師マンローがアイヌ文化の研究を志して二風谷に移り住む北海道大学「いいね!Hokudai」マンロー邸の記事
  11. 1932年日高全体浦河支庁が日高支庁と改称される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  12. 1932年平取町英国人医師・人類学者のニール・ゴードン・マンローが二風谷に移り住む日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  13. 1932年日高町道庁が工事した岩内・三菜頃~右左府間の左岸道路が完成する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  14. 1933年平取町マンローの住居兼診療所(旧マンロー邸)が完成する北海道大学「いいね!Hokudai」マンロー邸の記事
  15. 1933年新ひだか町様似までの延長が決まり、同じ年に鉄道が三石まで延びる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  16. 1933年浦河町稲荷神社が郷社浦河神社に改称する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  17. 1933年様似町様似川の堤防工事で、酒造方跡と北海道で最も古いとされる陶窯跡が見つかる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  18. 1934年えりも町日勝海岸道路「黄金道路」が開通するえりも町
  19. 1934年様似町幌満川水力電気が発足し、幌満川に発電所を建てる(現在の日本電工日高工場)日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  20. 1934年様似町ゾビラ岩の東側に様似漁港が完成する日高振興局 日高文化歴史散歩 第2章 様似編日高振興局 日高文化歴史散歩 第10章 荻伏・東静内編
  21. 1935年新ひだか町静内川に日高支庁管内初のワーレントラス式鋼橋が架かる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  22. 1935年浦河町西忠義・鈴木清・澤茂吉の3人の開拓功労者の銅像が荻伏に作られる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  23. 1935年浦河町日高線が浦河まで延びる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  24. 1937年日高全体鉄道が様似まで延び、日高本線が全線開通する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  25. 1937年様似町三井物産の森林鉄道(三井軌道)が様似西町海岸まで開通し、木材を船で本州へ送る日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  26. 1937年日高町三国横断バスなどの輸送力に押され右左府駅逓所が廃止される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  27. 1937年様似町様似駅が開業し、日高線の終着駅となる日高振興局 日高文化歴史散歩 第2章 様似編
  28. 1939年えりも町法光寺が火災で全焼する(1941年に復興)日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  29. 1939年日高町千呂露駅逓所が廃止される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  30. 1939年浦河町浦河赤十字病院が設立される(のちに日高の二次医療圏の中核病院)日高振興局 日高文化歴史散歩 第3章 浦河編
  31. 1939年9月7日様似町アポイ岳高山植物群落が国の天然記念物に指定される国指定文化財等データベース「アポイ岳高山植物群落」
  32. 1941年様似町木材生産の減少で三井軌道の機関車が国に買い取られ、軌道は軍に徴発される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  33. 1941年浦河町入植者の多くがキリスト教徒だった荻伏に、軍部の要請もあって荻伏神社が建てられる日高振興局 日高文化歴史散歩 第10章 荻伏・東静内編
  34. 1942年えりも町村内の字名地番を改正し10の字を定めるえりも町
  35. 1942年平取町仁世宇のクローム鉱山が日本製錬株式会社に譲渡される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  36. 1943年日高町右左府村が日高村(のちの旧日高町)と改称する日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  37. 1944年新ひだか町静内神社が池内ベニヤ工場付近から現在地へ移る日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧

戦後の昭和103行

  1. 1946年浦河町日高種馬牧場が日高種畜牧場と改称される日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  2. 1946年2月様似町様似アイヌ協会(北海道アイヌ協会の支部)が設立される内閣府 様似町アイヌ施策推進地域計画内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画新ひだか町アイヌ施策推進地域計画(内閣府 公表)浦河町アイヌ施策推進地域計画(内閣府 公表)内閣府 浦河町アイヌ施策推進地域計画
  3. 1947年新冠町新冠御料牧場が農林省に移管され新冠種畜牧場と改称新冠町
  4. 1947年新冠町牧場が農林省所管となり、村内分は開放され入植が始まる新冠町
  5. 1947年新冠町昭和22年4月1日付で農林省所管に変更家畜改良センター新冠牧場
  6. 1947年新冠町高江駅が新冠駅に改称される日高振興局 日高文化歴史散歩 第6章 新冠編
  7. 1948年新冠町新冠村軽種馬生産振興会を設立新冠町
  8. 1948年日高町門別地区警察署が置かれる日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  9. 1949年平取町開村50周年記念式典を挙行平取町
  10. 1950年えりも町襟裳道立自然公園に指定される日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  11. 1950年新冠町この年まで旧新冠駅前の地に村役場が置かれる日高振興局 日高文化歴史散歩 第6章 新冠編
  12. 1951年平取町貨物自動車の増加などで沙流軌道(富川~平取)が廃止される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  13. 1952年新ひだか町静内御殿山墳墓群が見つかる文化遺産オンライン「静内御殿山墳墓群」日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  14. 1952年新冠町十勝沖大地震で泥火山が誕生新冠町日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  15. 1952年様似町アポイ岳の高山植物群落が国の特別天然記念物に指定される日高振興局 日高文化歴史散歩 第2章 様似編国指定文化財等データベース「アポイ岳高山植物群落」(特別指定年月日)
  16. 1953年ごろ平取町萱野茂が沙流川流域の生活用具の収集を始める文化遺産オンライン「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」
  17. 1953年日高町沙流川沿いの道路が国道237号に指定される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  18. 1953年浦河町西忠義をまつる西神社を合祀する社殿を建て、西舎神社とする日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  19. 1953年えりも町「えりも砂漠」と呼ばれるほど荒れた海岸で、国有林の治山事業による本格的な緑化が始まる北海道森林管理局 えりも岬緑化事業70周年記念行事
  20. 1954年平取町町制施行により平取村が平取町となる平取町
  21. 1954年浦河町役場庁舎の新築に伴い旧赤心社事務所が移され、荻伏郷土館となる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  22. 1954年浦河町赤心社の出張所事務所を改修し、浦河町郷土館として開館する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  23. 1955年新冠町新冠川が氾濫し開基以来の大洪水となる新冠町
  24. 1957年平取町第1回すずらん祭が開かれる日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  25. 1958年平取町国鉄富内線の富内~振内間が開業する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  26. 1958年浦河町浦河で最大瞬間風速48.5m/sを観測する日高振興局 日高文化歴史散歩 第3章 浦河編
  27. 1959年新冠町役場庁舎が全焼新冠町
  28. 1959年新冠町大狩部遺跡を発掘調査し(1959~60年)、15基の墓壙群が見つかる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  29. 1959年新ひだか町シャクシャインの居城跡にシャクシャイン城跡の碑が建てられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  30. 1960年4月浦河町浦河アイヌ文化保存会が設立される内閣府 浦河町アイヌ施策推進地域計画
  31. 1960年4月24日新ひだか町北海道ウタリ協会三石支部が設立される内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  32. 1961年新冠町町制が施行される新冠町
  33. 1961年新ひだか町三石のショップ遺跡を本格発掘し(1961年・1987年)、縄文前期の住居跡などが出る日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  34. 1961年新冠町新冠支部が北海道ウタリ協会新冠支部となる内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画
  35. 1963年日高町旧日高町役場庁舎(現在の日高総合支所)が完成する日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  36. 1964年日高町国鉄富内線が日高町まで全線開通する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  37. 1965年様似町等澍院の護摩堂を現在地に復元新築し、町指定文化財となる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  38. 1965年日高町日勝峠が完成する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  39. 1965年浦河町日高種畜牧場が乳用雌子牛の集団育成を始め、馬から牛へ転換する日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  40. 1965年えりも町幌泉漁港が地方港湾に昇格し、幌泉港(のちのえりも港)となる日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  41. 1965年8月17日新ひだか町静内民族文化保存会が設立される内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  42. 1966年様似町様似郷土館が日高管内で最初の郷土館として開館するシャマニ・アイヌ(様似町)「様似郷土館」
  43. 1966年平取町マンローの没後、旧マンロー邸が北海道大学に寄贈される北海道大学「いいね!Hokudai」マンロー邸の記事
  44. 1966年新ひだか町日高電源一貫開発計画にもとづく静内ダムが完成する(出力4.6万kW)日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  45. 1966年日高町重さ200トンの石英片岩をヒスイの沢から運び出そうとして途中で断念する日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  46. 1966年様似町東様似生活館が設置される(平成5年に改築)内閣府 様似町アイヌ施策推進地域計画
  47. 1967年様似町北海道100年記念事業として日高郷土館(翌年に様似郷土館と改称)が開館する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  48. 1968年平取町平取町二風谷小学校の校庭に違星北斗の歌碑が建てられる北海道観光振興機構 アイヌ文化ガイド「アイヌ民族の人物紹介」
  49. 1968年新冠町新冠泥火山が道の天然記念物に指定される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  50. 1968年様似町日高郷土館が様似郷土館と改称される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  51. 1968年新ひだか町静内御殿山式土器などの出土品が北海道の有形文化財に指定される日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  52. 1968年新ひだか町北海道稲田会が御殿山に北辺開拓の礎碑を建てる日高振興局 日高文化歴史散歩 第4章 静内編
  53. 1969年平取町開町70周年記念式典、町民憲章を制定平取町
  54. 1969年新ひだか町静内川の橋が現在の橋に架け替えられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  55. 1969年様似町幌満の斉藤和助をまつる堂が町指定文化財となる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  56. 1970年新ひだか町真歌にシャクシャインの像が建てられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  57. 1970年日高町日勝峠の日高側の原生林が国の天然記念物に指定される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  58. 1970年えりも町幌泉町が「えりも町」に改称する日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  59. 1971年日高町富川で北海道日高乳業の工場が操業を始める日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  60. 1972年平取町北海道ウタリ協会が主体となり二風谷アイヌ文化資料館が建てられる文化遺産オンライン「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  61. 1972年日高町門別町百年を記念して彦根藩移住の地の碑が建てられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  62. 1972年新冠町荒廃した龍雲閣の大修復工事を行う日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  63. 1972年日高町日高国際スキー場が開設される日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  64. 1973年様似町観音山頂上のカシワが北海道記念保護樹木に指定される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  65. 1973年日高町沙流川温泉が開発される日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  66. 1973年3月平取町二風谷アイヌ文化博物館(の前身施設)が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  67. 1975年新冠町ハイセイコーが帰郷し種牡馬となる新冠町
  68. 1975年新ひだか町三石町開基百年記念事業として郷土館を図書館と同時に建てる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  69. 1975年日高町国勢調査で旧日高町と旧門別町を合わせた人口が19,052人(世帯数5,433)北海道日高町 町勢要覧(資料編)
  70. 1976年新ひだか町町民休養ホーム(静内温泉)として整備される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  71. 1977年日高町『日高町史』を開基70年記念事業として刊行(昭和52年12月)日高町
  72. 1978年新冠町氷川神社の社殿と社務所を新築する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  73. 1978年浦河町旧日高支庁庁舎が北海道開拓の村へ移される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  74. 1978年浦河町郷土博物館が旧浦河東小学校の校舎へ移る日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  75. 1978年日高町誘致合戦の末、門別本町と富川の中間に門別総合町民センターが建てられる日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  76. 1978年10月新ひだか町静内真歌にシャクシャイン記念館が設けられる内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  77. 1979年平取町開町80周年記念式典、町花「すずらん」町木「桂」を制定平取町
  78. 1979年平取町びらとり温泉が開設される日高振興局 日高文化歴史散歩 第16章 沙流川中流散策編
  79. 1980年えりも町昆布を中心に展示する水産の館が開館する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  80. 1980年新ひだか町老人福祉センターで三石温泉が誕生する日高振興局 日高文化歴史散歩 第9章 三石編
  81. 1980年新ひだか町稲田家主従の上陸を記念する碑が元静内に建てられる日高振興局 日高文化歴史散歩 第10章 荻伏・東静内編
  82. 1981年新冠町開町百年記念事業として新冠町郷土資料館が建てられる日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  83. 1981年えりも町日高山脈襟裳国定公園に指定される日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  84. 1982年浦河町浦河沖地震で167名負傷、住家被害716棟北海道 防災教育
  85. 1982年日高町国立少年自然の家の道内の建設地に旧日高町が選ばれ、開設される日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  86. 1982年浦河町アイヌの福祉相談の拠点となる堺町生活館が開館する内閣府 浦河町アイヌ施策推進地域計画
  87. 1982年平取町二風谷ダム・平取ダムをつくる沙流川総合開発事業が建設に着手する室蘭開発建設部 沙流川ダム建設事業所事業概要(令和元年度)
  88. 1982年3月21日浦河町浦河沖地震。浦河で震度6北海道 防災教育
  89. 1982年11月新ひだか町静内真歌にアイヌ民俗資料館が設けられる内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  90. 1983年新冠町第1回判官まつりを開催新冠町
  91. 1983年新ひだか町静内町で最も古い店(旧武岡商店)の建物が北海道開拓の村へ移される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  92. 1983年浦河町浦河沖地震で危険建築物となった元浦河教会の会堂を解体し、北海道開拓の村へ移す日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  93. 1983年4月様似町様似民族文化保存部会(のちの様似民族文化保存会)が設置される内閣府 様似町アイヌ施策推進地域計画内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  94. 1984年浦河町浦河アイヌ文化保存会が文化庁の重要無形民俗文化財保護団体となる内閣府 浦河町アイヌ施策推進地域計画
  95. 1985年新ひだか町豪雨と浦河沖地震で被災した三石神社が再建される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  96. 1985年浦河町浦河町役場の庁舎が完成する日高振興局 日高文化歴史散歩 第3章 浦河編
  97. 1985年新ひだか町三石で昆布焼酎の販売を始める日高振興局 日高文化歴史散歩 第9章 三石編
  98. 1985年8月平取町二風谷観光振興組合が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  99. 1986年平取町国鉄富内線が廃止される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  100. 1986年9月平取町二風谷ダムの本体工事が始まる室蘭開発建設部 沙流川ダム建設事業所事業概要(令和元年度)
  101. 1987年平取町振内に旧国鉄富内線の歴史を伝える記念館が開館する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  102. 1987年4月平取町平取町二風谷アイヌ語教室が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  103. 1989年日高町門別町と厚賀の農協が合併し門別農業協同組合となる日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編

平成と令和79行

  1. 1989年7月10日新冠町新冠民族文化保存会が設立される内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画
  2. 1990年新冠町新冠種畜牧場が現在の名(家畜改良センター新冠牧場)に改称する日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  3. 1990年平取町振内に町民カーリング場が開設される日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  4. 1990年日高町国勢調査で旧2町を合わせた人口が16,976人(世帯数6,228)北海道日高町 町勢要覧(資料編)
  5. 1991年平取町義経資料館が開館する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  6. 1992年平取町平取町立二風谷アイヌ文化博物館が建てられ、資料の過半数が町に寄贈される文化遺産オンライン「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」
  7. 1992年えりも町郷土資料館ほろいずみが開館する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  8. 1992年平取町二風谷アイヌ文化資料館を発展させ、公立の二風谷アイヌ文化博物館が開館する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  9. 1992年6月20日新ひだか町三石民族文化保存会が設立される内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  10. 1993年日高町門別図書館郷土資料館が図書館と併設で開設される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  11. 1993年平取町平取町で国際先住民族フォーラムを開く(以後2005年・2019年・2025年にも開催)内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  12. 1994年平取町萱野茂が参議院議員に繰り上げ当選し、アイヌ民族初の国会議員となる北海道新聞(2026年)萱野茂 生誕100年の記事
  13. 1994年平取町兵庫県三原町(現・南あわじ市)と友好町提携平取町
  14. 1994年新冠町ナリタブライアンが新冠初の三冠馬となる新冠町
  15. 1994年日高町日高の森広場サッカー場が開設される日高振興局 日高文化歴史散歩 第13章 奥平取・山日高編
  16. 1995年えりも町えりも町役場庁舎が完成する日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  17. 1996年日高町『新門別町史』上・中・下巻を開基120年記念事業として刊行(平成8年3月)日高町
  18. 1996年6月平取町二風谷ダムの試験湛水が終わる室蘭開発建設部 沙流川ダム建設事業所事業概要(令和元年度)
  19. 1997年日高町門別競馬場が開場する(日本で最も新しい競馬場)日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  20. 1997年新冠町レ・コード館が町立施設として開館する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  21. 1997年3月27日平取町札幌地裁が二風谷ダム事件の判決を出す京都大学 濵本正太郎 講義資料「先住民族」
  22. 1997年3月27日平取町二風谷ダム判決は、アイヌを少数者にとどまらず先住民族と認定した京都大学 濵本正太郎 講義資料「先住民族」
  23. 1997年12月2日新ひだか町「シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡」が国の史跡に指定される(新ひだか町と日高町)文化庁 文化遺産オンラインこのサイトの新ひだか町の画面
  24. 1998年様似町防災工事の新トンネルとルート変更にあわせ幌満大橋が架けられる日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  25. 1998年4月平取町二風谷ダムが管理(運用)に移る室蘭開発建設部 沙流川ダム建設事業所事業概要(令和元年度)
  26. 1999年平取町平取町百年記念式典を挙行平取町
  27. 1999年日高町日高山脈博物館が開館する日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧
  28. 1999年日高町門別温泉とねっこの湯が開設される日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  29. 1999年新冠町新冠町役場庁舎が完成する日高振興局 日高文化歴史散歩 第6章 新冠編
  30. 2000年新冠町ハイセイコーが死ぬ新冠町
  31. 2000年4月28日平取町旧マンロー邸(北海道大学文学部二風谷研究室)が国の登録有形文化財になる文化遺産オンライン「北海道大学文学部二風谷研究室(旧マンロー邸)」
  32. 2001年新ひだか町JR静内駅の駅舎が完成する日高振興局 日高文化歴史散歩 第4章 静内編
  33. 2002年平取町二風谷のアイヌ生活用具が国の重要有形民俗文化財に指定される日高振興局 沙流ユーカラ街道沿いの歴史文化資源巡覧文化遺産オンライン「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」
  34. 2003年日高全体台風10号による沙流川洪水(平成15年8月)北海道開発局
  35. 2003年新冠町8月9日の台風10号で厚別川流域など甚大な被害新冠町
  36. 2003年新冠町9月26日の十勝沖地震で震度6弱、住宅・道路に被害新冠町
  37. 2004年平取町アシリチェプノミ(新しい鮭を迎える儀式)を復活させ、以後毎年続ける内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  38. 2005年新ひだか町稲田家の静内移住開拓を描く映画「北の零年」が公開される日高振興局 日高文化歴史散歩 第4章 静内編
  39. 2006年平取町萱野茂が79歳で亡くなる北海道新聞(2026年)萱野茂 生誕100年の記事
  40. 2006年日高町旧日高町と旧門別町が合併し、今の日高町になる日高町アイヌ施策推進地域計画(内閣府 公表)日高町
  41. 2006年新ひだか町静内町と三石町が合併し新ひだか町が誕生(3月31日)新ひだか町総務省統計局 e-Stat 市区町村の廃置分合
  42. 2007年平取町重要文化的景観「アイヌの伝統と近代の開拓による沙流川流域の文化的景観」が全国で3番目に選定二風谷アイヌ文化博物館文化遺産オンライン「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」
  43. 2007年新冠町町教育委員会が小・中学生向けにアイヌの歴史と文化の授業を定期的に始める内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画
  44. 2008年様似町アポイ岳ジオパークが日本ジオパークに認定されるアポイ岳ジオパーク 様似町パンフレット
  45. 2008年平取町イオル(伝統的生活空間)再生事業が始まる内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  46. 2009年平取町イオル再生と連携した平取町かわまちづくり計画による沙流川の水辺の事業が始まる内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  47. 2010年新冠町国勢調査の人口5,777人、世帯数2,400世帯新冠町新ひだか町
  48. 2010年新冠町ジェラール・ディマシオらの作品を展示する美術館が開館する日高振興局 日高の内陸沿いの歴史的文化資源巡覧
  49. 2010年えりも町襟裳岬が国の名勝に指定される日高振興局 日高文化歴史散歩 第7章 幌泉・襟裳岬編
  50. 2010年4月平取町平取町アイヌ文化情報センター(二風谷工芸館)が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  51. 2011年新冠町開町130年および町政施行50年新冠町
  52. 2012年新ひだか町アイヌの伝統漁法の再現と干し鮭(サッチェプ)づくりを始める内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  53. 2012年10月平取町二風谷民芸組合が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  54. 2013年様似町アポイ岳ジオパークビジターセンターが開館する日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  55. 2013年平取町二風谷イタと二風谷アットゥシが道内で初めて経済産業省の伝統的工芸品に指定される日高振興局 日高文化歴史散歩 第16章 沙流川中流散策編平取町「伝統的工芸品」
  56. 2013年新ひだか町新ひだかアイヌ協会と高静小学校が連携し、マレク漁を子どもたちに体験させる内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  57. 2014年平取町オキクルミのチャシ及びムイノカが国の名勝に指定される日高振興局 日高文化歴史散歩 第16章 沙流川中流散策編
  58. 2014年4月1日浦河町北海道ウタリ協会浦河支部が浦河アイヌ協会となる内閣府 浦河町アイヌ施策推進地域計画
  59. 2014年12月新ひだか町新ひだか町博物館が、図書館と同じ建物に設けられる日高振興局 新ひだか町博物館
  60. 2015年新ひだか町図書館を併設した新ひだか町博物館が開館する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  61. 2015年様似町様似町がユネスコ世界ジオパークに認定される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧アポイ岳ジオパーク 様似町パンフレット
  62. 2015年日高町富川農協が平取町農協と合併し、びらとり農業協同組合となる日高振興局 日高文化歴史散歩 第17章 日高門別編
  63. 2015年1月日高全体高波で日高本線の線路が被災し、列車が運休する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  64. 2016年3月1日・2018年10月15日平取町沙流川流域の文化的景観の範囲が二度にわたり追加で選ばれる文化庁 重要文化的景観 紹介資料
  65. 2016年5月24日新ひだか町特定非営利活動法人新ひだかアイヌ協会が設立される内閣府 新ひだか町アイヌ施策推進地域計画
  66. 2018年様似町様似山道が国の史跡に指定される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧国指定文化財等データベース「様似山道」国指定文化財等データベース「猿留山道」
  67. 2019年平取町平取町120年記念式典、淡路人形浄瑠璃の記念事業平取町
  68. 2019年えりも町幌泉灯台が国の有形文化財に登録される日高振興局 とんがりロード沿いの歴史文化資源巡覧
  69. 2019年4月平取町平取町アイヌ工芸伝承館が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  70. 2020年新ひだか町老朽化で取り壊されたシャクシャインの像を、地元のアイヌ民族団体が復刻する日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  71. 2020年日高町国勢調査で日高町の人口が11,279人(世帯数5,552)北海道日高町 町勢要覧(資料編)
  72. 2020年2月平取町株式会社平取町アイヌ文化振興公社が設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  73. 2021年4月1日日高全体日高本線の鵡川~様似間が廃止される日高振興局 優駿浪漫街道沿いの歴史文化資源巡覧
  74. 2022年新冠町無縁納骨堂の遺骨を土に還す合葬墓を整備し、847体を納める内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画
  75. 2022年4月平取町二風谷にイオル文化交流センターが設立される内閣府 平取町アイヌ施策推進地域計画
  76. 2022年9月新冠町判官館内にアイヌ文化の拠点施設ポロシリ生活館が建てられる内閣府 新冠町アイヌ施策推進地域計画
  77. 2023年5月17日えりも町えりも岬緑化事業の周年記念の植樹祭が開かれる北海道森林管理局 えりも岬緑化事業70周年記念行事
  78. 2024年6月25日日高全体日高山脈襟裳十勝国立公園が国内35か所目の国立公園に指定される環境省 報道発表資料
  79. 2025年5月1日新ひだか町新ひだか町アイヌ文化交流センターが静内真歌に開館する(シャクシャイン記念館・アイヌ民俗資料館・多機能型生活館の3館)新ひだか町 アイヌ文化交流センター利用案内このサイトの新ひだか町の画面北海道新聞(2025年6月30日掲載)

資料によって異なる記述

資料によって異なる記述
出来事ある資料別の資料
新しい猿留山道ができた年明治18年=1885年(文化庁の本文)
旧マンロー邸の建った年1931年(文化遺産オンライン・平取町の地域計画)1933年の完成(北海道大学の記事)
新ひだか町博物館の開館2014年12月(日高振興局 新ひだか町博物館の画面)2015年(日高振興局 優駿浪漫街道の画面)
様似の等澍院1804年に幕府が蝦夷三官寺の一つと決める1806年に建てる(様似町の資料)
高田屋嘉兵衛の幌泉場所の請負1819年(えりも町の年表)1829年(日高振興局の画面)
浦河沖地震の年1982年(北海道の災害の記録)日高振興局の画面の一部に「昭和57(1882)年」と西暦の誤記

日高の歴史とあわせて読む画面

出典

  1. 日高振興局 日高三街道沿いの歴史文化資源巡覧
  2. 日高振興局 日高文化歴史散歩
  3. 内閣府 アイヌ施策推進地域計画(平取町・新冠町・浦河町・新ひだか町・様似町・日高町)
  4. 新冠町 町の歴史
  5. えりも町 年表略記
  6. 家畜改良センター新冠牧場 沿革
  7. 室蘭開発建設部 沙流川ダム建設事業所 事業概要
  8. 帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』p.138〜139 シャクシャインの戦い
  9. 文化庁 文化遺産オンライン(チャシ跡群・様似山道・猿留山道・旧マンロー邸・アイヌ生活用具コレクション・沙流川流域の文化的景観)
  10. 環境省 日高山脈襟裳十勝国立公園
  11. 北海道森林管理局 えりも岬緑化事業70周年
  12. 北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年) 7町と静内・三石・門別・幌泉・沙流の名の由来。ページ番号は町の欄に書いています
  13. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(米軍撮影の空中写真)
  14. 国土地理院 地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(現在の写真)
  15. 国立国会図書館デジタルコレクション(浦河港大観・開道五十年記念北海道拓殖写真帖・東蝦夷日誌)
  16. 年表の行ごとの出典 通しの年表の各行の下に、出典のリンクがあります
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