北海道の地域の歴史 上川
上川の歴史
上川は、北海道のまん中で大雪山に囲まれ、石狩川と天塩川の上流が流れる内陸の土地です。この画面は、年表1,149行、23市町村の歩み、空中写真と古写真、当時の暮らしのイメージの絵を、時代の順にまとめたものです。
対象 上川出典 19 件この画面の更新 2026年10月29日
昔と今をくらべるこの画面の空中写真 23 点は、写真の下の切り替えで、同じ範囲を写した現在の写真に替えられます。「なぞって比べる」を選ぶと、写真の上を左右になぞるたびに、昔と今の境目が動きます。


上川の歴史を一言でいうと 川上の人びとの土地に、屯田兵と師団が来た盆地
石狩川の上流に住んだ人びとは、ペニ・ウン・クル(川上に・居る・人)と呼ばれました。1857年には松浦武四郎が石狩川と天塩川をさかのぼり、音威子府の筬島で長老から聞いた「カイ」の言葉が、のちの「北海道」の名の元になったとされます。
1890年に旭川・永山・神居の3村が置かれ、1891年から屯田兵が入って、1901年には第七師団の司令部が旭川に移りました。近文のアイヌの人びとの土地は師団の用地と隣り合って利権の対象となり、1934年3月24日の旭川市旧土人保護地処分法まで、付与が保留されています。旭川で育った知里幸恵の『アイヌ神謡集』は、1923年8月10日に刊行されました。
1926年5月24日の十勝岳の泥流では、上富良野と美瑛の死者・行方不明が144名にのぼりました。1934年に大雪山が国立公園になり、戦後はラベンダーと旭山動物園で知られる土地になります。2018年には日本遺産「カムイと共に生きる上川アイヌ」が認定されました。
縄文〜13世紀
川筋の遺跡 神居古潭の竪穴と、錦町5遺跡の蕨手刀


上川盆地とその北の天塩川の流域には、川筋に沿って古い暮らしの跡が残っています。名寄市の智東では、1956年5月25日に天塩川の右岸で縄文時代の遺跡が掘り出されました。美深町の富岡遺跡(1967年)、士別市の上士別遺跡(1971年から)、下川町のモサンル遺跡(1979年)でも発掘が行われています。
旭川市の神居古潭竪穴住居遺跡には、二百数十基の竪穴とチャシコツ1か所があります。1921年6月12日に北海道庁が史跡に仮に指定し、1957年に北海道の史跡になりました。1958年から発掘が行われ、擦文式の土器や紡錘車が出ています。
旭川市の錦町5遺跡では、1982年から1987年の発掘で平安時代の竪穴住居跡6軒や鍛冶の跡が見つかり、1983年には擦文時代の川の跡から木製の斧の柄が出ました。斧の柄と蕨手刀は、1986年8月20日に旭川市の文化財になっています。
13世紀〜1868年
川上の人びとと松浦武四郎 石狩川と天塩川をさかのぼる


旭川市の計画は、神居古潭より上流の石狩川の流域に住んだ人びとが、ペニ・ウン・クル(川上に・居る・人)と呼ばれたとしています。1807年の近藤重蔵の『石狩川川筋図』には、比布川の合流点の近くに「ビビ」の名とアイヌの家が描かれ、1821年の間宮林蔵の作とされる蝦夷図には、フラヌイ(富良野)の名が初めて見えます。天塩川では、1798年に幕府の役人3人が川をさかのぼって見聞しています。
1857年、箱館奉行所に雇われた松浦武四郎は、石狩川と天塩川を河口から上流までさかのぼって調べました。天塩川の調べは旧暦6月6日に出発し、名寄では小さなアイヌの村を拠点に名寄川とサンル川を調べています。帰り道、今の音威子府村の筬島の近くでアイヌの長老から話を聞いて「カイ」の言葉を知り、これがのちの「北海道」の名の元になったとされます。この年の調べは『丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』23冊にまとめられ、1863年には『天塩日誌』が出版されました。
1858年、武四郎はアイヌの案内で旭川から富良野を経て十勝へ越え、上富良野で十勝岳の噴煙を見ています。十勝岳の1857年の噴火は、松田市太郎も書き残しました。
1869年〜1912年
明治の上川 屯田兵と第七師団、近文の土地



1869年、上川は石狩国上川郡になりました。1885年8月27日、岩村通俊と永山武四郎の一行が上川に入り、近文山から盆地を見渡しています。岩村は上川に「北京」を置く建議を政府に出し、1889年には上川郡に都府と離宮を設けるとの宣達が出ましたが、計画は実現しませんでした。1890年9月20日、上川郡に旭川・永山・神居の3村が置かれ、忠別川のアイヌ語名を「日の川」と解して旭川の名が生まれます。
1891年に永山村に屯田兵400戸が入り、1892年に東旭川、1893年5月10日には広島や山口などから当麻に400戸が続きました。1899年には剣淵に337戸、士別に最北で最後の100戸が入っています。1898年に滝川と旭川の間に鉄道が通り、1901年には第七師団の司令部が札幌から旭川に移りました。
1894年、石狩川の右岸の近文に旧土人給与予定地が設けられ、近文コタンが形づくられました。1899年の北海道旧土人保護法は1戸あたり5町歩以内の無償の付与を定めましたが、隣り合う第七師団の用地の工事が始まると、近文の土地は利権の対象となって付与が保留されます。1906年に旭川町がアイヌの人びとに貸し付けたのは1戸1町歩で、無償の付与ではありませんでした。
1903年に生まれた知里幸恵は、旭川の伯母のもとで育ち、祖母や伯母から口承文芸を受け継ぎました。1907年に旭川と釧路を結ぶ鉄道が全通し、1909年には塩狩峠で客車の連結が外れて逆走し、乗客の国鉄職員の長野政雄が身を挺して止めています。
1912年〜1926年
大正の上川 アイヌ神謡集と、十勝岳の泥流



1912年に宗谷線が音威子府まで通り、1913年には滝川と下富良野の間が結ばれて、富良野は旭川・滝川・帯広を結ぶ拠点になりました。1915年に層雲峡で浴舎の営業が始まり、1921年に訪れた大町桂月が層雲峡の名をつけたとされます。1916年には、上川アイヌの川村家が私費で川村カ子トアイヌ記念館を設けています。
1922年8月1日、旭川は市制を施行しました。同じ年の9月18日に知里幸恵が19歳で亡くなり、翌1923年8月10日に『アイヌ神謡集』が郷土研究社から刊行されます。
1926年5月24日、十勝岳が噴火して大規模な泥流が起き、上富良野と美瑛の2村が埋まりました。旭川地方気象台によると、死者・行方不明は144名です。美瑛町の記録では、建物372棟が被害を受けています。泥流は中富良野村にも大きな被害を与えました。
1926年〜1945年8月
昭和の戦前と戦中 処分法と国立公園、雨竜のダム



1932年に石北線が全線開通し、深川から朱鞠内までの幌加内線も通りました。一方で1931年から冷害と水害が続き、美深町では1934年に水田1,962町1反のうち1,840町8反の収穫がなくなっています。
近文の土地をめぐっては、アイヌの人びとの抗議と運動ののち、1934年3月24日に旭川市旧土人保護地処分法(昭和9年法律第9号)が公布され、1戸に1町歩が付与されました。同じ1934年の12月4日、大雪山が国立公園に指定されています。
幌加内町では、1938年6月4日に雨竜ダムの起工式が行われました。1943年10月1日に6年をかけた雨竜発電の工事が完成し、朱鞠内湖ができます。工事の記録では、工事に携わった労務者は延べ587,569人とされ、『幌加内町史』は175人の死者を出したと記しています。1945年7月15日には、富良野の上空に米軍機が来て空襲を受けました。
1945年8月〜1988年
戦後の昭和 ラベンダーと動物園、ダムと十勝岳

1945年、旭川の師団通は平和通と名を改め、1952年には保安隊が第七師団の跡地に入りました。1954年7月1日に士別市、1956年4月1日に名寄市、1966年5月に富良野市が生まれています。1955年は士別・和寒・下川・旧風連町で大水害が起き、1956年と1957年には下川町で大火が続きました。
中富良野町では1952年ごろからラベンダーの栽培が始まり、1975年ごろからのブームで富良野盆地が観光地として知られるようになります。1967年7月1日に旭山動物園が開園し、同じ年に完成した金山ダムでは、南富良野町の農業生産の3割を占めた農地が沈み、1,229人が移転しました。
1962年6月29日に十勝岳が再び噴火し、硫黄鉱山の5名が亡くなりました。1972年に旭川市の嵐山に伝承のコタンが開かれ、旭川アイヌ協議会(1972年)、旭川アイヌ協会(1974年)、上川アイヌ協会(1976年)が設立されています。1973年には中川町で首長竜の化石が見つかり、1984年1月21日にはアイヌ古式舞踊が国の重要無形民俗文化財になりました。1988年12月16日、十勝岳は26年ぶりに噴火しています。
1989年〜
平成と令和の上川 鉄路の廃止と、日本遺産「カムイと共に生きる上川アイヌ」

1989年に天北線と名寄本線、1995年9月に深名線が廃止され、2024年3月31日には根室線の落合と下金山の間が運行を終えました。1997年5月14日、アイヌ文化振興法の附則で旭川市旧土人保護地処分法が廃止されています。
2004年、旭山動物園の7月と8月の月間入園者数が日本一になりました。2005年9月1日に士別市と朝日町、2006年3月27日に名寄市と風連町が合わさっています。2009年7月23日には、アイヌ語の名をもつ名寄市の九度山(クトゥンヌプリ)が名勝ピリカノカとして国に指定されました。
2018年、上川アイヌの信仰の対象としての大雪山などを物語る日本遺産「カムイと共に生きる上川アイヌ」が、2市10町で認定されました。2023年に川村カ子トアイヌ記念館が新館を建てています。アイヌ施策推進地域計画は、2023年6月16日に東川町、2025年3月19日に旭川市の計画が国に認定されました。2026年3月22日には、音威子府村と中川町を結ぶ音中道路が開通しました。
上川の23市町村 名の由来と、始まりと、歩み
上川には4市17町2村があります。名の由来は北海道『アイヌ語地名リスト』(2007年)の該当ページと各市町村の資料から、始まりと歩みは各市町村の公開資料から書いています。「年表で…を見る」を押すと、下の通しの年表がその市町村だけになります。
旭川市
- 名の由来
- アイヌ語のチュプペッ「日・川(東の川)。忠別川の水源が東にあり、月日の出る所だったため(リスト p.3)」(永田方正の説)。またはアイヌ語のチウペッ「波・川。波立つ川が、のちにチュプペッ(日・川)と解され、さらに意訳されて旭川になった(p.3)」(知里真志保の説)。またはアイヌ語のチュクペッ「秋・川。秋の魚(サケ)が盛んに上る川だったからか(p.3)」(山田秀三の説)。リストは三つの説のどれとも決めがたいとする。旭川市は、チュプ・ペッ(日・川)の「日」を「旭」に置き換えたという説がよく知られるが、諸説あって定かでないとする。近文はチカプニ「鳥・いる・所」(p.76)、神居古潭はカムイコタン「神の・居所」(p.38)
- 始まり
- 1885年に岩村通俊と永山武四郎が近文山から上川盆地を見渡す。1890年9月20日、上川郡に旭川・永山・神居の3村が置かれ、1891年から永山・東旭川に屯田兵が入る
- 市町村の歩み
- 1900年8月31日に旭川町、1922年8月1日に市制を施行して旭川市。1955年4月1日に神居村・江丹別村、1963年に東旭川町、1968年に神楽町、1971年に東鷹栖町と合わさる
士別市
- 名の由来
- アイヌ語のシペッ「本流(ほんとうの、大きい・川)。天塩川の本流の名が、剣淵川との合流点の土地の名に残った(リスト p.61)」(山田秀三の説)。士別市も、アイヌ語のシペツ(親川、天塩川の本流)に由来するとする
- 始まり
- 1897年6月に士別村の設置が告示される。1899年7月1日、最北で最後の屯田兵100戸が入り、この日を士別の開基とする
- 市町村の歩み
- 1915年11月に士別町。1954年7月1日に士別町・上士別村・多寄村・温根別村が合わさり、道内20番目の市として士別市になる。2005年9月1日に朝日町と合わさる
- 市町村史
- 『士別市史』(1969年)
名寄市
- 名の由来
- アイヌ語のナイオロプトゥ(ナヨロプトゥ)「川・の所・の口。名寄川はナイ、あるいはナヨロの名で呼ばれていたらしい(リスト p.93)」(山田秀三の説)。名寄市は、ナヨロをナイ・オロ(川・のところ)の短縮で名寄川そのものを指し、天塩川との合流点をナヨロフトと呼んだとする。風連はフレペッ「赤い・川」(p.112)
- 始まり
- 1898年5月に上名寄村に初めての入地があり、1900年5月15日に団地が開放されて山形・熊本・岐阜などの団体が入る。1903年8月3日に上名寄駅(今の名寄駅)が開業する
- 市町村の歩み
- 1915年11月1日に名寄町。1954年8月1日に智恵文村と合わさり、1956年4月1日に市制を施行して名寄市。2006年3月27日に風連町と合わさる
- 市町村史
- 『名寄町史』(1955年)、『名寄市史』(1971年)、『新名寄市史』(2000年)、『風連町史』(1967年)
富良野市
- 名の由来
- アイヌ語のフラヌイ「臭・もつ・所。もとは富良野川の名で、川の源が今の十勝岳のため硫黄の臭気が鼻をつく(リスト p.114)」(山田秀三の説)。またはアイヌ語のフラヌイ「臭き火焔。上流の硫黄山から臭い炎が立っていたため(p.114)」(永田方正の説)。リストは「臭・もつ・所」の解の方が自然とする。富良野市もこの転訛の説を有力とする。山部はヤムアエ「栗を・我ら・食べる」とヤムペッ「冷たい・川」の説がある(p.135)
- 始まり
- 1897年、福岡県出身の中村千幹らが今の扇山地区に入り、開拓が始まる。1903年7月8日、富良野村の南部を分けて下富良野村が置かれる
- 市町村の歩み
- 1919年4月に富良野町。1956年9月に東山村、1966年5月に山部町と合わさり、道内29番目の市として富良野市になる
鷹栖町
- 名の由来
- アイヌ語のチカプニ「鳥・いる・所。近文山の大岩に鷹がとまっていたことからの名を、意訳して町名とした(リスト p.74)」(山田秀三の説)。同じチカプニの音を当てたのが近文。鷹栖町も、大きな鳥(鷹)の棲む所を意味するチカップニの意訳とする
- 始まり
- 1891年2月に開基。1894年、中山照重らの山梨県の甲州団体が近文原野に入る
- 市町村の歩み
- 1969年に町制を施行して鷹栖町
東神楽町
- 名の由来
- 和名。神楽村の東部という意味の名。1943年に神楽村から分かれたとき、母村の東にあることから名づけた(リスト p.107)(山田秀三の説)。東神楽町は、神楽を、知里真志保の説でアイヌ語ヘッチェウシ(囃し・つけている・所)の意訳とする
- 始まり
- 1892年、上川原野への移住者が増えて神楽村が生まれる。1902年に東御料地第一水利組合ができ、初めてのかんがい水路が引かれる
- 市町村の歩み
- 1943年4月1日に神楽村から東神楽村が分かれる。1966年1月1日に町制を施行して東神楽町
当麻町
- 名の由来
- アイヌ語のトオマナイ「沼・に行く(?)・川(リスト p.86)」(知里真志保の説)。当麻町は、アイヌ語のト(湖沼)・オマ(に入る)・ナイ(川)に由来し、漢字は屯田兵の時代に麻がよくできたことから当てたと言われるとする
- 始まり
- 1893年5月10日、広島や山口などから屯田兵400戸が入る
- 市町村の歩み
- 1900年6月に永山村から分かれて當麻村。1958年4月に町制を施行して当麻町
比布町
- 名の由来
- アイヌ語のピピペッ「石のごろごろしている・川。その転訛か(リスト p.108)」(知里真志保の説)。またはアイヌ語のピオプ「石の・多い・所。比布川の河床に石が多いからか(p.108)」(駅名の起源の説)。リストはどちらとも決めがたいとする。比布町は、ピプまたはピピから出たもので「沼の多いところ」あるいは「石の多いところ」の意とする
- 始まり
- 1895年、香川県の讃岐団体と愛媛県の伊予団体なども移り住み、3団体の区画の測量で今の町の土台ができる
- 市町村の歩み
- 1962年に町制を施行して比布町
- 市町村史
- 『比布町史』全4巻(第4巻 平成史は2025年)
愛別町
- 名の由来
- アイヌ語のアイペッ「矢・川。アイヌが矢を流したため(リスト p.1)」(永田方正の説)。またはアイヌ語のハイペッ(か)「イラクサ(?)・川(p.1)」(駅名の起源の説)。リストは、駅名の起源の本に「水の流れが矢のように早い」など、いろいろな伝説が生じていると注する。愛別町は、語源を「矢川」(アイペット)とする
- 始まり
- 1895年、和歌山・岐阜・愛知から175戸が団体で移り住み、開拓が始まる
- 市町村の歩み
- 1897年に鷹栖村から分かれて愛別村。1924年に上川村が分かれる。1961年8月1日に町制を施行して愛別町
上川町
- 名の由来
- アイヌ語のペニウンクルコタン「川上・の・人の・土地。上川はこの意訳とよく書かれるが、その意味の上川は明治の始めから上川盆地の総称で、石狩川の源流の土地なので「上川の中の上川」としてこの名を選んだのだろうか(リスト p.37)」(山田秀三の説)。または和名。分村のとき、留辺志部の人たちが石狩川の川上を意味する郷土として名づけた(p.37)(上川町史の説)。層雲峡は、1921年に訪れた大町桂月がつけた名だという。入口の双雲別川(ソウンペッ「滝・ある・川」)の音から発想したとも思われる(p.72)
- 始まり
- 1895年に本田喜市が越路27線に入り、1909年に中山修作らが豊原に入る。1921年、大町桂月が層雲峡の名をつけたとされる
- 市町村の歩み
- 1924年1月に愛別村から分かれて上川村。1952年に町制を施行して上川町
- 市町村史
- 『上川町史』第3巻
東川町
- 名の由来
- 和名。永田方正が忠別川を「チュプ・ペッ。東川」としたことから旭川の名ができ、この町名もたぶんこの説から生まれた(リスト p.107)(山田秀三の説)。東川町は、東川の語源をアイヌ語チュプペツの意訳とし、水源が東にあって日月の出る所から名づけられたとする
- 始まり
- 1895年、香川・富山・愛知などから80世帯472人が忠別原野に移り住む。翌年には人口が1000人を超える
- 市町村の歩み
- 1909年に2級町村として東旭川村から独立し、東川村の役場ができる。1959年8月15日に町制を施行して東川町
- 市町村史
- 『東川村史』(1954年)、『東川町史』(1975年)、第2巻(1995年)、第3巻(2019年からウェブで公開)
美瑛町
- 名の由来
- アイヌ語のピイェ「油。水源に硫黄山(十勝岳)があり、水が濁って脂のようだったため(リスト p.107)」(永田方正の説)。山田秀三は「油っこい、油ぎっている」と訳す。美瑛町も、ピイェの転訛で「油こい川」が語源とする
- 始まり
- 1894年、兵庫県からの開拓民が辺別太の旭農場に移り住み、開墾が始まる
- 市町村の歩み
- 1900年に神楽村から分かれて美瑛村。1940年に町制を施行して美瑛町
上富良野町
- 名の由来
- 和名。富良野はもと富良野川筋の名。分村と合併がくり返され、富良野川の上流を上富良野町とした(リスト p.37)(山田秀三の説)。元の語は富良野の項(フラヌイ)。上富良野町は、フラ・ヌ・イ(においをもつ所)の転訛で、十勝岳からの川水の硫黄の臭気によるとする
- 始まり
- 1897年4月12日、三重団体の田中常次郎ら8人が今の草分地区に入る。1899年6月25日に富良野村の戸長役場が上富良野に開かれる
- 市町村の歩み
- 1903年7月8日に上富良野村と名を改める。1951年8月1日に町制を施行して上富良野町
- 市町村史
- 『上富良野志』(1909年)、『上富良野百年史』
中富良野町
- 名の由来
- 和名。富良野原野の中心にあることから名づけた(リスト p.93)(地名大辞典の説)。中富良野町は、フーラヌイがフラヌイ(臭く匂う泥土)となり、泥炭地の中心が本町であることによるとする
- 始まり
- 1895年、伊藤喜太郎が今の西中に一人で入り、開拓が始まる。1898年に石川団体と福井団体が移り住む
- 市町村の歩み
- 1917年に上富良野村から分かれて中富良野村。1964年5月1日に町制を施行して中富良野町
南富良野町
- 名の由来
- 和名。1908年に下富良野村から分かれるとき、母村の南にあることから名づけた(リスト p.127)(南富良野町史の説)。南富良野町は、フラヌを「赤い溶岩や焼石がたくさんある所」とする説など、諸説を挙げる。幾寅はユクトゥラシペッ「鹿が・登る・川」(p.9)
- 始まり
- 1891年に砂金業者が金山地区に住みつき、これが町の開基とされる。1900年にユクトラシュベツ原野の区画が測られ、翌年から団体の移住が進む
- 市町村の歩み
- 1908年に下富良野村から分かれる。1932年に占冠村との組合役場を解いて独立し、1967年に町制を施行して南富良野町
- 市町村史
- 『南富良野村史』『南富良野町史』
占冠村
- 名の由来
- アイヌ語のシムカプ「本流の・鵡川。双珠別川を分けた所から上の本流をシムカプといい、その音に占冠と当てたのではないか(リスト p.62)」(山田秀三の説)。占冠村は、アイヌ語シモカプに由来し、上流の場所を意味すると説明する。トマムはトマム「湿地」(p.89)
- 始まり
- 1902年5月、佐藤農場の支配人の日蔭長松が小作人7戸を連れて入り、村の歴史が始まる
- 市町村の歩み
- 1919年4月に南富良野村と組合役場をつくる。のちに独立して占冠村
- 市町村史
- 『占冠村百年史』(2002年)
和寒町
- 名の由来
- アイヌ語のワッサム「ニレ樹・の傍(リスト p.144)」(永田方正の説)。またはアイヌ語のアッサム「オヒョウニレの木の傍と解したもの。剣淵川の東の支流(今の六線川)にワッサムとあり、ここが名の発祥地かと思われる(p.144)」(山田秀三の説)。和寒町は、輪寒・和参とも書かれ、アイヌ語ワットサムの転訛で「ニレの木の傍ら」の意とする
- 始まり
- 1897年に秋田県の菊池伊七が初めて住みつき、和人の移住が始まる。1900年に屯田用地を民有とし、植民区画が設けられる
- 市町村の歩み
- 1915年4月1日に剣淵村から独立して和寒村。1952年に町制を施行して和寒町
- 市町村史
- 『和寒町百年史』
剣淵町
- 名の由来
- アイヌ語のケネペップトゥ「ハンノキ川の川口(リスト p.48)」(駅名の起源の説)。またはアイヌ語のケネ(ペッ)プチ「ハンノキ(・川)・その川口。天塩川との合流点の名が、川全体の名になったのではないか(p.48)」(山田秀三の説)。リストは、いずれにせよハンノキがあったことが名の元と思われるとする。剣淵町の資料も、アイヌの人びとがこの地を「ハンノキの川の畔」と呼んだとする
- 始まり
- 1897年に天塩国上川郡に剣淵村が置かれる。1899年に屯田兵337戸が入り、屯田兵による開拓の最後の地となる
- 市町村の歩み
- 1915年に和寒、1927年に温根別が分かれる。1962年に町制を施行して剣淵町
下川町
- 名の由来
- アイヌ語のパンケヌカナン「下流側の・ヌカナン川。名寄川の南の支流パンケ・ヌカナン川とペンケ・ヌカナン川が流れる所で、パンケ・ヌカナンを意訳して下川とした(リスト p.62)」(山田秀三の説)
- 始まり
- 1901年4月に岐阜団体25戸が入り、下川の開拓が始まる。1903年12月にパンケヌカナン駅逓が置かれ、市街ができ始める
- 市町村の歩み
- 1924年1月に名寄町から分かれて下川村。1949年12月に町制を施行して下川町
- 市町村史
- 『下川町史』第1巻(1968年)〜第5巻(2013年)
美深町
- 名の由来
- アイヌ語のピウカ「石原。天塩川の砂利の河原の所がピウカと呼ばれ、それがこの辺りの名になったのではないか(リスト p.110)」(山田秀三の説)。美深町も、昔はピウカ(石の多い場所)と呼んでいたとする。1951年に美深駅の呼び名が「ぴうか」から「びふか」に改められる
- 始まり
- 1899年に平喜三郎が初めて開拓の鍬を下ろし、美深町の開基の年となる
- 市町村の歩み
- 1920年に下名寄村が美深村と名を改める。1923年に1級町村制で美深町
- 市町村史
- 『美深町史』(1951年・1971年・2011年)
音威子府村
- 名の由来
- アイヌ語のオトイネプ「川口のにごっている川(リスト p.30)」(駅名の起源の説)。またはアイヌ語のオトイネプ「川尻(を歩くと)・泥んこである・もの(川)(p.30)」(山田秀三の説)。音威子府村は、濁った泥川、流木の積もる川口、または切れ曲がる川尻の意とする。筬島はオタニコロナイ「砂の中の川」などの転訛とされる(p.25)
- 始まり
- 1914年に旧天北線が小頓別まで通り、宗谷と天北の分かれ目として発展する。1916年4月1日に中川村から分かれて常盤村の戸長役場が咲来に置かれる
- 市町村の歩み
- 1919年に2級町村制。1963年4月に村名を常盤村から音威子府村に改める
中川町
- 名の由来
- 和名。中川郡は天塩川の中流の意で、中川町はその一番下流の部分。旧名の誉平(ぽんぴら)は、市街の西の川崖の名ポンピラ「小さい・崖」から(リスト p.92)(山田秀三の説)
- 始まり
- 1906年に中川郡に中川村が置かれる。1909年に村の全体にわたる御料地の貸し付けの計画が終わり、移住者が増える。1912年に村の戸長役場が開かれる
- 市町村の歩み
- 1916年に常盤村(今の音威子府村)が分かれる。1964年5月1日に町制を施行して中川町
- 市町村史
- 『中川町史』(1975年)
幌加内町
- 名の由来
- アイヌ語のホロカナイ「後戻りする・川。道内にホロカナイの名は多いが、これほどひどく後戻りしている川はない(リスト p.120)」(山田秀三の説)。幌加内町も、幌加内川を指すホロカナイ(逆戻りする川)の意とする。朱鞠内はスマリナイ「キツネ・川」などの説があり、決めがたい(p.65)
- 始まり
- 1897年8月に4人が入り、幌加内の開拓が始まる。1901年に札幌農学校の第一基本林(のちの雨龍地方演習林)が置かれる
- 市町村の歩み
- 1918年4月に上北竜村から分かれて幌加内村の戸長役場。1959年9月に町制を施行して幌加内町
空から見た上川の町 1947年と1948年の空中写真 26点
戦後すぐ、アメリカ軍が上川を空から撮った写真です。23市町村の市街と、神居古潭・層雲峡・朱鞠内湖が写っています。写真の下に切り替えのある写真は、同じ範囲の現在の写真と見比べられます。写真を押すと大きな画像で見られます。
















































上川の古写真と古い地図 20点
旭川の官庁と停車場、近文の農場の開墾、名寄の町と薄荷の畑、十勝岳の泥流のあとが写っています。




















上川の通しの年表 1,149行
1798年から2026年まで、上川の出来事を時代ごとに並べています。行ごとに出典のリンクがあります。市町村を選ぶか、言葉を入れると絞りこめます。
近世 場所の時代22行
- 1798年名寄市幕府の役人3人が天塩川をさかのぼって見聞する名寄市統計書 年表
- 1807年比布町近藤重蔵の石狩川川筋図に比布川の合流点付近の「ビビ」とアイヌの家屋が描かれる旭川市博物館「アイヌ語地名表示板 ピピ/ピㇷ゚(比布川)」
- 1821年上富良野町間宮林蔵の作とされる蝦夷図にフラヌイの名が初めて見える上富良野町「武四郎とアイヌ語地名」(上富良野百年史)
- 1857年上川全体松浦武四郎が石狩川と天塩川を河口から上流部まで遡って調べる松阪市 松浦武四郎記念館「4回、5回、6回目の蝦夷地調査」国土交通省 留萌開発建設部「天塩川ってどんな川?」
- 1857年上川全体安政4年の調査の報告書が丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌23冊にまとめられる松阪市 松浦武四郎記念館「4回、5回、6回目の蝦夷地調査」
- 1857年名寄市松浦武四郎が名寄のアイヌの小さな村を拠点に名寄川とサンル川を調べる旭川開発建設部名寄河川事務所「天塩川と松浦武四郎」2018年
- 1857年上川全体武四郎の天塩川の調査は安政4年、旧暦6月6日に出発する旭川開発建設部名寄河川事務所「天塩川と松浦武四郎」2018年
- 1857年音威子府村天塩川の筬島でアイヌの長老から聞いた話が「北海道」の名の元になったとされる旭川開発建設部名寄河川事務所「1857年(安政4年)の天塩川」
- 1857年上川全体十勝岳の安政4年の噴火を松田市太郎が記す(新暦5月20日)気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1857年6月士別市松浦武四郎が天塩川筋をさかのぼって探検する士別市統計書2022年版「士別市主要年表」2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1857年士別市この地方はシュペツ(大いなる川)と呼ばれていたと記される士別市統計書2022年版「士別市主要年表」
- 1857年美深町松浦武四郎が天塩川を遡り上川郡・中川郡を探検する美深町「美深町のあゆみ」(平成26年12月)
- 1857年名寄市松浦武四郎が天塩川から名寄川に入って調べる(旧暦6月15日)旭川開発建設部名寄河川事務所「1857年(安政4年)の天塩川」
- 1857年美瑛町幕府の役人が初めて美瑛川を調べる美瑛町「まちの概要」
- 1857年名寄市箱館奉行所に雇われた松浦武四郎が天塩川をさかのぼり、上川郡・中川郡を調べる名寄市統計書 年表
- 1857年音威子府村松浦武四郎が帰り道に筬島付近でアイヌの長老から話を聞き、「カイ」の言葉を知る旭川開発建設部名寄河川事務所 1857年の天塩川(松浦武四郎の足跡)
- 1857年中川町天塩川を調べる松浦武四郎がペンケナイに着き、野宿する旭川開発建設部名寄河川事務所 1857年の天塩川(松浦武四郎の足跡)
- 1857年6月14日上川全体松浦武四郎が十勝岳の山腹に噴煙が上がるのを見て記す(新暦)気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1858年上富良野町松浦武四郎がアイヌの案内で旭川から富良野を経て十勝へ越える上富良野町「武四郎とアイヌ語地名」(上富良野百年史)
- 1858年上富良野町十勝越えの途中、武四郎がフウラヌイの川を越えて町内で一泊したとみられる上富良野町「上富良野町のアイヌ語地名解釈再考」(郷土をさぐる)
- 1858年3月10日上富良野町松浦武四郎が十勝越えの途中でフウラヌイ(上富良野)に来て十勝岳の噴煙を見る上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1863年上川全体松浦武四郎が『天塩日誌』を出版する旭川開発建設部名寄河川事務所「天塩川と松浦武四郎」2018年
明治 開拓の始まり220行
- 1869年上川全体蝦夷地が北海道と改められ、上川は石狩国上川郡となる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1885年8月27日旭川市岩村通俊と永山武四郎の一行が上川に入り、近文山から国見をする旭川市「旭川市のあゆみ」旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1885年旭川市岩村通俊が上川に「北京」を置く建議を再び政府に出す旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1886年旭川市岩村通俊が近文山に国見の碑を建てさせる旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1886年南富良野町内田瀞が植民地選定報文で原野名を初めてフラヌと仮名書きする南富良野町「令和7年度 議会の概要」町名の由来
- 1886年8月旭川市上川郡農作試験所の建物が道庁の手で建てられる(上川地方に残る最古の建物)旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1887年上川全体十勝岳の中央火口丘から噴火が起きる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1887年4月1日名寄市上川郡に上名寄・多寄・士別・剣淵の4か村が置かれる名寄市統計書 年表
- 1888年東神楽町永山武四郎が今の東神楽付近への離宮の建設を政府に求める東神楽町「ひがしかぐら誕生物語」
- 1888年美深町内田瀞らが植民地を選ぶ調査のため美深の地を訪れる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1888年7月7日名寄市内田技師らの地質調査隊が名寄付近の植民地を選ぶ名寄市統計書 年表
- 1889年旭川市上川郡農作試験所の建物が忠別太駅逓として開設される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1889年旭川市上川郡に都府と離宮を設けるとの宣達が出される(計画は実現しない)旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1890年9月20日旭川市上川郡に旭川・永山・神居の3村が置かれる旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1890年旭川市忠別川のアイヌ語名を日の川と解釈し、旭川の名が命名される旭川市博物館「アイヌ語地名表示板 「旭川」の命名由来」
- 1890年6月幌加内町新十津川戸長役場が置かれ、雨竜川の両岸がその管轄となる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1891年旭川市永山村に屯田兵400戸の入植が始まり、東旭川・当麻へと続く旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」
- 1891年南富良野町砂金業者が金山地区に住み着き、これが町の開基とされる南富良野町「南富良野町の歴史」
- 1891年美深町北海道植民地撰定報文で、ピウカ原野とオンネナイ原野が初めて紹介される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1891年2月鷹栖町鷹栖が開基する鷹栖町「たかす工業団地の概要」
- 1892年旭川市東旭川の上・下兵村に屯田兵の第3大隊第3・第4中隊が配置される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1892年旭川市旭川村(現在の東旭川地区)に屯田兵が入地する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1892年東神楽町上川原野の移住者が増え、神楽村が生まれる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1892年東神楽町北垣国道長官が離宮の建設に反対する意見を政府に伝え、計画が立ち消えになる東神楽町「ひがしかぐら誕生物語」
- 1892年鷹栖町誕生した鷹栖村は、今の旭川市近文・江丹別から比布・愛別・上川町までを含んでいた鷹栖町「鷹栖村とアイヌ民族(広報の町長コラム)」
- 1892年2月4日鷹栖町鷹栖村が生まれる鷹栖町「鷹栖村とアイヌ民族(広報の町長コラム)」
- 1893年旭川市旭川郵便電信三等局が開局する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1893年当麻町永山村トオマとして開拓が始まる当麻町「当麻町について」
- 1893年5月10日当麻町広島や山口などから屯田兵400戸が入植する当麻町「当麻町について」
- 1894年旭川市石狩川右岸の近文地区に近文旧土人給与予定地が設定され、近文コタンが形成される旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」
- 1894年美瑛町兵庫県からの開拓民が辺別太の旭農場に移住し、開墾が始まる美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1894年鷹栖町中山照重らの甲州団体(山梨県)が近文原野に入地する鷹栖町「歌人としての中山照重」
- 1894年7月東神楽町東御料地(忠別農区)の貸し下げが行われ、原始林の開拓が始まる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1895年上川町町の開拓が始まる上川町「第10次上川町総合計画」
- 1895年上川町本田喜市が越路27線に入地する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1895年東川町香川・富山・愛知などから80世帯472人が忠別原野に移住する東川町「東川町史 第3巻」
- 1895年比布町当時鷹栖村に属していた比布原野で、植民地区画の貸付が始まる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1895年比布町滋賀県の下田団体が近文のアイヌの人たちに案内を頼み、開拓が始まる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1895年比布町香川県の讃岐団体と愛媛県の伊予団体も移住し、3団体の区画測定で今の町の土台ができる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1895年愛別町和歌山・岐阜・愛知から175戸が団体で移住し、開拓が始まる愛別町「愛別町のご紹介」
- 1895年中富良野町伊藤喜太郎が今の西中に一人で入植し、中富良野の開拓が始まる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1895年美深町このころ玉井捨三郎が獣皮の買い付けと鮭漁のため入地する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1895年4月東川町殖民計画に沿って、旭川村字忠別原野を入植地として貸し付ける制度が始まる東川町「東川町史 第3巻」
- 1896年東神楽町三井又三郎が水田を試作して収穫をあげ、上川での米づくりに道を開く東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1896年東川町入植翌年に人口が1000人を超える東川町「東川町史 第3巻」
- 1896年富良野市富良野原野に殖民地区画が設定される富良野市「富良野市の概要」
- 1896年中富良野町政府が植民地区画を設け、今も残る碁盤の目の区画ができる中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1897年旭川市上川郡役所が旭川に移って開庁する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1897年旭川市郡役所が廃止され、代わりに支庁が置かれる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1897年旭川市旭川警察署が開庁する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1897年東川町旭川村から分かれて東川村と呼ばれるようになった地の人口が1770人に増える東川町「東川町史 第3巻」
- 1897年愛別町鷹栖村から分かれて愛別村が生まれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1897年富良野市福岡県出身の中村千幹らが今の扇山地区に入植し、富良野の開拓が始まる富良野市「富良野市の概要」
- 1897年富良野市滝川から筑後組合農場の小作がフラヌ原野(今の富良野市)に入る上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1897年中富良野町中富良野で合力農場の経営が始まる上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1897年和寒町秋田県の菊池伊七が初めて定住し、和人の移住が始まる和寒町「わっさむの歩み」
- 1897年剣淵町天塩国上川郡に剣淵村が置かれる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1897年4月12日上富良野町三重団体の田中常次郎ら8人が今の草分地区に入地する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1897年6月士別市士別村の設置が告示される2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1897年6月中川町増毛ほか4郡役所の管轄で、剣淵ほか4か村戸長役場の所管となる第7次中川町総合計画
- 1897年6月1日名寄市上名寄村の名が定められる名寄市統計書 年表
- 1897年7月1日上富良野町富良野村がつくられ、戸長役場は歌志内に置かれる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1897年8月幌加内町4人が入地し、幌加内の開拓が始まる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1897年12月18日富良野市歌志内から下富良野までの仮設道路が開通する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1898年旭川市福島団体が東旭川瑞穂に入植する旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1898年旭川市上川線の滝川〜旭川間に鉄道が開通する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1898年富良野市旭川から下富良野までの仮設道路が開通する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1898年上富良野町東8線北15号で赤毛種を植えて米を収穫し、富良野沿線の稲作の始まりとなる上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1898年中富良野町石川団体と福井団体が土地の貸し付けを受けて移住する中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1898年中富良野町ベベルイ川沿いの入植者が水稲の試作に成功する中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1898年剣淵町仮定県道が剣淵まで切り開かれる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1898年剣淵町屯田兵屋の建築が始まる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1898年幌加内町殖民地区画への入植が始まる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1898年5月士別市大内勇記が深川から移り住み、士別に和人が住み始める2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1898年5月名寄市大屋敷磯吉が上名寄村に初めて入地する名寄市統計書 年表
- 1898年7月鷹栖町風水害で家屋の流失や浸水の被害が出る鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1898年9月愛別町水害で愛別小学校などが被害を受ける愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1898年9月1日中富良野町真宗大谷派の説教場(今の法栄寺)の設立が認められる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1898年10月士別市屯田兵屋の建設工事が始まる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1899年旭川市北海道旧土人保護法で1戸5町歩以内の無償付与が定められたが、近文では保留される旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」
- 1899年旭川市第七師団の設置用地の工事が始まり、隣り合う近文の給与予定地が利権の対象となる旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」
- 1899年東川町人口が2000人に達する東川町「東川町史 第3巻」
- 1899年和寒町国鉄天塩線(今の宗谷本線)の終着駅として和寒駅が開かれる和寒町「わっさむの歩み」
- 1899年剣淵町剣淵村ほか3か村の戸長役場が剣淵村に置かれる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1899年剣淵町屯田兵337戸が入地し、屯田兵による開拓の最後の地となる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1899年剣淵町剣淵郵便局が開局する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1899年美深町平喜三郎が初めて開拓の鍬を下ろし、美深町の開基の年となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1899年名寄市旧風連町の地に清水長次郎が渡船業をして住みつき、開基の年となる名寄市統計書 年表
- 1899年6月25日上富良野町富良野村の戸長役場が上富良野に開かれる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1899年7月1日士別市最北で最後の屯田兵100戸が入植し、これを士別の開基とする2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1899年9月1日上富良野町富良野郵便局(今の上富良野郵便局)が開かれる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1899年10月富良野市東京帝国大学の演習林が富良野村(今の山部)に開設される上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1899年10月士別市旧多寄村の地への入植が始まる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1899年11月中富良野町今の東9線北13号に道隆寺の仮説教所ができる上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1899年11月3日中富良野町西中富良野簡易教育所(今の西中小学校)が開校する上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1899年11月15日上富良野町美瑛から上富良野まで鉄道が通り、上富良野駅が開業する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1900年美瑛町神楽村から分かれて美瑛村となる美瑛町「まちの概要」
- 1900年富良野市旭川から下富良野まで鉄道が通り、富良野と周辺が発展を始める富良野市「富良野市のまちづくりと中心市街地の位置づけ」
- 1900年中富良野町上富良野駅から中富良野駅まで鉄道が通り、移住者が増え始める中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1900年南富良野町ユクトラシュベツ原野の区画測設が行われ、翌年から団体移住が進む南富良野町人口ビジョン
- 1900年南富良野町金山駅が開業する南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1900年占冠村占冠に植民区画が設定される第5次占冠村総合計画
- 1900年和寒町屯田用地を民有とし、植民区画地が設定される和寒町「わっさむの歩み」
- 1900年剣淵町剣淵駅が開業する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1900年剣淵町水稲の試作が始まる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1900年美深町仮定県道が恩根内7線まで開通する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1900年名寄市旧智恵文村で青森県の3人が貸付を受け、智恵文10線に入植する名寄市統計書 年表
- 1900年幌加内町このころから町の南部で水稲の試作が行われる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1900年5月士別市兵村の大通で水稲が初めて試作される2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1900年5月15日名寄市団地が開放され、山形・熊本・岐阜などの団体が入地して開拓が始まる名寄市統計書 年表
- 1900年6月当麻町永山村から分かれて當麻村となる当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1900年8月士別市鉄道が和寒から士別まで通り、旭川との行き来が始まる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1900年8月1日上富良野町上富良野から下富良野まで鉄道が通り、電信も始まる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1900年8月31日旭川市旭川村が旭川町と改称する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1901年旭川市第七師団の司令部が札幌から旭川に移る旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1901年富良野市三重県から伊勢団体が下富良野に移住する上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1901年富良野市下富良野にドロの木を使うマッチ軸木の工場ができる上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1901年南富良野町落合駅が開業する南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1901年士別市旧温根別村の地への入植が始まり、伊文沢で砂金が採られる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1901年美深町天塩国中川郡が上川支庁に編入され、剣淵外3か村戸長役場の所属となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1901年幌加内町札幌農学校の第一基本林(のちの雨龍地方演習林)が置かれる北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 沿革
- 1901年音威子府村村の地が帝室御料地に編入される音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1901年4月下川町上名寄に岐阜団体25戸が入植し、下川の開拓が始まる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1901年7月1日富良野市下富良野郵便局(今の富良野郵便局)が開設される上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1901年8月鷹栖町オサラッペ川流域などで水害が起きる鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1901年9月下川町基線道路がつき、19線に守護神のほこらが設けられる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1902年旭川市第七師団の将校の社交場として旭川偕行社が建てられる文化遺産オンライン「旧旭川偕行社」
- 1902年旭川市旭川で国内最低気温の氷点下41.0度を記録する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1902年上川町留辺志部簡易教育所が開かれる(上川小学校の始まり)上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1902年東神楽町東御料地第一水利組合が置かれ、初めてのかんがい水路ができる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1902年上富良野町富良野村の戸数は913戸、人口は4,005人になる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1902年南富良野町幾寅駅が開業する南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1902年美深町大久保農場で水田の試作が行われる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1902年音威子府村国有林から所管が替わり、天塩川中流の右岸に北海道大学の中川研究林ができる北海道大学 中川研究林
- 1902年3月3日上富良野町上富良野神社(当時は富良野神社)がまつられる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1902年4月下川町岐阜団体の第2陣や八丈島団体などが続いて入植する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1902年4月1日旭川市旭川町に1級町村制が施行される旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1902年5月占冠村佐藤農場支配人の日蔭長松が小作人7戸を連れて入地し、村の歴史が始まる占冠村「占冠村の歴史」
- 1902年5月20日名寄市岐阜団体と相馬団体が初めて水稲を試作する名寄市統計書 年表
- 1902年9月士別市剣淵から分かれて士別村戸長役場が置かれる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1902年9月15日名寄市上名寄簡易教育所が開かれ、名寄の学校教育が始まる名寄市統計書 年表
- 1902年10月下川町最初の冷害に見舞われ、名寄と下川を結ぶ道路の工事が始まる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1903年6月8日旭川市知里幸恵は旭川の伯母金成マツのもとで育ち、祖母や伯母から口承文芸を受け継ぐ旭川市「史跡等表示板 知里幸恵居住地」青空文庫 図書カード「アイヌ神謡集」
- 1903年南富良野町恵光寺の住職らが越中獅子にならい幾寅獅子舞を結成する南富良野町「南富良野町無形文化財『幾寅獅子舞』」
- 1903年剣淵町屯田兵村の給水溝の掘削は終わるが、通水は失敗する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1903年名寄市旧風連町の地に鉄道が通り、風連駅が開業する名寄市統計書 年表
- 1903年中川町御料地の貸付が行われ、町の始まりとなる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1903年7月8日富良野市道庁の告示で富良野村の南部を分け、下富良野村が置かれる富良野市「富良野市の概要」
- 1903年7月8日上富良野町下富良野村が分かれたため、富良野村は上富良野村と名を改める上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1903年8月3日名寄市上名寄駅(今の名寄駅)が開業し、機関区と保線区が置かれる名寄市統計書 年表
- 1903年9月士別市鉄道が士別から名寄まで通り、多寄駅が開業する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1903年9月下川町天塩線が名寄まで開通し、下川への入地者が増える下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1903年9月1日富良野市下富良野村の戸長役場が今の富良野市街に開かれる富良野市「富良野市の概要」
- 1903年9月3日名寄市上名寄と士別の間に鉄道が開通する名寄市統計書 年表
- 1903年12月下川町23線にパンケヌカナン駅逓が置かれ、市街地ができ始める下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1904年旭川市初代の旭橋が完成する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1904年鷹栖町石狩川の鷹栖橋が鉄橋となり、名前が「旭橋」に変わる鷹栖町「鷹栖村とアイヌ民族(広報の町長コラム)」
- 1904年占冠村字占冠に村で初めての学校(簡易教育所)が開かれる占冠村「占冠村の歴史」
- 1904年和寒町剣渕尋常高等小学校の和寒教授場(和寒小学校の前身)が開かれる和寒町「わっさむの歩み」
- 1904年剣淵町大水害と早霜で収穫がまったく無くなる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1904年音威子府村開拓の鍬が初めて下ろされる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1904年5月中富良野町今の中富良野に産業組合ができる上富良野町「上富良野歴史年表 明治30〜39年」
- 1905年士別市御料地の貸し下げで旧朝日町の地の開拓が始まる士別市「士別市の概要」
- 1905年9月鷹栖町近文土功組合が設立され、道内でも有数の大かんがい溝が掘られる鷹栖町「歌人としての中山照重」
- 1906年旭川市旭川町がアイヌの人々に1戸1町歩の土地を貸し付ける(無償付与ではない)旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」
- 1906年中川町中川村ができる(旧名は誉平、アイヌ語のポンピラ=小さい崖に由来)北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年)p.92「中川」
- 1906年東川町人口が3000人に達する東川町「東川町史 第3巻」
- 1906年当麻町當麻村に2級町村制が施行される当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1906年愛別町愛別村に二級町村制が施行される愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1906年和寒町和寒郵便局が開局する和寒町「わっさむの歩み」
- 1906年剣淵町2級町村制を施行する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1906年美深町中川郡に中川村が置かれ、上名寄外3村戸長役場の所属となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1906年中川町中川村の名が生まれる(今の音威子府村を含む)第7次中川町総合計画
- 1906年3月下川町24線に下川郵便局が開かれる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1906年4月士別市士別村が2級町村制を施行する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1906年4月1日上富良野町戸長役場を廃止して2級町村制を施行する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1907年旭川市旭川〜釧路間の鉄道が全通する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1907年和寒町中和で湧き水を使い10坪の水田が試作される和寒町「わっさむの歩み」
- 1907年和寒町このころ西和で砂金掘りが始まる和寒町「わっさむの歩み」
- 1907年美深町下名寄村の戸数が1,125戸、人口が5,252人となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1907年中川町今の美深町に下名寄戸長役場が置かれ、中川村はその管轄となる第7次中川町総合計画
- 1907年2月士別市帝国製麻の士別工場が操業を始める2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1907年5月20日名寄市初めてハッカが栽培され、好成績を挙げる名寄市統計書 年表
- 1907年9月南富良野町今の根室線の富良野〜新得間が開通するJR北海道「根室線(富良野・新得間)のラストランに向けた取り組み」
- 1908年南富良野町下富良野村から分村し、母村の南にあることから南富良野と名付けられる北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年)p.127「南富良野」
- 1908年旭川市旭川電燈株式会社が電力の供給を始める旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1908年東神楽町東御料地土功組合が設立される東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1908年東川町基線道路(今の道道旭川旭岳温泉線)の工事が始まる東川町「東川町史 第3巻」
- 1908年4月南富良野町下富良野村戸長役場から分かれ、南富良野村外1か村戸長役場が置かれる南富良野町人口ビジョン
- 1908年4月1日中富良野町中富良野郵便局が開局する上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1909年旭川市福島団体の入植者が郷里の養蚕民家を模した家を建てる旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1909年上川町中山修作らが豊原に入地する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1909年東川町東川村が2級町村として東旭川村から独立し、初代の役場庁舎が建てられる東川町「東川町史 第3巻」
- 1909年当麻町私設の消防組が発足する当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1909年和寒町塩狩峠で客車の連結が外れて逆走し、乗客の国鉄職員長野政雄が身を挺して止める和寒町「長野政雄顕彰碑」
- 1909年和寒町南部牛12頭を買い入れて飼育が始まる和寒町「わっさむの歩み」
- 1909年剣淵町屯田兵村の給水溝の改修工事が完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1909年名寄市2級町村制で多寄村(のちの旧風連町)が独立する名寄市統計書 年表
- 1909年中川町全村にわたる御料地の貸付計画が終わり、移住者が増える第7次中川町総合計画
- 1909年4月1日名寄市北海道2級町村制の施行で上名寄村が誕生する名寄市統計書 年表
- 1909年12月22日上富良野町開拓10年の記録「上富良野志」が発刊される上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1910年旭川市神居古潭駅の駅舎が建てられる旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1910年和寒町市街に私立消防組ができる和寒町「わっさむの歩み」
- 1910年名寄市旧智恵文村に郵便局が開かれ、智東駅ができる名寄市統計書 年表
- 1911年南富良野町金山駅のランプ小屋が建てられる南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1911年和寒町広島県から除虫菊の種子を取り寄せて栽培が始まる和寒町「わっさむの歩み」
- 1911年美深町宗谷線の名寄から恩根内までが開通する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1911年中川町薄荷が持ち込まれ、全戸に苗が分けられて広まる中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 1911年5月愛別町大火で愛別の市街の大半が焼ける愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1911年12月士別市士別に電話が開通する(加入は34)2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1912年旭川市レルヒ中佐が第七師団に着任し、スキーを指導する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1912年東神楽町大規模なかんがい施設が完成し、畑作から稲作への転換が進む東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1912年上富良野町上富良野村の人口が13,249人、戸数が2,335戸になる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1912年士別市士別村の戸数は2,350戸、人口は14,709人となる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1912年美深町宗谷線の恩根内から音威子府までが開通する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1912年美深町天塩川の沿岸で薄荷の栽培が始まる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1912年下川町ペンケ地区の開拓が始まる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1912年音威子府村今の宗谷線が音威子府まで開通する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1912年中川町中川村に戸長役場が開かれ、専任の初代戸長に藤惣治が就く第7次中川町総合計画
- 1912年4月8日中富良野町中富良野の総代らが分村を求める請願書を上川支庁長に出す上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
大正119行
- 1912年9月愛別町台風と水害で家屋が倒れ、冷害で凶作となる愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1912年9月20日中富良野町中富良野の泥炭地約2,000町歩に大排水を起こす構想が立つが着工されない上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1913年東川町人口が前年の5787人から一気に大きく増える東川町「東川町史 第3巻」
- 1913年富良野市滝川から下富良野まで鉄道が通り、旭川・滝川・帯広を結ぶ拠点になる富良野市「富良野市のまちづくりと中心市街地の位置づけ」
- 1913年富良野市奈良県の吉野団体が御料地の小作として下富良野村に入る上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1913年中富良野町大冷害で凶作となり農家の経済が傾く中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1913年南富良野町下金山駅が開業する南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1913年美深町北海道木材の美深工場が操業を始め、自家発電で町に初めて電気が使われる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1913年4月士別市旧上士別村が士別村から分かれる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1913年5月22日富良野市下富良野に警察の分署が新しく置かれる上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1914年中富良野町岡山団体が中富良野の東部地区に入植する上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1914年中富良野町第一次世界大戦の好景気で豆類の作付けが増え、畑作地の開拓が早まる中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1914年美深町5線に日本製麻の美深工場ができる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1914年音威子府村旧天北線が小頓別まで開通し、宗谷と天北の分かれ目として発展する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1914年4月1日旭川市旭川に区制が施行される旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1915年上川町塩谷水次郎が層雲峡に浴舎を建てて営業を始める上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1915年中富良野町私設の中富良野消防組ができる上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1915年剣淵町和寒が分かれて和寒村として独立する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1915年美深町北海道2級町村制が施行され、初代村長に立石文雄が就く美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1915年4月富良野市下富良野村から山部村が分かれる富良野市「富良野市の概要」
- 1915年4月1日和寒町剣淵村から独立し和寒村が誕生する和寒町「和寒町の概要」
- 1915年10月28日名寄市帝国製麻の名寄製線所が操業を始める名寄市統計書 年表
- 1915年11月士別市士別村が町制を施行し士別町になる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1915年11月1日名寄市上名寄村が名寄町と改称し、1級町村制が施行される名寄市統計書 年表
- 1916年旭川市上川アイヌの川村家が私費で川村カ子トアイヌ記念館を設ける旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1916年旭川市常磐公園が開園する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1916年中川町常盤村(今の音威子府村)が3,287人で分かれる第7次中川町総合計画
- 1916年4月1日音威子府村中川村から分かれて常盤村戸長役場が咲来市街に置かれる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1916年6月士別市士別に初めて電灯がつく2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1916年6月11日名寄市名寄火力発電が設立され、名寄に電灯がともり始める名寄市統計書 年表
- 1916年7月30日中富良野町今の新田中地区から分村に反対し、上富良野に残りたいとの陳情が出る上富良野町「上富良野歴史年表 明治40〜大正5年」
- 1917年鷹栖町中山照重が村長となり、オサラッペ川の治水を急ぐ鷹栖町「歌人としての中山照重」
- 1917年中富良野町上富良野村から分かれて中富良野村となり、2級町村制を施行する中富良野町議会「議会の概要」議会の沿革
- 1917年中富良野町豆類の作付面積が農用地の76%を占める中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1917年4月1日上富良野町上富良野村を分けて中富良野村が置かれる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1918年4月幌加内町上北竜村から分かれ、幌加内村戸長役場が置かれる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1918年8月鷹栖町水害で河川が氾濫する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1918年9月下川町初めての木工場(下川木工場)ができる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1919年旭川市旭川商業会議所が設立される旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1919年東神楽町宮内次官の来村をきっかけに、御料地の小作問題が表に出る東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1919年鷹栖町鷹栖土功組合が設立され、住民の手によるオサラッペ川の改修が始まる鷹栖町「鷹栖町指定文化財」
- 1919年当麻町當麻村に1級町村制が施行される当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1919年中富良野町中央大排水路が完成して土地が乾き、川沿いの開拓が大きく進む中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1919年士別市でん粉の生産が全道の40%を占める2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1919年剣淵町市街に電灯がつく第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1919年音威子府村常盤村に2級町村制が施行される音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1919年4月富良野市下富良野村が町制を施行し富良野町になる富良野市「富良野市の概要」
- 1919年4月南富良野町2級町村制の施行で南富良野村占冠組合役場が置かれる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1919年4月占冠村南富良野村と組合役場をつくり、南富良野村占冠組合役場が置かれる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1919年4月1日上富良野町上富良野村が1級町村制を施行する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1919年4月1日中川町二級町村制が施行され、中川村役場となる第7次中川町総合計画
- 1919年7月鷹栖町水害で河川が氾濫する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1919年10月下川町名寄から下川までの鉄道が開通する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1919年10月1日名寄市名寄線の名寄から下川までが開通する名寄市統計書 年表
- 1920年旭川市第1回国勢調査で人口が54,931人となる旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1920年東川町第1回国勢調査で東川村の人口が8009人となる東川町「東川町史 第3巻」
- 1920年富良野市第1回国勢調査で人口は16,206人になる富良野市「富良野市のまちづくりと中心市街地の位置づけ」
- 1920年剣淵町第1回国勢調査で人口10,693人、平均6人家族となる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1920年美深町智恵文村が分村し、同時に下名寄村が美深村と改称する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1920年美深町第1回国勢調査で美深村は2,045戸、10,991人となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1920年6月士別市士別から上士別まで鉄道馬車が通る2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1920年6月1日名寄市旧智恵文村が下名寄村から分かれ、2級町村制が施行される名寄市統計書 年表
- 1920年9月鷹栖町水害で2名が亡くなり、橋6か所が流される鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1920年10月1日上富良野町第1回国勢調査で世帯数1,924戸、人口10,691人となる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1921年上川町この地を訪れた大町桂月が層雲峡の名を付けたとされる北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年)p.72「層雲峡」
- 1921年比布町比布でいちごの栽培が始まる比布町「ぴっぷいちご誕生100周年記念事業」
- 1921年美深町仁宇布発電所が営業を始める美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1921年6月12日旭川市北海道庁が旧神居村の神居古潭原住人遺跡を史跡に仮指定する北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』2022年
- 1922年当麻町當麻駅が開業し、今の石北線が町内に開通する当麻町「当麻町について」
- 1922年和寒町和寒土功組合(和寒土地改良区の前身)ができる和寒町「わっさむの歩み」
- 1922年8月1日旭川市市制が施行され旭川市となる旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1922年9月18日旭川市知里幸恵が19歳で亡くなる青空文庫 図書カード「アイヌ神謡集」
- 1922年11月下川町下川の分村が議決され、分村の準備が進む下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1923年旭川市北海道旭川師範学校が開校する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1923年上川町愛別〜上川間に鉄道が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1923年東神楽町借地権をめぐる大争議が両者の妥協で一応の決着を見る東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1923年美瑛町美瑛村に1級村制が施行される美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1923年上富良野町大日本麦酒の直営ホップ園で富原地区のホップの試作栽培が始まる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1923年中富良野町山手幹線の用水が完成し、空知川の水を引けるようになって水稲が発展する中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1923年占冠村金山から右左府(今の日高)までの三国横断バスが運行を始める占冠村「占冠村の歴史」
- 1923年和寒町塩狩温泉が開業する和寒町「わっさむの歩み」
- 1923年剣淵町剣淵商工会ができる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1923年美深町北海道1級町村制の施行により美深町と改称する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1923年美深町紋穂内で石炭が掘られる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1923年幌加内町旧町村制が施行され、幌加内村となる幌加内町第8次総合振興計画
- 1923年2月富良野市富良野町に下富良野土功組合が設立される上富良野町「上富良野歴史年表 大正6〜昭和元年」
- 1923年4月中富良野町中富良野村が1級町村制を施行する中富良野町議会「議会の概要」議会の沿革
- 1923年6月上川全体十勝岳に溶けた硫黄の沼が現れ、丸谷温泉の湯温が上がる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1923年7月中富良野町富良野川の水門付近で上流の上富良野と下流の中富良野の農民が水争いを起こす上富良野町「上富良野歴史年表 大正6〜昭和元年」
- 1923年8月10日旭川市知里幸恵の『アイヌ神謡集』が郷土研究社から刊行される青空文庫 図書カード「アイヌ神謡集」
- 1924年上川町分村した上川村の人口は4,112人、750世帯だった上川町「第10次上川町総合計画」
- 1924年上川町上川の市街地に電話が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1924年東神楽町帝室林野局が御料地を借地人に払い下げることを決める東神楽町「東神楽町の概要」
- 1924年東神楽町払い下げにあたり、東御料地が「東神楽」と名付けられる東神楽町「東神楽町の概要」
- 1924年愛別町愛別村から上川村が分かれる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1924年和寒町中和貯水池が完成し、和寒酪農組合ができる和寒町「わっさむの歩み」
- 1924年1月上川町愛別村から分かれて上川村が生まれる上川町「第10次上川町総合計画」
- 1924年1月下川町名寄町から分かれて下川村が生まれ、2級町村制が施行される下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1924年1月1日名寄市名寄町から下川村が分かれる名寄市統計書 年表
- 1924年1月26日上富良野町北大生が吹上温泉から十勝岳にスキーで登り、冬山の初登頂となる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1925年和寒町西和貯水池が完成する和寒町「わっさむの歩み」
- 1925年剣淵町桜岡貯水池の工事が完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1925年中川町需要の低迷で、この年を境に薄荷の栽培が減っていく中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 1925年11月音威子府村役場が今の音威子府市街に移る音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1925年12月23日上川全体十勝岳の中央火口丘の大噴から噴火し、大正の活動が始まる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1926年上川町上川の市街地に送電が始まる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1926年東神楽町御料当局から聖台の高台地帯が払い下げられる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1926年美瑛町美瑛川に入った泥流が耕地にあふれ、美瑛の市街近くまで達する美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1926年当麻町鉄筋コンクリート造りの役場庁舎が建てられる(今の郷土資料館)当麻町「郷土資料館ここから」
- 1926年士別市1913年以来の大凶作となる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1926年剣淵町市街地に公衆電話ができる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1926年1月鷹栖町6年3か月かけたオサラッペ川の改修工事が終わる鷹栖町「鷹栖町指定文化財」
- 1926年5月24日上富良野町十勝岳の噴火で大規模な泥流が起き、上富良野と美瑛の2村が埋まる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」旭川地方気象台「十勝岳大正泥流から100年 特設サイト」
- 1926年5月24日美瑛町十勝岳の泥流で美瑛も埋まり、死者・行方不明は144名にのぼる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1926年5月24日美瑛町十勝岳が爆発し、泥流が畠山温泉(今の白金温泉)を襲う美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1926年5月24日美瑛町十勝岳の噴火で死者・行方不明144名、建物372棟の被害が出る(上富良野側を含む)美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1926年5月24日中富良野町十勝岳の噴火による泥流で中富良野村も大きな被害を受ける上富良野町「上富良野歴史年表 大正6〜昭和元年」
- 1926年9月8日上川全体十勝岳が再び噴火し、噴煙が4600mに達して2名が行方不明になる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1926年10月富良野市富良野町の磯野農場で小作料の引き下げを求める小作争議が起きる上富良野町「上富良野歴史年表 大正6〜昭和元年」
昭和の戦前と戦中92行
- 1926年12月下川町三井サンル鉱山が操業を始める下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1927年剣淵町温根別が分かれて温根別村として独立する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1927年5月24日上富良野町十勝岳爆発遭難記念碑が建てられる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1927年6月1日鷹栖町治水工事の完成を記念して「治水」の碑が建てられる鷹栖町「鷹栖町指定文化財」
- 1927年10月士別市旧温根別村が剣淵村から分かれる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1928年美深町美深町大火が起き、停車場付近から出た火で市街が焼ける美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1928年幌加内町道の資料では、雨竜第一・第二ダムの建設がこの年から16年をかけて進められたとされる北海道 朱鞠内道立自然公園
- 1928年8月士別市士別軌道の馬車鉄道が蒸気機関車になる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1928年12月中川町斎藤茂吉の兄守谷富太郎が志文内診療所で拓殖医を務め始める中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 1928年12月4日上川全体十勝岳の大正火口で噴火が起き、大正の活動の最後の噴火となる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1929年旭川市第1回慰霊音楽大行進(今の北海道音楽大行進)が開かれる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1929年上川町上川発電所が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1930年旭川市市立診療所(今の市立旭川病院)が開設される旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1930年東神楽町聖台土功組合が発足する東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1930年東川町国勢調査で人口が8406人となる東川町「東川町史 第3巻」
- 1930年和寒町川西で温床苗代が始まる(当時の上川地方は直播が93.6%)和寒町「わっさむの歩み」
- 1931年愛別町冷害で凶作となる(翌年と1934年にも続く)愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1931年美深町最低気温が氷点下41.5度を記録する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1931年美深町美深と枝幸を結ぶ鉄道の第1回の現地踏査が行われる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1931年幌加内町水田が1,046haまで広がる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1931年5月下川町名寄と下川の間にバスが通り、一の橋に森林軌道がつく下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1932年旭川市石北線が全線開通する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1932年東神楽町聖台の貯水池の工事が始まる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1932年南富良野町占冠村との組合役場を解消し、南富良野村として独立する南富良野町人口ビジョン
- 1932年占冠村南富良野村との組合役場が解消される南富良野町第6次総合計画(素案)
- 1932年士別市大水害と凶作に見舞われる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1932年剣淵町大水害が起きる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1932年美深町大水害で1,003町8反が被害を受け、大凶作となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1932年幌加内町深川から朱鞠内までの鉄道が全線開通し、幌加内線となる北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1932年2月15日上富良野町江幌貯水池が完成する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1932年8月14日中川町歌人の斎藤茂吉が弟を連れて志文内の兄を訪ねる中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 1932年11月1日旭川市永山村の一部を旭川市に編入する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1933年旭川市旭川放送局が放送を始める旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1933年南富良野町幾寅駅の駅舎が建て替えられる南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1933年1月28日上富良野町十勝岳の山麓に山小屋「白銀荘」が建てられる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1934年3月17日旭川市抗議と運動の末に旭川市旧土人保護地処分法が制定され、1戸1町歩が付与される旭川市「旭川地域のアイヌの人々の生活空間とアイヌ文化」国立国会図書館「日本法令索引」旭川市旧土人保護地処分法
- 1934年旭川市旭川ガスが市内へのガス供給を始める旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1934年12月4日上川町大雪山国立公園が指定される上川町「まちづくりのあゆみ」環境省「大雪山国立公園 公園の概要」
- 1934年東川町大雪山が国立公園に指定される東川町「東川町史 第3巻」
- 1934年南富良野町金山駅の駅舎が建て替えられる南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1934年和寒町庁立の除虫菊試験地が置かれる和寒町「わっさむの歩み」
- 1934年美深町恩根内で水銀が見つかる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1934年美深町冷害で水田1,962町1反のうち1,840町8反の収穫がなくなる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1934年2月15日旭川市政府が旭川市旧土人保護地処分法案を第65回帝国議会に出す国立国会図書館「日本法令索引」旭川市旧土人保護地処分法
- 1934年2月17日旭川市旭川市旧土人保護地処分法案が衆議院本会議の第一読会にかけられる国立国会図書館「日本法令索引」旭川市旧土人保護地処分法
- 1934年3月24日旭川市旭川市旧土人保護地処分法(昭和9年法律第9号)が公布される国立国会図書館「日本法令索引」旭川市旧土人保護地処分法
- 1934年4月鷹栖町融雪の水害で近文橋・北野橋・白河橋が流される鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1934年5月1日名寄市名寄治水事務所が置かれ、天塩川の治水工事が初めて始まる名寄市統計書 年表
- 1934年11月6日愛別町アイヌ語の「矢川」に朝日を配した章が定められる愛別町「愛別町のご紹介」
- 1935年美深町仁宇布植民軌道が仁宇布25線まで開通する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1936年旭川市ロータリーが完成する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1936年10月士別市明治製糖の士別工場(今の日甜)が操業を始める2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1936年10月幌加内町雨竜第一ダムの地質調査が始まる北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1937年東神楽町聖台の貯水池と幹線水路が完成し、村の中央部に水田が造成される東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1937年愛別町愛別村に一級町村制が施行される愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1937年剣淵町剣淵神社の社殿が完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1937年3月31日旭川市北海道旧土人保護法の改正とともに旭川市旧土人保護地処分法が改正される国立国会図書館「日本法令索引」旭川市旧土人保護地処分法
- 1937年11月1日名寄市名羽線の名寄から初茶志内までが開通する名寄市統計書 年表
- 1938年名寄市多寄村が風連村と改称し、上多寄方面が多寄村として分かれる名寄市統計書 年表
- 1938年4月士別市旧多寄村が風連村から分かれ、1級町村制を施行する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1938年6月4日幌加内町雨竜ダムの起工式が行われ、翌日から仮排水路の工事が始まる北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1939年南富良野町東鹿越に信号場が設けられる南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1939年南富良野町下金山駅が新しい駅舎を建てて移転する南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1939年剣淵町剣淵橋が完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1939年9月1日名寄市鈴石と高師小僧が天然記念物に指定される名寄市統計書 年表
- 1939年9月7日名寄市名寄鈴石が国の天然記念物に指定される文化遺産オンライン「名寄鈴石」文化遺産オンライン「名寄高師小僧」
- 1940年旭川市国策パルプ工業の旭川工場が操業を始める旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1940年上川町上川営林作業所(上川営林署の前身)が開設される上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1940年美瑛町町制が施行され美瑛町となる美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1940年士別市名越橋が完成し、水稲のイモチ病が大発生する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1940年1月31日名寄市名寄町が名寄鈴石と名寄高師小僧の管理団体になる文化遺産オンライン「名寄鈴石」
- 1940年4月富良野市山部村から東山村が分かれる富良野市「富良野市の概要」
- 1941年中川町字名が改められ、14の字名となる第7次中川町総合計画
- 1941年6月1日名寄市名寄と深川を結ぶ深名線が開通する名寄市統計書 年表
- 1941年12月下川町三菱下川鉱業所が操業を始める下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1942年東神楽町高台地の開発で神楽村の人口が1万6485人となる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1942年9月10日旭川市東旭川村の一部を旭川市に編入する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1943年4月1日東神楽町神楽村から東神楽村が分かれ、母村の東にあることから名付けられる北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年)p.107「東神楽」東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1943年旭川市東旭川に入植した屯田兵の暮らしを描いた屯田兵絵物語がまとめられる文化遺産オンライン「屯田兵絵物語 附 屯田絵巻」
- 1943年名寄市旧風連村の地で雨竜発電所の工事が完成し、発電が始まる名寄市統計書 年表
- 1943年幌加内町雨竜ダムの工事について、幌加内町史は175人の死者を出したと記す北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1943年3月東神楽町道庁から東神楽の分村が正式に告示される東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1943年10月1日幌加内町6年をかけた雨竜発電工事が完成し、朱鞠内湖ができる北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1943年10月1日幌加内町工事記録では、雨竜ダムの工事に携わった労務者は延べ587,569人とされる北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1943年12月東神楽町旭川警察署の旧庁舎を移築した村役場の新庁舎に移る東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1944年下川町三井サンル金山が閉山する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1945年旭川市師団通が平和通と改称される旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1945年上川町層雲峡の大函トンネルが完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1945年当麻町旧陸軍の演習地が緊急開拓地として開放され、入植が進む当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1945年剣淵町戦災者の緊急入植が始まる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1945年美深町小車の水銀鉱が閉鎖される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1945年7月15日上富良野町富良野の上空に米軍機が来て空襲を受ける上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
戦後の昭和392行
- 1946年旭川市市立窯業指導所(今の工芸センター)が開設される旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1946年東神楽町農地改革で村の小作者のほとんどが自作農になる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1946年南富良野町東鹿越の信号場が駅になる南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1946年南富良野町落合駅の跨線橋が復元される南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1946年和寒町農地改革で約2000町歩が自作農地となり、173戸が開拓に入る和寒町「わっさむの歩み」
- 1947年東神楽町豪雨で忠別川が大洪水を起こし、堤防が次々に決壊する東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1947年東川町国勢調査で人口が初めて1万人を超える東川町「東川町史 第3巻」
- 1947年剣淵町公選で村長を選ぶ選挙が行われる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1947年5月31日比布町比布村立比布中学校が開校する比布町「比布中学校の沿革」
- 1948年上川町上川村農業協同組合が設立される上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1948年剣淵町剣淵農業協同組合ができる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1948年剣淵町市街地の大火で173戸が焼ける第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1948年美深町美深と枝幸を結ぶ鉄道の敷設を求める請願が衆議院で採択される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1948年幌加内町朱鞠内観光協会ができ、朱鞠内湖が観光地として歩み始める北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1948年3月30日美瑛町美瑛町立病院が開設される美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1949年和寒町役場の庁舎を今の場所に移して新しく建てる和寒町「わっさむの歩み」
- 1949年6月10日上富良野町市街地の八町内で大火災が起きる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1949年8月士別市旧上士別村を分けて旧朝日村が独立する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1949年12月下川町町制が施行され、下川町となる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1950年旭川市北海道開発大博覧会が開かれる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1950年上川町上川商工会が設立される上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1950年美瑛町十勝岳のふもとの白金地区で温泉が湧き出る美瑛町「まちの概要」
- 1950年東川町人口が10754人に達し、これが最も多い時期となる東川町「東川町史 第3巻」
- 1950年音威子府村人口が4,185人で最も多くなり、その後は減り続ける音威子府村第5期総合計画
- 1950年音威子府村名寄農業高校の分校として、今のおといねっぷ美術工芸高校のもとが発足する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1951年美深町美深駅の呼び名が「ぴうか」から「びふか」に改められる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1951年4月1日旭川市東鷹栖村の一部を旭川市に編入する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1951年8月1日上富良野町町制を施行し上富良野町になる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1952年旭川市保安隊が旧陸軍第七師団の跡地に移駐する陸上自衛隊 北鎮記念館「北鎮記念館の使命」
- 1952年上川町旭川東高校上川分校(上川高校の前身)が開校する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1952年中富良野町このころラベンダーの栽培が始まる中富良野町景観計画「中富良野町の景観特性と課題」
- 1952年和寒町町制を施行し和寒町になる和寒町「和寒町の概要」
- 1952年剣淵町村内で有線ラジオ放送が始まる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1952年中川町沿岸バスの定期バスが町内を走り始める中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1952年8月17日上川全体十勝岳に水蒸気噴火で昭和火口ができる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1953年東神楽町開基60年を迎え、村章と村歌を定める東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1953年美深町天塩川が氾濫して大水害となり、災害救助法が適用される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1953年美深町美幸線の敷設を進める期成会ができる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1953年名寄市町制施行により風連村が風連町となる名寄市統計書 年表
- 1953年音威子府村音威子府高等学校(定時制)として独立する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1953年3月下川町国有林1,213haの払い下げを受ける下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1953年3月24日名寄市保安隊(今の陸上自衛隊)が名寄に駐屯する名寄市統計書 年表
- 1953年8月士別市旧上士別村の内大部貯水池が決壊し大きな被害が出る2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1953年8月1日当麻町集中豪雨で牛朱別川と当麻川の水系が氾濫し、全町が被害を受ける当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1954年上川町台風で町内に8,136万立方メートルの風倒木が出る上川町「第10次上川町総合計画」
- 1954年士別市市制施行時の戸数は6,677戸、人口は38,854人となる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1954年剣淵町村の財政再建計画を立てる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1954年剣淵町台風15号で村有林の8,628本が倒れる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1954年美深町台風15号が襲来し、災害救助法が適用される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1954年幌加内町朱鞠内湖淡水漁業協同組合が設立される北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1954年7月1日士別市士別町・上士別村・多寄村・温根別村が合併し、道内20番目の市として士別市になる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1954年8月1日名寄市智恵文村と合併し、新しい名寄町が発足する名寄市統計書 年表
- 1954年9月上川町台風15号(洞爺丸台風)が層雲峡奥地の原生林などを襲う上川町「第10次上川町総合計画」
- 1954年9月鷹栖町台風15号で住宅46戸が全壊する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1954年9月愛別町台風15号で約100戸が全壊・半壊する愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1954年9月下川町冷害と台風15号に見舞われる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1954年9月26日当麻町台風15号が上川平野に達し、風速40mを記録する当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1954年9月26日比布町台風15号で住宅63戸が全壊、115戸が半壊する比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1954年9月26日幌加内町台風で建物の全壊143戸、半壊510戸の被害が出る幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 1954年10月東川町最初の行政史「東川村史」が発行される東川町「東川町史 第3巻」
- 1955年当麻町国勢調査の人口が14,226人となり、これが最も多い時期となる当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1955年比布町国勢調査の人口が8,516人となり、これが最も多い時期となる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1955年中富良野町人口が11,105人で最も多くなり、その後は減っていく中富良野町地方人口ビジョン(改訂版)
- 1955年南富良野町町の公営住宅の整備が始まる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1955年士別市7月から8月にかけて全市で大水害が起きる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1955年和寒町大水害が起きる和寒町「わっさむの歩み」
- 1955年剣淵町豪雨で川があふれ、61棟が床上浸水する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1955年美深町中国人俘虜の殉難者の慰霊祭が行われる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1955年名寄市旧風連町で豪雨による大水害が起きる名寄市統計書 年表
- 1955年音威子府村人口の減少などを理由に村議会の議員の定数を減らす音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1955年2月7日上富良野町ラベンダー耕作組合ができる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1955年4月1日旭川市旧神居村と旧江丹別村が旭川市に合併する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1955年7月鷹栖町水害で水の中に孤立した8戸21名が救出される鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1955年7月下川町大水害に見舞われる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1955年7月3日幌加内町大雨で川が氾濫し、床上浸水247戸、床下浸水552戸となる幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 1955年7月4日中川町天塩川の洪水で家屋533戸が被害を受ける中川町強靱化計画
- 1955年8月13日上川町開基60周年を記念して町章が定められる上川町「第10次上川町総合計画」
- 1955年9月1日上富良野町陸上自衛隊が上富良野町に移ってくる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1955年10月士別市士別飛行場が設けられ、市の広報誌が創刊される2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1955年10月1日上富良野町国勢調査で世帯数2,508戸、人口16,918人となる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1956年和寒町豪雨の水害で水稲の収穫がまったく無い凶作となる和寒町「わっさむの歩み」
- 1956年幌加内町冷害で田1,400ha、畑2,700haが被害を受ける幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 1956年中川町冷害や天塩川の氾濫が重なり、財政再建整備町村の指定を受ける中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1956年3月士別市財政再建団体の指定を受ける2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1956年4月1日名寄市市制を施行し、全道で21番目の市として名寄市になる名寄市統計書 年表
- 1956年5月下川町一の橋大火で213戸と工場などが全焼する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1956年5月25日名寄市智東の天塩川右岸で縄文時代の遺跡が発掘される名寄市統計書 年表
- 1956年9月富良野市町村合併促進法により富良野町が東山村と合併する富良野市「富良野市の概要」
- 1957年旭川市神居古潭竪穴住居遺跡には竪穴二百数十基とチャシコツ1か所がある旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1957年上川町大雪国道(国道39号の上川〜留辺蘂間)が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1957年東神楽町新農山漁村建設総合対策の指定町村となる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1957年当麻町石灰石の採掘中に当麻鐘乳洞が見つかる当麻町「当麻鍾乳洞」
- 1957年美深町美幸線の工事の着工式が行われる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1957年中川町人口が最も多い7,337人に達する第7次中川町総合計画
- 1957年5月下川町下川の市街で大火が起き、121戸と工場や店舗が全焼する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1957年12月17日旭川市旭川市の一覧では神居古潭竪穴住居遺跡の道指定日を12月17日とする旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1957年12月20日旭川市神居古潭竪穴住居遺跡が北海道の史跡に指定される(道教委の一覧の日付)北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』2022年
- 1958年旭川市神居古潭竪穴住居遺跡の発掘が始まり、擦文式土器や紡錘車が出る旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1958年旭川市今の市庁舎(総合庁舎)が完成する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1958年東神楽町「明るい健康農村建設運動」が5か年計画で始まる東神楽町「花のまちの歩み」
- 1958年占冠村自動車輸送が広まり、鵡川で木材を流して運ぶ流送がこのころから消えていく占冠村「古き時代の占冠『流送』」
- 1958年4月当麻町町制が施行され「当麻町」となる当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1959年東川町上川アイヌや大雪山の観光の団体が集い、ヌプリコロカムイノミ(山の祭り)が始まる東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 1959年当麻町当麻ダムが完成する当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1959年愛別町人口が10,094人となり、これが最も多い時期となる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1959年8月15日東川町村から町になり東川町となる東川町「東川町のあゆみ」
- 1959年9月幌加内町町制が施行され、幌加内町となる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1959年11月上川全体十勝岳の昭和火口の噴気孔が小爆発し、小規模な泥流が起きる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1960年旭川市第1回旭川冬まつりが開かれる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1960年上川町風倒木の処理事業で人口が15,289人まで増える上川町「第10次上川町総合計画」
- 1960年上川町大雪営林署が開庁する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1960年美瑛町人口が21,743人に達し、これが最も多い時期となる美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1960年鷹栖町鷹栖村商工会が結成される鷹栖町「鷹栖町について」
- 1960年比布町農業を主とする第1次産業の就業者が77.1%を占める比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1960年占冠村人口が4,705人で最も多くなり、その後は減っていく占冠村まち・ひと・しごと創生総合戦略
- 1960年剣淵町広報けんぶちの第1号が発行される第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1960年幌加内町人口が12,016人となり、この前後を頂点に減り始める幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1960年7月名寄市小児まひが集団で発生し、防疫対策本部が置かれる名寄市統計書 年表
- 1960年10月1日上富良野町国勢調査で人口17,101人、世帯数3,097世帯となる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1961年上川町中央簡易水道の施設が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1961年3月17日当麻町当麻鐘乳洞が北海道の天然記念物に指定される当麻町「当麻鍾乳洞」北海道教育委員会「北海道指定の文化財一覧」
- 1961年剣淵町簡易水道の工事が完成し、市街に飲み水が届く第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1961年1月東神楽町旭川市から柏木ヶ丘付近を旭川空港の予定地にしたいとの申し入れがある東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1961年4月1日旭川市旧永山町が旭川市に合併する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1961年8月1日愛別町町制が施行され愛別町となる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1962年旭川市焼却を免れた第七師団の記録が北鎮記念館に寄贈される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1962年旭川市陸上自衛隊第2師団の編成が完結する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1962年上川町第1回層雲峡峡谷まつりが開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1962年東神楽町旭川空港の建設工事が始まる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1962年美瑛町十勝岳の噴火で火山岩塊が宿舎を襲い、硫黄鉱山の鉱員5名が亡くなる美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1962年比布町町制が施行され、記念に村上山へ桜やツツジなど約400本が植えられる比布町「村上山公園」
- 1962年士別市旧朝日村が町制を施行し朝日町になる士別市「士別市の概要」
- 1962年剣淵町町制を施行し剣淵町になる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1962年美深町郷土博物館が開館する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1962年4月1日中富良野町今の町章が村章として定められる中富良野町町勢要覧
- 1962年6月29日上川全体十勝岳が噴火し、噴石で硫黄鉱山事務所が壊れて5名が亡くなる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」旭川地方気象台「十勝岳大正泥流から100年 特設サイト」
- 1962年6月29日美瑛町十勝岳が33年あまりの休止を経て再び噴火する美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1962年8月16日中川町水害で家屋21戸と非住宅25戸が浸水する中川町強靱化計画
- 1963年美瑛町町民憲章と町章が定められる美瑛町「まちの概要」
- 1963年和寒町国設塩狩スキー場が開かれる和寒町「わっさむの歩み」
- 1963年美深町仁宇布植民軌道が廃止される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1963年4月音威子府村村名を常盤村から音威子府村に改める音威子府村 村名改称50周年記念事業
- 1963年5月比布町村上山公園が開園する比布町「村上山公園」
- 1963年8月15日旭川市旧東旭川町が旭川市に合併する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1963年10月11日占冠村開基60周年を記念して村章を定める占冠村「占冠村民憲章、村旗、村章、村花・村木」
- 1964年旭川市旭川市近文生活館が開館する(2019年に移転)旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1964年東神楽町村と農業改良普及所が環境美化として花壇づくりの指導を始める東神楽町「花のまちの歩み」
- 1964年愛別町冷害で凶作となる愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1964年美深町美幸線の美深から仁宇布までが開通する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1964年4月26日中川町発達した低気圧が横断し、非住宅117戸が被害を受ける中川町強靱化計画
- 1964年5月1日中富良野町念願の町制を施行し中富良野町になる中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1964年5月1日中川町町制が施行され、中川町となる第7次中川町総合計画
- 1964年5月11日名寄市2条市場が全焼し、4人が亡くなる名寄市統計書 年表
- 1964年8月鷹栖町水害で家屋174戸が浸水する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1965年南富良野町幾寅獅子舞が町の無形文化財に指定される南富良野町 第6次総合計画南富良野町「南富良野町無形文化財『幾寅獅子舞』」
- 1965年上川町層雲峡の上水道工事が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1965年愛別町愛別・比布・当麻の3町による大雪浄化組合でし尿処理を始める愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1965年富良野市国勢調査の人口が36,627人で最も多くなる富良野市「富良野市の概要」
- 1965年南富良野町金山ダム工事の流動人口で人口が11,029人と最も多くなる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1965年剣淵町第10回国勢調査で人口8,013人、平均5人家族となる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1965年和寒町開基65周年・開村50周年を記念し、町民憲章・町章・和寒音頭を定める和寒町「わっさむの歩み」
- 1965年1月富良野市旧山部村が町制を施行し山部町になる富良野市「富良野市の概要」
- 1965年4月中富良野町議会の解散を求める投票で議会の解散が決まる中富良野町議会「議会の概要」議会の沿革
- 1965年4月1日比布町比布小学校・西分校・東園小学校を統合し、比布町立中央小学校が開校する比布町「中央小学校 学校の沿革」
- 1965年10月8日上富良野町町営国民宿舎「カミホロ荘」が営業を始める上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1966年旭川市旭川空港が開港し、東京便が就航する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1966年東神楽町新生活運動の一環として「花いっぱい運動」が始まる東神楽町「花のまちの歩み」
- 1966年美瑛町白金に国立大雪青年の家が開所する美瑛町「まちの概要」
- 1966年当麻町比布町・愛別町と大雪浄化組合を作り、し尿処理を共同で行う当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1966年南富良野町山村振興の指定を受ける南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1966年和寒町3年続けて冷害となる和寒町「わっさむの歩み」
- 1966年美深町前年11月からの豪雪で、仁宇布駅などに記録的な雪が積もる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1966年1月1日東神楽町町制が施行され東神楽町となる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1966年1月15日旭川市近文山国見の碑・上川郡農作試験所事務所棟・梅の木が市の文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1966年5月富良野市富良野町が山部町と合併し、道内29番目の市として富良野市になる富良野市「富良野市の概要」
- 1966年6月30日東神楽町町内に建設された旭川空港の開港式が行われる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1966年7月25日旭川市神居古潭おう穴群が旭川市の天然記念物に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1966年10月15日富良野市新しい市の発足に合わせて市章が定められる富良野市「富良野市の概要」
- 1967年美深町富岡遺跡の発掘調査が行われる美深町「美深町のあゆみ」(平成26年12月)
- 1967年上川町層雲峡ロープウェイが開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1967年中富良野町富良野市と組合をつくり学校給食センターを設ける中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1967年南富良野町金山ダムが完成した年に町制を施行し南富良野町になる南富良野町「南富良野町の歴史」
- 1967年南富良野町金山ダムの完成で農業生産の3割を占めた農地が水没し、1,229人が移転する南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1967年占冠村占冠・中央地区で簡易水道の給水が始まる占冠村公共施設等総合管理計画
- 1967年6月26日上富良野町上富良野町民憲章が定められる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1967年7月1日旭川市旭山動物園が開園する旭川市旭山動物園「施設概要」
- 1967年10月9日富良野市青少年健全育成都市を宣言する富良野市「富良野市の概要」
- 1968年旭川市知里幸恵の遺稿ノートが旭川市博物館研究報告で発表される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1968年旭川市旧旭川偕行社を建設当初の姿に復元し、市立旭川郷土博物館として使い始める旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1968年美深町産米の出荷が9万3,082俵となり、町の米作で最高を記録する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1968年1月1日鷹栖町町章が定められる鷹栖町「鷹栖町について」
- 1968年3月1日旭川市旧神楽町が旭川市に合併する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1968年4月30日上富良野町上富良野農協と東中農協が合併する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1968年5月比布町開道100年を記念して町樹町花制定委員会が設けられる比布町「第13次比布町まちづくり計画」
- 1968年5月下川町名寄川頭首工が完成し、下川町史が発刊される下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1968年6月下川町奥サンルで大火が起き、国有林549haと道有林351haが焼ける下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1968年10月上川町観光施設ポンモシリの敷地にチセが整えられ、儀式が行われる拠点となる上川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2024年)
- 1969年旭川市旭川開村80年の記念として嵐山の伝承のコタンの造成が始まる旭川市「史跡等表示板 アイヌ文化の森・伝承のコタン」
- 1969年東神楽町「花のある職場コンクール」で役場互助会が総理大臣賞を受ける東神楽町「花のまちの歩み」
- 1969年鷹栖町町制が施行され、鷹栖村が鷹栖町となる鷹栖町「鷹栖町について」
- 1969年南富良野町富良野地区広域市町村圏振興協議会が設立される南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1969年士別市市民憲章を定め、「士別市史」を刊行する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1969年和寒町塩狩駅の構内に長野政雄の殉職記念碑が建てられる和寒町「わっさむの歩み」
- 1969年5月愛別町異常低温で農作物が被害を受ける愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1969年7月28日富良野市富良野市民憲章が定められる富良野市「富良野市の概要」
- 1970年旭川市人口が30万人に達する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1970年占冠村村の火葬場が建てられる第5次占冠村総合計画
- 1970年剣淵町過疎地域の指定を受ける第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1970年幌加内町水稲の休耕補償制度が始まり、町の北部の米作が大きく変わる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1970年中川町人口が4,761人まで減る中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1970年4月愛別町融雪による増水で被害が出る愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1970年5月士別市米の生産調整が始まり、全市で2,050haが休耕となる2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1970年7月6日旭川市永山屯田兵屋が旭川市の文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1970年8月鷹栖町水害で家屋155戸が浸水する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1970年8月1日当麻町激しい雷を伴う豪雨で、町始まって以来の記録的な大雨となる当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1971年上川全体大雪山は高山植物と北地の種類に富み、全域が天然保護区域とされる文化遺産オンライン「大雪山」
- 1971年士別市上士別遺跡の発掘調査が始まる士別市統計書2022年版「士別市主要年表」
- 1971年上川町三国トンネルが完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1971年東神楽町「ひがしかぐら花まつり」が始まる東神楽町「花のまちの歩み」
- 1971年中富良野町上富良野町と組んで消防の常備化を始める中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1971年和寒町町営バスが東和線・中和線で走り始める和寒町「わっさむの歩み」
- 1971年美深町過疎地域の指定を受ける美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1971年中川町特別豪雪地帯に指定される中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1971年1月22日比布町北町の市街地で商店など2戸が全焼する比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1971年3月士別市岩尾内ダムが完成する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1971年3月2日旭川市旧東鷹栖町が旭川市に合併する旭川市「旭川市統計書 令和7年度版」
- 1971年4月中川町過疎地域対策緊急措置法による過疎地域に指定される中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1971年4月23日上川全体大雪山が国の天然記念物として指定される(上川町・東川町・美瑛町・新得町)文化遺産オンライン「大雪山」
- 1972年旭川市嵐山にアイヌ文化の森・伝承のコタンが旭川市博物館の分館として開館する旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1972年旭川市全国初の恒久的な歩行者天国として平和通買物公園が開かれる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1972年上川町国道273号(上士幌〜上川〜紋別間)が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1972年上川町アイヌモシリが開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1972年鷹栖町町民憲章が定められる鷹栖町「鷹栖町について」
- 1972年当麻町当麻山のふもと一帯に「とうまスポーツランド」の整備が始まる当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1972年愛別町農家2戸がえのき茸の生産施設を建て、きのこ栽培が始まる愛別町「愛別町の産業」
- 1972年和寒町冬キャベツの国の産地指定を受ける和寒町「和寒町の概要」
- 1972年剣淵町町立診療所が完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1972年音威子府村村の全体が農業振興地域に指定される音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1972年中川町上川北部消防事務組合に加わる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1972年4月幌加内町北空知の1市5町で深川地区消防組合がつくられる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1972年9月30日音威子府村音威子府村村民憲章が定められる音威子府村 村の概要
- 1972年10月20日上富良野町市街地区の上水道工事が完成し、翌年から給水が始まる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1972年11月旭川市旭川アイヌ協議会が設立される旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1972年11月下川町下川小学校の統合で、開成・二の橋・渓和・サンルの4校が閉校する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1973年旭川市旭川医科大学が開校する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1973年美瑛町消防を広域で担う大雪消防組合が設立される美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1973年当麻町役場の新庁舎が建てられる当麻町「郷土資料館ここから」
- 1973年愛別町愛別町外3町塵芥処理組合でごみの共同処理を始める愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1973年中富良野町町づくりの基本となる中富良野町総合開発計画をつくる中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1973年剣淵町剣淵町民憲章が定められる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1973年美深町びふか松山湿原が北海道学術自然保護地区に指定される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1973年中川町クビナガリュウの化石が見つかる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1973年3月19日旭川市東旭川の養蚕民家が旭川市の文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1973年5月愛別町豪雨で頭首工が流される愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1973年8月18日名寄市227ミリの集中豪雨が降る名寄市統計書 年表
- 1973年9月14日富良野市市の花・木・鳥・獣が定められる富良野市「富良野市の概要」
- 1974年上川町樹海トンネルが完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1974年鷹栖町8月8日を「町民の日」と定める鷹栖町「鷹栖町について」
- 1974年当麻町近隣5町で上川中部消防組合を設立する当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1974年比布町上川中部消防組合の比布支署が置かれる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1974年愛別町上川中部消防組合による広域の消防が始まる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1974年南富良野町富良野市・占冠村と富良野地区消防組合をつくる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1974年中川町4校が統合され、中央小学校ができる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1974年4月30日幌加内町朱鞠内湖を中心とする地域が道立自然公園に指定される北海道 朱鞠内道立自然公園
- 1974年5月下川町全国鉱山所在市町村協議会が下川で開かれる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1974年11月旭川市旭川アイヌ協会が設立される旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1975年旭川市集中豪雨で市内3,000戸が浸水する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1975年上川町石狩川上流の大雪ダムが完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1975年上川町中山スキー場が開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1975年比布町国勢調査の人口が6,118人となる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1975年富良野市第30回冬季国民体育大会が開かれる富良野市「富良野市のまちづくりと中心市街地の位置づけ」
- 1975年中富良野町このころからのラベンダーブームで富良野盆地が観光地として知られる中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1975年剣淵町台風6号で大水害が起きる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1975年美深町美幸線が赤字日本一として話題になる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1975年音威子府村国勢調査の人口が昭和35年の3,886人から2,552人に減る音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1975年中川町人口が3,896人となる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1975年2月東川町「東川町史」が発行される東川町「東川町史 第3巻」
- 1975年5月6日名寄市名寄本線でSLさよなら列車が走る名寄市統計書 年表
- 1975年8月鷹栖町水害で床上浸水35戸の被害が出る鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1975年8月愛別町台風6号による洪水で田畑が流される愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1975年8月23日当麻町台風6号と寒冷前線で雨量が119ミリに達し、堤防が決壊する当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1975年8月23日比布町台風6号と集中豪雨で降雨量が272ミリとなり、河川が氾濫する比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1975年9月8日幌加内町降雨による水害で2人が亡くなり、3人がけがをする幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 1975年9月8日中川町水害で床上浸水41戸、床下浸水10戸の被害が出る中川町強靱化計画
- 1976年士別市上士別遺跡の周辺に少年自然の村が開かれる士別市統計書2022年版「士別市主要年表」
- 1976年上川町第1回氷瀑まつりが開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1976年上川町層雲峡青少年旅行村が開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1976年東神楽町町土地開発公社が工業団地の造成と分譲を始める東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1976年2月上川町上川アイヌ協会が設立される上川町アイヌ施策推進地域計画 新旧対照表(内閣府公表)
- 1976年7月下川町三菱金属下川鉱業所が分かれ、下川鉱業株式会社となる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1977年富良野市FISワールドカップスキー大会が開かれ「スキーのまち」として知られる富良野市「富良野市のまちづくりと中心市街地の位置づけ」
- 1977年音威子府村村の行政区が18区から11区に組み替えられる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1977年3月15日上川全体大雪山が国の特別天然記念物とされる(道教委の一覧の日付)北海道教育委員会「国の指定・選定文化財一覧」
- 1977年5月20日名寄市名寄公園でキマロキ編成(排雪列車)が一般に公開される名寄市統計書 年表
- 1977年12月15日上富良野町開基80周年記念事業として上富良野町郷土館が建てられる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1977年12月28日上川全体大雪山国立公園から十勝川源流部が外され、原生自然環境保全地域へ移る環境省「大雪山国立公園 公園の概要」
- 1978年6月士別市屯田兵屋と上士別遺跡が初の市指定文化財になる士別市統計書2022年版「士別市主要年表」2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1978年上川町大雪区域畜産基地が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1978年美瑛町第1回北海道歩くスキー交歓会が開かれる(今の宮様国際スキーマラソン)美瑛町「まちの概要」
- 1978年鷹栖町鷹栖町郷土資料館が開館する鷹栖町「鷹栖町について」
- 1978年和寒町福原で町の最低気温となる零下41.2℃を記録する和寒町「わっさむの歩み」
- 1978年和寒町塩狩峠に一目千本桜の植樹が始まる和寒町「わっさむの歩み」
- 1978年音威子府村村の木材を生かした木工芸を高校の教育に取り入れ始める音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1978年音威子府村彫刻家の砂澤ビッキが筬島で暮らし、制作を始める音威子府村取扱説明書
- 1978年中川町町の花ツツジと町の木イチイが定められる第7次中川町総合計画
- 1978年2月17日幌加内町母子里で氷点下41.2度の最低気温を記録する北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 1978年9月3日上富良野町第1回北海ホップまつりが開かれ、のちにラベンダーまつりとなる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1978年10月中川町志文内の診療所の前に、斎藤茂吉の来町を記念する歌碑が建つ中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 1978年12月12日鷹栖町北野神社獅子舞が町の文化財の第1号に指定される鷹栖町「鷹栖町指定文化財」
- 1979年名寄市旧風連町で風連ダムが完工する名寄市統計書 年表
- 1979年7月9日当麻町中央地区と東地区で集中豪雨があり、沢に鉄砲水が走る当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1979年10月下川町モサンル遺跡が発掘される下川町「下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)」
- 1980年占冠村人口が1,601人まで減り、最も多いときの34%になる占冠村まち・ひと・しごと創生総合戦略
- 1980年和寒町国営剣渕西部地区農地開発事業が完了する和寒町「わっさむの歩み」
- 1980年剣淵町総合庁舎と町民センターが完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1980年美深町国勢調査で世帯2,647、人口8,350となる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1980年美深町楠地区で埋蔵文化財の発掘調査が始まる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1980年幌加内町そばの作付面積が日本一になる幌加内町 日本一が3つあるまち
- 1981年旭川市第1回旭川国際バーサースキー大会が開かれる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1981年上川町愛山渓青少年の家が開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1981年鷹栖町総合グランドとメロディー橋が完成する鷹栖町「鷹栖町について」
- 1981年富良野市ドラマ「北の国から」の舞台となり、夏にも観光客が来るようになる富良野市「富良野市のまちづくりと中心市街地の位置づけ」
- 1981年占冠村国鉄石勝線が開業し、石勝高原駅と占冠駅ができる第5次占冠村総合計画
- 1981年剣淵町集中豪雨で水害が起きる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1981年美深町8月の豪雨で農作物に大きな被害が出る美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1981年2月20日旭川市旭川兵村中隊記録が旭川市の文化財に指定される(2006年に追加分)旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1981年7月士別市士別市立博物館が完成する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1981年8月鷹栖町水害で総降雨量266ミリ、農業被害額2億5300万円となる鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1981年8月3日当麻町3日間で200ミリを超える大雨となり大きな被害が出る当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1981年8月3日比布町集中豪雨で農地の冠水や家屋の浸水が起きる比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1981年8月3日幌加内町豪雨で床上浸水23戸、床下浸水20戸の被害が出る幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 1981年8月3日中川町豪雨で畑298haが冠水する中川町強靱化計画
- 1981年8月23日当麻町台風15号の強風で建物の屋根などが被害を受ける当麻町「当麻町地域防災計画 資料編」
- 1981年10月1日上富良野町町の花をラベンダー、町の木をアカエゾマツに決める上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1982年旭川市錦町5遺跡の発掘で平安時代の竪穴住居跡6軒や鍛冶の跡が見つかる(1987年まで)旭川市「史跡等表示板 錦町5遺跡」
- 1982年東神楽町旭川空港にジェット機が就航し、農産物の空輸が可能になる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1982年当麻町旧役場庁舎が郷土資料館として開館する当麻町「郷土資料館ここから」
- 1982年5月19日比布町西町の市街地で木工場が全焼する比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1982年8月5日占冠村占冠村民憲章を定める第5次占冠村総合計画
- 1983年旭川市錦町5遺跡の擦文時代の旧河川跡から木製の斧の柄が出土する旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1983年旭川市人口が36万人を超え、道内で札幌に次ぐ都市となる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1983年鷹栖町トマトジュース「オオカミの桃」の販売が始まる鷹栖町「鷹栖町について」
- 1983年南富良野町下金山駅の駅舎が建て替えられる南富良野町「南富良野町の歴史的建造物一覧」
- 1983年幌加内町母子里地区に一般の電話が通じ、町内の全域に電話がそろう幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1983年2月下川町下川鉱業所の下川鉱山が休山する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1983年4月旭川市旭川チカップニアイヌ民族文化保存会が設立される旭川市「郷土芸能 アイヌ古式舞踊」
- 1983年10月愛別町早い降雪で農作物が被害を受ける愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 1983年10月6日鷹栖町早い降雪で水稲などが被害を受け、農業被害が過去最高額となる鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1983年12月占冠村トマムリゾートが開業し、その後は第3次産業で働く人の割合が増える第5次占冠村総合計画
- 1984年和寒町水稲が史上最高の豊作となり出荷が10万俵を超える和寒町「わっさむの歩み」
- 1984年剣淵町マツダの寒冷地での試験が始まる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1984年1月21日旭川市アイヌ古式舞踊が国の重要無形民俗文化財に指定される(旭川を含む)旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1984年1月21日上川全体アイヌ古式舞踊の国指定は日高・上川・石狩・釧路管内にまたがる北海道教育委員会「国の指定・選定文化財一覧」
- 1984年4月音威子府村村立の全日制工芸科の高校として新しく始まる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1984年5月24日上富良野町泥流災害からの復興60周年に、小説「泥流地帯」の文学碑が建てられる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1984年8月鷹栖町「治水の碑」が町の指定文化財第2号に指定される鷹栖町「母なる川『オサラッペ』」
- 1984年10月士別市トヨタ自動車士別試験場の第1期工事が完成する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1985年美瑛町国鉄バスの路線廃止を受け、8路線でスクールバスの運行が始まる美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1985年東川町「写真の町」を宣言する東川町「東川町史 第3巻」
- 1985年鷹栖町町民球場が完成する鷹栖町「鷹栖町について」
- 1985年美深町美幸線が廃止され、21年間の歴史を閉じる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1985年5月29日上川全体十勝岳の62-1火口の東壁から熱泥水が噴き出す気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1986年上川町愛山渓発電所が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1986年剣淵町国鉄の合理化で剣淵駅が無人駅になる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1986年3月下川町合同資源のサンル鉱山が休山する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1986年8月下川町万里長城の築城が始まる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1986年8月20日旭川市錦町5遺跡出土の斧柄と蕨手刀が旭川市の文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1987年上川町層雲峡地区の再開発事業が始まる(2001年度まで)上川町「第10次上川町総合計画」
- 1987年美瑛町風景写真家前田真三のフォトギャラリー「拓真館」が開かれる美瑛町「まちの概要」
- 1987年占冠村石勝高原駅がトマム駅に名前を変える第5次占冠村総合計画
- 1987年12月下川町自動車の耐寒走行テストが始まり、サンルダムの実施計画調査が決まる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1988年旭川市北門中学校の郷土資料室が開館し、アイヌの生活用具を展示する旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1988年上川町層雲峡の下水道工事が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1988年美瑛町「ヘルシーマラソン」が初めて開かれる美瑛町「まちの概要」
- 1988年占冠村トマム・中トマム地区で簡易水道の給水が始まる占冠村公共施設等総合管理計画
- 1988年和寒町JR和寒駅が新しく建てられる和寒町「わっさむの歩み」
- 1988年剣淵町絵本の里づくり運動が起こる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1988年剣淵町JR剣淵駅が改築される第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1988年9月30日上富良野町国道237号の上富良野バイパスが開通する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1988年12月16日上川全体十勝岳の62-2火口から噴火が起き、1989年3月まで計28回の噴火が続く気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1988年12月16日美瑛町十勝岳が26年ぶりに噴火する美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1988年12月16日上富良野町十勝岳が26年ぶりに噴火し、町に噴火災害対策本部を置く上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1988年12月24日美瑛町十勝岳の噴火を受け、町が白金地区に避難命令を出す美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1988年12月25日上川全体十勝岳の噴火で小規模な火砕流と泥流が起きる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1989年旭川市旭川市民生活館が開館し、アイヌの生活用具を展示する旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1989年上川全体十勝岳で1月1日から3月5日までに17回の噴火が起きる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 1989年上川町上川町立病院が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1989年東神楽町東聖地区で「ひじり野団地」の造成が始まる東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1989年美瑛町美瑛町自然環境保全条例が定められる美瑛町「まちの概要」
- 1989年比布町町の簡易水道の供用が始まる比布町「比布町公共施設等総合管理計画」比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1989年和寒町東和の町有林で周囲6.2mのミズナラの巨木が見つかる和寒町「わっさむの歩み」
- 1989年音威子府村天北線が廃止され、村は存亡の危機を迎える音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
平成と令和304行
- 1989年5月1日美瑛町白金地区の住民が避難命令の解除まで127日間の避難生活を送る美瑛町「十勝岳噴火の記録」
- 1989年3月士別市市内の4農協が合併して士別市農協が発足する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 1989年4月下川町JR名寄本線が廃止される下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1989年4月30日名寄市名寄本線が68年の歴史を閉じる名寄市統計書 年表
- 1989年5月19日旭川市旧旭川偕行社が国の重要文化財に指定される文化遺産オンライン「旧旭川偕行社」
- 1989年10月幌加内町町内の国道が全線舗装となる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1990年旭川市北門中学校の前庭に知里幸恵文学碑が建てられる旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 1990年比布町第2次・第3次産業の就業者が6割を超える比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1990年南富良野町開基100年の行事を行う南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1990年占冠村中央地区で下水道の使用が始まる占冠村公共施設等総合管理計画
- 1990年占冠村リゾート開発で人口が回復し2,721人になる占冠村まち・ひと・しごと創生総合戦略
- 1990年和寒町和幌トンネルが開通する和寒町「わっさむの歩み」
- 1990年名寄市旧風連町で歴史民俗資料館が開館する名寄市統計書 年表
- 1990年幌加内町人口が昭和50年の4,365人から平成2年の2,633人へと減る幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1990年9月12日上富良野町泥流に備える富良野川の砂防事業で1号透過型ダムが完成する上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1990年10月旭川市道央自動車道が旭川まで開通する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1990年10月1日上富良野町国勢調査で人口13,265人、世帯数3,935戸となる上富良野町「上富良野百年史」上富良野町年表
- 1991年剣淵町絵本の館が開館する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1991年剣淵町待望の温泉(源泉)が湧き出る第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1991年剣淵町けんぶち絵本の里大賞が始まる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1991年中川町ふたたびクビナガリュウの化石が見つかる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1991年3月15日旭川市旧神居古潭駅舎が旭川市の文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1991年9月鷹栖町水害で総雨量145ミリとなり農地の一部が冠水する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 1991年9月6日比布町集中豪雨で比布川の堤防が決壊し、水田が崩れる比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1992年美瑛町十勝岳を24時間体制で見守る十勝岳砂防情報センターが完成する美瑛町「まちの概要」
- 1992年占冠村トマムリゾートの好調で人口が年度末に2,054人まで回復する第5次占冠村総合計画
- 1992年6月4日比布町中町の市街地で店舗兼住宅が全焼する比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 1992年12月下川町天塩川のサンルダムの建設着工が決まる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1993年東神楽町宅地開発で町の人口が7000人を超える東神楽町「東神楽町の歴史」
- 1993年当麻町国営農地開発事業の畑が完成する当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 1993年剣淵町温泉施設レークサイド桜岡が開業する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 1993年音威子府村道の駅おといねっぷが登録される音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1993年中川町守谷富太郎の志文内の診療所が古くなり解体される中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 1993年1月22日富良野市食と自然を守る都市を宣言する富良野市「富良野市の概要」
- 1994年旭川市旧旭川偕行社が郷土博物館から彫刻美術館に転用される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 1994年東川町第1回全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」が始まる東川町「東川町史 第3巻」
- 1994年東川町忠別川に架かる東橋の架け替え工事が終わる東川町「東川町史 第3巻」
- 1994年鷹栖町たかすメロディーホールと総合体育館が完成する鷹栖町「鷹栖町について」
- 1994年比布町定住対策として町営の宅地分譲が始まる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1994年中川町安川の地層から大型の首長竜(プリオサウルス類)の下あごの化石が見つかる北海道大学ほか プレスリリース(2023年6月21日)
- 1994年3月東川町人口が最も多かった1950年から35.2%減る東川町「東川町史 第3巻」
- 1995年上川町銀河トンネルが完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 1995年東川町「東川町史 第2巻」が発行される東川町「東川町史 第3巻」
- 1995年愛別町浄化槽の設置を支援する事業が始まる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1995年8月21日上川全体大雪山国立公園の旭岳周辺などが乗入れ規制地区に指定される環境省「大雪山国立公園 公園の概要」
- 1995年9月幌加内町JR深名線が廃止され、バスに切り替わる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1996年南富良野町夕張岳の高山植物群落と蛇紋岩メランジュ帯が国の天然記念物になる南富良野町 第6次総合計画南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1996年東川町旭岳温泉に初めての公共下水道の処理施設が完成する東川町「東川町史 第3巻」
- 1996年2月10日名寄市名寄市北国博物館が開館する名寄市統計書 年表
- 1997年美瑛町観光情報発信施設「四季の情報館」が完成する美瑛町「まちの概要」
- 1997年東川町町内の6つの土地改良区が合併する東川町「東川町史 第3巻」
- 1997年占冠村双珠別地区の水道の事業が終わり給水が始まる占冠村公共施設等総合管理計画
- 1997年美深町天塩川木材工業が自己破産し、関連企業も廃業する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1997年美深町チョウザメのふ化に国内6例目として成功する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1997年中川町化石の調査研究のため研究職員が置かれる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1997年2月旭川市旭川空港の2,500メートル滑走路が使われ始める旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1997年4月27日旭川市旭山動物園にこども牧場が公開され、施設の整備が始まる旭川市旭山動物園「施設概要」
- 1997年5月14日旭川市アイヌ文化振興法の附則で旭川市旧土人保護地処分法が廃止される国立国会図書館「日本法令索引」旭川市旧土人保護地処分法衆議院「制定法律 平成9年法律第52号」
- 1998年東川町道道の天人峡トンネルで大規模な落石が起きる東川町「東川町史 第3巻」
- 1998年当麻町道の駅とうまが開設される当麻町「当麻町持続可能なまちづくり計画」
- 1998年比布町「良佳プラザ・遊湯ぴっぷ」が開業する比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 1998年中富良野町公共下水道の使用が始まる中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1998年和寒町カボチャの作付面積が日本一となり、パンプキンフェスティバルを開く和寒町「わっさむの歩み」
- 1998年美深町開基100年を記念して松浦武四郎の「踏査之地詩碑」が建てられる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 1998年12月下川町五味温泉の交流施設が開き、集成材工場が操業を始める下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 1999年旭川市上川支庁など道の6機関が永山の上川合同庁舎に移る旭川市「旭川市のあゆみ」
- 1999年美瑛町美瑛町が開基100年を迎える美瑛町「まちの概要」
- 1999年東川町大雪遊水公園が開かれる東川町「東川町史 第3巻」
- 1999年東川町東川町が日本写真家協会賞を受ける東川町「東川町史 第3巻」
- 1999年鷹栖町サンホールはぴねすが開館する鷹栖町「鷹栖町について」
- 1999年中富良野町クリーン農業推進の町を宣言する中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1999年和寒町三浦綾子の旧宅を移した塩狩峠記念館が開館する和寒町「わっさむの歩み」
- 1999年和寒町わっさむ100年の記念事業を開く和寒町「わっさむの歩み」
- 1999年音威子府村村の常盤農協と美深農協が合併する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 1999年1月南富良野町映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影が幾寅駅とその周辺で行われる南富良野町町勢要覧
- 1999年3月31日南富良野町幾寅・東鹿越地区の下水道の使用が始まる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 1999年7月旭川市北海道が伝統的生活空間の再生に関する基本構想をまとめ、旭川市がこれを受けて動く旭川市「旭川地域のアイヌの伝統的生活空間の再生に関する基本構想 はじめに」
- 2000年上川町層雲峡ビジターセンターが開かれる上川町「まちづくりのあゆみ」
- 2000年東神楽町全国花のまちづくりコンクールで最優秀賞(建設大臣賞)を受ける東神楽町「花のまちの歩み」
- 2000年東川町町の人口が7500人を超える東川町「東川町史 第3巻」
- 2000年当麻町町の農家数が671戸となる(その後も減少が続く)当麻町「当麻町まち・ひと・しごと創生総合戦略」
- 2000年比布町北海道縦貫自動車道が町内で使われ始める比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2000年比布町町立診療所が全面的に建て替えられる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2000年和寒町道央自動車道の旭川鷹栖IC〜和寒IC間が開通する和寒町「わっさむの歩み」
- 2000年3月中川町宗谷本線の急行列車が特急列車に変わる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2000年3月11日名寄市宗谷本線で特急列車の運行が始まる名寄市統計書 年表
- 2000年4月1日旭川市道内で初めての中核市に移行する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 2000年5月東神楽町町の人口が8,000人に達する東神楽町「東神楽町の概要」
- 2000年7月25日比布町大雨で林業や農作物に被害が出る比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 2000年9月10日旭川市旭山動物園のぺんぎん館が公開される旭川市旭山動物園「施設概要」
- 2001年東神楽町カナダの国際的な花のまちづくりコンクールに日本代表として参加する東神楽町「花のまちの歩み」
- 2001年東川町旭岳の姿見の池に建て替えた旭岳石室が完成する東川町「東川町史 第3巻」
- 2001年1月14日占冠村氷点下35.8℃を記録し、2000年以降の日本の最低気温となる第5次占冠村総合計画
- 2001年11月20日旭川市上川倉庫群7棟と旧第七師団騎兵第七連隊覆馬場などが国の登録有形文化財になる旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 2002年上川町旭川紋別自動車道の上越〜白滝間が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 2002年東川町旭岳でアイヌ民族伝統のクマ猟が126年ぶりに行われる東川町「東川町史 第3巻」
- 2002年占冠村開基100年を記念して「占冠村百年史」を発刊する占冠村「占冠村百年史」
- 2002年音威子府村高校の名が北海道おといねっぷ美術工芸高等学校に変わる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2002年中川町斎藤茂吉ゆかりの志文内峠の道が復元される中川町 茂吉小公園と志文内峠
- 2002年1月旭川市旭川市が伝承館と研究推進センターを骨子とする旭川版イオル構想をまとめる旭川市「旭川地域のアイヌの伝統的生活空間の再生に関する基本構想 はじめに」
- 2002年3月旭川市旭川市が道内7地域のイオル適地の一つに選ばれる旭川市「旭川地域のアイヌの伝統的生活空間の再生に関する基本構想 はじめに」
- 2002年7月中川町廃校の佐久中学校を改装し、中川町エコミュージアムセンターが開く中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2002年11月中富良野町ごみの焼却炉を閉鎖する中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2003年美瑛町美しい景観を守り育てる条例など2つの条例が定められる美瑛町「まちの概要」
- 2003年東川町図書館機能を備えた町文化交流館が開館する東川町「東川町史 第3巻」
- 2003年比布町比布町図書館が開館する比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2003年南富良野町一般廃棄物の最終処分場と小動物焼却施設を整える南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2003年和寒町道央自動車道の和寒IC〜士別・剣淵IC間が開通する和寒町「わっさむの歩み」
- 2003年剣淵町士別剣淵インターチェンジが開通する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 2003年美深町美深・下川・中川の3農協が合併し、北はるか農業協同組合ができる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2003年8月下川町町の森林がFSC森林認証を取得する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2003年10月士別市北海道縦貫自動車道の和寒〜士別・剣淵間が開通する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 2003年12月比布町通信事業者の施設整備で高速通信網が使えるようになる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2004年11月12日上川全体天塩川が北海道遺産に登録される国土交通省 留萌開発建設部「天塩川ってどんな川?」名寄市統計書 年表
- 2004年旭川市旭山動物園の7月と8月の月間入園者数が日本一になる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 2004年上川町旭川紋別自動車道の愛別〜愛山上川間が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 2004年美瑛町大雪地区広域連合の業務が始まる美瑛町「まちの概要」
- 2004年東川町ひがしかわ道草館が道の駅に登録される東川町「東川町史 第3巻」
- 2004年東川町大雪旭岳源水公園が開かれる東川町「東川町史 第3巻」
- 2004年占冠村村で最初の学校から続いた占冠小学校が開校100周年で閉校する占冠村「占冠村の歴史」
- 2004年和寒町剣淵町・和寒町合併協議会が設けられる和寒町「わっさむの歩み」
- 2004年剣淵町剣淵町・和寒町合併協議会ができる第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 2004年美深町上川北部6市町村の任意合併協議会が解散する美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2004年美深町台風18号が襲来し、大きな被害を受ける美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2004年名寄市旧風連町が台風18号で大きな被害を受ける名寄市統計書 年表
- 2004年中川町日本で4例目となるテリジノサウルスのツメの化石が見つかる中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2004年中川町日本海側と結ぶ遠別中川線が完成する中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2004年2月25日上川全体十勝岳でごく小規模な噴火が起きる気象庁「十勝岳 有史以降の火山活動」
- 2004年9月士別市台風18号の強風で全市の家屋・施設・農作物に被害が出る2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 2004年9月下川町50年ぶりの台風被害で町有林に風倒木が出る下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2004年9月8日鷹栖町台風18号の強風で水田や営農施設に大きな被害が出る鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 2004年9月8日比布町台風18号の強風で水田や営農施設が被害を受ける比布町「比布町地域防災計画 資料編」
- 2004年9月8日幌加内町台風で畑2,565haと施設210か所が被害を受ける幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2004年9月8日中川町台風18号で非住宅の全壊30戸、半壊15戸などの被害が出る中川町強靱化計画
- 2005年美瑛町美瑛町など7町村で「日本で最も美しい村」連合を発足させる美瑛町「まちの概要」
- 2005年南富良野町児童生徒の減少により中学校を統合する南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2005年和寒町剣淵町・和寒町合併協議会が廃止され、合併は行われない和寒町「わっさむの歩み」
- 2005年剣淵町剣淵町・和寒町合併協議会が解散する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 2005年名寄市旧風連町で名寄市との合併の賛否を問う住民投票が行われる名寄市統計書 年表
- 2005年音威子府村国勢調査の人口が平成2年の1,584人から1,070人に減る音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2005年9月1日士別市士別市と朝日町が合併し、新しい士別市が誕生する士別市「士別市の概要」
- 2005年10月東川町新しい婚姻届の発行が始まる東川町「東川町史 第3巻」
- 2006年東川町忠別ダムのダム湖の名前が公募で「忠別湖」に決まる東川町「東川町史 第3巻」
- 2006年東川町生まれた子どもに椅子を贈る「君の椅子」の初めての贈呈式が開かれる東川町「東川町史 第3巻」
- 2006年3月27日名寄市旧風連町と名寄市が合併する名寄市統計書 年表
- 2006年3月30日旭川市知里幸恵遺稿ノートと第七師団関係記録が旭川市の文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 2006年10月下川町大型の低気圧で町の全域に風倒木の被害が出る下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2006年10月7日幌加内町低気圧による強風で建物の全壊5棟、半壊24棟の被害が出る幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2007年旭川市知里幸恵が13年を過ごした北門中学校の付近に知里幸恵資料室が整えられる旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 2007年上川町環境省上川自然保護官事務所が完成する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 2007年美瑛町道の駅びえい「丘のくら」が開かれる美瑛町「まちの概要」
- 2007年東川町忠別ダムの竣工式が行われる東川町「東川町史 第3巻」
- 2007年音威子府村咲来小学校が閉校する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2007年4月士別市士別高校と士別商業高校が統合し士別翔雲高校が開校する2023年版士別市統計書「士別市主要年表」
- 2007年10月音威子府村高規格幹線道路の音威子府バイパスの工事が始まる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2007年11月旭川市アイヌ団体の代表者らによる旭川版イオル構想見直し等検討懇話会が置かれる旭川市「旭川地域のアイヌの伝統的生活空間の再生に関する基本構想 はじめに」
- 2008年旭川市旭川市博物館が常設展示室の一部をアイヌの歴史・文化の展示に改める旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 2008年東川町大雪旭岳源水が平成の名水百選に選ばれる東川町「東川町史 第3巻」
- 2008年鷹栖町生ごみ堆肥化施設が完成する鷹栖町「鷹栖町について」
- 2008年南富良野町特別養護老人ホーム「ふくしあ」ができる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2008年美深町仁宇布の冷水と十六滝が環境省の平成の名水百選に選ばれる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2008年7月下川町全国の5市とともに環境モデル都市に選ばれる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2008年9月鷹栖町旭川市に接する所に5.9ヘクタールの工業団地が完成する鷹栖町「たかす工業団地の概要」
- 2008年9月中富良野町周辺の市町村と富良野広域連合を設立する中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2008年9月占冠村富良野広域連合が設立される第5次占冠村総合計画
- 2009年比布町水質の悪化に備えて浄水場が整備される比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2009年南富良野町ポテトチップス工場が町に設けられる南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2009年占冠村道東自動車道のトマムIC〜占冠IC間が開通し、村にICが2つになる第5次占冠村総合計画
- 2009年占冠村富良野広域連合の占冠支署が発足する第5次占冠村総合計画
- 2009年剣淵町西岡ダムが完成する第5期剣淵町総合計画「剣淵のあゆみ」
- 2009年4月南富良野町富良野圏の5市町村で広域連合をつくり、消防・救急を共同で行う南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2009年7月23日名寄市アイヌ語の名をもつ九度山(クトゥンヌプリ)が名勝ピリカノカとして国に指定される北海道教育委員会「国の指定・選定文化財一覧」名寄市統計書 年表
- 2009年9月下川町国のダム事業見直しでサンルダムの本体工事が一時凍結される下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2010年上川町旭川紋別自動車道の上川天幕〜浮島間が開通する上川町「まちづくりのあゆみ」
- 2010年鷹栖町休止していた北野神社獅子舞が若手農業者を中心に復活する鷹栖町「鷹栖町指定文化財」
- 2010年当麻町人口が7,087人となり、20年前の8,383人から減る当麻町「当麻町持続可能なまちづくり計画」
- 2010年愛別町国勢調査の人口が3,328人となる愛別町「第2期愛別町まち・ひと・しごと創生総合戦略」
- 2010年南富良野町町内全域に光回線の高速通信網を整える南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2010年占冠村村内全域に光ファイバーが整い、地上デジタル放送も始まる第5次占冠村総合計画
- 2010年和寒町道立和寒高等学校が閉校する和寒町「わっさむの歩み」
- 2010年美深町名寄市と美深町を結ぶ智恵文ICから美深ICまでが使えるようになる美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2010年4月1日幌加内町支庁制度の改革で、空知支庁から上川総合振興局の管内に移る幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2010年4月10日名寄市なよろ市立天文台「きたすばる」が開かれる名寄市統計書 年表
- 2010年7月29日名寄市局地的な大雨で被害が出る名寄市統計書 年表
- 2010年8月東川町天人峡などで集中豪雨があり、橋の崩落で2人が亡くなる東川町「東川町史 第3巻」
- 2010年8月13日中川町集中豪雨で農業の被害が35戸、80.85haに及ぶ中川町強靱化計画
- 2010年9月17日富良野市世界平和・非核平和都市を宣言する富良野市「富良野市の概要」
- 2010年10月名寄市排雪列車キマロキが準鉄道記念物に指定される名寄市 新名寄市のあゆみ
- 2011年旭川市JR旭川駅の4代目の新駅舎が全面開業する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 2011年当麻町情報通信基盤「当麻町ケーブルネットワーク」の運用が始まる当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 2011年愛別町協和温泉にバイオマスボイラーが導入される愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2011年南富良野町開基120年を迎える南富良野町第6次総合計画(素案)
- 2011年占冠村人口が年度末で1,142人まで減る第5次占冠村総合計画
- 2011年美深町美深町史(平成23年刊)が刊行される美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2011年11月音威子府村音威子府バイパスの筬島トンネルが貫通する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2012年旭川市JR旭川駅の構内にアイヌ文化情報コーナー「ル・シロシ」が開く旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 2012年美瑛町新しい図書館が開かれる美瑛町「まちの概要」
- 2012年東川町「東川米」が道産米で初めて地域団体商標に登録される東川町「東川町史 第3巻」
- 2012年12月中川町北海道大学森林圏ステーション北管理部と包括連携協定を結ぶ第7次中川町総合計画
- 2013年美瑛町冬期間の「青い池」のライトアップが始まる美瑛町「まちの概要」
- 2013年東川町羽衣の滝付近で大規模な土砂崩れが起き、遊歩道が長く通行止めになる東川町「東川町史 第3巻」
- 2013年占冠村湯の沢温泉に木質バイオマスボイラーが入る第5次占冠村総合計画
- 2013年3月中川町北海道中川商業高等学校が閉校する中川町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2013年6月21日旭川市旧岡田家住宅と山崎家住宅主屋が国の登録有形文化財になる旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 2013年7月27日音威子府村村名改称50年を記念して列車「常盤号」が走る音威子府村 北海道音威子府村・鉄道の村フェスタ
- 2013年10月東神楽町町の人口が1万人に達する東神楽町「東神楽町の概要」
- 2014年上川町旭ヶ丘地区の高台に大雪森のガーデンが開かれる上川町「第10次上川町総合計画」
- 2014年美瑛町十勝岳の噴火警戒レベルが2に引き上げられ、火口周辺への入山が規制される美瑛町「まちの概要」
- 2014年東川町町が写真文化首都を宣言する東川町「東川町史 第3巻」
- 2014年東川町町の人口が42年ぶりに8000人台に戻る東川町「東川町史 第3巻」
- 2014年当麻町公民館「まとまーる」が完成する当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 2014年愛別町開拓から120年を迎える愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2014年愛別町消防が大雪消防組合による広域体制に変わる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2014年美深町17時間で151.5ミリの豪雨が降り、川の氾濫が相次ぐ美深町のあゆみ(美深町年表抜粋・平成26年12月)
- 2014年8月下川町4時間で78ミリの集中豪雨があり、町内各地で大きな被害が出る下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2014年8月幌加内町雨竜川の中流から上流で戦後最大の洪水が起きる北海道開発局 雨竜川ダム再生事業について(札幌開発建設部)
- 2014年8月5日愛別町大雨で愛別川が一時氾濫危険水位を超え、避難所が開かれる愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 2015年東神楽町国勢調査の速報で人口増加率10.1%と全道1位になる東神楽町「東神楽町の概要」
- 2015年美瑛町十勝岳山麓ジオパーク推進協議会が設立される美瑛町「まちの概要」
- 2015年美瑛町「世界で最も美しい村連合会」の世界大会・国際会議が開かれる美瑛町「まちの概要」
- 2015年美瑛町人口が10,292人となり、1960年から11,451人減る美瑛町「美瑛町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2015年東川町公立で全国初の町立日本語学校が開校する東川町「東川町史 第3巻」
- 2015年当麻町「くるみなの散歩道」が整備される当麻町「当麻町持続可能なまちづくり計画」
- 2015年比布町老朽化した比布駅を町の新たな観光施設として整備する比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2015年愛別町国勢調査の人口が2,976人となり、初めて3,000人を下回る愛別町「第2期愛別町まち・ひと・しごと創生総合戦略」
- 2015年中富良野町ラベンダーが町花の秋田県美郷町と連携協力協定を結ぶ中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2015年南富良野町国勢調査の人口が2,555人まで減る南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2015年和寒町開村100周年の記念事業を行う和寒町「わっさむの歩み」
- 2015年音威子府村国勢調査の人口が832人となる音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2015年7月21日音威子府村長さ2,699mの音威子府トンネルが貫通する音威子府村過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2015年11月17日旭川市旧国鉄旭川車両センターの2棟と北海道護国神社平成館が国の登録有形文化財になる旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 2016年美瑛町郷土学館「美宙」が開かれる美瑛町「まちの概要」
- 2016年美瑛町十勝岳望岳台防災シェルターが開かれる美瑛町「まちの概要」
- 2016年比布町ぴっぷスキー場のセンターハウス「スキップ」が完成する比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2016年占冠村住民・議会・行政の役割を定めた占冠村むらびと条例をつくる第5次占冠村総合計画
- 2016年占冠村台風10号でトマム地区に大規模な土砂崩れが起きる占冠村公共施設等総合管理計画
- 2016年和寒町大雨と台風7号・9号による水害が続き、8月20日に避難勧告を出す和寒町「わっさむの歩み」
- 2016年2月上川町ポンモシリの跡地のドライブインの隣に新たなチセが建てられる上川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2024年)
- 2016年3月31日旭川市屯田兵絵物語 附 屯田絵巻が北海道の有形文化財に指定される旭川市「旭川市内の指定・登録文化財」
- 2016年7月幌加内町町の国民健康保険病院が幌加内診療所に変わる幌加内町第8次総合振興計画
- 2016年7月31日愛別町集中豪雨の洪水で床上浸水7件、床下浸水6件の被害が出る愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 2016年8月愛別町相次ぐ台風の大雨で、愛別川と石狩川の流域に自主避難を呼びかける愛別町「愛別町地域防災計画 資料編」
- 2016年8月南富良野町台風10号の記録的な豪雨で空知川が決壊し、住民と公共施設が大きな被害を受ける南富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2016年8月占冠村大雨でJR根室本線の新得〜東鹿越間が不通になり、代わりのバスが走る第5次占冠村総合計画
- 2016年8月1日幌加内町添牛内地区の集中豪雨で早雲内川が氾濫し、国道239号が通行止めとなる幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2016年8月20日幌加内町台風でポンコタンに土砂崩れが起き、国道275号が通行止めとなる幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2017年上川町道内で戦後初めての日本酒の酒蔵が町に生まれる上川町「第10次上川町総合計画」
- 2017年占冠村トマム小・中学校を閉じ、義務教育学校のトマム学校に移る第5次占冠村総合計画
- 2017年10月幌加内町幌加内の市街と旭川の中心部を結ぶ有償の旅客運送が始まる幌加内町過疎地域持続的発展市町村計画(令和3〜7年度)
- 2017年12月下川町第1回ジャパンSDGsアワードで本部長賞を受ける下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2018年東川町ヌプリコロカムイノミが東川町の無形文化財に指定される東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 2018年上川全体上川アイヌの信仰の対象としての大雪山が日本遺産に認定される東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 2018年上川全体日本遺産「カムイと共に生きる上川アイヌ」が2市10町で認定される上川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2024年)
- 2018年美瑛町道の駅びえい「白金ビルケ」が開かれる美瑛町「まちの概要」
- 2018年鷹栖町農業交流センター「あったかファーム」が開設される鷹栖町「鷹栖町について」
- 2018年当麻町役場の新しい庁舎が完成する当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 2018年愛別町米やきのこに次ぐ特産品としてビーツの加工品開発が始まる愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2018年2月25日幌加内町積雪が3m24cmとなり、全道の積雪記録を更新する幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2018年2月25日音威子府村月の最深積雪が観測史上最大の281cmとなる音威子府村取扱説明書
- 2018年5月上川町大雪山麓上川アイヌ日本遺産推進協議会が設立される上川町アイヌ施策推進地域計画 新旧対照表(内閣府公表)
- 2018年9月6日幌加内町北海道胆振東部地震で町の全戸が停電し、水道施設も止まる幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2019年旭川市ユネスコ創造都市ネットワーク(デザイン分野)に加盟が認められる旭川市「旭川市のあゆみ」
- 2019年占冠村占冠保育所を新しく建てる占冠村公共施設等総合管理計画
- 2019年3月下川町サンルダムが完成する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2019年8月9日幌加内町集中豪雨で農地1,750haが被害を受ける幌加内町地域防災計画(令和4年4月)
- 2019年12月愛別町旭川紋別自動車道の比布JCT〜遠軽IC間が開通する愛別町「愛別町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2019年12月5日士別市大野家住宅主屋(旧大野組事務所兼主屋)が国の登録有形文化財になる文化遺産オンライン「大野家住宅主屋」
- 2020年東川町東川町が「共に」宣言で共生をかかげ、アイヌ文化振興の土台とする東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 2020年当麻町国勢調査の人口が6,319人となる当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 2020年比布町国勢調査の人口が3,520人となる比布町「比布町過疎地域持続的発展市町村計画」
- 2020年富良野市国勢調査の人口が21,131人まで減る富良野市「富良野市の概要」
- 2020年中富良野町国勢調査で人口が4,741人まで減る中富良野町過疎地域持続的発展市町村計画
- 2020年音威子府村国勢調査の人口が706人となる音威子府村取扱説明書
- 2020年4月幌加内町消防が深川地区消防組合から士別地方消防事務組合に移る幌加内町第8次総合振興計画
- 2020年5月19日中川町ナカガワニシン化石が北海道の天然記念物に指定される北海道教育委員会「北海道指定の文化財一覧」
- 2021年東川町東川町がアイヌ文化振興映像写真集「ヌプリコロカムイノミ(山の祭り)」を作る東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 2021年美瑛町電子地域通貨「Beコイン」の運用が始まる美瑛町「まちの概要」
- 2021年和寒町町立病院が町立診療所に変わる和寒町「わっさむの歩み」
- 2021年4月当麻町郷土資料館が耐震補強を含めて全面改装される当麻町「郷土資料館ここから」
- 2021年4月21日音威子府村中川研究林の庁舎に立つ砂澤ビッキの作品「思考の鳥」のキツツキが倒れる北海道大学 中川研究林
- 2021年11月上川町上川町でアイヌ文化の伝承に取り組む一般社団法人ペニウンクルが設立される上川町アイヌ施策推進地域計画 新旧対照表(内閣府公表)
- 2022年当麻町開町130年を迎える当麻町「第6次当麻町総合計画」
- 2022年3月下川町ゼロカーボンシティしもかわを宣言する下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2022年6月16日占冠村2050年までに温室効果ガスを実質ゼロにする「ゼロカーボンシティ占冠」を宣言する占冠村公共施設等総合管理計画
- 2022年10月下川町しもかわの循環型森林文化が北海道遺産に選ばれる下川町の概要 町勢要覧資料編(2025年版)
- 2023年旭川市川村カ子トアイヌ記念館が新館を建ててリニューアルオープンする旭川市アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表、2025年)
- 2023年旭川市旭川市立大学と短期大学部が開校する旭川市「旭川市のあゆみ」
- 2023年4月美瑛町美瑛町自治基本条例が定められる美瑛町「まちの概要」
- 2023年6月中川町町の首長竜の化石が非常に大型の個体のものと研究で明らかになる北海道大学ほか プレスリリース(2023年6月21日)
- 2023年6月16日東川町東川町アイヌ施策推進地域計画が国に認定される東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 2023年8月9日鷹栖町局地的な豪雨で住家5戸が床下浸水する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 2023年9月東川町大雪山とアイヌ文化を描く映画「カムイのうた」が完成し、11月から上映される東川町アイヌ施策推進地域計画(内閣府公表)
- 2023年9月30日音威子府村旧天北線の代わりのバスの音威子府への乗り入れが終わる音威子府村 天北線代替バス乗り入れ廃止のお知らせ
- 2024年東神楽町複合施設「はなのわ」と「はなのわガーデン」が開かれる東神楽町「花のまちの歩み」
- 2024年比布町開拓から130年の節目を迎える比布町「第13次比布町まちづくり計画」
- 2024年3月6日富良野市島田家住宅主屋が国の登録有形文化財になる文化遺産オンライン「島田家住宅主屋」
- 2024年3月18日上川町上川町アイヌ施策推進地域計画が変更され、層雲峡のフクロウ神事の理解促進などが加わる上川町アイヌ施策推進地域計画 新旧対照表(内閣府公表)
- 2024年3月21日鷹栖町鷹栖の装蹄用具及び関連資料399点が国の登録有形民俗文化財になる文化遺産オンライン「鷹栖の装蹄用具及び関連資料」
- 2024年3月31日富良野市根室線の富良野〜新得間が最後の運行を迎えるJR北海道「根室線(富良野・新得間)のラストランに向けた取り組み」
- 2024年3月31日南富良野町根室線の落合〜下金山間が123年の運行を終えるJR北海道「根室線(富良野・新得間)のラストランに向けた取り組み」
- 2024年7月24日鷹栖町12時間で177ミリの記録的な豪雨となり、住家や事業所が浸水する鷹栖町「鷹栖町地域防災計画」
- 2025年2月28日比布町開基130年の記念事業として「比布町史第4巻(平成史)」が発行される比布町「比布町史の販売について」
- 2025年3月19日旭川市旭川市アイヌ施策推進地域計画が国に認定される(同年8月8日に変更)旭川市アイヌ施策推進地域計画 新旧対照表(内閣府公表)
- 2026年3月22日音威子府村音威子府村ICと中川ICを結ぶ音中道路が開通する音威子府村 音中道路の開通のお知らせ
資料によって異なる記述
| 出来事 | ある資料 | 別の資料 |
|---|---|---|
| 1962年の十勝岳の噴火の死者 | 死者5名・負傷者11名(旭川地方気象台) | 死者4人・行方不明1人・負傷者12人(上富良野町の年表) |
| 神居古潭竪穴住居遺跡が北海道の史跡になった日 | 1957年12月20日(北海道教育委員会の一覧) | 1957年12月17日(旭川市の一覧) |
| 雨竜第一・第二ダムの工事の期間 | 1938年6月4日の起工、1943年10月1日の完成(国の資料) | 1928年から16年をかけた(北海道の資料) |
| 深名線の全線開通 | 1939年(国の資料) | 1941年6月1日(名寄市の年表) |
| 中川町の町制の施行 | 1964年5月1日(第7次総合計画) | 1964年4月(過疎地域持続的発展計画) |
上川の歴史とあわせて読む画面
出典
- 旭川市 旭川市のあゆみ
- 旭川市 アイヌの人々の生活空間
- 旭川市統計書 令和7年度版
- 士別市統計書 2023年版 士別市主要年表
- 上富良野町 上富良野百年史の年表
- 旭川地方気象台 十勝岳大正泥流から100年
- 美瑛町 十勝岳噴火の記録
- 東川町 東川町史 第3巻
- 上川町 まちづくりのあゆみ
- 和寒町 わっさむの歩み
- 剣淵町 第5期総合計画 剣淵のあゆみ
- 各市町村の過疎地域持続的発展計画・地域防災計画・総合計画・町勢要覧・あゆみ 名寄市・美深町・下川町・音威子府村・中川町・幌加内町・富良野市・中富良野町・南富良野町・占冠村・鷹栖町・東神楽町・当麻町・比布町・愛別町・美瑛町など。年表の行ごとにリンクがあります
- 内閣府 アイヌ施策推進地域計画(旭川市・東川町・上川町)
- 国立国会図書館 日本法令索引(旭川市旧土人保護地処分法)
- 青空文庫 図書カード「アイヌ神謡集」
- 環境省 大雪山国立公園
- 文化庁 文化遺産オンライン
- 北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年) 23市町村と近文・神居古潭・層雲峡・忠別・石狩川・天塩川・筬島・朱鞠内・風連・山部・トマム・幾寅の名の由来。ページ番号は市町村の欄に書いています
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(米軍撮影の空中写真)
- 国土地理院 地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(現在の写真)
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 年表の行ごとの出典 通しの年表の各行の下に、出典のリンクがあります