北海道の地域の歴史 根室
根室の歴史
根室は、北海道の東の端で、オホーツク海と太平洋、根室海峡に面した土地です。この画面は、年表537行、5市町の歩み、空中写真と古写真、当時の暮らしのイメージの絵を、時代の順にまとめたものです。
対象 根室出典 15 件この画面の更新 2026年10月29日
昔と今をくらべるこの画面の空中写真 7 点は、写真の下の切り替えで、同じ範囲を写した現在の写真に替えられます。「なぞって比べる」を選ぶと、写真の上を左右になぞるたびに、昔と今の境目が動きます。


根室の歴史を一言でいうと 竪穴とチャシ、戦いと交易、鮭と牛乳と国境の土地
標津町の伊茶仁カリカリウス遺跡には、およそ一万年前からほぼ途切れずに人が暮らした竪穴のくぼみが残り、1979年5月22日に古道遺跡と合わせて国の史跡「標津遺跡群」になりました。根室半島の海辺の高台には、16〜18世紀ごろに築かれたとされるチャシ跡が並び、1983年4月26日に国の史跡「根室半島チャシ跡群」に指定されています。
1789年、クナシリ島とメナシ(標津・羅臼の辺り)のアイヌの人びとが、場所を請け負った飛騨屋の支配人や番人の非道に耐えかねて立ち上がりました。和人71人が殺され、蜂起の中心とされた37人がノッカマップで処刑されました。1792年にはロシアの使節ラクスマンが根室に来て、8か月を過ごしています。
明治になると、根室には開拓使の出張所と根室県が置かれ、1886年に屯田兵220戸が入って和田村ができました。内陸の根釧台地は大正から昭和にかけて開かれ、戦後はパイロットファームと新酪農村によって日本有数の酪農の地になりました。
1945年7月15日の空襲で根室の市街の中心部の8割が焼け、終戦後には北方四島がソ連に占領されて、四島に暮らしていた17,291人が島を離れました。2005年7月17日、知床は世界自然遺産に登録されています。
約1万年前〜12世紀
竪穴とオホーツク文化 標津遺跡群と松法川北岸遺跡

標津町の伊茶仁カリカリウス遺跡には、およそ一万年前からほぼ途切れずに人が暮らした竪穴の跡が、いまもくぼみとして残っています。国の指定の解説では、ポー川側に589、伊茶仁川側の丘に652の住居跡があり、近くの古道遺跡には擦文時代を中心とする住居跡146と小竪穴73があります。古道遺跡は1976年6月21日に国の史跡になり、1979年5月22日に伊茶仁カリカリウス遺跡と合わせて「標津遺跡群」になりました。
根室のヲンネモトチャシ跡の近くには、約1,300年前のオホーツク文化期の竪穴住居があります。羅臼町の松法川北岸遺跡は、1982年に国道の工事にともなって発掘され、焼けたオホーツク文化の住居跡から出た260点の出土品が、2015年9月4日に国の重要文化財になりました。
網走と釧路を結ぶ線より東では、オホーツク文化から擦文文化へ移る段階のトビニタイ文化が生まれました。その名は羅臼町の飛仁帯(とびにたい)の地名から来ています。羅臼町の計画によると、羅臼のオタフク岩洞窟の奥の壁ぎわからは、10個体以上のヒグマの頭骨が並んで出ています。
13世紀〜1868年
チャシと場所の時代 クナシリ・メナシの戦いとラクスマン



根室市内のチャシ跡は16〜18世紀ごろに築かれたとされ、海に面した高台に並んでいます。そのうちの一群が、1983年4月26日と1984年7月25日に国の史跡「根室半島チャシ跡群」に指定されました。羅臼町では13〜14世紀以降のアイヌ文化期のチャシが13基、別海町では8か所が確かめられています。
1754年に珸瑤瑁海峡の航路が開かれ、根室に運上屋が置かれました。1774年には飛騨屋が東部の奥蝦夷地の場所を初めて請け負い、野付と西別川の河口に漁場を開いて、西別川の秋の鮭を江戸に送りました。1778年には、ロシアの商人シャバーリンがノッカマップに来て交易を申し出ています。
1789年5月、クナシリ島のアイヌが立ち上がり、メナシのアイヌも加わりました。根室市歴史と自然の資料館によると、取り調べでは飛騨屋の支配人や番人の暴力・脅迫・だましなどの実態が明らかになっています。合わせて130人が蜂起し、和人71人が殺されました。羅臼のオルマップ川の河口の番屋でも8人が殺されています。松前藩の鎮圧隊260人がノッカマップに着くと、アッケシのイコトイ、ノッカマップのションコ、クナシリのツキノエらアイヌの首長が間に入り、直接の衝突は避けられました。蜂起の中心とされた37人はノッカマップで処刑されました。戦いの後、飛騨屋は交易の権利を取り上げられましたが、松前藩にとがめはありませんでした。
1792年、ロシアの使節ラクスマンがエカテリーナ号で根室に来て、8か月を過ごしました。1799年に幕府が蝦夷地を直轄にすると、根室・国後・択捉に会所が置かれ、野付半島の先には国後へ渡る野付通行屋ができます。1800年には伊能忠敬が西別で蝦夷地の最も東の測量を行い、西別川の鮭を将軍に献上することが始まりました。1806年に高田屋嘉兵衛が金刀比羅神社をまつり、1812年には野付水道でロシアのディアナ号に捕らえられています。1856年の記録では、ベッカイに81人のアイヌの人びとが暮らしていました。1858年、野付通行屋で松浦武四郎とアイヌ語の通辞の加賀伝蔵が出会っています。
1869年〜1912年
明治の根室 開拓使、根室県と和田屯田、灯台と缶詰



1869年、開拓使の出張所が根室に開かれ、松本判官が移住民130人を率いて来ました。同じ年に根室国が置かれ、「シベツ」に「標津」の字が当てられています。1872年には弁天島灯台と納沙布灯台が灯りをともし、1878年に開拓使は別海の本別海に缶詰工場を置きました。
1882年に根室県が置かれ、1886年に廃止されて根室支庁になりました。同じ1886年、屯田兵220戸が入って和田村ができています。1879年には別海と標津に戸長役場が置かれ、それぞれの町の始まりになりました。1891年に標津で鮭と鱒の人工ふ化が始まりましたが、1897年ごろには根室海峡の沿岸の鮭と鱒の漁が資源の減少で不振になり、漁業者は新しい缶詰の原料を探し始めます。
1900年7月1日に根室町が生まれ、1901年には植別村(いまの羅臼町)が標津から分かれました。1908年に落石無線電信局が開かれ、1910年に根室港は開港場に指定されます。同じ年、別海の奥行臼に駅逓所が開かれました。1911年、徳島県の徳静団体が俵橋に入り、中標津の開拓が始まりました。1912年5月には、クナシリ・メナシの戦いで殺された和人を弔う「横死七十一人之墓」の碑が、珸瑤瑁の浜の砂の中から見つかっています。
1912年〜1926年
大正の根室 鉄道と、根釧台地の開拓



1915年に歯舞村ができ、1916年には北海道水産試験場の根室支所が置かれました。1918年、中標津原野の移住者は400戸1,731人になっています。1919年11月に厚床駅が開業し、1921年には鉄道が根室まで通って国鉄根室駅が開業しました。
1923年、別海と標津でそれぞれ戸長役場が村役場に改められ、別海村と標津村になりました。同じ年、中標津の武佐と開陽に乳牛が入り、1925年には武佐に集乳の工場ができます。1925年には殖民軌道の厚床と中標津の間が開通し、内陸の開拓を支えました。1924年には落石電報局と根室受信所ができています。
1926年〜1945年8月
昭和の戦前と戦中 標津線、主畜農業、空襲

1929年に根室拓殖鉄道が歯舞と根室を結び、殖民軌道根室線にはガソリンカーが走り始めました。1930年、植別村は羅臼村と名を改めます。1931年8月24日には、リンドバーグ夫妻が飛行機で根室港に降り立ちました。
1931年と1932年は大きな凶作で、農業は大きな打撃を受けました。1933年、別海では主畜農業の五か年計画が立てられ、畑作から牛を飼う農業へと大きく変わっていきます。1933年12月に国鉄標津線の厚床と西別の間が開業し、1937年に標津線が全線開通すると、根釧台地の内陸の開拓は急速に進みました。
1939年9月7日に花咲岬の根室車石が、1940年2月10日に落石岬のサカイツツジ自生地が、国の天然記念物になりました。戦争が進むと、1941年に陸軍が計根別に、1943年に海軍が中標津に飛行場をつくりました。1945年7月15日の根室空襲では、市街の中心部の8割が焼けています。中標津町の年表によると、計根別と中標津の空襲で兵士1人と徴用の2人が亡くなりました。
1945年8月〜1988年
戦後の昭和 四島からの退去、パイロットファーム、チャシ跡と遺跡の指定

終戦後、北方四島はソ連軍に占領され、1945年9月5日までにすべての島の占領が終わりました。標津町の資料によると、当時四島には17,291人(3,123世帯)が暮らしており、1947年から1949年にかけて、小舟で島を出るか、拘留の後に強制的に退去させられました。引き揚げた人びとの多くは、島の見える根室管内で暮らし始めています。
1946年7月1日、標津村から中標津村が分かれました。1954年に根室管内は高度集約酪農地域に指定され、1955年に根釧パイロットファームの建設が決まって、1956年から入植が始まりました。1957年8月1日に根室町と和田村が合わさって根室市が生まれ、1959年4月1日に歯舞村を合わせています。1954年5月10日の暴風雨では、根室地方の漁船の乗組員191人が亡くなりました。
1960年5月24日のチリ地震の津波では、根室で39棟が床上まで浸水しました。1962年12月27日に野付風蓮道立自然公園が、1964年に知床国立公園が指定され、1965年7月に中標津空港が開港します。1968年、「横死七十一人之墓」は国後島を望む納沙布岬に移されました。1973年には新酪農村の建設事業が始まり、総額935億円が投じられて、1975年から建売の牧場への入植が始まります。1973年6月17日の根室半島沖地震では、根室で震度5を記録しました。
1974年から、ノッカマップでは毎年9月末に、戦いの犠牲者を供養するイチャルパ(供養祭)が開かれています。北海道アイヌ協会の標津支部は1972年に、別海支部は1974年4月に、根室支部は1983年5月にできました。1979年に標津遺跡群が国の史跡、標津湿原が天然記念物になり、1980年にポー川史跡自然公園が開かれます。1983年4月26日には根室半島チャシ跡群が国の史跡に指定されました。
1989年〜
平成と令和の根室 標津線の廃止、知床と野付・風蓮、鮭の聖地


1989年4月29日、JR標津線が廃止され、厚床と標津の間を代わりのバスが走るようになりました。1992年4月22日、北方四島との「ビザなし交流」の訪問団が初めて花咲港に着いています。1994年10月4日の北海道東方沖地震では、中標津で震度6の揺れが記録されました。
1998年、アイヌ語の通辞の加賀伝蔵らが残した「加賀家文書」が加賀家から別海町に預けられ、2000年に加賀家文書館が開きました。2005年7月17日、知床は日本で3か所目の世界自然遺産に登録され、同じ年の11月8日には野付半島・野付湾と風蓮湖・春国岱がラムサール条約湿地に登録されています。2006年、根室半島チャシ跡群は日本城郭協会の「日本100名城」の第1番に選ばれました。
2009年に標津で地元のアイヌ協会による先祖供養「標津イチャルパ」が始まり、2020年からは地域のアイヌによる供養祭として開かれています。2011年3月11日の東日本大震災では、根室の太平洋岸に2.8メートルの津波が来ました。2011年9月21日に旧奥行臼駅逓所が国の史跡になり、同じ年の12月に羅臼町郷土資料館が開館しています。2020年6月、根室管内の市町で申請した「鮭の聖地」の物語が日本遺産に認定されました。
根室の5市町 名の由来と、始まりと、歩み
根室には1市4町があります。名の由来は北海道『アイヌ語地名リスト』(2007年)の該当ページと各市町の資料から、始まりと歩みは各市町の公開資料から書いています。「年表で…を見る」を押すと、下の通しの年表がその市町だけになります。
根室市
- 名の由来
- アイヌ語のニムイ/ニモイ「木・湾。海底に神代木が多かった、箕の形の湾の意とも(リスト p.98)」(松浦武四郎の説)。またはアイヌ語のニムオロ「木・つまる・所。樹木の茂る所(リスト p.98)」(永田方正の説)。またはアイヌ語のメムオロオペッ「湧き壺・そこにある・川(リスト p.98)」(国鉄の駅名の解説の説)。リストの確定レベルはC(諸説あり特定しがたい)。上原熊次郎はニノオロ「ウニのある」などの説も記す。納沙布はノッサム「岬のそば」(p.99・確定A)、花咲はポロノッ「大きな岬」の意訳(p.103・確定A)、春国岱はスンクニタイ「エゾマツの林」(p.66)
- 始まり
- 1869年、開拓使の出張所が根室に開かれ、松本判官が移住民130人を率いて来る。1886年、屯田兵220戸が入って和田村ができる
- 市町村の歩み
- 1900年7月1日に根室町。1957年8月1日に根室町と和田村が合わさって根室市。1959年4月1日に歯舞村を合わせる
- 市町村史
- 『根室市史』(1968年)
別海町
- 名の由来
- アイヌ語のペッカイ「川が・折れる(リスト p.116)」(松浦武四郎の説)。またはアイヌ語のペッ・カイェ「破れ川、折れ川(リスト p.116)」(永田方正の説)。またはアイヌ語のペッカイェ「川・を折る。砂浜で川口が曲がり、破れるような所から呼んだか(リスト p.116)」(山田秀三の説)。確定レベルC。山田は「語義がはっきりしない」と書く。野付はノッケウ「下あご」(p.99)、風蓮はフレペッ「赤い川」(p.112)
- 始まり
- 1774年、飛騨屋が野付と西別川の河口に漁場を開く。1879年、本別海に別海外四カ村戸長役場が置かれる
- 市町村の歩み
- 1923年に別海村。1971年4月に町になる
- 市町村史
- 『別海町百年史』(1978年)
中標津町
- 名の由来
- アイヌ語のシ・ペッ「大きな川(本流)。中標津は「中流域にあるシ・ペッ」」(中標津町郷土館の説)。またはアイヌ語のシペ・オッ「鮭が群れている(別の解釈)」(中標津町郷土館の説)。リスト p.92 の「中標津」はアイヌ語の欄がなく、日本語の「中」とアイヌ語に由来する「標津」を合わせた名
- 始まり
- 1911年、徳島県の徳静団体が俵橋に入り、開拓が始まる
- 市町村の歩み
- 1946年7月1日に標津村から分かれて中標津村。1950年1月に町になる
- 市町村史
- 『中標津町史』(1981年)
標津町
- 名の由来
- アイヌ語のシペッ「大・川。この近くで大きな川のため(リスト p.61)」(上原熊次郎の説)。またはアイヌ語のシペオッ「鮭・多くいる(リスト p.61)」(松浦武四郎の説)。確定レベルB。リストは「si-pet の方が妥当性が高い」とする
- 始まり
- 1879年4月、標津外6村戸長役場が置かれ、町の始まりとなる
- 市町村の歩み
- 1923年に標津村、1958年に町になる。1946年に中標津村が分かれる
- 市町村史
- 『標津町史』第1巻(1968年)・第2巻(1979年)
羅臼町
- 名の由来
- アイヌ語のラウシ「臓腑・骨などがある。鹿や熊を獲ってここで解体したため(リスト p.138)」(松浦武四郎の説)。またはアイヌ語のラウシ「低い所・にある・もの(川)(リスト p.138)」(永田方正・山田秀三の説)。確定レベルC(いずれとも特定しがたい)。ra には「低い所」と「臓腑」の二つの意味がある(山田)。知床はシリエトク「地の突き出た所=岬」(p.68、斜里町の項)
- 始まり
- 1901年、植別村が標津から分かれ、植別村戸長役場が置かれる
- 市町村の歩み
- 1930年に羅臼村と名を改め、1961年に町になる
- 市町村史
- 『羅臼町百年史』(2001年)
空から見た根室の町 1947年と1948年の空中写真 7点
戦後すぐ、アメリカ軍が根室を空から撮った写真です。港に面した根室の市街、花咲の浜、根室半島の先、野付湾の砂の州、蛇行する川のそばの別海・中標津・標津の市街、知床の山のふもとの羅臼が写っています。写真を押すと大きな画像で見られます。













根室の古写真と古い絵図 14点
根室支庁と町役場、花咲の小学校、根室牧場の馬、友知の缶詰の工場、根室近海の航路の汽船、旅の道筋の図などが写っています。














根室の通しの年表 537行
約1万年前から2025年まで、根室の出来事を時代ごとに並べています。行ごとに出典のリンクがあります。市町を選ぶか、言葉を入れると絞りこめます。
旧石器から擦文まで4行
- 約1万年前〜標津町伊茶仁カリカリウス遺跡の竪穴は、およそ一万年前からほぼ途切れずに人が暮らした跡標津町 ポー川史跡自然公園「園内のみどころ」
- 約1,300年前根室市ヲンネモトチャシ跡の近くに、約1,300年前のオホーツク文化期の竪穴住居がある根室市歴史と自然の資料館「根室半島チャシ跡群」
- 7〜8世紀頃羅臼町松法川北岸遺跡の出土品は、オホーツク文化期の集落跡から出た総数260点の遺物文化遺産オンライン「北海道松法川北岸遺跡出土品」
- 9〜10世紀頃根室全体網走と釧路を結ぶ線より東で、オホーツク文化から擦文文化へ変わる段階のトビニタイ文化が成立した北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
アイヌ文化の時代2行
- 9〜13世紀羅臼町トビニタイ文化の名は、羅臼町の飛仁帯地区に由来する内閣府 羅臼町アイヌ施策推進地域計画
- 13〜14世紀以降羅臼町羅臼町では、13〜14世紀のアイヌ文化期に築かれたチャシが13基確認されている内閣府 羅臼町アイヌ施策推進地域計画
近世 場所の時代46行
- 1670年別海町『津軽一統誌』に、野付から国後島へ渡った記録が載る。別海町郷土資料館 展示解説シート「幻のまちキラク伝説」
- 1700年標津町松前藩が幕府に出した絵図に「ちべ内」と記され、標津が文献に初めて現れる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1701年標津町松前藩が霧多布に商場を開き、標津のアイヌと和人の関わりが強まる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 16〜18世紀頃根室市根室市内のチャシ跡は16〜18世紀頃に築かれたとされる(正確な年代は不明)根室市歴史と自然の資料館「根室半島チャシ跡群」
- 1754年根室市珸瑤瑁海峡の航路が開かれ、根室に運上屋が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1772年羅臼町安永年間に羅臼の漁場の開拓が始まる。第8期羅臼町総合計画
- 1774年別海町飛騨屋が東部奥蝦夷地の場所を最初に請け負い、野付や別海に漁場を開いた別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1774年別海町野付と西別川河口に漁場が開かれ、西別川の秋鮭が江戸に送られる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1778年根室市ロシアの商人シャバーリンがノッカマップに来て交易を申し出た根室市歴史と自然の資料館「根室半島チャシ跡群」
- 1781年別海町天明年間、根室場所の請負人飛騨屋が鮭の塩引きを作る。別海町郷土資料館 展示解説シート「ニシベツ献上鮭」
- 1782年根室全体交易が再開され、根室海峡一帯にサケマス漁の漁場が開かれる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1786年標津町幕府の御用船神通丸が、シベツで台風のため壊れる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1789年根室全体戦いの後、飛騨屋は交易の権利を取り上げられる。松前藩にはとがめがなかった根室市歴史と自然の資料館 横死七十一人之墓根室市歴史と自然の資料館「1789年クナシリ・メナシの戦い」
- 1789年羅臼町クナシリ・メナシの戦いで、羅臼町オルマップ川河口の番屋でも8名が殺された内閣府 羅臼町アイヌ施策推進地域計画羅臼町アイヌ施策推進計画
- 1789年5月根室全体蜂起に加わったのはクナシリ・メナシ合わせて130人、殺された和人は71人根室市歴史と自然の資料館「1789年クナシリ・メナシの戦い」
- 1789年根室全体松前藩は260人の鎮圧隊を組織し、ノッカマップへ向かわせた根室市歴史と自然の資料館「1789年クナシリ・メナシの戦い」
- 1789年根室市和人を殺害したアイヌ37人がノツカマップに連れてこられ、処刑された根室市歴史と自然の資料館「根室半島チャシ跡群」
- 1789年根室全体飛騨屋の過酷な扱いに対し、クナシリ・メナシのアイヌが蜂起する。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1789年根室市クナシリ・メナシの戦いの後、アイヌ37人の処刑がノッカマップで行われる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1789年5月羅臼町国後・目梨地方のアイヌが、飛騨屋の圧政に耐えかねて決起する。羅臼町アイヌ施策推進計画根室市「史跡標柱10 寛政の蜂起和人殉難墓碑」
- 1789年7月根室市松前藩の鎮圧隊260人がノッカマップに着く。アッケシのイコトイ、ノッカマップのションコ、クナシリのツキノエらが間に入り、直接の衝突は避けられる。蜂起の中心とされた37人がノッカマップで処刑される根室市歴史と自然の資料館 クナシリ・メナシの戦い北海道博物館協会学芸職員部会
- 1790年根室市穂香と幌茂尻の二つの集落に本番屋が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1792年別海町ロシア使節ラクスマンがバラサン・ニシベツに来航し、上陸する。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1792年9月5日根室市ロシアの使節ラクスマンがエカテリーナ号で根室に来航する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1793年根室市ラクスマンと共に根室へ着いた漂流民の小市が、根室で病死した根室市「史跡標柱31 小市慰霊碑・湯地定堅・梶原平馬の墓」
- 1793年6月15日根室市ラクスマンの一行は8カ月間を根室で過ごした根室市歴史と自然の資料館「ラクスマンの根室来航」
- 1799年根室全体幕府が蝦夷地を直轄し、陸路と海路の整備を始めた別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1799年根室市幕府の直轄のもとで根室・国後・択捉に会所が開かれた別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1799年別海町野付半島の先に、国後島へ渡る要所として野付通行屋が置かれた別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1799年根室市幕府の直轄地となり、根室に奉行の庁舎が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1800年別海町伊能忠敬がニシベツで蝦夷地最東端の測量をした別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1800年別海町西別川の鮭を将軍に献上することが始まる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1801年中標津町幕府の役人らが標津から標津川沿いに歩き、今の市街の川に泊まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1806年根室市高田屋嘉兵衛が漁場請負の際に、金刀比羅神社をまつった北海道神社庁「金刀比羅神社」根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1812年根室全体高田屋嘉兵衛が野付水道でロシアのディアナ号に捕らえられる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1812年4月根室市クナシリ・メナシの戦いで殺された和人を供養する墓碑が造られたと側面に刻まれている根室市歴史と自然の資料館「1789年クナシリ・メナシの戦い」
- 1821〜1854根室全体蝦夷地は再び松前藩の支配に戻った別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1845以降羅臼町松浦武四郎がたびたび羅臼を訪れ、地名を中心に多くの記録を残した内閣府 羅臼町アイヌ施策推進地域計画羅臼町アイヌ施策推進計画
- 1855年根室市金刀比羅神社の境内に、いまも残る最も古い石造物の石灯篭一対が建てられた根室市「史跡標柱6 安政二年の石灯篭」
- 1855〜1867根室全体幕府が再び蝦夷地を直轄した別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1856年別海町ベッカイにはアイヌ81人(男38人・女43人)が暮らしていた記録がある別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1857年中標津町標津川沿いの標津-斜里間の山道を、幕府の役人が視察のため多く通る。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1858年別海町ニシベツを境に、北側が会津藩、南側が仙台藩の持ち場になった別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1858年別海町松浦武四郎と加賀伝蔵が野付半島先端の野付通行屋で出会う。別海町郷土資料館 展示解説シート「松浦武四郎と加賀伝蔵」
- 1859年標津町西別から紋別までが会津藩の領地となり、標津に元陣屋が置かれる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1868年4月根室市根室が箱館府の管轄に入る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
明治 開拓の始まり67行
- 1869年根室市開拓使の出張所が根室に開かれた根室市「史跡標柱3 開拓使根室出張所跡」
- 1869年根室市開拓使の松本判官が移住民130人を率いて根室に来る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1869年根室市北米航路の測量で標木が建てられ、納沙布灯台の起こりとなる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1869年別海町開拓使の西別出張所が開かれる。別海町住生活基本計画
- 1869年標津町「シベツ」の地名に「標津」の漢字が当てられる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1869年8月根室市根室国が置かれ、郡が分けられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1870年6月根室全体根室・花咲・野付の三郡が東京府の管轄に移る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1872年根室市根室出張所が開拓使根室支庁と名を改めた根室市「史跡標柱3 開拓使根室出張所跡」
- 1872年根室市官立の根室病院がつくられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1872年根室市花咲郡が花咲・友知・沖根婦などの四村に分けられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1872年別海町別海村・平糸村・野付村・西別村が定められ、のちに走古潭村が加わる。別海町住生活基本計画
- 1872年3月根室市根室郡役所が根室支庁に改められる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1872年6月20日根室市弁天島灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1872年7月12日根室市納沙布灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1874年中標津町ライマンが養老牛温泉を調べる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1875年根室市根室の町の区画ができ、町名が定められる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1875年9月中標津町デイが中標津地方の三角測量を行う。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1876年12月14日根室市官立花咲学校(今の花咲小学校)が開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1878年別海町開拓使が本別海に缶詰工場を置いた別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1879年別海町別海外四カ村戸長役場ができ、本別海に役場が置かれる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1879年4月標津町標津外6村戸長役場が置かれ、町の始まりとなる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1879年7月1日根室市松ヶ枝町に根室測量所(測候所)が設けられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1880年根室市出張所が廃され、郡役所と戸長役場が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1881年根室市金刀比羅神社が現在地に移った北海道神社庁「金刀比羅神社」
- 1882年根室市開拓使の役所に代わり根室県が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1884年標津町野付郡の茶志骨村を編入する。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1885年中標津町アイヌの人々が使っていた道に由来する斜里山道が廃道になった中標津町郷土館「なかしべつの歴史概要」
- 1885年根室市根室県庁の中に屯田兵の仮事務所が設けられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1886年根室市根室県が廃止され、根室支庁となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1886年根室市屯田兵220戸が入地し、和田村がつくられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1886年標津町根室支庁の管轄となる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1887年根室市支庁に代わり、根室など9郡の郡役所が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1887年根室市根室港に波止場が築かれ、花咲港に検潮所ができる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1889年中標津町殖民地の選定が行われ、中標津地方は中割原野などと呼ばれる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1890年10月15日根室市落石灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1890年11月1日根室市花咲灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1891年標津町さけます人工ふ化事業が始まる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1892年根室市落石簡易教授所(今の落石小学校)が開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1892年中標津町ポンリウルに鮭鱒ふ化場の中標津事業所がつくられる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1896年標津町移住者が増え、人口が1,400人近くになる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1897年根室市官制の改正で郡役所が廃され、根室支庁が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1897年別海町北海道国有未開地処分法で、内陸への入植が始まる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1897年根室全体根室海峡沿岸の鮭鱒漁が、資源の減少で不振になる。標津町「日本遺産「鮭の聖地」の物語 ~根室海峡一万年の道程~」
- 1897年標津町鮭鱒資源が減り、漁業者が新しい缶詰原料を求め始める。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1898年別海町殖民地の区画が開放され、海岸から内陸へ入植が進む。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1900年根室市歯舞地区で初めて戸長役場が友知村に置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1900年7月1日根室市一級町村制が施行され、根室町となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1900年7月1日根室市穂香村・厚別村・幌茂尻村を加え、和田村ほかの戸長役場となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1901年中標津町中標津が殖民地として区画開放される。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1901年標津町植別村(今の羅臼町)が分かれて独立する。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1901年羅臼町植別村が標津から分かれて独立し、植別村戸長役場が置かれる。第8期羅臼町総合計画
- 1901年11月根室市戸長役場が友知村から歯舞村に移る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1902年9月21日根室市北斗尋常小学校(今の北斗小学校)が開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1903年別海町山崎藤次郎が47万坪の土地を借りて奥行臼に入る。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1906年別海町厚別村を編入し、別海外五カ村戸長役場となる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1906年4月根室市和田地区で二級町村制が施行され、従来の村が大字となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1907年2月11日別海町奥行臼簡易教育所が開かれる。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1908年7月根室市根室町役場の新しい庁舎が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1908年12月根室市落石無線電信局の送信所が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1909年根室市歯舞村に駅逓所が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1910年根室市根室港が開港場に指定される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1910年別海町北海道の拓殖計画で、開拓移民の入植が始まる。別海町中心市街地活性化に関する計画
- 1910年9月15日別海町奥行臼駅逓所が開設され、駅逓の業務を始める。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1911年中標津町中標津の開拓が始まった中標津町郷土館「なかしべつの歴史概要」
- 1911年中標津町徳島県の徳静団体が俵橋地区に入植し、開拓が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1912年1月根室市根室漁業組合ができる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1912年5月根室市珸瑤瑁の浜で、砂に埋まった「横死七十一人之墓」の碑が見つかった根室市歴史と自然の資料館「1789年クナシリ・メナシの戦い」
大正21行
- 1913年中標津町炭焼き小屋に子ども7名を集め、寺子屋式の学校が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1914年中標津町中標津駅逓所が置かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1915年4月根室市歯舞地区で二級町村制が施行され、歯舞村となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1916年根室市北海道水産試験場の根室支所が置かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1916年中標津町養老牛温泉の開発が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1918年中標津町中標津原野の移住者が400戸1,731人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1919年中標津町標津と中標津を結ぶ道路が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1919年11月根室市国鉄の厚床駅が開業する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1920年中標津町中標津市街の1条通から4条までの区画整理が行われる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1920年別海町西別に駅逓所が開かれ、1924年には上風連と中春別にもできる。別海町「史跡旧奥行臼駅逓所 整備基本計画(案)」
- 1920年7月別海町奥行臼駅逓所に2階建ての寄棟が増築される。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1920年7月19日根室市厚床尋常小学校(今の厚床小学校)が開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1921年根室市鉄道が通り、国鉄根室駅が開業する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1921年中標津町厚床と中標津を結ぶ道路が開通する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1923年別海町戸長役場が廃止され、別海村が生まれた別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1923年中標津町武佐・開陽地区に乳牛が入り、飼育が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1923年標津町戸長役場が標津村役場に改められる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1924年根室市落石電報局と根室受信所が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1925年中標津町武佐に集乳工場ができる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1925年中標津町殖民軌道の厚床・中標津間が開通する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1925年別海町殖民軌道根室線の厚床―中標津間が開通する。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
昭和の戦前と戦中30行
- 1927年中標津町中標津市街で北海道農事試験場根室支場の建設が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1927年別海町北海道第2期拓殖計画で、移民を直接保護する政策に変わる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1928年中標津町標津から中標津・計根別・標茶へのバスが走り始める。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1929年根室市根室拓殖鉄道が歯舞と根室を結ぶ軌道を開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1929年中標津町殖民軌道根室線にガソリンカーが走り始める。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1929年8月別海町殖民軌道根室線で動力車による運輸が始まる。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1930年羅臼町植別村が羅臼村に名を改める。第8期羅臼町総合計画
- 1930年6月10日別海町奥行臼駅逓所が廃止され、旅館として営業を続ける。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1931年根室市根室公会堂が建てられる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1931年中標津町国鉄標津線の工事が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1931年別海町冷害による凶作で、農業が大きな打撃を受ける。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1931年標津町昭和6~7年に大凶作となる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1931年8月24日根室市リンドバーグ夫妻が飛行機で根室港に降り立つ。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1932年中標津町中標津市街が132戸となる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1933年中標津町猛吹雪で養老牛・武佐・開陽の子どもと大人が亡くなる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1933年別海町別海村役場が本別海から西別へ移る。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1933年別海町主畜農業五カ年計画が立てられ、畑作から主畜農業へ大きく転換する。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 1933年12月別海町国鉄標津線の厚床―西別間が開業し、奥行臼駅ができる。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1934年中標津町中標津駅が開業する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1934年別海町西別(今の別海地区)に村役場の庁舎が完成する。別海町住生活基本計画
- 1937年中標津町標津線と標茶線が全線開通する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1937年標津町国鉄標津線が開通する。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1937年標津町標津線の開通で、根釧台地の内陸の開拓が急速に進む。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1937年4月1日根室市貝殻島灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1939年9月7日根室市花咲岬の枕状溶岩、根室車石が国の天然記念物に指定された文化遺産オンライン「根室車石」
- 1940年2月10日根室市落石岬のサカイツツジ自生地が国の天然記念物に指定された文化遺産オンライン「落石岬のサカイツツジ自生地」
- 1941年中標津町陸軍が計根別に飛行場をつくる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1943年中標津町海軍が中標津に飛行場をつくる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1945年中標津町計根別と中標津が空襲を受け、死者が出る。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1945年7月15日根室市根室空襲で市街の中心部の8割が焼ける。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
戦後の昭和166行
- 1945年8月以降根室市終戦後、色丹島と歯舞群島などがソ連に占領される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1945年8月以降羅臼町戦後、千島や樺太からの引揚者を受け入れ、人口が増える。第8期羅臼町総合計画
- 1945年8月以降根室全体島から引き揚げた人の多くが、島の見える根室管内で暮らし始める。標津町「占領された島々」
- 1945年9月5日根室全体ソ連軍が千島列島を南下し、北方四島を含むすべての島を占領し終える。標津町「占領された島々」
- 1946年標津町戦後、中標津村が分かれる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1946年4月30日根室市漁船第二暁丸が多楽島付近でソ連に拿捕される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1946年7月中標津町標津村から分かれて中標津村ができる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1946年7月1日中標津町標津村から分村して中標津村が生まれた中標津町郷土館「なかしべつの歴史概要」
- 1947年〜1949年根室全体四島に住んでいた17,291人(3,123世帯)の人びとが、小舟で島を出るか、拘留の後に強制的に退去させられる標津町「北方領土の歴史」
- 1947年5月中標津町中標津・計根別・武佐などに新制中学校が開校する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1947年5月1日根室市新制の根室中学校・和田中学校・歯舞中学校などが開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1948年6月中標津町村立中標津高等学校が開校する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1949年12月中標津町養老牛国有林で造林作業員18名が猛吹雪に遭い、5名が亡くなる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1950年1月中標津町中標津村が町制を施行し、中標津町となる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1950年1月1日中標津町中標津が町制を施行した中標津町郷土館「なかしべつの歴史概要」
- 1950年10月羅臼町羅臼の「臼」を輪にした町章が定められる。羅臼町「羅臼町の概要」
- 1951年9月1日根室市根室町警察署を続けるかを問う住民投票が行われる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1951年11月中標津町中標津市街の上水道が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1952年3月中標津町十勝沖大地震が起きる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1952年4月28日根室市対日平和条約の発効で根室近海のマッカーサーラインがなくなる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1952年8月25日根室市花咲灯台の霧信号所が鳴笛を始める。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1952年11月中標津町北海道さけ・ますふ化場の根室支場が開かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1954年根室全体酪農振興法により、根室管内が高度集約酪農地域に指定される。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1954年標津町標津町の市街地で、ごみのステーション収集が始まる。標津町ごみ処理基本計画(Internet Archive の保存版)
- 1954年5月10日根室市暴風雨で根室地方の漁船乗組員191人が遭難して亡くなる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1955年別海町根釧パイロットファーム計画の建設が決まる。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1955年4月中標津町別海村の豊岡・協和の両地区を編入する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1955年4月別海町村の一部が中標津町に分かれる。別海町住生活基本計画
- 1955年6月14日根室市和田村の開基70周年の記念行事が行われる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1955年9月別海町床丹第二地区で工事が始まり、床丹第一地区は1958年に着工する。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1956年3月15日別海町根釧パイロットファームへの入植が始まる。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1956年3月中標津町標津線で列車が転覆し、多くのけが人が出る。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1956年7月20日別海町中春別に開発局・道・農地開発機械公団の合同庁舎が建つ。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1957年8月1日根室市根室町と和田村が合併して根室市が生まれた根室市「根室市について」根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1957年3月中標津町ジャージー牛の導入が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1957年8月中標津町海軍飛行場の跡地を使い、根室一円の遊覧飛行が行われる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1957年8月1日根室市根室市役所の厚床支所と和田支所が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1957年8月5日根室市梅雨末期の前線が通過し、死傷者3名の被害が出る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1958年標津町町制を施行し、標津町となる。標津町「標津町の語源・沿革・地勢・人口データ」
- 1958年8月3日根室市市制施行の記念に第1回根室~厚床間の駅伝競走が行われる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1959年根室市根室市が歯舞村を編入した根室市「根室市について」
- 1959年4月1日根室市歯舞村が根室市に編入合併される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1959年5月中標津町北日本航空の定期便が飛び始める。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1959年8月3日根室市国鉄根室駅の駅舎が改築される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1959年9月8日根室市根室拓殖鉄道が軌道車の運行をやめる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1959年10月1日根室市落石ロラン局が開局する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1959年11月2日根室市市立根室病院が新築される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1960年別海町人口が21,878人で最も多くなり、その後は減り始める。別海町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1960年5月24日根室市チリ沖地震の津波が襲い、39棟が床上まで浸水する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1960年7月19日根室市第1回長節湖水祭が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1960年12月7日根室市ユルリ島灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1961年羅臼町町制を施行し、羅臼町となる。第8期羅臼町総合計画
- 1961年5月別海町パイロットファームの入植者から、無断で離農する人が出る。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1961年11月27日根室市根室漁業協同組合と魚菜市場が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1962年1月17日根室市根室支庁の新しい庁舎が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1962年3月中標津町開陽台の観光開発が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1962年5月1日根室市釧路・根室線が一級国道に昇格する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1962年8月中標津町開陽台に展望台が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1962年12月27日根室全体野付半島・風蓮湖などを含む野付風蓮道立自然公園が指定された(11,692ha)北海道庁「野付風蓮道立自然公園」根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1963年標津町町が独自に標津遺跡群の調査を始める。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1963年6月10日根室市貝殻島水域でのコンブ採取の協定が結ばれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1963年6月19日根室市コンブ漁船が18年ぶりに協定水域へ出漁する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1963年8月1日根室市浜中町の一部が根室市に編入される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1963年12月17日別海町村営軌道風蓮線の奥行臼―上風蓮学校前が開通する。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1964年別海町パイロットファームの正規の入植が1964年度で打ち切られる。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1964年別海町北海道大学探検部が野付半島を調べ、キラク町の言い伝えを記す。別海町郷土資料館 展示解説シート「幻のまちキラク伝説」
- 1964年6月1日羅臼町知床が国立公園に指定される。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」環境省「知床国立公園」
- 1964年羅臼町羅臼漁港の第1南防波堤が建設される。水産庁 事前評価資料(直轄特定漁港漁場整備事業 羅臼地区)
- 1964年4月1日根室市ノツカマップ灯台が点灯する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1964年6月中標津町冷湿害で農畜産物の被害が2億円にのぼる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1964年6月2日根室市根室・歯舞・和田主畜・厚床の農協が合併する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1964年8月1日根室市「根室市の歌」が定められる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1964年10月中標津町中標津空港の整備工事が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1965年標津町国勢調査で人口が8,051人となり、これが最も多い。標津町「町の概況」
- 1965年標津町人工ふ化事業が成果を上げ、鮭の水揚げが大きく伸び始める。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1965年羅臼町国勢調査で人口が8,931人となり、これが最も多い。第8期羅臼町総合計画
- 1965年7月中標津町中標津空港が開港する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1965年9月中標津町春別(俵橋)地区で国営パイロット事業が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1965年12月10日根室市北方資料館が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1966年11月中標津町国営開拓パイロットの春別地区で入植が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1968年根室市「横死七十一人之墓」の墓碑が、国後島を望む納沙布岬の現在地に移された根室市「史跡標柱10 寛政の蜂起和人殉難墓碑」
- 1968年標津町『標津町史』第1巻が出る。標津町「標津町史を販売しています」
- 1968年標津町戸長役場設置90周年の記念に、三本木遺跡の試掘や会津藩士顕彰碑の建立が行われる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1968年5月16日中標津町1968年十勝沖地震が起きる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1968年8月1日根室市開基100年の記念事業が行われる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1968年8月1日根室市市旗が定められ、根室市史が刊行される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1969年5月31日根室市文化センターが完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1969年12月中標津町道道釧路・中標津線が国道272号に昇格する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1970年別海町町が過疎対策を始める。別海町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1970年羅臼町公民館が新しく建ち、その一室に図書室が置かれる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1970年3月標津町標津町文化財保護条例が定められる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1970年4月1日根室市市立根室西高等学校が開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1971年3月別海町村営軌道風蓮線が廃止される。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1971年4月別海町町制を施行し、別海町となる。別海町住生活基本計画
- 1971年7月中標津町郷土館が開館する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1971年11月中標津町国道272号が全線開通する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1972年4月標津町北海道アイヌ協会の標津支部ができる。標津町アイヌ施策推進地域計画内閣府 標津町アイヌ施策推進地域計画
- 1972年1月中標津町国鉄標津線の廃止に反対する住民大会が開かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1972年6月中標津町春別パイロット事業が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1973年根室全体新酪農村建設事業が始まり、総額935億円が投じられる。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1973年6月17日根室市根室半島沖地震が起き、震度5を記録する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1973年7月13日根室市市役所庁舎が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1973年8月中標津町中標津空港が北海道の管理となる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1974年根室市ノッカマップで、戦いの犠牲者を供養するイチャルパが毎年9月末に開かれるようになった根室市歴史と自然の資料館「1789年クナシリ・メナシの戦い」
- 1974年標津町茶志骨生活館が建てられる。標津町アイヌ施策推進地域計画
- 1974年4月別海町北海道ウタリ協会別海支部が設立された(現在の別海アイヌ協会)内閣府 別海町アイヌ施策推進地域計画別海町アイヌ施策推進地域計画
- 1975年別海町新酪農村の建売牧場への入植が8戸から始まる。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1975年別海町奥行臼の大和小学校が廃校となる。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1975年8月根室全体根室管内の乳牛が10万頭を突破し、記念式典が開かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1975年12月中標津町養老牛に大規模なさけ・ますふ化場が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1975年12月19日根室市アラスカ州シトカ市と姉妹都市の提携を結ぶ。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1976年根室市西月ヶ岡遺跡には約300基の竪穴住居跡がくぼみとして点在する文化遺産オンライン「西月ヶ岡遺跡」
- 1976年6月21日標津町擦文時代を中心とする集落跡、古道遺跡が国の史跡に指定された文化庁 国指定文化財等データベース「標津遺跡群」
- 1976年8月28日根室市擦文土器の時代を中心とする集落跡、西月ヶ岡遺跡が国の史跡に指定された文化遺産オンライン「西月ヶ岡遺跡」
- 1976年10月19日根室市富山県黒部市と姉妹都市の提携を結ぶ。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1977年根室市春国岱は総面積592haに及ぶ砂州と記録された北海道庁「野付風蓮道立自然公園」
- 1977年標津町伊茶仁川・ポー川流域の竪穴群が、文化庁の調査研究のモデルケース第1号になる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1977年4月22日根室市200カイリの規制に向けた危機突破の集会が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1977年7月中標津町緑ヶ丘森林公園が開園する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1977年7月10日根室市第1回ねむろあやめ祭りが開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1977年12月中標津町人口が20,000人を突破する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1978年標津町標津町で郷土史研究会ができる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1978年4月26日根室市北洋のサケ・マス漁獲量が42,500トンに大きく減る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1978年5月4日根室市北洋サケ・マス漁船が出漁し、中型船は30%減船となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1979年標津町指定の解説で、伊茶仁カリカリウス遺跡のポー川側に5谷11群・589の住居跡があるとされた文化庁 国指定文化財等データベース「標津遺跡群」
- 1979年標津町同じ解説で、伊茶仁川側の丘陵にも652の住居跡が確認されたとされた文化庁 国指定文化財等データベース「標津遺跡群」
- 1979年標津町古道遺跡には擦文時代を中心とする竪穴住居跡146と小竪穴73がある文化庁 国指定文化財等データベース「標津遺跡群」
- 1979年標津町『標津町史』第2巻が出る。標津町「標津町史を販売しています」
- 1979年8月7日標津町標津遺跡群が国の史跡に、標津湿原が天然記念物に指定される。標津町文化財保存活用地域計画(本文)文化遺産オンライン「標津湿原」
- 1979年2月1日根室市根室市水産加工技術研修センターが開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1979年5月22日標津町古道遺跡と伊茶仁カリカリウス遺跡が統合され、国史跡「標津遺跡群」となった北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
- 1979年10月31日標津町標津町の北方領土館の建物が完成する。標津町「北方領土館の概要」
- 1979年12月3日標津町標津町の北方領土館が開館する。標津町「北方領土館の概要」
- 1980年標津町標津遺跡群を整備して、ポー川史跡自然公園が開設された北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
- 1980年別海町建売牧場への入植が合計94戸で完了する。別海町郷土資料館「別海町の農業1 根釧パイロットファームから新酪農村建設事業」
- 1980年標津町遺跡と湿原を公開するポー川史跡自然公園が開かれる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1980年羅臼町世帯数が2,804世帯で最も多くなる。第8期羅臼町総合計画
- 1980年3月別海町年度末で過疎地域から外れる。別海町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1980年5月中標津町中標津空港にYS11型機が就航する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1980年8月1日根室市北方館が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1980年10月中標津町国勢調査で人口が21,187人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1980年11月21日根室市上水道の牧の内ダムが完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1981年6月中標津町中標津町史が刊行される。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1981年9月27日根室市納沙布岬に像「四島のかけ橋」が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1981年12月12日根室市道道根室半島線の延長46キロの舗装工事が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1982年羅臼町国道改良のため松法川北岸遺跡が発掘され、焼けたオホーツク文化の住居跡が見つかった北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
- 1982年11月18日別海町奥行臼駅逓所が町の文化財に指定される。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1983年羅臼町熱水を供給するための井戸が掘られる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1983年標津町町内の漁業番屋の建造物調査が行われる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1983年3月中標津町YS11型旅客機が中標津空港付近で墜落するが、火災と死者は出ない。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1983年4月26日根室市根室半島チャシ跡群が国の史跡に指定された文化庁 国指定文化財等データベース「根室半島チャシ跡群」
- 1983年5月根室市北海道アイヌ協会根室支部が設立された(2014年から根室アイヌ協会)内閣府 根室市アイヌ施策推進地域計画
- 1983年7月中標津町旧農事試験場陳列館が郷土館分館として開館する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1983年10月19日根室市友知漁港が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1984年4月1日根室市納沙布岬に根室市観光物産センターが開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1984年7月25日根室市根室半島チャシ跡群に追加指定があった文化庁 国指定文化財等データベース「根室半島チャシ跡群」
- 1985年標津町世帯数が昭和60年まで増え続け、その後はほぼ横ばいとなる。標津町ごみ処理基本計画(Internet Archive の保存版)
- 1985年標津町農業の担い手を確保するため、標津町農業後継者対策推進協議会ができる。第4期標津町農業振興計画
- 1985年4月中標津町下水道の使用が始まり、終末処理場が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1985年8月28日根室市下水終末処理場の通水式が行われ、下水道が使えるようになる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1985年10月中標津町国勢調査で人口が21,675人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1986年6月8日根室市和田屯田の開基100年記念式典が行われる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1987年3月9日根室市重要港湾の花咲港区が貿易の指定開港に決まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1987年9月中標津町皇太子ご夫妻が中標津空港から根室市へ向かう。中標津町「中標津町のあゆみ(享和元年~昭和64年)」
- 1987年9月14日根室市皇太子ご夫妻が初めて根室地方を視察する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1987年11月21日根室市貝殻島周辺のウニ漁の日ソ民間協定がまとまる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
平成と令和201行
- 1989年4月中標津町JR標津線のお別れ式が開かれ、代替バスが走り始める。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1989年4月29日根室全体JR標津線が廃止され、厚床~標津間で代替バスが走り始める。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1989年4月29日標津町JR標津線が最後の運行を終え、廃線となる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1989年7月中標津町新しい中標津空港の使用が始まる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1989年10月20日標津町標津遺跡群が追加指定された文化庁 国指定文化財等データベース「標津遺跡群」
- 1990年羅臼町スケトウダラ漁を中心に、水揚高が253億円を記録する。第8期羅臼町総合計画
- 1990年4月1日根室市花咲港に根室市郷土資料保存センターが開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1990年5月中標津町直径4センチのひょうが降り、車や住宅、農作物に大きな被害が出る。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1990年7月中標津町中標津空港と東京を結ぶジェット直行便が飛び始める。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1990年8月中標津町中標津高校が甲子園に初出場する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1990年10月中標津町国勢調査で人口が21,900人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1991年標津町標津サーモン科学館が開館する。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1991年5月3日根室市本土の東西南北端の市町と四極交流の盟約を結ぶ。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1991年7月1日根室市JR釧路~根室間の愛称が「花咲線」に決まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1992年4月中標津町初めてのビザなし渡航で、四島の島民19人が町を訪れる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1992年4月22日根室市北方四島のビザなし交流団が初めて花咲港に着く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1992年7月中標津町神奈川県川崎市と友好都市を結ぶ。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1992年7月4日根室市根室港花咲港区の東地区に大型岸壁が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1992年8月14日根室市花咲港に日ロ交流拠点「根室インフォメーションセンター」が開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1992年9月11日根室市台風17号で記録的な大雨となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1993年1月中標津町釧路沖地震が起き、町内の住宅や商店に大きな被害が出る。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1993年1月15日根室市釧路沖地震が起きる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1993年4月3日根室市根室市総合文化会館が完成する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1993年6月30日根室市落石ロラン局が閉局する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1993年12月中標津町国道272号のバイパスが完成し、東経145度の子午線に記念碑が置かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1994年羅臼町国立公園指定30周年を機に、世界自然遺産登録の検討が始まる。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」
- 1994年羅臼町北海道東方沖地震が起き、羅臼町でも揺れと被害が出る。羅臼町地域防災計画(本編)
- 1994年1月27日根室市サハリン州のセベロクリリスク市と姉妹都市になる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1994年6月3日別海町奥行臼駅逓が北海道の有形文化財に指定される。別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 1994年10月中標津町北海道東方沖地震で震度6の揺れに見舞われ、大きな被害が出る。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1994年10月4日根室市北海道東方沖地震が起きる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1994年10月20日根室市ラクスマン来航の記念碑「歴史の然」が除幕される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1995年羅臼町スケトウダラの不漁で、刺網漁業の減船が行われる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1995年標津町矢島家の民俗資料群が町に寄贈される。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 1995年1月中標津町地震の被害を受けた公民館が取り壊される。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1995年3月中標津町中標津営林署が標津営林署に統合される。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1995年4月14日根室市春国岱原生野鳥公園のネイチャーセンターが開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1995年6月中標津町開陽台に開陽台展望館が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1995年7月15日根室市「根室空襲、戦後50年」の関連行事が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1995年10月中標津町国勢調査で人口が22,326人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1996年羅臼町羅臼町行財政改革大綱が定められる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1996年4月中標津町中標津高等養護学校が開校する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1996年12月羅臼町町内会ごとの自主防災の組織づくりが始まる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 1996年12月26日根室市穂香に根室市防災ヘリポートが開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1997年3月中標津町中標津空港の滑走路が2,000mに延びる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1997年5月羅臼町斜里町と羅臼町が世界遺産登録に向けて合意する。羅臼町「知床世界自然遺産登録に関する羅臼町の取組み状況」
- 1997年12月中標津町「蛙意匠の土器」が中標津町指定文化財の第1号となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1998年別海町アイヌ語通辞の加賀伝蔵らが残した「加賀家文書等資料」が加賀家から別海町に寄託された内閣府 別海町アイヌ施策推進地域計画別海町アイヌ施策推進地域計画
- 1998年2月中標津町中標津空港の年間利用客が20万人を突破する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1998年10月21日根室市北方四島周辺水域での「安全操業」の漁が行われる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1999年4月中標津町新しい町立病院が開く。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 1999年9月11日根室市初の北方四島自由訪問団の第1陣が志発島を訪れる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 1999年10月羅臼町北海道と斜里町・羅臼町がフォーラム「世界遺産を考える」を開く。羅臼町「知床世界自然遺産登録に関する羅臼町の取組み状況」
- 1999年12月24日根室市FMねむろが開局する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2000年別海町加賀家文書を展示・保存・研究する加賀家文書館が開館した内閣府 別海町アイヌ施策推進地域計画別海町アイヌ施策推進地域計画
- 2000年根室市白鳥台センター「スワン44ねむろ」が開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2000年羅臼町人口が7,000人を下回る。第8期羅臼町総合計画
- 2000年2月7日根室市道立北方四島交流センター「ニホロ」が開く。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2000年10月中標津町国勢調査で人口が23,179人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2000年11月羅臼町知床の世界遺産を目指す住民の集いが開かれる。羅臼町「知床世界自然遺産登録に関する羅臼町の取組み状況」
- 2001年5月羅臼町『羅臼町百年史』が発行される。羅臼町「羅臼町に関する書籍の購入について」
- 2001年7月羅臼町知床が北海道遺産の第1次候補に選ばれる。羅臼町「知床世界自然遺産登録に関する羅臼町の取組み状況」
- 2001年8月28日根室市明治公園の3基のレンガのサイロが国の登録有形文化財になる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2001年9月1日根室市「味覚観光都市ねむろ」を宣言する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2001年10月中標津町根釧台地の格子状防風林が北海道遺産に認定される。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2001年10月中標津町町にBSE対策本部が置かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2002年羅臼町ごみの分別収集が始まる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2002年12月羅臼町羅臼町・知床世界遺産登録推進協議会ができる。羅臼町「知床世界自然遺産登録に関する羅臼町の取組み状況」
- 2003年別海町キラクと呼ばれる場所の発掘調査が始まり、野付通行屋跡と確かめられる。別海町郷土資料館 展示解説シート「幻のまちキラク伝説」
- 2003年羅臼町知床が世界遺産の暫定リストに選ばれる。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」
- 2003年8月羅臼町写真で羅臼を紹介する『魚の城下町らうす物語 銀の海峡』が発行される。羅臼町「羅臼町に関する書籍の購入について」
- 2003年9月26日根室市十勝沖地震が起き、根室市も被害を受ける。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2003年12月中標津町羅臼町との飛び地合併を目指す法定合併協議会が置かれる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2004年羅臼町秋サケの豊漁で、水揚高が130億円台となる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2004年1月羅臼町知床が世界自然遺産の候補地に決まり、推薦書が出される。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」
- 2004年7月羅臼町国際自然保護連合(IUCN)が知床の現地調査を行う。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」
- 2004年8月羅臼町IUCNから、スケトウダラの保護策やダムの魚道を求める書簡が届く。羅臼町「知床世界自然遺産登録に関する羅臼町の取組み状況」
- 2004年10月1日根室市郷土資料保存センターが「根室市歴史と自然の資料館」となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2004年11月中標津町羅臼町との合併の可否を問う住民投票で、反対が6割となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2004年11月中標津町人口が24,000人に達する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2004年11月29日根室市M7.1の釧路沖地震で根室市は震度4となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2004年12月中標津町羅臼町との合併を正式に断念する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2005年羅臼町国勢調査で人口が6,540人となる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2005年羅臼町合併が実らず、羅臼町自立プランを定めて自立の道を選ぶ。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2005年5月31日羅臼町IUCNの勧告が示され、知床の登録が確実となる。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」
- 2005年7月17日羅臼町知床が日本で3か所目の世界自然遺産に登録された環境省 知床データセンター 知床世界自然遺産地域科学委員会資料
- 2005年7月17日羅臼町世界遺産委員会で、知床の世界自然遺産への登録が正式に決まる。羅臼町「「知床」の世界自然遺産登録まで」
- 2005年9月28日根室市根室沖でサンマ漁船「新生丸」が外国船と衝突する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2005年10月中標津町国勢調査で人口が23,792人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2005年11月8日別海町野付半島・野付湾(別海町・標津町)がラムサール条約湿地に登録された環境省 ラムサール条約湿地「野付半島・野付湾」
- 2005年11月8日根室市風蓮湖・春国岱(根室市・別海町)を含む国内20か所がラムサール条約湿地に登録された環境省 報道発表「ラムサール条約湿地の新規登録について」根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2006年根室市根室半島チャシ跡群が、日本城郭協会から日本百名城の第1番として認定された根室市「国指定文化財」
- 2006年羅臼町高潮で町全域に被害が出る。2014年と2020年にも被害が出る。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2006年標津町北海道・北見市と連名で、窪みで残る竪穴住居跡群を世界遺産暫定一覧表の候補に提案する。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2006年3月31日根室市明治18年開校の幌茂尻小学校などが閉校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2006年8月9日根室市創祀200年の金刀比羅神社の例大祭が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2006年8月16日根室市根室湾中部漁協の漁船が貝殻島付近でロシア警備艇に銃撃される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2007年羅臼町イカの豊漁で、水揚高が152億円に増える。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2007年羅臼町中高一貫教育が始まる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2007年8月1日根室市市制施行50周年の記念式典が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2007年10月中標津町雪印乳業のなかしべつ新工場が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2007年10月中標津町上武佐の北村家住宅主屋(旧土田旅館)が町初の登録有形文化財となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2008年羅臼町根室沖を震源とするマグニチュード7以上の地震が起きる。羅臼町地域防災計画(本編)
- 2008年標津町文化庁の通知で、竪穴住居跡群の世界遺産暫定一覧表への記載は見送られる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2008年2月1日根室全体根室管内の市町長が「ねむろ自然の番人宣言」に調印する。標津町「「ねむろ自然の番人宣言」調印式」
- 2008年2月18日根室市初田牛20遺跡の縄文時代の土偶などが道の有形文化財になる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2008年4月中標津町中標津空港のターミナルが新しくなる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2008年7月28日標津町伊茶仁カリカリウス遺跡が追加指定され、古道遺跡の指定地番が訂正された文化庁 国指定文化財等データベース「標津遺跡群」
- 2009年標津町地元アイヌ協会の主催で、先祖供養の儀式「標津イチャルパ」が始まった内閣府 標津町アイヌ施策推進地域計画標津町アイヌ施策推進地域計画
- 2009〜2012根室市トーサムポロ湖周辺竪穴群が発掘され、アイヌ文化期の住居跡や貝塚が調べられた北海道博物館協会学芸職員部会「クナシリ・メナシの戦いの風景」(根室市歴史と自然の資料館 学芸員)
- 2009年4月別海町別海支部が北海道アイヌ協会別海アイヌ協会となる。別海町アイヌ施策推進地域計画
- 2009年8月7日中標津町旧北海道農事試験場根室支場の庁舎(伝成館)などが登録有形文化財になった文化遺産オンライン「伝成館(旧北海道農事試験場根室支場庁舎)」
- 2010年3月31日羅臼町106年続いた植別小中学校が閉校する。羅臼町「施設の紹介:羅臼町郷土資料館」
- 2010年4月1日根室全体根室支庁が根室振興局として新たに始まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2010年4月1日羅臼町羅臼町が初めて過疎地域に指定される。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2010年6月1日根室市根室開港100周年の記念式典が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2010年7月中標津町中標津-丘珠便が廃止され、千歳便にまとめられる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2010年9月30日根室市根室測候所が無人の特別地域気象観測所となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2010年10月中標津町国勢調査で人口が23,982人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2010年12月標津町メロディーロードが進化し、道路が音声で注意を伝え始める。標津町「メロディーロード発祥地」
- 2011年標津町標津湿原の動物・植物・地質を広く調べる天然記念物総合調査が始まる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2011年3月11日根室市東日本大震災で根室の太平洋岸に2.8mの津波が来る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2011年9月21日別海町根室と別海を結んだ交通の要衝、旧奥行臼駅逓所が国の史跡に指定された文化遺産オンライン「旧奥行臼駅逓所」別海町教育委員会「史跡旧奥行臼駅逓所保存管理計画」
- 2011年10月中標津町中標津町自治基本条例が可決される。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2011年12月羅臼町オホーツク文化・トビニタイ文化・アイヌ文化を展示する羅臼町郷土資料館が開館した内閣府 羅臼町アイヌ施策推進地域計画
- 2011年12月羅臼町旧植別小中学校の校舎を使い、羅臼町郷土資料館が開館する。羅臼町「施設の紹介:羅臼町郷土資料館」
- 2012年羅臼町知床らうす国保診療所が公設民営となる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2013年羅臼町羅臼沖で秋に獲れるブリの漁獲量が増え始める。水産庁 事前評価資料(直轄特定漁港漁場整備事業 羅臼地区)
- 2013年3月中標津町暴風雪の災害で5名が亡くなる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2013年3月31日根室市華岬小学校や共和小学校などが閉校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2014年別海町別海町では8か所のチャシ跡が確認され、床丹1チャシ跡が発掘調査された別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 2014年別海町床丹のチャシ跡が発掘調査され、6百~5百年前のものと分かる。別海町郷土資料館「別海町の歴史(簡易版)」
- 2014年4月標津町標津支部が「標津アイヌ協会」となる。標津町アイヌ施策推進地域計画内閣府 標津町アイヌ施策推進地域計画
- 2014年3月21日根室市観測史上最大の積雪115センチを記録する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2014年12月羅臼町高波で、羅臼町の海沿いの人家が半壊するなどの被害が出る。環境省 釧路自然環境事務所 知床世界自然遺産地域の事業資料
- 2014年12月16日根室市発達した低気圧で高潮・高波が起き、沿岸が浸水する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2015年別海町国勢調査で人口が15,273人となる。別海町住生活基本計画
- 2015年標津町国勢調査で人口が5,243人となる。標津町「町の概況」
- 2015年標津町サケの漁獲量が約4,114トンとなる。標津町「町の概況」
- 2015年標津町同志社女子大学と連携した町内高齢者への聞き取り調査が始まる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2015年3月中標津町中標津と台北を結ぶチャーター便が飛ぶ。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2015年4月中標津町小中一貫の計根別学園が開校し、新校舎が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2015年9月4日羅臼町北海道松法川北岸遺跡出土品が国の重要文化財に指定された文化遺産オンライン「北海道松法川北岸遺跡出土品」
- 2015年10月中標津町国勢調査で人口が23,774人となる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2016年羅臼町スケトウダラの不漁で、再び刺網漁業の減船が行われる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2016年1月羅臼町高波で、羅臼町海岸町の人家が半壊するなどの被害が出る。環境省 釧路自然環境事務所 知床世界自然遺産地域の事業資料
- 2016年3月9日標津町町と町議会が「非核平和と豊かな自然を守る町」を宣言する。標津町「「非核平和と豊かな自然を守る町」宣言」
- 2016年3月25日根室市JR花咲駅が廃止される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2016年8月羅臼町大雨の土砂崩れで道道が通れなくなり、町内6地区が孤立する。水産庁 事前評価資料(直轄特定漁港漁場整備事業 羅臼地区)
- 2016年10月中標津町中標津町総合体育館が完成する。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2017年羅臼町水揚量が大きく減り始める。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2017年4月10日根室市根室高校と根室西高校が統合した新しい根室高校が始まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2017年9月中標津町中標津空港を使った初めての北方領土特別墓参が行われる。中標津町「中標津町のあゆみ(平成元年~)」
- 2017年10月標津町史跡標津遺跡群と天然記念物標津湿原の活用整備委員会が置かれる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2018年羅臼町知床未来中学校の改築が完成する。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2018年3月26日根室市流し網漁禁止の対策として、根室沖のホタテ漁場に稚貝の放流が始まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2018年5月22日根室市根室産マイワシのブランド名が「根室七星」に決まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2018年7月8日標津町会津松平家の当主を招いた講演会が標津町で開かれる。標津町「会津松平家14代当主松平保久様招聘事業」
- 2019年標津町戸長役場の設置から140年を迎える。標津町「町の概況」
- 2019年標津町アイヌにルーツを持つ町民から、アイヌ文化の装飾品が文化財として寄贈される。標津町アイヌ施策推進地域計画
- 2019年3月15日根室市JR花咲線の初田牛駅が廃止される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2019年5月標津町文化財保存活用地域計画をつくる検討委員会が置かれる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2019年5月26日根室市観測史上最高の34℃を記録する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2019年9月15日根室市納沙布岬の東方沖約640㎞の公海でサンマ漁船が転覆する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2020年標津町標津イチャルパは、地域のアイヌによる供養祭として開かれるようになった内閣府 標津町アイヌ施策推進地域計画
- 2020年別海町人口が14,380人まで減る。別海町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2020年羅臼町国勢調査で人口が4,722人まで減る。第8期羅臼町総合計画
- 2020年4月羅臼町住民基本台帳の人口が4,676人となり、5千人を下回る。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2020年4月1日根室市市で初めての義務教育学校「歯舞学園」が開校する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2020年5月11日羅臼町ご当地ナンバー「知床ナンバー」の交付が始まる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2020年5月19日根室市根室金刀比羅神社の例大祭が北海道の無形民俗文化財になる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2020年6月根室全体標津町・根室市・別海町・羅臼町の「鮭の聖地」の物語が日本遺産に認定された標津町「日本遺産『鮭の聖地』の物語」標津町「日本遺産「鮭の聖地」の物語 ~根室海峡一万年の道程~」
- 2020年6月19日根室全体「鮭の聖地」の物語が日本遺産に認定される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2020年6月30日根室市明治の根室工場が設備の老朽化で閉鎖される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2021年3月羅臼町ゼロカーボンシティを宣言する。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2021年3月31日根室市根室新聞が74年の歴史を終えて休刊する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2022年標津町史跡標津遺跡群の面積は約4,149haで、国内で最も広い北海道教育委員会『北海道の竪穴群の概要(改訂版)』
- 2022年別海町再び過疎地域の要件にあてはまる。別海町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2022年標津町標津町産のノリウツギが、和紙「宇陀紙」の原料として使われ始める。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2022年7月23日根室市根室港を拠点に洋上から慰霊する「洋上慰霊」が始まる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2022年8月5日根室市花咲線が全通100周年を迎える。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2023年1月20日根室市根室国後間海底電信線陸揚施設の建設が昭和4年と分かる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2023年2月25日根室市釧路沖の地震で根室市内が震度5弱となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2024年根室市根室市内にはチャシ跡が32か所残り、うち24か所が国史跡の根室半島チャシ跡群内閣府 根室市アイヌ施策推進地域計画
- 2024年羅臼町人口が4,285人となる。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2024年標津町過去5年間に35世帯68名が標津町へ移住したとまとめられる。標津町 移住・定住の案内(内閣府 北方対策本部の会議資料)
- 2024年1月9日根室市花咲港がサンマ水揚げ日本一を14年連続で守る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2024年2月21日別海町氷期の遺存種ヤチカンバが育つ西別湿原ヤチカンバ群落が国の天然記念物に指定された文化遺産オンライン「西別湿原ヤチカンバ群落」
- 2024年3月31日根室市ロシア人船員を案内してきた根室市インフォメーションセンターが閉館する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2024年5月7日根室市根室市役所の新庁舎が開庁する。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2024年6月羅臼町元金融機関の建物を改装した新しい図書館が開く。羅臼町過疎地域持続的発展市町村計画(令和8年度~令和12年度)
- 2024年8月15日根室市国後島の木材を使った清隆寺本堂が国の登録有形文化財になる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2024年11月18日別海町奥行臼の交通施設群が土木学会選奨土木遺産に認定される。別海町「奥行臼の交通施設群」の土木学会選奨土木遺産認定について
- 2025年3月14日根室市日本最東端の駅だった東根室駅が廃止される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2025年3月15日根室市根室駅が64年ぶりに日本最東端の駅となる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2025年3月31日標津町人口が4,731人となる。標津町文化財保存活用地域計画(本文)
- 2025年7月18日標津町標津町文化財保存活用地域計画が文化庁長官の認定を受ける。標津町「標津町文化財保存活用地域計画について」
- 2025年7月30日根室市カムチャツカ半島付近の地震で花咲港に0.8mの津波が来る。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2025年10月31日根室市花咲港のサンマ水揚げ額が106億5,800万円と推計される。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2025年11月8日根室市ラムサール条約湿地登録20周年の記念事業が開かれる。根室市統計書(令和7年)「根室市のあゆみ」
- 2026年標津町伊茶仁カリカリウス遺跡では竪穴のくぼみが2,549か所確認され、一つの遺跡で国内最大標津町 ポー川史跡自然公園「園内のみどころ」
資料によって異なる記述
| 出来事 | ある資料 | 別の資料 |
|---|---|---|
| ラクスマンの根室への来航の日 | 1792年9月5日(根室市のあゆみ。和暦の月日と見られる) | 1792年10月20日(西暦に直した日。根室市歴史と自然の資料館) |
| 会津藩の持ち場になった年 | 1858年(別海町郷土資料館) | 1859年(標津町) |
| 根室市内に残るチャシ跡の数 | 32か所(根室市のアイヌ施策推進地域計画・資料館) | 30か所(根室市の国指定文化財の画面) |
| 伊茶仁カリカリウス遺跡の竪穴の数 | ポー川側589・伊茶仁川側652(国の指定の解説) | 2,549か所(標津町の画面) |
根室の歴史とあわせて読む画面
- 釧路の歴史 西隣の釧路。厚岸のイコトイとクナシリ・メナシの戦い、根室本線でつながる土地
- オホーツクの歴史 知床を分け合う北西隣のオホーツク。モヨロ貝塚と常呂遺跡、斜里場所の土地
- 弟子屈町のアイヌ文化 標津から斜里・弟子屈へ越えた道の先
- 北海道のアイヌの博物館 道東の資料館
- 年表 北海道の出来事を、本州と琉球の出来事と重ねて読める
- 北海道の地域の歴史 ほかの地域を選ぶ
出典
- 根室市統計書 根室市のあゆみ
- 根室市歴史と自然の資料館 クナシリ・メナシの戦い
- 根室市歴史と自然の資料館 横死七十一人之墓
- 北海道博物館協会学芸職員部会 クナシリ・メナシの戦いの風景
- 別海町郷土資料館 別海町の歴史と自然
- 中標津町 中標津町のあゆみ
- 標津町 語源・沿革
- 標津町 北方領土の歴史
- 羅臼町 第8期羅臼町総合計画
- 内閣府 アイヌ施策推進地域計画(根室市・別海町・標津町・羅臼町)
- 文化庁 文化遺産オンライン(標津遺跡群・根室半島チャシ跡群・松法川北岸遺跡出土品・旧奥行臼駅逓所)
- 環境省 知床の世界自然遺産、ラムサール条約湿地(野付半島・野付湾、風蓮湖・春国岱)
- 北海道環境生活部『アイヌ語地名リスト』(2007年) 5市町と納沙布・花咲・野付・風蓮・春国岱・知床の名の由来。ページ番号は市町の欄に書いています
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(米軍撮影の空中写真)
- 国土地理院 地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(現在の写真)
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 年表の行ごとの出典 通しの年表の各行の下に、出典のリンクがあります