年表
十勝と幕別のアイヌの歴史 年表
3万年前から2026年まで。チロットの展示の年表をもとに、公的な資料で確かめたことを足しました。本州以南と琉球の歴史を重ねると、縄文までは同じで、そこから3つの道に分かれていく様子が見えます。
この年表の使い方
- 重ねる
- 「本州以南の歴史」「琉球の歴史」を押すと、その層の行が年の順に差し込まれます。パソコンでは北海道が左、重ねた層が右に並びます。各行に、そのときの3つの土地の時代の名前も付きます。
- しぼる
- 上の「幕別」「十勝」「北海道・全国」を押すと、その範囲の行だけになります。
- さがす
- 「言葉でさがす」に、止若、サケ、吉田菊太郎などと入れると、その言葉のある行だけになります。
- 確かめる
- 各行の「出どころ」から、もとの資料を開けます。「チロットの展示」とある行は、館内の展示で確かめた行です。
- 食い違い
- 資料によって年や数が違う行には、「資料による違い」と書いて、両方を並べています。
- 見方
- 北海道を主にして、本州と琉球を重ねる作りです。どの土地の時代の区分も、ほかの土地の物差しにはしていません。北海道に弥生時代が無いのは、遅れていたからではなく、違う道を歩いたからです。
区切りごとに同じ幅で並べた図です。目盛りの間の年数は、区切りごとに違います。北海道の区分はチロットの展示の年表によります。
本州以南 本州・四国・九州で起きた出来事を、十勝と幕別の年表に重ねて見比べるための層です。どちらか一方を物差しにせず、同じころ海峡の両側で何が起きていたかを並べ、つながりは資料に書かれているものだけを結んでいます。
琉球 琉球の島々も、本州とは違う時代の道を歩いた。貝塚時代とグスク時代を経て1429年に琉球王国が生まれ、1879年に沖縄県となり、沖縄戦と27年の米国の統治を経て1972年に日本に復帰した。

約3万年前〜12世紀
先史
十勝には約3万年前から人が暮らし、幕別にも札内N遺跡や日新F遺跡が残る。約9千年前に竪穴住居の暮らしが定まり、擦文時代には海岸と十勝川・利別川の流域に集落が集まった。竪穴住居と土器づくりは12〜13世紀に終わるが、交易の品を必要とする暮らしは次の時代に引き継がれた。
14行
- 約3万8千年前
本州以南本州以南の各地で、旧石器時代の人びとが暮らし始める
国立歴史民俗博物館は約3万7千年前とする
出どころ酒々井町「旧石器時代とは」国立歴史民俗博物館 第1展示室
北海道: 旧石器時代本州以南: 旧石器時代
- 約3万5千〜3万年前
琉球旧石器時代の人びとが沖縄島に渡り、南城市のサキタリ洞を使い始める
約3万年前の幼い子どもの骨や、焼けたシカの化石が見つかっている。
出どころ沖縄県立博物館・美術館 学芸員コラム(サキタリ洞遺跡)
北海道: 旧石器時代琉球: 旧石器時代
- 約3万2千年前
琉球那覇市の山下町第一洞穴で、人びとが石の道具を使って暮らす
沖縄県立埋蔵文化財センターは、ここを沖縄で最も古い旧石器時代の遺跡としている。
サキタリ洞遺跡の調査では、約3万5千年前以降の地層から人の暮らしの跡が出たと沖縄県立博物館・美術館が発表している。
北海道: 旧石器時代琉球: 旧石器時代
- 約3万年前
北海道・全国北海道で、旧石器時代の人びとが暮らし始める
展示とウポポイは約3万年前。アイヌ民族文化財団の副読本は約2万5千年前と書く
出どころチロットの展示ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
北海道: 旧石器時代本州以南: 旧石器時代琉球: 旧石器時代
- 約3万年前
- 約2万3千年前
琉球サキタリ洞の人びとが、巻貝を削って釣り針をつくる
J字形の釣り針として、世界で最も古い例の一つにあたる。
出どころ沖縄県立博物館・美術館 学芸員コラム(サキタリ洞遺跡)
北海道: 旧石器時代琉球: 旧石器時代
- 約2万4千〜2万年前
琉球石垣島の白保竿根田原洞穴に、旧石器時代の人びとが葬られる
DNAの分析で、南方に起源をもつ人びとだと分かっている。
北海道: 旧石器時代琉球: 旧石器時代
- 約1万8千年前
琉球港川人が、いまの八重瀬町のあたりで狩りをして暮らす
ほぼ全身の骨が残り、大人の身長は約150〜156cmである。
出どころ沖縄県立埋蔵文化財センター「旧石器時代の沖縄」沖縄県立博物館・美術館「常設展(総合展示)」
北海道: 旧石器時代琉球: 旧石器時代
- 約1万5千年前
本州以南津軽半島の大平山元遺跡に、北東アジアで最古級の土器が残る
北海道・北東北の縄文遺跡群のひとつとして世界遺産になっている。
展示の帯は、縄文時代の始まりを約1万4千年前とする
出どころ北海道・北東北の縄文遺跡群「大平山元遺跡」外ヶ浜町「大平山元遺跡」
北海道: 旧石器時代本州以南: 旧石器時代
- 約1万4千年前
十勝北海道で土器づくりが始まり、帯広の大正3遺跡に最古の土器が残る
展示は、帯広市大正3遺跡から出た土器を「北海道最古の土器」として写真で示す。帯広百年記念館の所蔵。
出どころチロットの展示
北海道: 縄文時代本州以南: 縄文時代琉球: 旧石器時代
- 約1万1千年前
北海道・全国氷河期が終わって温暖化が始まり、北海道が島になる
北海道でも縄文文化の時代になり、狩り・漁・木の実の採集を土台にした暮らしが続いた。丸木舟も使われた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 縄文時代本州以南: 縄文時代琉球: 旧石器時代
- 約9千年前
北海道・全国竪穴住居が広まり、人びとが同じ土地に住み続ける暮らしになる
広葉樹が森の中心になるころとされる。
出どころチロットの展示
北海道: 縄文時代本州以南: 縄文時代琉球:
- 約9千年前
幕別幕別の途別7遺跡や古舞G遺跡に、竪穴住居の時代の暮らしの跡が残る
展示は、ほかに札内K遺跡・日新F遺跡・札内N遺跡を挙げる。
出どころチロットの展示関連幕別町
北海道: 縄文時代本州以南: 縄文時代琉球:
- 約6700年前
琉球沖縄諸島で貝塚時代が始まり、人びとは狩りと漁と採集で暮らす
爪形文土器や、刃だけを磨いた石斧など、独自の道具が使われる。
「貝塚時代」は現行編年の呼び名である。沖縄県史(2003年)と沖縄県立埋蔵文化財センターは、この時代を「縄文時代」(約6700〜2300年前)と「弥生〜平安並行時代」に分けて呼んでいる。
北海道とのつながり沖縄県は、先史時代の沖縄は北海道と同じように独自の物質文化をもち、日本の時代区分をそのまま使えないと説明している。 沖縄県立埋蔵文化財センター「沖縄の編年」
出どころ沖縄県立埋蔵文化財センター「沖縄県の縄文時代」沖縄県立埋蔵文化財センター「沖縄の編年」
北海道: 縄文時代琉球: 貝塚時代
- 約5900年前
本州以南青森の三内丸山遺跡に大きな集落ができ、約1700年続く
このころ東北北部と北海道南部では、同じ形の円筒土器がつくられた。
北海道: 縄文時代本州以南: 縄文時代
- 貝塚時代の中ごろ
琉球人びとが沖縄諸島の各地に住み、台地の上に竪穴住居のムラをつくる
伊波式・荻堂式と呼ばれる、沖縄独自の土器が生まれる。
北海道: 縄文時代琉球: 貝塚時代
- 約2400年前
北海道・全国本州が弥生時代に入るころ、北海道は続縄文時代になる
鉄器は入ったが米作りは伝わらず、縄文からの暮らしが続いた。展示の年表は、北海道の時代区分を本州以南と別の帯で示す。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 続縄文時代本州以南: 弥生時代琉球: 貝塚時代
- 約2400年前
本州以南九州北部から水田の稲作が広まり、本州以南は弥生時代になる
国立歴史民俗博物館は、九州北部で水田稲作が始まったのを紀元前10世紀ごろとする
北海道とのつながり同じころ北海道は、稲作をせず狩りと漁を続ける続縄文時代になる チロットの展示
出どころチロットの展示国立歴史民俗博物館 第1展示室
北海道: 続縄文時代本州以南: 弥生時代
- 弥生時代の前期
- 約2300年前から
琉球九州との「貝の道」が開け、ゴホウラやイモガイが北へ運ばれる
本部町瀬底島のアンチの上貝塚では、交易用とみられるイモガイがまとめて置かれていた。
出どころ沖縄県立埋蔵文化財センター「弥生~平安並行時代の沖縄」
北海道: 続縄文時代琉球: 貝塚時代
- 3世紀
本州以南近畿を中心に、前方後円墳がつくられ始める
百舌鳥・古市古墳群の公式の説明は「3世紀後半から約400年」とする
出どころ国立歴史民俗博物館 第1展示室百舌鳥・古市古墳群(大阪府)「古墳群について」
北海道: 続縄文時代本州以南: 古墳時代
- 3〜4世紀
本州以南北海道の続縄文土器が、青森県の約80の遺跡から見つかる
後北C2・D式と呼ばれる北海道の土器で、津軽海峡をこえた行き来を示す。
北海道とのつながり北海道の続縄文時代(約2400年前から)の人びとの土器が、本州の北部に広がる 青森県史 資料編 考古3
出どころ青森県史 資料編 考古3
北海道: 続縄文時代本州以南: 古墳時代
- 5世紀
北海道・全国続縄文時代の北海道で、鉄の道具が広く使われるようになる
出どころチロットの展示
北海道: 続縄文時代本州以南: 古墳時代琉球: 貝塚時代
- 5世紀
北海道・全国オホーツク文化の人びとが、樺太から道北と道東の沿岸へ南下する
海の漁と狩りの人びととされる。クマへの信仰は、のちのアイヌ文化との関わりが考えられている。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 続縄文時代本州以南: 古墳時代琉球: 貝塚時代
- 5世紀
本州以南堺の百舌鳥に、墳丘の長さ486mの大仙古墳がつくられる
仁徳天皇陵古墳とも呼ばれ、日本で最も大きな古墳である。
出どころ百舌鳥・古市古墳群(大阪府)「仁徳天皇陵古墳」堺市博物館「仁徳天皇陵古墳百科」
北海道: 続縄文時代本州以南: 古墳時代
- 538年
- 7世紀
北海道・全国かまどの付いた四角い竪穴住居が広まり、雑穀の栽培が始まる
擦文時代にあたる。擦文文化の人びとは、アイヌ民族の祖先と考えられている。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 続縄文時代本州以南: 飛鳥時代琉球: 貝塚時代
- 7世紀〜12世紀
十勝十勝の擦文時代の集落が、海岸と十勝川・利別川の流域に集まる
舟の行き来に向いた場所や交通のかなめに遺跡が多い。展示は大樹町の十勝ホロカヤントー竪穴群の写真を載せる。
出どころチロットの展示
北海道: 続縄文時代本州以南: 飛鳥時代琉球: 貝塚時代
- 645年
- 658年〜660年
本州以南『日本書紀』に、阿倍比羅夫が船で北へ遠征した記事が載る
齶田・渟代を従え、渡嶋の「蝦夷」と会い、粛慎と戦ったと書かれている。
遠征は実際には1回か2回だったとする説もあり、渡嶋や粛慎がどこを指すかは明らかでない
出どころ福井県文書館『福井県史』通史編1
北海道: 続縄文時代本州以南: 飛鳥時代
- 8世紀ごろ
琉球『続日本紀』などの記録に、琉球列島が「南島」として現れる
奄美諸島を中心に、螺鈿の材料になるヤコウガイの交易が行われる。
出どころ沖縄県立埋蔵文化財センター「弥生~平安並行時代の沖縄」
北海道: 擦文時代琉球: 貝塚時代
- 701年
- 710年
- 720年
本州以南朝廷がまとめた歴史の書『日本書紀』が完成する
阿倍比羅夫の遠征の記事は、この書に載っている。
出どころ奈良県立万葉文化館「万葉百科」日本書紀国文学研究資料館「日本書紀」
北海道: 擦文時代本州以南: 奈良時代
- 724年
- 733年
本州以南出羽柵が秋田村の高清水岡に移り、のちの秋田城になる
秋田城は、津軽や渡嶋(北海道)との交易と交流の拠点でもあったと考えられている。
出どころ秋田市「秋田城とは」
北海道: 擦文時代本州以南: 奈良時代
- 752年
- 789年
- 794年
- 802年
本州以南坂上田村麻呂が胆沢城を築き、アテルイ(阿弖流為)が降る
アテルイと母礼は、河内国で処刑された。
出どころ奥州市「胆沢城跡」岩手県「いわての文化情報大事典 胆沢城」奥州市埋蔵文化財調査センター
北海道: 擦文時代本州以南: 平安時代
- 9世紀後半〜10世紀後半
本州以南津軽の五所川原でつくられた須恵器が、北海道へ運ばれる
道南と道央に多く、道東と道北にも届いている。
北海道とのつながり擦文時代の北海道の住居から、擦文土器といっしょに本州の須恵器が見つかる 文化遺産オンライン「五所川原須恵器窯跡」文化遺産オンライン「須恵器・長頸壺」
出どころ文化遺産オンライン「五所川原須恵器窯跡」文化遺産オンライン「須恵器・長頸壺」
北海道: 擦文時代本州以南: 平安時代
- 878年
- 10世紀
北海道・全国オホーツク文化が変わり、擦文文化に組み込まれる
出どころチロットの展示
北海道: 擦文時代本州以南: 平安時代琉球: 貝塚時代
- グスク時代の直前
- 1008年
- 1051年〜1062年
- 12〜13世紀
北海道・全国鉄鍋が広まり、囲炉裏のある平地の家での暮らしになる
鉄の鍋や漆器は交易で入った。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連アイヌの暮らしと道具
北海道: 擦文時代本州以南: 平安時代琉球: グスク時代
- 12世紀ごろ
琉球グスク時代が始まり、米・アワ・ムギをつくる農耕が本格的になる
奄美・沖縄・先島に、カムィヤキや中国の白磁など共通の品が広まる。
グスク時代の年代にはいくつかの見解があり、沖縄県立埋蔵文化財センターはおおむね12〜16世紀ごろとしている。
北海道: 擦文時代琉球: グスク時代
- 12〜13世紀
北海道・全国擦文時代まで続いた土器づくりと、竪穴住居での暮らしが終わる
交易で得る品を必要とする暮らしは、中世・近世のアイヌ社会に引き継がれたと展示は書く。
出どころチロットの展示
北海道: 擦文時代本州以南: 平安時代琉球: グスク時代
- 1124年
- 12世紀
- 12世紀ごろ
- 1185年
本州以南源頼朝が守護と地頭を置く権利を得て、鎌倉幕府の形が整う
1192年に征夷大将軍になった年など、ほかの年を始まりとする説もある
出どころ鎌倉市 歴史的風致維持向上計画 第1章鎌倉市教育委員会「鎌倉殿通信 第1回」
北海道: 擦文時代本州以南: 鎌倉時代
- 1189年

13世紀〜1868年
中世・近世
13世紀ごろから、いまアイヌ民族の伝統とされる暮らしの形が見られるようになり、幕別にも5つのチャシがつくられた。17世紀に松前藩がトカチ場所を置き、産物は砂金と鷹の羽から、サケやコンブ、アットゥㇱへ変わった。19世紀の絵図と松浦武四郎の日誌には、幕別のコタンの名と家の数が書きとめられている。
36行
- 13世紀
北海道・全国アイヌ民族の伝統とされる暮らしの形の多くが、このころに見られるようになる
考古学の成果による。前の時代の文化を受け継ぎながら、まわりの社会との関わりの中で独自の文化がつくられたと展示は書く。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代琉球: グスク時代
- 13世紀
北海道・全国安東(安藤)氏が、津軽の十三湊を拠点に北方との交易を行う
北からの交易品は、ラッコの毛皮、ワシやタカの羽、コンブ、干したサケとされる。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代琉球: グスク時代
- 13〜18世紀
北海道・全国濠で区切った施設チャシが、見晴らしのよい尾根や台地の端につくられる
古くは聖地・居館・儀礼の場で、のちに戦いに使われたと考古学では考えられている。
出どころチロットの展示関連アイヌの博物館とゆかりの地
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代琉球: グスク時代
- 13〜18世紀
十勝十勝の川ぞいの高台に、約70か所のチャシがつくられる
十勝川と利別川に多い。展示は浦幌町のオタフンベチャシの写真と、陸別町のユクエピラチャシを載せた分布図を示す。
展示は約70か所。帯広開発建設部の冊子は72か所と書く
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連アイヌの博物館とゆかりの地
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代琉球: グスク時代
- 13〜18世紀
幕別幕別に、幕別神社・金毘羅・軍岡・稲志別・依田の5つのチャシがつくられる
5つとも北海道教育委員会の埋蔵文化財の台帳に載る。台帳の名前は「金比羅チャシ跡」と書く。
出どころチロットの展示北海道教育委員会「北の遺跡案内」関連幕別町アイヌの博物館とゆかりの地
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代琉球: グスク時代
- 1216年
本州以南鎌倉幕府が、強盗や海賊を夷島(北海道)へ流す
夷島への流刑の記事は、1191年が初めとされる(『新札幌市史』)
出どころ『函館市史』通説編1「凶賊の流刑」『新札幌市史』第1巻「東夷成敗権」
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代
- 13世紀前半
本州以南執権の北条義時が、津軽の安藤(安東)氏を蝦夷の代官にする
任じられた年は、公的な資料では特定できない
北海道とのつながりこの安藤氏が、のちに十三湊を拠点にして北方との交易を行う 文化遺産オンライン「十三湊遺跡」チロットの展示
出どころ『函館市史』通説編1「安東氏の勃興」『新札幌市史』第1巻「東夷成敗権」
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代
- 1261年ごろ
- 1266年
- 1274年・1281年
- 14世紀
北海道・全国和人が、渡島半島に「道南十二館」と呼ばれる拠点を築く
出どころチロットの展示
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代琉球: 三山時代
- 14世紀
- 1322年〜1328年
本州以南津軽で安藤氏の一族が争い、「蝦夷」も加わる戦いになる
「津軽大乱」とも呼ばれ、1328年にようやく和談となった。
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 鎌倉時代
- 1333年
- 1336年
本州以南足利尊氏が建武式目を定め、室町幕府が始まる
同じ年、後醍醐天皇が吉野に移り、朝廷が2つに分かれる。
尊氏が征夷大将軍になった1338年を始まりとする見方もある
出どころジャパンサーチ(国立国会図書館)「足利尊氏」奈良県「後醍醐天皇と吉野」
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 南北朝時代
- 1356年
本州以南『諏訪大明神絵詞』が、「蝦夷が千島」の人びとを3つに分けて書く
日の本・唐子・渡党と書かれ、渡党は津軽の外ヶ浜と行き来して交易したとある。
日の本と唐子はアイヌ民族、渡党は和人とする見方があり、渡党については別の説もある
出どころ『函館市史』通説編1「諏訪大明神絵詞」北海道デジタルミュージアム「中近世の蝦夷地」
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 南北朝時代
- 1372年
琉球中山王の察度が弟の泰期らを遣わし、初めて明に使者を送る
明との朝貢の関係が始まり、琉球は中国の品と文化を取り入れていく。
察度の使者が明で貢ぎ物を納めた日は、西暦では1373年1月にあたる(沖縄県教育庁の年表)。
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 三山時代
- 14世紀後半
琉球北山の王が今帰仁城を拠点に本島北部を治め、明と交易する
出どころ世界遺産 今帰仁城跡「今帰仁城跡の歴史」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 三山時代
- 1392年
- 1404年
琉球明の皇帝が初めて冊封使を送り、中山の王の地位を認める
冊封は、中国の皇帝が国王の地位を認める外交の形である。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」首里城公園「首里城の歴史と公園整備の経緯」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 三山時代
- 1406年
琉球尚巴志が中山王の武寧を倒し、父の思紹を中山王にする
第一尚氏の王統が始まる。
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 三山時代
- 1416年
琉球中山の尚巴志が、今帰仁城を拠点とする北山を滅ぼす
のちに今帰仁城には、北部を治める監守が置かれる。
北山が滅びた年を1422年とする説もある。
出どころ世界遺産 今帰仁城跡「今帰仁城跡の歴史」本部町「本部町の紹介」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 三山時代
- 1429年
琉球尚巴志が三山を統一し、首里を都とする琉球王国が生まれる
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県立博物館・美術館「常設展(総合展示)」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 琉球王国(第一尚氏)
- 1432年
本州以南安藤(安東)氏が南部氏に敗れ、十三湊から蝦夷島へ逃れる
1443年とする説もある
北海道とのつながり蝦夷島に渡ったときに築いたとされる茂別館は、道南十二館のひとつになる 文化遺産オンライン「茂別館跡」
出どころ『函館市史』通説編1「安東盛季の渡来」文化遺産オンライン「十三湊遺跡」
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 室町時代
- 1454年〜1456年
本州以南安東政季が蝦夷島へ渡り、去るときに道南の館に一族や家臣を置く
北海道とのつながり翌1457年、コシャマインの戦いで道南の館の多くが攻め落とされる 文化遺産オンライン「茂別館跡」チロットの展示
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 室町時代
- 1457年
北海道・全国渡島半島東部の首長コシャマインが、道南十二館を攻める
12の館のうち10が落ちた。和人の鍛冶屋がアイヌの少年を殺したことがきっかけとされる。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 室町時代琉球: 琉球王国(第一尚氏)
- 1457年
- 1457年〜1550年ころ
北海道・全国アイヌ民族と和人が、およそ百年のあいだ何度か戦う
1550年か1551年に、蛎崎季広がアイヌの人たちと講和したとされる。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 室町時代琉球: 琉球王国(第一尚氏)
- 1458年
琉球首里城の正殿に、海の交易をうたう万国津梁の鐘が懸けられる
同じ年に、護佐丸・阿麻和利の乱が起きる。
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県立博物館・美術館「常設展(総合展示)」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 琉球王国(第一尚氏)
- 1467年
- 1470年
琉球金丸が王位につき尚円と名のって、第二尚氏の王統が始まる
第二尚氏は、19代の尚泰まで約400年続く。
首里城公園は、金丸が政権を握った年を1469年としている。
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 1477年
琉球尚真王が即位し、行政の組織や制度を見直して王国の土台を固める
各地の按司を首里に集めて住まわせる。
出どころ首里城公園「首里城の歴史と公園整備の経緯」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 1500年
- 1501年
琉球第二尚氏の王家の墓、玉陵が首里に築かれる
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 1531年
琉球琉球の古い歌謡を集めた『おもろさうし』の第1巻がまとめられる
第3巻から後は1623年にまとめられる。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 中世アイヌの時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 1543年
- 1573年
- 1590年
本州以南蠣崎慶広が京都で豊臣秀吉に会い、蝦夷島の支配を認められる
蠣崎氏は、これで主家の安東氏から独立した。
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 安土桃山時代
- 1593年
本州以南豊臣秀吉が、蠣崎慶広に船への課税を認める朱印状を与える
蝦夷地に来る各地の船から税をとる権利で、アイヌの人びとの関わらないところで決められた。
出どころ内閣官房 領土・主権展示館『函館市史』通説編1「朱印の制書」『新札幌市史』第1巻「豊臣秀吉の朱印状」
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 安土桃山時代
- 1599年
本州以南蠣崎慶広が徳川家康に会い、姓を松前と改める
北海道とのつながり松前氏は1604年、家康から黒印状を受け、アイヌとの交易を独り占めする権利を得る 『函館市史』通説編1「徳川の幕下に入る」チロットの展示
北海道: 中世アイヌの時代本州以南: 安土桃山時代
- 17世紀
北海道・全国松前藩が、藩主と藩士にアイヌとの交易の権利を割り当てる
商場知行制と呼ばれる。アイヌの人たちは、津軽や南部へ出向く自由な交易ができなくなった。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 安土桃山時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 17世紀
十勝トカチ場所が置かれ、松前藩士の蠣崎蔵人広林の知行地になる
はじめの産物は砂金と鷹の羽と記録される。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 安土桃山時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 1600年
- 1603年
本州以南徳川家康が征夷大将軍になり、江戸に幕府を開く
北海道とのつながり翌1604年、松前氏が家康から黒印状を受け、アイヌとの交易を独り占めする権利を得る チロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族 歴史と文化』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1604年
北海道・全国松前氏が徳川家康から黒印状を受け、アイヌ民族との交易を独占する
蠣崎氏が松前氏と姓を改めた時期にあたる。交易の利益が藩のおもな収入になった。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 琉球王国(第二尚氏・古琉球)
- 1605年
- 1609年
琉球薩摩の島津氏が3000の兵で琉球に攻め入り、首里城を占拠する
薩摩の軍は奄美の島々を押さえて今帰仁の運天に上陸し、今帰仁城も炎上したとされる。
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」世界遺産 今帰仁城跡「今帰仁城跡の歴史」
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1611年
琉球奄美の島々が薩摩の直轄となり、琉球は薩摩と幕府の支配を受ける
中国との冊封と朝貢の関係は、その後も続く。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県立博物館・美術館「常設展(総合展示)」
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1635年
- 1637年
- 1639年
本州以南幕府がポルトガル船の来航を禁じ、外国との行き来を限る
窓口は長崎・対馬・薩摩・松前の4つで、松前口は松前藩とアイヌとの交易の窓口だった。
出どころ国立国会図書館「江戸時代の日蘭交流」九州国立博物館「四つの口」
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1642年
十勝オランダ船カストリクム号が停泊し、十勝アイヌのことを書き残す
十勝のアイヌ民族についての、最も古い文字の記録とされる。
展示は1642年。帯広開発建設部の冊子は1643年の記録と書く
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1650年
琉球羽地朝秀が、琉球の歴史書『中山世鑑』を著す
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県公文書館「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1666年
琉球今帰仁間切から伊野波間切が分かれ、翌年に本部間切と改められる
これが、いまの本部町のもとになる。
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1669年
北海道・全国首長シャクシャインの呼びかけで、各地のアイヌ民族が蜂起する
サケと交換できる米の量が、およそ3分の1に下げられていた。戦いは松前藩が鎮め、和人による支配が進んだ。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1669年
本州以南幕府が、シャクシャインの戦いに弘前藩の出兵を命じる
弘前藩は700人あまりを松前に送った。幕府がアイヌの蜂起に直接指揮をとった最初である。
北海道とのつながり同じ年、首長シャクシャインの呼びかけで各地のアイヌ民族が蜂起している 『新編弘前市史』通史編2「蝦夷地出兵の諸段階」チロットの展示
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1669年
十勝十勝アイヌも、シャクシャインの呼びかけにこたえて立ち上がる
十勝でも戦いが起き、和人ら20人が殺されたと記録される。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 18世紀
北海道・全国松前藩が、各地の交易と漁業を商人に請け負わせる
場所請負制と呼ばれ、18世紀の初めごろに始まった。商人はやがてアイヌの人たちを漁場で働かせるようになった。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 18世紀
十勝トカチ場所で、商人の浜屋久七による経営が始まる
拠点ははじめ十勝太(いまの浦幌町)にあり、のちに広尾へ移った。産物はサケやコンブなどの海産物、アットゥㇱ、クマやシカの皮に変わった。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1719年
琉球玉城朝薫の組踊が、冊封使をもてなす宴で初めて演じられる
出どころ文化遺産オンライン「組踊」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1728年
- 1739年
本州以南ロシアの探検船が安房の沖に来て、乗組員が上陸する
北海道を除けば、日本で初めてロシア人が上陸した出来事とされる。
月は旧暦。6月とする資料もある
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1771年
琉球明和の大津波(乾隆の大津波)が、宮古と八重山をおそう
宮古と八重山の死者は1万1941人にのぼる。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1783年
- 1785年〜1786年
本州以南老中の田沼意次が、ロシアの動きを調べるため蝦夷地へ調査隊を送る
工藤平助が『赤蝦夷風説考』で説いたことを受けたもので、最上徳内らがウルップ島まで調べた。
出どころ『新編弘前市史』通史編2「帝政ロシアの南下と幕府の蝦夷地政策」
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1789年
北海道・全国国後島と対岸のアイヌ民族が、クナシリ・メナシの戦いを起こす
請負商人の飛騨屋の漁場での過酷な扱いが原因とされる。松前藩が鎮め、37人を処刑した。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1789年
- 1789年
本州以南幕府が、クナシリ・メナシの戦いに備えて弘前藩に出兵の準備を命じる
北海道とのつながり同じ年、国後島と対岸のアイヌ民族がクナシリ・メナシの戦いを起こしている 『新編弘前市史』通史編2「蝦夷地出兵の諸段階」チロットの展示
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 18世紀末
琉球蝦夷地の昆布が北前船と薩摩を経て琉球に届き、清へ送られる
那覇には昆布を扱う「昆布座」が置かれ、いまも昆布は沖縄の郷土料理「クーブイリチー」に使われている。
北海道とのつながり蝦夷地(北海道)で採れた昆布が、北前船と薩摩を経て琉球へ、さらに中国へ運ばれた。この道は「昆布ロード」と呼ばれる。 函館市「函館真昆布」北前船の話北前船日本遺産推進協議会「昆布ロード」
出どころ函館市「函館真昆布」北前船の話北前船日本遺産推進協議会「昆布ロード」国立国会図書館 レファレンス協同データベース(沖縄県立図書館の回答)農林水産省「うちの郷土料理」クーブイリチー
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1792年
本州以南ロシアの使節ラクスマンが根室に来て、幕府に通商を求める
幕府は、弘前藩と盛岡藩に護衛の出兵を命じた。
箱館奉行所の年表は、箱館に入港した1793年の出来事として書く
出どころ『新編弘前市史』通史編2「帝政ロシアの南下と幕府の蝦夷地政策」
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1798年〜1807年
十勝近藤重蔵が北海道の各地を調べ、このころ『十勝川流域絵図』をつくる
十勝川と支流のコタンの名、家の数、畑の広さを書いた1枚の絵図で、東京大学史料編纂所が所蔵する。「畑によい」という書き込みがある。
展示は調査を1798年〜1807年とする。帯広百年記念館の紀要は絵図を1800年〜1804年のものと書く
出どころチロットの展示帯広百年記念館紀要 第26号関連白人と書いて、チロット
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1799年〜1821年
北海道・全国幕府が、松前藩の治めていた蝦夷地を段階的に直轄にする
1799年に東蝦夷地、1807年に松前と西蝦夷地を直轄にし、1821年に松前藩へ戻した。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1800年
北海道・全国幕府が、八王子千人同心を勇払と白糠へ送る
出どころチロットの展示
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1800年
- 1800年
十勝皆川周太夫が、大津から十勝川をさかのぼって調べる
勇払にいた原新介の配下とされる。日高山脈を越えて沙流川筋へ出た。『十勝川本流図』には地名が91、人家のあるコタンが28、家が92戸書かれている。
出どころチロットの展示帯広百年記念館紀要 第26号帯広百年記念館の年表
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 19世紀の初め
幕別皆川周太夫と近藤重蔵の地図に、幕別のコタンの名が書きとめられる
展示が挙げる地名は「マカンベツ」「イナヲシベツ」「ヤムワツカヒラ」。
出どころチロットの展示関連白人と書いて、チロット
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 19世紀の初め
幕別近藤重蔵の絵図に、いまの幕別の4つの地名と11軒の家が描かれる
サツナイブトウ2軒、マカンベツ1軒、ホロナイブトウ3軒、ヤムワツカヒラ5軒で、どの家にも畑があった。マカンベツの字は絵図では読みにくいと展示は断っている。
出どころチロットの展示関連白人と書いて、チロット
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1804年
本州以南ロシアの使節レザノフが長崎に来るが、幕府は通商を断る
レザノフの部下は1806年から翌年にかけて、樺太と択捉島の幕府の拠点を襲った。
北海道とのつながりこの一連の出来事を背景に、幕府は1807年に蝦夷地の全域を直轄にする 『新編弘前市史』通史編2「帝政ロシアの南下と幕府の蝦夷地政策」アイヌ民族文化財団『アイヌ民族 歴史と文化』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1808年
- 1816年
琉球イギリスのバジル・ホールが来航し、沖縄に約1か月とどまる
その見聞は1818年の航海記にまとめられる。
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1821年
本州以南伊能忠敬の測量をもとにした『大日本沿海輿地全図』が幕府に出される
北海道とのつながり測量は、1800年の函館から十勝・釧路までの海岸の測量から始まった ジャパンサーチ(国立国会図書館)「大日本沿海輿地全図」チロットの展示
出どころジャパンサーチ(国立国会図書館)「大日本沿海輿地全図」神戸市立博物館「伊能図」
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1825年
- 1845年
- 1853年
琉球アメリカのペリー艦隊が那覇に来航し、首里城に入る
出どころ首里城公園「琉球王国とは」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近世アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1853年
- 1854年
- 1854年
本州以南日米和親条約が結ばれ、下田と箱館を開くことが決まる
北海道とのつながり幕府は箱館の周りを直轄にし、翌1855年に蝦夷地のほとんどをふたたび直轄にする 箱館奉行所「箱館奉行所の役割」
出どころ箱館奉行所「箱館奉行所の歴史」函館市「五稜郭の歴史」
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1855年〜1868年
北海道・全国幕府が、松前藩に戻していた蝦夷地をふたたび直轄にする
日露和親条約が結ばれた年にあたる。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1855年
幕別調査で、チロットコタンに7戸の家が数えられる
町の資料は、千住の一帯に広がる大きくて豊かなコタンと書く。展示の「1858年に7か所のコタン」とは別の数字。
出どころ幕別町「郷土文化ものがたり Part2」関連白人と書いて、チロット
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1855年
本州以南日露和親条約が結ばれ、択捉島とウルップ島の間が国境になる
樺太には境を設けず、両国の人が住む地とした。
和暦では安政元年12月21日
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1856年
十勝松浦武四郎が、11年ぶりにふたたび十勝の沿岸を通る
出どころチロットの展示
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1858年
十勝松浦武四郎が十勝の内陸を調べ、アイヌの案内で十勝川を舟で下る
この調査では十勝に78のコタン、284戸、1,336人が数えられた(一部は1856年の数)。武四郎はこの年、十勝川筋を2度調べている。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』帯広百年記念館の年表
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1858年
幕別松浦武四郎が幕別を2度訪ね、十勝川ぞいの7か所のコタンを書きとめる
日誌類には27軒、100人以上が暮らしていたと書かれている。
出どころチロットの展示関連白人と書いて、チロット
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1858年(旧暦3月17日)
幕別ヤムワツカヒラの乙名イキリカシが、武四郎の一行に粟の団子をふるまう
粟とオオウバユリの粉をつき、鮭の卵を包んでゆでた団子と『十勝日誌』に書かれている。ヤムワツカヒラは、いまの幕別町役場のあたり。
出どころチロットの展示十勝日誌十勝日誌(活字の版)関連白人と書いて、チロットアイヌの暮らしと道具
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1858年(旧暦3月17日)
幕別『十勝日誌』が、十勝川ぞいのジロトウに人家5軒と書く
同じ日の条に、イイカンヘツに10軒、カモキナイに4軒とある。札内川の先からヤムワツカヒラまで、川を下る順に書かれている。
出どころ十勝日誌(活字の版)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1858年
本州以南日米修好通商条約が結ばれ、箱館は翌年から貿易の港になる
1859年6月、箱館で5か国との貿易が始まった。
出どころ国際子ども図書館「幕末・明治の日本の歴史事典」『函館市史』通説編1
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代
- 1860年
十勝松浦武四郎の『十勝日誌』に、万延元年の序と跋が付く
展示は、この本に描かれたチセの中と家財の絵を載せる。国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
出どころチロットの展示十勝日誌関連アイヌの暮らしと道具
北海道: 近世アイヌの時代本州以南: 江戸時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 幕末
- 1866年
- 1867年
- 1868年

1869年〜1912年
明治
土地は国のものとされ、仕掛け弓と毒矢、十勝川のサケ漁が禁じられ、十勝の内陸に飢えが起きた。県は人びとを集めて農業を教え、道庁は測量をして保護地を決め、白人に人が集まって白人コタンができた。同じころ移民が急に増え、十勝のアイヌの人の割合は約56%から約3%になった。
61行
- 1869年
北海道・全国明治政府が開拓使を置き、蝦夷地を北海道と名付ける
政府は北海道を持ち主のいない土地として国のものにし、区画を整えてから本州からの移住者に分け与えた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1869年
幕別ヤムワッカ・チロト・イカンベツ・ヘチャロ・マクウンベツの5村が定められる
町の年表は、ヤムワッカ村をいまの幕別市街、チロト村を千住、イカンベツ村を相川地区、ヘチャロ村を札内地区と説明する。
出どころ幕別町の年表関連幕別町白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1869年
- 1869年
十勝浦幌の十勝太で、いまチロットに展示されている丸木舟が漁と渡しに使われる
そう伝えられている。舟は長さ590cm、幅52cm、高さ27cm。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具展示品の写真
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1869年
本州以南旧幕府軍が箱館の五稜郭を明け渡し、戊辰戦争が終わる
戦争は1868年正月の鳥羽・伏見の戦いから始まった。
出どころ国立公文書館 企画展「戊辰戦争」箱館奉行所「箱館奉行所の歴史」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代
- 1869年ころ
幕別白人コタンの指導者になる長谷川由太郎が生まれる
アイヌ名はチヨロコウクまたはチヨロカウク。和人との交渉と「旧土人給与地」の申請に力を尽くした。展示は生まれた年に疑問符を付けている。
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1871年
北海道・全国開拓使が、家を焼く弔いの習わし、女性の入れ墨、男性の耳輪を禁じる
農耕と日本語を学ぶことも命じた。この年の戸籍法で、アイヌの人たちは日本の国民に組み込まれた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1871年
琉球宮古島の船が台湾に流れ着き、乗組員54人が殺される
1874年、日本政府はこれを理由に台湾へ兵を送る。
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1871年
本州以南廃藩置県が行われ、松前藩を改めた館藩は館県になる
館県の地は青森県に入り、1872年に開拓使の下に移った。
出どころ国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ」年表北海道立文書館「藩・県文書」八雲町「熊石の歴史 第6章」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代
- 1872年
北海道・全国「北海道土地売貸規則」と「地所規則」で、狩りや漁の場が官有地になる
山林や川が、和人に払い下げられていった。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1872年
- 1872年
琉球明治政府が琉球国を「琉球藩」とし、尚泰を藩王とする
琉球の外交は、日本の外務省の管轄とされる。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県公文書館「1879年3月27日 「沖縄県」の設置」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 明治の初め
幕別調査で、チロットコタンに6戸の家が数えられる
町の資料は「1872(明治4)年」と書くが、西暦と和暦が1年合わない
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1875年
北海道・全国場所請負商人を受け継いだ「漁場持」が廃止される
展示は1875年。財団の副読本は、漁場持ちが1876年まで経営を続けたと書く
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1875年
本州以南屯田兵の制度ができ、旧仙台藩や会津藩の士族が札幌の近くに移り住む
1874年の「屯田兵例則」を始まりとする資料もある
出どころアジア歴史資料センター「屯田兵」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代
- 1875年
十勝アイヌと和人が、シカ狩りと漁を管理する十勝組合をつくる
商人の幹部6人とアイヌの代表7人でつくり、1880年に解散した。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1875年
- 1875年
- 1876年
北海道・全国シカ猟の規則で、狩りに使う仕掛け弓と毒矢が禁じられる
仕掛け弓はアマッポと呼ばれ、糸に獲物が触れるとトリカブトの毒の矢が飛ぶ仕組み。
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連アイヌの暮らしと道具
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1876年
北海道・全国アイヌ風の名前を和人風に改めるよう、うながされる
出どころチロットの展示帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1877年
北海道・全国「北海道地券発行条例」で、アイヌの人が住む土地も官有地に入れられる
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1877年
- 1878年
十勝十勝でとられるシカが、前の年までの年1万頭弱から4万頭に増える
石狩地方の開発が進むとシカは十勝に集まり、和人の狩人も集まった。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1879年・1882年
十勝大雪が続き、十勝に集まっていたシカが大量に死ぬ
絶滅に近いと言われるほど減った。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 近世琉球(第二尚氏)
- 1879年
琉球政府が警官と兵を送り、首里城の明け渡しと沖縄県の設置を命じる
尚泰は3月31日に首里城を明け渡し、4月4日に沖縄県の設置が布告され、一連の措置は「琉球処分」と呼ばれる。
北海道とのつながり国立歴史民俗博物館の近代の展示は、「北海道」の設置とアイヌの近代、「琉球処分」と琉球・沖縄の近代を並べて取り上げている。 国立歴史民俗博物館「第5展示室」
出どころ沖縄県公文書館「1879年3月27日 「沖縄県」の設置」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1879年
- 1879年
琉球沖縄県が旧慣温存の方針を出し、王国時代の土地と税の制度を残す
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1880年2月
- 1880年
琉球県庁に会話伝習所が置かれ、標準語(日本語)を教え始める
沖縄県公文書館の解説では「会話伝播所」と書かれている。
出どころ沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1880年
琉球日本と清が、宮古と八重山を清に分ける「分島改約案」を議定する
清が調印を延ばし、この案は実行されない。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1882年
十勝のちにアイヌの子どもの教育にあたる吉田巌が、福島県に生まれる
教員になって北海道へ渡り、各地のアイヌ文化と郷土史を調べた。展示は「文化を繋いだ先人たち」のひとりに挙げる。
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1883年
十勝札幌県が、河口を除く十勝川の流域でサケ漁を禁じる
先に現地を調べた役人は、人びとが飢えると考えて食べる分の漁を認めるよう意見を出したが、県は採らなかった。
展示は1883年。帯広百年記念館の年表は、1880年に十勝・大津川の上流が禁漁区になったと書く
出どころチロットの展示山田伸一 研究成果報告書(2012年)帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連白人と書いて、チロット梟の神が歌った謡「コンクワ」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1883年
十勝サケ漁を禁じられた十勝の内陸のアイヌ民族に、飢えが起こる
県は監守を送って取り締まった。秋のサケを1年分の食べものにしていた人びとが追い込まれた。禁漁は1884年から1885年に一時ゆるめられた。
出どころチロットの展示山田伸一 研究成果報告書(2012年)帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1883年
十勝晩成社が帯広に入り、鈴木銃太郎と渡辺勝がアイヌの人との行き来を日記に残す
魚をもらった、一緒に漁に行ったという記述がある。展示は日記から、イトウは春、チョウザメは初夏、マスは夏、サケは秋から年の暮れという漁の暦を起こしている。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1883年
- 1885年
十勝札幌県が、十勝川と利別川ぞいの12か所に人びとを集め、農業を教える
伏古村伏古別に、当時の名で「土人開墾事務所」が開かれた。帯広百年記念館には、世話係をした渡辺勝の日記が残る。
出どころチロットの展示帯広百年記念館の年表山田伸一 研究成果報告書(2012年)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1885年
幕別止若村に「救済事務所」が置かれ、白人や咾別の人びとに農業を教える
官が農具と種を渡し、1戸あたり2町歩ほどの畑を持つまでになった。作物は粟・黍・じゃがいも。
出どころ北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1886年
- 1888年
十勝十勝で、移住者を受け入れるための測量が始まる
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1888年
十勝12か所の農業の指導が、264戸で200町歩あまりを開いたところで終わる
事業が止まったあと農業から離れる人が多かったが、これを機に農業へ移った人もいた。
出どころ帯広開発建設部『時をこえて十勝の川を旅しよう』山田伸一 研究成果報告書(2012年)帯広市史
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1889年
- 1889年
- 1889年
北海道・全国北海道庁が、道内のシカ猟を全面的に禁じる
食料の分として認められていた猟も禁止になった。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1889年
- 1890年
十勝英国人A・S・ランドーが、帯広で丸木舟2そうの網漁を見て書き残す
晩成社の渡辺勝のもとに数日とどまり、いまの国見山から漁を見た。2そうは約2.1mの間をあけて下り、網を入れるたびに大きなサケがかかったと書く。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1890年
- 1892年
幕別香川県の移民が止若村に、徳島県の移民が咾別村に入る
十勝で最初の団体の移住とされる。この年、原野の区画の測量が行われた。
出どころ幕別町の年表北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連幕別町
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1892年
十勝十勝国の人口が2,960人で、アイヌの人が約56%を占める
展示の表はアイヌの人を1,649人とする。全人口は『北海道殖民状況報文 十勝国』の明治25年末の数と合う。
アイヌの人の数1,649人の出どころは、公的な資料で確かめられていない
出どころチロットの展示北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1893年
- 1893年
- 1894年
幕別長谷川由太郎が、アイヌの共有財産を管理する組合の代表を務める
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1894年7月
幕別猿別市街が区画され、土地の貸し付けが始まる
猿別市街は咾別川と猿別川が合わさる所にあり、舟も入れた。
出どころ幕別町の年表北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1894年
- 1896年
十勝十勝で区画の測量が行われ、移民を受け入れる体制が整う
白人・咾別・止若の原野では、この年に区画地の貸し付けが始まり、移民が急に増えた。
出どころチロットの展示北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1896年
十勝「アイヌ保護地」が決められ、集まって住むことと農業がうながされる
十勝では、のちの法律で渡された土地の多くが、殖民地の区画のときに設けた保護地を引き継いだものとされる。
出どころチロットの展示山田伸一 研究成果報告書(保護地と土地)
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1896年
幕別幕別では、白人・札内・咾別に「アイヌ保護地」が決められる
展示の別の囲みは止若を加えた4か所と書く。白人に人が多く住み、白人コタンができた。
展示は1896年。町の年表は1885年4月に保護地を設けたと書き、場所を止若・白人・咾別・別奴・幕別村の5か村とする
出どころチロットの展示幕別町の年表関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1896年
幕別白人に、アイヌの子どもの教育を目的とした学校が置かれる
道庁の調査は、聖公会が開いた私立の慈善小学校と書く。先生1人、アイヌの児童16人、和人の児童2人で、授業料を取らなかった。
展示は1896年から。『北海道殖民状況報文 十勝国』の印字は明治19年(1886年)
出どころチロットの展示北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1896年
幕別5万分の1の地形図に、白人村が「チロト」のふりがな付きで書かれる
幕別村には「マクンペッ」、止若村には「ヤムワカ」とふりがながある。地図の幕別村は、いまの役場よりかなり西にある。
出どころチロットの展示関連チロットとは白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1896年7月20日
幕別吉田菊太郎が、幕別村のチロットに生まれる
アイヌ名はアリトムテ。父トイペウク(吉田庄吉)と母アシマツ(マツ)の長男。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1897年9月1日
幕別幕別など7村の戸長役場が、大津から分かれて猿別市街に置かれる
町はこの年を開基の第1年とする。
町の年表は9月1日。『北海道殖民状況報文 十勝国』は6月と書く
出どころ幕別町の年表北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連幕別町
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1897年11月
幕別白人村に、いまの白人小学校の前身になる私立白人教育所が開く
明治31年には先生1人、生徒28人と記録される。
出どころ十勝毎日新聞北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1898年
幕別道庁の調査で、白人原野の保護地に30戸あまりが住み畑を開いていると書かれる
保護地はイカンベツ川の西、途別川の北に31万5,500坪あまり。平均で1戸1町歩あまりを開いていた。
出どころ北海道殖民状況報文 十勝国(1901年)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1898年
幕別白人村の戸口が146戸・535人になり、アイヌの人は23戸・85人と数えられる
明治31年末の数。咾別村は94戸のうち14戸、止若村は249戸のうち21戸がアイヌの人の家と書かれている。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1898年
琉球沖縄県で徴兵令が施行され、徴兵を逃れようとする人も相次ぐ
出どころ沖縄県公文書館「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1898年
幕別大洪水で、メン川と十勝川の合流点に湧いていた湯が止まる
まわりのアイヌの人が入浴していた湯と町は書く。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1899年
北海道・全国土地の「下付」と学校の設置を定めた「北海道旧土人保護法」ができる
農業をする人に1戸1万5千坪以内の土地を渡すことと、小学校を置くことを定めた。渡された土地は農地に向かないものが多く、学校ではアイヌの言葉と文化が否定された。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1899年
琉球土地整理事業が始まり、土地の共有の制度が個人の所有に改められる
地租は、お金で納める形に変わる。
完了の年を、沖縄県教育庁の年表は1903年10月とし、沖縄県公文書館の解説は1902年としている。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県公文書館「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1899年5月
- 1899年7月
- 1899年
琉球沖縄から初めての海外移民が、ハワイへ向けて那覇港を出る
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1901年
北海道・全国「旧土人児童教育規程」ができ、アイヌの児童の就学が4年とされる
和人の義務教育が6年になったあとも、4年のままとされた。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1901年
十勝北海道庁殖民部が『北海道殖民状況報文 十勝国』を出す
明治31年の実地調査をもとに、止若・幕別・咾別・白人・別奴の5村を村ごとに書いている。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1903年
幕別のちに白人コタンの組合を支える内海勇太郎が、幕別へ移り始める
1865年生まれ。アイヌと行政との間に入り、共有財産の管理や組合の事務にあたった。菊太郎の父の代から、吉田家とコタンに大きな影響を与えたと町は書く。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1903年
- 1903年
琉球大阪の博覧会の「学術人類館」で、琉球の人が「陳列」される
琉球新報が4月に抗議し、5月に「陳列」されていた女性は外された。
北海道とのつながり同じ「学術人類館」では、アイヌの人びとも「展示」された。 沖縄県公文書館「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」国立歴史民俗博物館「アイヌ民族と博覧会 150年の経験」
出どころ沖縄県公文書館「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」国立歴史民俗博物館「アイヌ民族と博覧会 150年の経験」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1903年4月
幕別6歳の吉田菊太郎が、村の白人尋常小学校に入学する
1909年3月に卒業し、4月に幕別高等小学校へ進んだ。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1903年6月8日
北海道・全国のちに『アイヌ神謡集』を書く知里幸恵が、登別に生まれる
出どころ知里幸恵 銀のしずく記念館青空文庫関連梟の神が歌った謡「コンクワ」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1904年
幕別内海勇太郎の指導で、白人コタンに古民共済組合ができる
チロットには、表紙に「明治三十七年三月起」「白人組合」と書かれた文書が展示されている。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連展示品の写真
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1904年
- 1905年
- 1905年
- 1905年10月
幕別鉄道の利別・帯広間が開通し、止若停車場が開業する
開通は10月21日。いまの幕別駅の前身。
出どころ幕別町の年表十勝総合振興局「幕別町史」の要約関連白人と書いて、チロット行き方
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1906年4月
- 1906年8月
幕別幕別村の役場が、猿別市街から駅のある止若市街へ移る
鉄道が通ったあと、猿別市街の施設と商店が止若へ移り、村の中心が止若駅の前に移った。
出どころ幕別町の年表幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1908年
十勝十勝の人口が約6万人になり、アイヌの人の割合が約3%になる
展示の表は全人口59,763人、アイヌの人1,744人とする。16年のあいだに約56%から約3%になった。
展示は全人口59,763人。『十勝国勢一斑』の明治41年末は和人59,813人、合計61,557人。アイヌの人の数は一致する
出どころチロットの展示十勝国勢一斑(1910年)関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1909年
琉球沖縄県に県会が置かれ、初めての県会議員の選挙が行われる
出どころ沖縄県公文書館「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1910年
- 1911年3月
幕別吉田菊太郎が幕別高等小学校を卒業し、家業の農業に就く
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 明治時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1911年
- 1912年
琉球沖縄県で、初めて衆議院議員の選挙が行われる
宮古と八重山の人びとが選挙に加わるのは1920年である。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)

1912年〜1945年
大正・昭和(戦前)
十勝の各地のアイヌの中から指導者が現れ、生活改善と保護法の改正を求めて声を上げた。白人では吉田菊太郎が1929年に白人古潭矯風会をつくり、村会議員として地域を代表した。1944年、幕別村の字名の改正で、白人は千住になった。
31行
- 1918年
十勝教員の武隈徳三郎が、『アイヌ物語』を出す
アイヌ自身が自分たちの民族のことを書いた最初のものとされる。武隈は1896年に生まれ、1951年に亡くなった。本は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
展示は伏古の出身、財団の副読本は音更村の生まれと書く
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』国立国会図書館デジタルコレクション『アイヌ物語』
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1919年
幕別白人コタンの指導者、長谷川由太郎が亡くなる
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1919年4月
- 1920年
十勝展示が先人のひとりに挙げる高橋真が生まれる
1976年に亡くなった。展示の説明は一部しか読み取れていない。
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1920年
琉球砂糖の値が暴落し、「ソテツ地獄」と呼ばれる大不況が続く
海外への移民と、阪神などへの出稼ぎが増える。
出どころ沖縄県教育庁 近代沖縄史料デジタルアーカイブ「近代沖縄と新聞」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1920年代ころ
十勝帯広の伏古に建つチセが、畑ごしに写真に撮られる
展示は「大正末から昭和初期」のチセと書く。家の横に祖先供養の祭壇と、カムイをまつる祭壇が見える。帯広市図書館の所蔵。
出どころチロットの展示関連アイヌの暮らしと道具
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1922年
幕別のちに保存会の初代会長になる安東軍次郎が、白人コタンに生まれる
のちに北海道ウタリ協会の理事と幕別支部長を務めた。
出どころチロットの展示関連安東ウメ子さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1922年9月18日
北海道・全国登別に生まれ旭川で育った知里幸恵が、東京で19歳で亡くなる
5月に上京し、金田一京助の家に身を寄せていた。
出どころ知里幸恵 銀のしずく記念館青空文庫関連梟の神が歌った謡「コンクワ」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1923年8月
北海道・全国知里幸恵が13篇の神謡を書き記した『アイヌ神謡集』が出る
梟の神が歌った謡「コンクワ」は、その1篇。
出どころ知里幸恵 銀のしずく記念館青空文庫アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連梟の神が歌った謡「コンクワ」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1923年
本州以南関東大震災が起こり、東京と横浜に大きな被害が出る
揺れは北海道の道南から中国・四国地方までの広い範囲で観測された。
出どころ内閣府防災「関東大震災100年」国立国会図書館「史料にみる日本の近代」年表
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 大正時代
- 1924年6月
- 1927年5月
十勝帯広で十勝アイヌ旭明社ができ、吉田菊太郎も加わる
社長は喜多章明。十勝アイヌの生活向上を目指した。菊太郎はここで生活改善の大切さを感じたと展示は書く。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」帯広百年記念館の年表関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1929年
十勝十勝アイヌ旭明社が講演会を開き、30人あまりが集合写真に収まる
建物の入口に「十勝アイヌ旭明社」の看板が写る。帯広百年記念館の所蔵。
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1929年
幕別幕別へ移って行政との間に立った内海勇太郎が亡くなる
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1929年7月8日
幕別吉田菊太郎が白人古潭矯風会をつくり、会長になる
禁酒、住宅の改善、納税などの指導と助け合いを進めた。以後、和風の住宅への建て替えに努めた。
展示の印刷は「古譚」、展示の写真の札と町の資料は「古潭」と書く
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1929年〜1933年
幕別洪水を防ぐため、途別川が新しい水路に切り替えられる
白人と咾別(いまの相川)の地区を守る大工事で、自由のない労働者と囚人が使われたと町は書く。千住に記念碑がある。
出どころ幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1930年代
十勝十勝のアイヌが、共有財産の使い方について話し合う
昭和の初め、十勝の各地の人びとが集まり、行政と交渉した。展示は帯広・本別・池田・音更・芽室の9人の名前を挙げる。
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1930年1月
幕別吉田菊太郎が、当時の名で「旧土人保導委員」という役に就く
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1930年
幕別吉田菊太郎が白人古潭納税組合をつくり、白人古潭矯風会館を建てる
白人共栄甜菜組合もつくり、組合長になった。
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1930年11月
幕別吉田菊太郎が、『蝦夷の光』の創刊号を出す
1931年には2号と3号の編輯兼発行人を務めた。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」国立国会図書館サーチ関連吉田菊太郎さん
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- 1931年1月
幕別白人古潭矯風会が総会を開き、100人ほどが建物の前で写真に収まる
建物の看板は「幕別矯風會」と書かれている。
出どころチロットの展示
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1931年
十勝札幌で全道アイヌ青年大会が開かれ、十勝からの参加者も登壇する
この年に「北海道アイヌ協会」ができた。吉田菊太郎も大会に参加した。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』幕別町「郷土文化ものがたり Part1」
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1932年
- 1932年4月
幕別吉田菊太郎が、幕別村会議員に初めて当選する
3月には方面委員になった。1936年に再選。10月に結城いさのと結婚した。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1933年ころ
幕別畑の中の道と家々が写る「チロット古潭の一部」の写真が撮られる
コタンの景色そのものが写る数少ない1枚。
出どころチロットの展示関連白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1935年11月10日
- 1936年9月
幕別昭和天皇の来道にあわせ、白人コタンに岡部侍従が遣わされる
矯風会の活動が認められたためと展示は書く。菊太郎と妻いさのの記念写真は、これを記念して撮られた。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1937年
北海道・全国「北海道旧土人保護法」が改正され、「アイヌ学校」がすべてなくなる
土地の売買の制限もゆるめられた。別学がなくなっても、教育の場でのいじめや迫害は続いたと展示は書く。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1937年
幕別吉田菊太郎ら十勝の人びとが、第70回帝国議会を傍聴する
保護法の改正を審議した議会。議事堂の前で、北海道庁の関係者らと8人で写真に収まった。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1940年4月
- 1940年9月
幕別侍従が遣わされた白人コタンに、「御使御差遣記念碑」が建つ
1936年に侍従が遣わされたことの記念。町の地図は、蝦夷文化考古館の敷地内と書く。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」幕別町「歴史の散歩道」関連施設案内
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1941年
- 1944年
幕別幕別村が全村の字名を改め、白人が「千住」になる
先住民族であるアイヌの人びとが暮らしてきた場所であることを踏まえたと展示は書く。町は、アイヌが大勢住んでいることにちなむと説明する。
出どころチロットの展示幕別町の年表幕別町「アイヌ語に由来する幕別町の地名」関連チロットとは白人と書いて、チロット
北海道: 近代アイヌの時代本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1944年8月22日
琉球学童疎開船「対馬丸」が撃沈され、疎開学童784人を含む1484人が亡くなる
出どころ沖縄県公文書館「1944年8月22日 学童疎開船「対馬丸」が撃沈される」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1944年10月10日
琉球沖縄が米軍の大きな空襲を受ける(十・十空襲)
本部町の渡久地では、町の7、8割が焼けた。
出どころ総務省「本部町における戦災の状況(沖縄県)」沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄県(近代)
- 1945年3月26日
琉球米軍が慶良間諸島に上陸し、4月1日には沖縄島の読谷から北谷の海岸に上陸する
出どころ沖縄県公文書館「1945年3月26日、4月1日 米軍が慶良間諸島・沖縄本島に上陸」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄戦
- 1945年6月23日
琉球第32軍の司令官が自決し、日本軍の組織的な戦闘が終わる
この日は、のちに沖縄の「慰霊の日」と定められる。
出どころ沖縄県教育庁 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ「年表」沖縄県公文書館「沖縄戦と慰霊の日」沖縄県営平和祈念公園「平和の礎」
北海道: 近代アイヌの時代琉球: 沖縄戦
- 1945年
北海道・全国アジア・太平洋戦争が終わり、戦後の時代が始まる
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 沖縄戦
- 1945年

1945年〜1988年
昭和(戦後)
吉田菊太郎は北海道アイヌ協会の副理事長になり、1948年に幕別支部をつくり、1959年に蝦夷文化考古館を建てた。亡くなったあと、館は願いのとおり幕別町に受け継がれた。帯広と幕別では歌と踊りの保存会ができ、2つの慰霊碑が建った。
35行
- 1945年9月7日
琉球南西諸島の日本軍が降伏文書に署名し、沖縄戦が公式に終わる
住民を巻き込んだ地上戦で23万人あまりが亡くなり、首里城も焼けた。
出どころ沖縄県公文書館「1945年9月7日 沖縄での降伏調印式」沖縄県立博物館・美術館「常設展(総合展示)」内閣府「首里城公園(国営沖縄記念公園 首里城地区)」
北海道: 戦後琉球: 米国の統治
- 1946年2月
幕別社団法人北海道アイヌ協会ができ、吉田菊太郎が副理事長になる
2月24日に静内町で設立総会が開かれ、3月13日に社団法人として認可された。
展示と町の施設紹介は副理事長。町の略年譜は副会長と書く
出どころチロットの展示北海道アイヌ協会幕別町「蝦夷文化考古館」関連吉田菊太郎さん
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1946年9月15日
- 1946年10月
十勝吉田菊太郎が十勝アイヌ協会をつくり、会長になる
町の略年譜に書かれている。館内の展示には出てこない。
出どころ幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1946年
- 1947年4月
- 1947年
本州以南地方自治法ができ、北海道庁にかわって地方公共団体の北海道が置かれる
出どころ国土交通省 北海道局「北海道開発行政の推進」国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ」年表
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代
- 1948年
- 1948年
北海道・全国保護法で渡された土地も、農地改革の対象にするという通達が出る
多くの土地が、ふたたびアイヌの人たちの手を離れた。
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1950年
- 1951年4月
幕別村会議員を務めた吉田菊太郎が、幕別町議会議員に当選する
1955年に再選。村議を二期8年、町議を二期8年務めた。
出どころチロットの展示幕別町「蝦夷文化考古館」関連吉田菊太郎さん
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1951年
- 1952年4月1日
- 1952年4月28日
- 1953年12月25日
- 1955年ころ
- 1955年ころ
- 1956年6月20日
琉球軍用地をめぐる「プライス勧告」に反対し、各地で住民大会が開かれる
20万人あまりが集まり、運動は「島ぐるみ闘争」へ広がる。
出どころ沖縄県公文書館「1956年6月9日 USCAR、「プライス勧告」を沖縄住民に伝える」
北海道: 戦後琉球: 米国の統治
- 1956年
本州以南日ソ共同宣言が出され、日本とソ連の国交が戻る
歯舞群島と色丹島は、平和条約を結んだあとに日本に引き渡すとされた。
出どころ国立国会図書館「史料にみる日本の近代」年表北海道「北方領土問題の歴史」
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代
- 1958年5月
幕別吉田菊太郎が、考古館の資金をつくるために『アイヌ文化史』を出す
発行は北海道アイヌ文化保存協会、86ページ。道の内外を回って売り、偏見をなくすよう訴える講演もした。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」幕別町「蝦夷文化考古館」北海道立文書館関連吉田菊太郎さん
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1959年3月
幕別吉田菊太郎らが、蝦夷文化考古館の建設の趣意書をまとめる
古い品々を一堂に収めて長く保存し、先祖の祈りを続けることを書いた。はじめの計画は約30坪、総予算200万円ほど。
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1959年
幕別蝦夷文化考古館が、かつて白人コタンのあった土地にできる
11月に完成し、12月6日に落成の式をした。広さは124.44㎡、総工費は200万円で、町の助成20万円のほかは寄付でまかなった。
出どころチロットの展示幕別町「郷土文化ものがたり Part1」幕別町の年表関連吉田菊太郎さん施設案内
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1961年
- 1961年5月5日
- 1963年
十勝アイヌの子どもの教育と十勝の郷土史の調査にあたった吉田巌が亡くなる
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1963年11月
幕別開業から止若駅と呼ばれてきた駅が、幕別駅に名を改める
駅の名は1905年の開業から58年のあいだ止若(やむわっか)と呼ばれた。
出どころチロットの展示幕別町の年表関連白人と書いて、チロット行き方
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1963年11月
幕別蝦夷文化考古館のとなりに、町の千住生活館ができる
伝承の行事や民族衣装づくりの拠点になった。コンクリートブロック造の平屋で195.76㎡。
町の基本計画は11月の落成。町の略年譜は12月に落成式と書く
出どころ幕別町の基本計画(案)幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連施設案内
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1964年
- 1964年
北海道・全国展示の年表が挙げる「ペウレウタリの会」が、この年にできる
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1964年
- 1964年11月
- 1965年1月8日
- 1966年1月
幕別遺族の申し出を受け、幕別町議会が考古館の受け入れを決める
建物と収蔵品のすべてが町のものになった。初代の管理人は妻のいさの。
出どころチロットの展示幕別町「アイヌ文化交流センター」幕別町「郷土文化ものがたり Part1」関連吉田菊太郎さん施設案内
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1966年5月
- 1967年
幕別国道を直す工事の現場から、20体のアイヌの人の遺骨が見つかる
無縁仏として、町の墓地の一角に仮に葬られた。のちの慰霊碑のきっかけになった。
出どころ幕別町「歴史の散歩道」
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1968年11月10日
- 1969年
幕別幕別町の稲志別墓地に、白人コタン慰霊碑が建つ
町の地図は「千住14号橋そば」と書く。荒れてしまったアイヌの墓地の遺骨を一か所に集めて葬っている。
出どころチロットの展示幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 米国の統治
- 1972年
- 1972年5月15日
琉球沖縄の施政権が米国から日本に返還され、沖縄県として新たに歩み始める
多くの米軍基地は、そのまま残された。
出どころ沖縄県公文書館「日本復帰への道」沖縄県立博物館・美術館「常設展(総合展示)」
北海道: 戦後琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1973年
十勝帯広の沼チョマトーで、チョマトー祭が始まる
十勝アイヌの戦いの伝説がある沼。1927年に標柱、1960年に慰霊碑が建った。
出どころ帯広百年記念館「リウカ」関連アイヌの博物館とゆかりの地
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1975年
- 1975年7月20日
琉球本部町で、沖縄の日本復帰を記念する沖縄国際海洋博覧会が開幕する
翌年1月18日までの会期に、350万人が訪れた。
出どころ沖縄県公文書館「1975年7月20日 沖縄国際海洋博覧会開幕」沖縄美ら海水族館「施設概要」
北海道: 戦後琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1976年6月
幕別札内市街の字名が改められ、札内青葉町などができる
町の地図は、白人尋常小学校の跡を札内青葉町の白人公園内と書く。
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1977年
幕別明野の幕別墓地に、ヤムワッカウタリ慰霊碑が建つ
碑のそばに、アイヌ式の墓標が2本立つ。先がふたまたのものが男、1本のものが女の墓標。
展示は1977年。碑の裏の文は1976年とする資料もある
出どころチロットの展示幕別町「歴史の散歩道」関連白人と書いて、チロット
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1978年7月30日
- 1979年10月
- 1984年
幕別幕別で、「マクウンベツアイヌ文化保存会」ができる
当時のウタリ協会幕別支部が中心になった。初代の会長は安東軍次郎。1989年まで活動し、一度休んだ。
出どころチロットの展示帯広百年記念館「リウカ」関連アイヌ文化を知る
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1984年
十勝上士幌で、上士幌アイヌ文化伝承保存会ができる
オッパイ山大祭やマレㇰ漁を行う。展示の安東夫妻の写真は、このオッパイ山大祭で撮られた。
出どころ帯広百年記念館「リウカ」チロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1984年1月21日
北海道・全国アイヌ古式舞踊が、国の重要無形民俗文化財に指定される
保護団体に、帯広カムイトウウポポ保存会が入る。
出どころチロットの展示文化庁 文化遺産オンライン帯広百年記念館「リウカ」
北海道: 戦後本州以南: 昭和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1984年5月27日
- 1987年9月8日
- 1988年

1989年〜2026年
平成・令和
1997年に「北海道旧土人保護法」が廃止され、2019年の法律でアイヌ民族が先住民族と明記された。幕別では2004年にイチャルパが復活し、2005年に保存会が活動を再開した。2026年10月1日、考古館の資料を受け継ぐチロットが千住に開館した。
36行
- 1990年
十勝アイヌの子どもの教育を支える「とかちエテケカンパの会」ができる
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1990年7月
幕別蝦夷文化考古館の民具が調べられ、295点が確かめられる
1991年8月にも調査が行われた。考古の石器類を除いた数。
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1992年
北海道・全国国連総会で、アイヌの代表が民族の問題について演説する
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1992年3月
幕別町教育委員会が、『吉田菊太郎資料目録』の1冊目を出す
2冊目は1998年2月に出た。
出どころ幕別町「郷土文化ものがたり Part1」国立国会図書館サーチ関連吉田菊太郎さん
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1992年11月3日
- 1993年2月16日
- 1994年
- 1995年
幕別幕別支部長と保存会の初代会長を務めた安東軍次郎が亡くなる
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1995年
- 1995年6月
琉球糸満市の平和祈念公園に、戦没者の名を刻む「平和の礎」が建つ
国籍や、軍人か民間人かを問わず、すべての戦没者の名を刻んでいる。
出どころ沖縄県営平和祈念公園「平和の礎」
北海道: 戦後琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 1997年
北海道・全国「アイヌ文化振興法」が施行され、「北海道旧土人保護法」が廃止される
5月14日に公布、7月1日に施行。同じ年、二風谷ダム裁判の判決がアイヌ民族を先住民族と認めた。
出どころチロットの展示アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2000年
幕別安東ウメ子が、北海道文化財保護功労賞を受ける
展示は、幕別町文化奨励賞をはじめさまざまな賞を受けたと書く。
展示は2000年。2003年の受賞とする資料もある
出どころチロットの展示関連安東ウメ子さん
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2000年7月
- 2000年12月2日
琉球首里城跡や今帰仁城跡など9つの資産が、世界遺産に登録される
名前は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」である。
出どころ文化遺産オンライン「琉球王国のグスク及び関連遺産群」沖縄県「沖縄の世界遺産」
北海道: 戦後琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2001年
- 2002年2月
- 2002年11月
- 2003年
幕別安東ウメ子のアルバム『ウポポ サンケ』が出る
夏に十勝の農場で録音した14曲を収める。
出どころ制作者の公式プロフィール(英語)再発盤の解説(英語)関連安東ウメ子さん
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2004年
幕別ムックㇽとウポポの名手、安東ウメ子が亡くなる
帯広の伏古コタンに生まれ育ち、結婚を機に白人コタンへ移った。展示は、伝えた料理としてチェㇷ゚オハウ、ムニニモシト、チポㇿシト、チタタㇷ゚を紹介する。
出どころチロットの展示幕別町「企画展の開催について」関連安東ウメ子さん
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2004年8月1日
幕別幕別で20年以上とだえていたイチャルパが復活する
北海道ウタリ協会幕別支部の、当時の支部長が中心になった。以来、稲志別墓地と明野の幕別墓地の2か所で毎年先祖供養を行う。
出どころチロットの展示関連アイヌ文化を知る
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2005年5月
幕別保存会が、マクンベツアイヌ文化伝承保存会の名で活動を再開する
刺しゅう、植物の採集、体験講座、まくべつ産業まつりへの出店を続けている。
出どころチロットの展示幕別町アイヌ施策推進地域計画関連アイヌ文化を知る
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2006年
幕別安東ウメ子の歌を収めたDVD『けうとぅむ』が出る
町は、ウポポの全曲集で遺作と紹介している。
出どころチロットの展示幕別町「蝦夷文化考古館」関連安東ウメ子さん
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2006年
- 2006年1月
- 2006年2月6日
- 2007年5月
幕別安東ウメ子が寄贈した民具68点が、ふるさと館の常設展示に並ぶ
安東家に伝わる首飾り、冠、マレㇰ、杯、行器など。
出どころ幕別町「郷土文化ものがたり Part2」関連安東ウメ子さん
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2007年9月13日
北海道・全国国連総会が、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択する
日本も賛成した。
出どころアイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』内閣官房アイヌ総合政策室
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2008年3月
- 2008年6月6日
北海道・全国衆参両院が、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を可決する
全会一致で採択された。
出どころチロットの展示内閣官房アイヌ総合政策室アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの歴史
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2009年
北海道・全国ユネスコが、アイヌ語を消滅の危機にある言語とする
同じ年、アイヌ古式舞踊がユネスコの無形文化遺産の一覧に載った。北海道ウタリ協会は北海道アイヌ協会に名を戻した。
出どころウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」文化庁 文化遺産オンラインアイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌ語の単語
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2009年
本州以南国の有識者懇談会が、アイヌ政策のあり方の報告書を出す
同じ年の12月、国にアイヌ政策推進会議ができた。
北海道とのつながり懇談会は、2008年の衆参両院の決議を受けて置かれた 内閣官房 アイヌ政策推進会議「アイヌ政策の概要」
北海道: 戦後本州以南: 平成時代
- 2010年11月
- 2011年
- 2014年5月
幕別幕別支部が、「幕別アイヌ協会」に名を改める
北海道アイヌ協会が公益社団法人に移ったことにともなう。
出どころチロットの展示関連アイヌ文化を知る
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2015年9月13日
幕別明野の幕別墓地で、幕別の2か所の共同墓地の慰霊祭が行われる
展示は、2025年8月24日の慰霊祭の写真も載せる。
出どころチロットの展示
北海道: 戦後本州以南: 平成時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2016年
- 2019年5月
北海道・全国「アイヌ施策推進法」が施行され、アイヌ民族が先住民族と明記される
4月に成立した。差別の禁止を書き、市町村の計画に国が交付金を出す仕組みをつくった。
出どころチロットの展示内閣官房アイヌ総合政策室ウポポイ「アイヌの歴史・文化の基礎知識」関連アイヌの歴史
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2019年10月31日
- 2020年7月12日
北海道・全国ウポポイ(民族共生象徴空間)が、白老町に開業する
出どころ内閣官房アイヌ総合政策室アイヌ民族文化財団『アイヌ民族:歴史と現在』関連アイヌの博物館とゆかりの地
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2021年
本州以南「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、世界遺産に登録される
青森の三内丸山遺跡や、函館・千歳・伊達・洞爺湖の遺跡が含まれる。
出どころ文化庁「ぶんかる」文化遺産オンライン「北海道・北東北の縄文遺跡群」
北海道: 戦後本州以南: 令和時代
- 2022年2月4日
幕別マクンベツアイヌ文化伝承保存会が、アイヌ文化奨励賞を受ける
アイヌ民族文化財団の賞。千住生活館を拠点に、とだえていたアットゥㇱづくりの復興に取り組んでいた。
出どころチロットの展示広報まくべつ 2022年3月号関連アイヌ文化を知る
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2022年3月10日
幕別幕別町アイヌ施策推進地域計画が、国に認定される
千住生活館を建て替え、蝦夷文化考古館を保存して直し、全体を発信と交流の拠点にする計画。
出どころ幕別町アイヌ施策推進地域計画関連チロットとは
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2022年8月
- 2023年3月31日
幕別蝦夷文化考古館が、拠点空間の整備のために閉館する
収蔵資料は別の施設へ運ばれ、傷みの確認と修復が始まった。
出どころ幕別町「蝦夷文化考古館」幕別町の年表関連施設案内
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2026年7月
- 2026年9月30日
- 2026年10月1日
幕別幕別町アイヌ文化交流センター「チロット」が、千住に開館する
展示の年表の最後の行は「幕別町アイヌ文化拠点空間が完成する」。考古館の建物は耐震補強をして残され、収蔵品は展示館ウチャㇱクマに移された。
出どころチロットの展示幕別町のお知らせ幕別町「アイヌ文化交流センター」関連チロットとは行き方
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2026年10月1日
幕別企画展「アイヌ文化伝承者 安東ウメ子」が、展示館で始まる
会期は12月28日まで。
出どころ幕別町「企画展の開催について」関連安東ウメ子さん展示品の写真
北海道: 戦後本州以南: 令和時代琉球: 日本復帰後の沖縄県
- 2026年
年表の行は、館内の展示と公的な資料に書かれていることを、このサイトの運営者が短くまとめたものです。展示の文は写していません。
当時の制度や団体の名前は、資料の言葉として、かぎ括弧を付けて使っています。
本州以南と琉球の層は、国立公文書館、国立国会図書館、国立歴史民俗博物館、文化庁、沖縄県、首里城公園などの公的な資料で確かめた事実をまとめたものです。教科書は使っていません。
年表から読む
- 白人と書いて、チロット沼の名前から2026年の館までを、8枚の絵で
- 吉田菊太郎さん年譜と、蝦夷文化考古館を建てるまで
- アイヌの歴史アイヌ民族とは。時代ごとの説明
- 読み物の棚お話、土地、道具、歴史、人、言葉
おもな出典
- 幕別町アイヌ文化交流センター(チロット)の館内の展示 歴史年表、人物の年譜、地名と地図の解説。2026年10月3日に確認
- 幕別町勢要覧 資料編(年表)
- 北海道庁殖民部『北海道殖民状況報文 十勝国』(1901年) 国立国会図書館デジタルコレクション
- 松浦武四郎『十勝日誌』 国立国会図書館デジタルコレクション
- 帯広百年記念館「十勝のアイヌ民族の歴史」
- 幕別町「幕別町 歴史の散歩道」